95年8月9日に登山基地であるシャモニーに妻と二人で入り、2週間ばかり部屋を借りて自炊生活を始める。4000mを越える山に登るのは初めてで1週間程度高所に自分の体が適応できる準備をした。シャモニーという町は深い谷の中にありその両側には3000m以上の針峰群がそびえ立ち山歩きが出来る道がたくさんある。最初の2,3日は二人で Lac Blanc(ラックブラン2352m)やMontenvers (モンタンベール1913m)まで歩き、そこにある氷河の中にも入った。氷河の中は青く神秘的だった。次にエギュウデミディ(3842m)までゴンドラで上がりそこから雪上歩行の練習をかねてモンブランへのもうひとつのコースの途中にある山小屋(Refuge des Cosmiques)を往復する。幸いに友人がシャモニーでガイドをしていたので彼にガイドをお願いし、私と妻は山小屋まで往復することが出来た。エギュウデミディはとにかく凄いところである。富士山より高いところまでゴンドラを作り、さらにそこから氷河の上をゴンドラに揺られながら1時間近くかかってイタリアまで連れて行ってくれるのである。この上からの景色はまさに圧巻であった。
1995年、98年と2回海外の山にチャレンジしました。
そのときの写真や様子です。
(モンブラン・4807M)
(写真の上をクリックすると拡大します)
ガイドはあまりゆっくりと休ませてくれない。休憩といえば"Drink water." それも立ったままで座わらない。私を元気と見たのかとにかくぐいぐいと引っ張って登った。稜線でまさかと思ったが前のパーティを追い抜くではないか。追い抜くためにはコースから少し横へよって踏み固まってない雪上を登らなくてならない。これがまた余分に体力を消耗する。追い越したとたんにいしんどくなる。「コンチクショウー!」と思いながらついて行った。
山頂からの眺めは本当に素晴らしい。実に苦しい登りだったのでなおさらだ。快晴、360度の大パノラマ。こんな世界があるのかなと思う。言葉に言い尽くせない。周りの山々が全て自分の下にある。グランジョラスがそこに見えている。ガイドとガッチリと握手をした。 しかしじっとしていると寒い、手の先に感覚がなくなってきた。私の手袋が薄かったのでガイドがオーバーグラブを貸してくれた。たぶんこれが無かったら私は指先に凍傷を負っていただろう。それでも下山しても1ヶ月近くも先に痺れが残っていた。雪山の厳しさを身にしみてわかった。下山は一気だった。昨日泊まった山小屋までは何とかついて行ったが、後半の急な下りが終わってもうガイドのスピードについていけないと思い、ガイドに先に行ってもらい少し座って休憩した。雪上ではガイドとザイルで結ばれているのでついていくしかなかったが、ここまで来れば危険でもなかったので一人で下ることを許してくれたようだ。だいぶ休憩して登山口まで無事下山するとガイドが心配そうに待ってくれていた。あとシャモニーに戻り無事登頂を終える。(キリマンジャロの話は次のページです。)
写真の説明(上左端から右へ順番に)
(1)1日目の登山道から見たエギュウドミディ針峰群(一番高い所から少し下がった部分に橋が
見えます)
(2)シャモニーの町からゴンドラで上がったそのエギュウドミディから見たモンブラン
(3)登山道の下のクレバス
(4)雪上を行く登山者
(5)途中にある避難小屋
(6)山頂からの眺め
(7)フランス人のガイドさん
(8)頂上で筆者
(9)山頂からグランジョラス(les Grandes Jorasses・4802m)を見る
☆ シャモニーモンブランの俯瞰図
モンブランからキリマンジャロへ
その友人にフランス人のガイドを紹介してもらう。彼は日本語はもちろんのこと英語も話さない。"Stop here." "Drink water."のみである。あとはすべてフランス語で指示をする。私は少しはフランス語を勉強していたので、今から思えば無事に帰れたので何とか意思疎通が出来ていたのだと思う。登山前日に彼に会い打ち合わせをして、翌日ケーブルの乗り場で会うことにした。そのガイドと私と二人で登ることにした。
シャモニーから早朝バスに乗ってケーブル駅まで行き、あとはガイドと一緒に登山電車に乗り継いで "le Nid d'Agle"(鷲の巣・2365m)という終点の登山口へ行く。ここから登り始める。はじめは緩やかだったが急にきつくなり直登に近い岩登りが始まった。宿泊は"Refuge de l'Aig du Gouter" という山小屋。翌日も快晴だった。ここからは雪の上を登ることになり、ガイドとザイルでつなぐ。一箇所急斜面のトラバースがあり、上からひっきりなしに落石がある。ガイドが上を見ながら落ちでこないのを確かめて、「行け!」と言う。あとは急いで下に滑り落ちないように渡らねばならない。毎年ここで事故があるらしい。最初出発前にガイドがしきりにヘルメットを着用するように勧めていたのはここの通過が心配だったからなのだ。持ってこなくて後悔したが何とか無事に通過できてほっとした。