宮之浦岳から縄文杉へ
2006年4月26,27日
私の住んでいる大阪より南の最高峰は四国の石鎚山(1982M)でその次
が剣山(1955M)である。それについで高いのはなんと遥か南の屋久島の
宮之浦岳(1935M)だという事を知り是非登ってみたいと思っていた。宮之
浦岳は屋久島の最高峰で鹿児島から130キロ程南にある島であり、そんな
南の島にそんなにも高い山があるのも驚きである。屋久島は全島これ山で宮
之浦岳はじめ、永田岳や登山ルートの近くにある黒味岳、投石岳、安房岳、
翁岳、栗生岳など1800M級の山々があり、90%が森林に覆われている。
1993年に世界自然遺産に登録されているという島である。
宮之浦岳登山コース
淀川登山口(5:00)→淀川小屋(5:40)朝食(6:00)→小花之江河(7:00)
→花之江河(7:10)→宮之浦岳(9:15)昼食(10:00)→淀川小屋(1:30)
雨宿り休憩(1:40)→淀川登山口(2:30)
当日の天気予報は昼頃から雨と言う予報だったので雨にあわないうちに頂上に
着きたく安房の宿を朝4時ととても早くにレンタカーで出る。5時前に登山口着。
登山道です。大きな根の中を
通ります。
どうしてこんな枝が出来るの
でしょうか?
宮之浦岳登山と縄文杉登山のこの2日間は晴天と雨の両方とも経験出来てよ
かったと思う。森の中での雨は木々や苔をより一層鮮やかにし漂ってくるガス
は辺りを神秘の世界に連れていってくれるようである。
この2日間で19時間、31キロほども山歩きをしたことになる。屋久島の太古の
歴史が残る森の中での山歩きは出会うもの全てが私には驚きであり延々と続
くこの森の生き物の凄さにあらためて敬意を表さずにはいられない気持ちで
ある。
屋久島への旅の情報
(1)大阪から屋久島へは夜行高速バスで鹿児島まで行きフェリーの朝の便に乗るの
が良い。宮之浦港に12:30着の予定。安く行けこの日はほぼ半日使える。
(2)屋久島での移動はレンタカーがお得。島はそんなに大きくないので軽で十分
であり割安。特に早朝出発を考えるとレンタカーが便利。早く登山口に着けば
駐車場は確保できる。
縄文杉近くで出合った屋久鹿
何に見えますか?
昼食を取りしばらくしてガスが
晴れる。左の写真は少し左から
撮った縄文杉。
天気は晴天になり下山時は暑いく
らいまで気温が上昇する。10時
を過ぎると登山者がどんどん登って
来ていた。「ひどい時には数珠繋
ぎになって登ってくる」と監視人の
言葉。私達は9時過ぎに着き10
時前に下山を始めた。
縄文杉
やっと出会えた縄文杉。屋久杉の
中で一番大きい杉だが正確な樹
齢は不明らしい。どうして判らない
のだろうか。推定樹齢7200年と
言う説もあるが屋久島の地質学
的に見て疑問らしい。じーと見て
いると威風堂々とした姿とでも言
おうか、前に立っているとその大
きさに圧倒されそうである。
着いた時はまだ当たりはガスの
中。縄文杉もガスに包まれていて
とても神秘的であった。この前に
は大きなテラスが作られ大勢でも
見られるようにしてある。若い監
視人二人がここを訪れる人数を
数えていた。
夫婦杉
枝でつながっている2本の屋久杉。
みぎが「夫」で左が「妻」だという。
2本の樹の枝がつながるなんてこ
んな姿なんて今まで見たことがない。
信じられない事がこの屋久島で起こ
っているのだ。まるで二人が手をつな
いでいるようです。
大王杉
推定樹齢は3000年。昭和41年に
縄文杉が発見されるまでは最大の
屋久杉とされていた。この日は登山
口からずーと雨でこのあたりに来ると
ガスが出てきて森の中はとても神秘
的であった。写真はガスの中の大王杉。
胸囲周囲は13.8M、伐採時
の推定年齢は3000年。
写真ではその大きさが判り
づらいが右の写真では中央
に大きな穴がありその中へ
は人が立って入っていく事が
出来る。さらに株の中には20
人以上もの人が入れるほどの
空間がある。穴の左のほうに
見えるのは祠である。
ウィルソン株
アメリカの植物学者アーネスト
ウィールソン博士が大正3年に
調査のために屋久島を訪れた
時に発見し博士にちなんで名づけ
られた。豊臣秀吉が津島氏に命じ
て伐採させた切り株とも言われて
いる。切られていなければ一体どれ
程大きくなっている事だろうか。
翁杉
樹齢2000年といわれる老杉で
上のほうは少し枯れているが翁
と言われるその風格がある。この
杉の前にはテラスが作られていて
そこに立って自分と杉を写真に収
めることが出来る。
大株歩道入り口
ここでトロッコ軌道と分かれて左の
ハシゴから登りが始まる。結構きつい
登りが連続する。ここから縄文杉まで
有名な杉に出会える。
一夜明けこの日も4時宿出発。5時荒川登山口から歩き出す。ここから大株歩
道入り口まで8キロ程はトロッコ軌道を歩く事になる。森の中を通り平坦な道
であるがとても単調な道である。途中鉄橋を何度も渡るが中には欄干の無い鉄
橋もあり注意を要する。
45分ほどで小杉谷集落跡に着く。ここは昭和45年まで林業で生計を立てていた人達の集
落があった所で当時は小、中学校も開校されていた。
この単調なトロッコ軌道歩きを時々楽しませてくれたのが突然現れた屋久鹿であった。何度
もお目にかかった。2時間半ばかり歩き続けてやっとの事で大株歩道入り口に着く。トロッ
コ軌道はまだまだ先があるようでどうやら今でもトロッコは動いているようである。ここに
トイレあり。
コース
荒川登山口→小杉谷集落跡→三代杉→大株歩道入り口→翁杉→ウィルソン株→
大王杉→夫婦杉→縄文杉→荒川登山口
2006年4月27日
縄文杉登山
宮之浦岳(1936M)にて
山頂に近づくと雨からあられの様なもの
に変わっていた。山頂では風が強くあら
れ交じりの小雨が降っていたが、幸いガ
スが発生していなく周りの山々を見るこ
とが出来た。快晴の日にはここからは四
方に海が見え遠くは開聞岳まで見える
そうである。その事が少し残念であった
が、周りの景色が見えてとにかく無事登
頂でき島の真ん中あたりにあるこの島
の一番高い所に立てたことを嬉しく思っ
た。
これらの山々には山頂までびっくりする程の巨岩があちこちにゴロゴロしている。あるもの
はとてもユニークな形をしていて何か名前を付けておいても良さそうなものなのだが、山
頂にちょこんと乗っかっている岩などは人がわざわざ置いたものなのかな?と疑いたくな
るような形をしている。でも置くとすれば到底人力では出きないだろうし大型クレーンが必
要になってくる。それも不可能だろう。まあそんな野暮な事は考えないで、岩を見て何に似
ているかなと想像して楽しんでもらえればいいと思います。 一つだけ私が予断と偏見で
名づけた巨岩があります。それは「宮之浦のモアイ」と命名しました。
投石平
少し行くと黒味岳分岐に着く。「ここは携帯
が通じる所」と言う案内板があった。ここか
らは登ったり下ったりしていたが標高は次第
に高くなっていた。登るにつれて右手に3山
が見えてきた。変な名前の投石岳(1810M)
安房岳(1847M)、翁岳(1860M)そして正
面に栗生岳(1867M)と出会う山々が高くな
っているのだ。
黒味岳(1831M)
宮之浦岳はこの屋久島の最高峰
であるが島のとこからも見えなくて
山に入ってもまだ望む事ができな
い。しかしこの黒味岳からは可能で
あるがとにかく天気の事があるので
先を急ぐことにする。この後10分程
度で花之江河に着く。
.
淀川小屋
暗闇の中を懐中電灯を頼りに登り始
める少し登っていくと淀川小屋に着い
た。夜が明け始めあたりが少し明るく
なりだしていた。ここで弁当のおにぎ
りとおかずを半分食べて朝食とする。
この小屋は無人の宿泊可能な所で
遅く入山した場合にはここで一泊して
翌日登る事になる。
淀川登山口
行きはまだ夜が明けていなく写真は
下山してからのもの。雨が降っている。
駐車スペースはそれ程無く10数台が
駐車可能である。
宮之浦のモアイ?
小花之江河
淀川小屋からは登って下っている。
下って行く先はこの小花之江河で湿
地帯が大きく目の前に広がっている。
天気は曇りで幸いガスが出ていない
ので辺りは良く見えていた。
花之江河と屋久鹿
このあたりの湿原は木道がよく整備
されていて歩きやすい。二匹の鹿が
苔などをしきりに食べていた。少し近
づいて写真を撮るが逃げる様子も無
くどうやら余り人間を恐れていない様
子である。 このあたりから少し雨が
ぱらついてくる。
右は宮之浦岳。上は山頂から南東方向で登攀
途中に望めた山々。
山頂で昼食と写真を撮り下山。下りは登山口
まで雨の中。途中出合った登山者は6名。
帰り道に紀元杉前を通り写真に収める。