2004年とその後のこと

5月の初めに涸沢への春山を楽しむつもりであったが、その1週間程前から血尿らしきものを見つけた。気になり病院で見てもらうとどうやら膀胱にポリープが出来ているとのこと。さっそく入院してそれらを切除してもらう。そして一年前の人間ドックで血便が出ていると診断されていたのを思い出し大腸検査も受ける。結果はこちらにもポリープが見つかりすぐに入院して切除してもらった。しかし、大腸のほうは数が多すぎて一度に取れきれず二回に分けて切除してもらうことになった。切除後の経過は良好でその後は3ヶ月に一回の内視鏡検査を受けているところである。そんなこんなで山どころではなくなり、昨年はとても辛い思いをした年であった。

9月に入り何とか検査の合間に時間が見つかり山行きの予定を立てていたが例年にない多くの台風の襲来が相次ぎなかなか旨く日程が合わなかった。しかし、9月30日に台風一過の晴天が予期出来すかさず山行きを決めて槍ヶ岳を目指す。翌10月1日は晴天に恵まれ上高地より歩き出し一気に槍ヶ岳山荘まで行ってしまう。計画では途中槍沢ロッジで一泊するつもりであったが晴天がいつまで続くか疑問であったので無理をしつつ登りきった。到着したときには夕食の時間が既に終わっていた。

翌2日は朝から低気圧に覆われガスで視界はゼロ。天気予報も山荘の人の話も数日間は天気は回復見込みなしということであった。あれこれ考えたが穂高のほうへの縦走はあきらめ結局下ることにした。下るにつれてガスが降りてきて横尾につく頃には雨になっていた。この決断が良かったとホッとした。前日登る時が晴天で幸いにも堂々とした槍の姿を見ることが出来ただけでもよかったと思っている。

 2008年
   1月 昨年までのように大腸や膀胱での心配は無くなっているが、持病の頚椎
    の方が思わしくなく右の脚に痛みや痺れがあり、立っている事が少し辛くなる
    事がある。
   2月 頚椎についてはリハビリに行くほどの痛みでもなく、普段は出来るだけ首
    に負担がかからない姿勢で過ごしている。自転車に乗ったり、出かけたりする
    ことが出来るので、まあ暖かくなればその内に痛みもなくなるだろう、と楽天
    的に考えている。健康の為の金剛山行きも今年に入り5回になり、山歩きが
    出来ているので今は少し安心。
   3月 月が変わっても金剛山に行ったり、孫達を連れてスキーに行ったりと相変
    わらず体を動かしていた。しかし、右脚の痛みが一向に無くならず、それどこ
    ろか次第に痛みがひどくなり立っているのが辛くなってきた。ここまで来ると
    やはり心配になり、妻にもやかましく言われて医者に行く。MRIとレントゲンの検
    査の結果「腰部脊柱管狭窄症」と診断される。「痛みが和らぐまで安静にする
    事。それでも痛みが続き、生活に支障をきたすようであれば、手術も考えねば
    ならない。」と言われて、落ち込む。山どころではなくなった、歩けるようにな
    るのだろうか? 今年に入り右脚の痛みなどは頚椎からきていると自分勝手
    に誤診していた事にいまさらながら反省をした。腰椎がこんなになっていると
    は思いもよらなかった。腰に痛みが無かったのでそんな風に判断してしまった
    と思う。     「
腰部脊柱管狭窄症」とは?→ここをクリック   
   4月 リマルモン錠(抹消の血行を改善する薬)を毎日服用し、読書に明け暮れの
    生活を3週間程度続けていると、少し痛みが和らいでいるように感じた。腰を
    曲げて歩いたり、自転車に乗る姿勢が良いということをNHKの「ためしてガッ
    テン」でもやっていて、運動不足で体も鈍って来ていたので自転車に乗ってみ
    た。ゆっくりと15分程度漕いだ後も痛みはひどくならず、これで少しは運動が
    出来ると嬉しくなる。2回目の診察で更に1か月分の薬を貰う。元気な時に走っ
    ていた33キロの自転車のツーリングに2回出かける。久し振りに汗をかき気分
    も爽やかになる。   
   5月 痛みは更に和らぎ回復の兆しあり。近くのスーパーに自転車で買い物に
    行ったり出来るようになり、生活の場が広がった。が、まだ正しい姿勢で歩くと
    痛みあり。
   6月 家庭内での生活が普通に出来るようになり、外に歩きに出る。 5分、10分と
    少しづつ歩く距離を延ばす。長い間歩いてないと人間の脚はすぐに弱ってしま
    うのだ。考えてみれば3ヶ月近くろくに歩いていないのだから。体力の衰えの
    来るのが速い事にあらためて驚く。 
     一方大腸の方は1年振りにポリープを切除してもらい、結果は良性と分かる。
    担当医の方から「後は3年先かそれぐらいで、思い出したら来てもらって良い
    ですよ。」と言われホッとする。   
   7月 ゆっくりだが歩いて駅まで行き、電車に乗って町に出かけられるようにま
    でなってきた。腰部狭窄症の方も通院、薬の服用を一応止めて様子を見るこ
    とになる。まあ、あまり無理をしないでいこう。
   9月 1ヵ月半ほどもとの生活に戻りつつあった。が再び痛みがぶり返しているよ
    うだったので再度医者行き薬を貰う。そしてセカンドオピニオンをお願いして
    他病院への紹介状を書いてもらう。大阪市内の厚生年金病院で、診察予約は
    なんと1ヶ月以上も先だ。それほどこの病院の整形外科が信頼されているから
    だろうと思う。
   10月 やっとの事で3つ目の病院の医師の診断を受ける。いろいろと話を聞いたが
    山歩きなどが出来るようになるにはやはり手術が必要との事。で、11月に手術を
    受ける事に決めて帰る。
   11月 手術1週間前ぐらいからなんだか少し痛みが和らいできたように感じた。出き
    れば手術をしないで治したいという気持ちが心の片隅にあり、そんな気持ちが
    後押ししていたのか、少々歩いてみても痛みが現れなかった。 いや、そのよう
    に感じていた。 それで手術の数日前に医師に手術中止をお願いする。
   12月 1ヶ月後、再び医師の診断を受け、更に3ヶ月間様子を見ることになる。
 
   

その後のこと

2005年
  大腸と膀胱の3カ月検診を受け続ける。膀胱にはポリープは再発していないが大
  腸の方は検診毎に新たなものが見つかり入院してそれらを切除してもらう。

2006年
 3月 定期健診の結果新たなポリープが見つかり入院で切除を受ける。その後
    2年が経過しているとのことで再発の確率が低くなり6ヶ月検診に変わる。
     ただ大腸は腸壁に襞(ひだ)が多くありまだひょっとして未発見のものがあるの
     ではないかと思うので予断は許されない。
  9月  6ヶ月目の検診結果で又ポリープが見つかる。私のポリープは切除し易い球
     状のものではなく腸壁にへばりついているいて低い丘状になっていて切除が
     大変困難なもの。 3月の入院の手術では上手くいかなくて腸壁が少し破れ腹
     膜炎を併発した。悪くいけば腸を取り出し人工肛門になるかもしれないと言われ
     一時は覚悟を決めないと駄目かと思っていたが、幸い数日間の安静と点滴であ
     とは人間が本来持っている治癒力で塞ぐことが出来た。11月に再入院の予定。
  11月 3月の手術で取り残されていた丘状のポリープを焼き切ってもらう。これは予
     定通り5日間の入院で無事終わる。6ヵ月後に切除した部所の検査と再発の有
     無を見るための定期健診の予定。 
  12月 膀胱の12月初旬の内視鏡6ヶ月定期健診で良好と診断される。こちらの方は
     術後の経過が良く少しは安心できるのかなと思っている。

2007年
   4月 人間ドックで今度は胃にポリープがあると診断される。私の体の中はポリープ
     だらけなのだろう。早速病院に行き胃カメラで診てもらい、ついでにそれらを切除
     してもらう。ポリープの組織の検査の結果は良性だった。胃についてはこれで問
     題無しと診断され一安心。
   5月 昨年11月の手術後の6ヶ月検診を受ける。新たなポリープが見つからなけれ
     ばいいと願っていたが、またまた大発見である。腸壁にへばり付いているのが一
     つ見つかる。それの組織の結果はもうすぐ出る予定。すぐに切除になるのか、し
     ばらく様子を見るのか医者の判断を待つばかりである。ヤレヤレ、ポリープ製造
     工場だよ私の体は。
   6月 5月に見つかったポリープの検査結果は良性と診断された。しかし、気分的に
     はそのまま放置しておいて大きく成長されるのが嫌で、1年後に切除を希望す
     る。膀胱定期検査もあり、これは異常なしでホッとする。次回の定期検査は12
     月だが、次回から内視鏡検査でなく超音波検査になり、痛い思いをしなくてもよ
     いのでとても嬉しい。後3年は定期検査を続ける必要があると医者から言われ
     ている。2004年以来、今のところどちらにも癌が再発していないようで一安心。
   12月 膀胱定期検査を受ける。辛い内視鏡での検査でなく超音波での検査で結果
     は異常なし。2004年以来毎年入院を繰り返してきたが、今年は入院ゼロ回で
     本当に良かったと思う。             

2009
    2月 昨年から様子を見ていたが、どうもあまり回復している様子でもない。むしろ病気
    が進行しているような気がしてきた。歩いた後に来る痛みが以前より強いようだ。
    予定を早めに医師の診察を受け、再度手術を決断する。医師は「手術をして
    も100%回復する保証は無く、痺れなどが残る事もある。」と言う。神経の傷みが
    ひどければそれだけ回復度が悪いようだ。しかし、ここまできた以上決心する以
    外に道は無かった。
   3月 3日入院、5日手術。「開窓手術」なるものを受ける。術後翌日に歩行器で歩行可能
    になる。4日目で自力歩行。9日目でシャワー入浴。13日目に退院して社会復帰となる。
    退院後1ヶ月はコルセット着用の生活。で、問題の痛み、痺れについてはどうか?
    うれしい事に、信じられないくらいに、痛みや痺れは現れてこない。手術は大成功!
    後は、日々少しづつ歩く練習をしていき、以前の生活に戻したい。
   4月 3日術後初めての診察日。レントゲンの結果は良好で問題なし。この日からコル
    セットなしの生活が始まり歩く距離も伸ばしていった。そしてサイクリング頻繁に出か
    け以前の回力を取り戻そうとした。
   5月 1時間以上歩いても特に問題なく、もう大丈夫だろうと思う。自転車は週2,3回
    35キロを走って更に体力維持を図る。そして山歩き以外は以前の生活に戻る。
   6月 4日、術後2回目の診察日。レントゲン結果も問題なしで、山歩きの許可が出る。
    とても嬉しい限りだ。これでもとの自分の体になり、再び山に行けるのだから。でも、
    まだ無理はしない。少し近く野山を歩いてみようと思う。
   7月 18ヶ月ぶりに登山靴に足を入れた。忘れていた感触が甦る。いつもの山・金剛山に
    行く。登りは特に問題はなかったが、下りで膝が笑い出し脚の衰えを感じる。翌日から
    3日間、脚の筋肉痛で階段はおろか歩くのも辛かった。長期間山から遠ざかるとこれ程
    までに脚力が衰えるものかと痛感させられた。 
   8月 氷ノ山(兵庫県)に登る。少し本格的な山登りにチャレンジする。
   9月 3回目の診察を受ける。先生も以前と同じように山に行っても良いと許可出る。
    それで2年前から計画していた剣岳に登る。その後、特に問題なし。
   10月 一昨年登山途中に大雨で已む無く断念した妙高山に再び出かけ、単独で無事
     下山。この後も特に変わった症状は現れない。来年は再び百名山にチャレンジ出来
     そうだ。
   12月 雪の金剛山に登る。

2010年
   1月 孫と縄跳びしたり、車を冬用タイヤに替えたりした後で、ぎっくり腰のような症状
    になり、金剛山行きを見合わせている。運動不足にならないように週に1,2回32キロの
    サイクリング出かける。
   2月 右脚に痺れや痛みが出てきた。嫌な気分になる。3月の定期健診を待たずに診察
    を受けた。医師からは「余り気にせず普段どおりの生活をしても良い。」と言われた。
    山の許可は出たが、当分は見合わせている。
   3月 医師の言うとおり1ヶ月経ち症状が回復する。山以外は普段の生活に戻る。
   7月 3月以降もっぱらサイクリングを楽しんだ。かなり歩けるようにもなり、山を歩き
    たくなる。以前から行ってみたいと思っていたスイスの山に妻と二人で出かける。スイ
    スアルプスのマッターホルンとユングフラウを眺めながらのハイキング。
   8月 サイクリング中カーブで転倒して肋骨を2本折る。全治1ヶ月半の大怪我。
   10月 1年ぶりに百名山を目指す。妻と一緒に安達太良山と西吾妻山に登る。久し振りの
    山歩きだったがその後体調の悪化や痛みも無し。どうやらこれで以前の体に戻ったよ
    うだと思う。再度百名山に挑みたい。 
   12月 百名山は59座となる。サイクリングでの今年の自転車の走行距離3700キロ。今年
    も無事に終われそうだ。来年はもう少し飛躍の年にしたいと願う。

2011年
   9月 体調も良くなり、今年初めての百名山に出かける。 笠が岳と薬師に登る。
   10月 1週間あけて二つ登ってみると右脚に再び違和感を感じた。手術前の脚の
      痺れや痛みを思い出し、10月の山は無理かと悩んだが「ええい!」と決断して
      巻機山、武尊(ほたか)山、至仏山に登る。 帰宅後やはり右脚の様子がおかし
      いようでその後の山行きの予定を中止する。


2012年からは「古希を迎えて以降」に続く。

古希を迎えて以降へ