山への思い

それはこうして起こった。テニスをした後で急に左腕に痛みが走った。腕を動かせない。医者で首のMRIを撮ってもらいその結果 頚椎が変形していてそこを通っている神経に触れて傷みを引き起こしていることがわかった。 それから1年以上リハビリを続けやっとの事で普通の生活が送れるようになる。しかし、走ったり重いものを持って踏ん張ったりなどの運動についてはドクターストップがかかっていた。大好きだった山登りはとても許されるものではなかった。

こうして山行きのことを思い出しているとまたどこかへ歩きに行きたいと思うようになっている。山がそこにあるからだろう。 (2003年) 

私は頚椎を痛めるまで、山登りは、その目標とするところは1mでも高いところに自分の足で立つことだと思っていた。国内の3000m級の山にいくつか登り、最高峰の富士山にも行った。するともっと高い山に立ちたいという強い気持ちが湧き海外へ出た。ヨーロッパのモンブラン(4807m)、そしてアフリカのキリマンジャロ(5895m)の山頂に立ち、1000mづつ高度を上げてきた。つぎは7000mにチャレンジしてみたいと願った。これはそう簡単にはいかないと思っていた。退職後の最大の挑戦になるかもしれないという気持だった。そしてあの頚椎の病気。山に登ることが出来ない体になったことが結果として私の山に対する考え方が大きく変わったようだ。今は「山登り」というより「山歩き」だ。高い所にのみチャレンジする事が山登りの目標でなく、低山であっても一歩一歩踏みしめ、山の空気の美味しさを味わい、足元に咲いている花を見つけながら山頂を目指して登っていく事に山歩きの楽しさがわかるようになった。自然の中に身をおき自然と一体感を味わえることに感謝する気持も出てきた。最近はよく金剛山に登っている。水越峠からである。同じ道を何度も登っても、冬の樹氷、春の新緑や鶯の声、6月の紫陽花などと季節によって違った顔を見せてくれる。先日も下り道で野うさぎに出会った。私の前をピョンピョンと走っていった。キジにも2度ほど見つけた。さまざまな鳥たちのその美しい声の中を歩いているのである。

現役時代には休みによく山に行き仕事からのストレスを解消していたものだった。大自然の中に自分の身をさらし、その厳しさと雄大さを目の当たりにして新たな活力をもらっていたのだ。だから山というものは自分の生活の中ではなくてはならない存在であった。それが突然「駄目だ」と言われてとても落ち込んでしまった。

しかしとうとう耐え切れなくなり長い間しまっておいた登山靴を出してきた。足を入れてみる。すると無性に歩きたくなってきた。気がついたら二上山に車で向かっていた。登り始めるが雄岳まではきつかった。息が切れる、足が重い。体力が落ちていることに愕然とする。とにかく無理をしないでゆっくりと登った。心配なのはむしろ下りのほうだった。下りではどうしても足に体重がかかり更には首の重みが頚椎に負担をかけてしまい痛みがぶり返すことを一番恐れていた。下り終えた後左腕への痛みは少しは出てきたようだったが、数日もすると回復していた。そして再び二上山へと向かう。何回となく通っているうちに登り方も昔の自分のペースに戻り山行きへの自信を少しづつ取り戻していた。金剛山、倶留曾山、冬には高野三山、樹氷の美しい高見山、三峰山などに登り山を楽しめるようになってきた。

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しばらくは苦悶の日々が続く。そしてここは自分のライフスタイルを変えるしかないと思い痛みが小さくなってきた頃より自転車に乗ってみようと思う。還暦を迎える少し前だった、よく走る自転車を購入する。日帰りや宿泊のツーリングで淡路島、琵琶湖や丹後半島1週に出かけたりするようになった。こうして自転車にチャレンジ心を向けるようにし「山に対する気持ち」を払拭しているつもりであった。

山に登ることについて何か自分の哲学を持っているわけではないが、「山がそこにあるから」というあの名句がやはり私の気持ちにぴったりするのである。自分の前に山に続く道があり、その先に雄大な姿をした山が目に入ればとにかく登ってみたいと思うのである。

登りは常にきつい。一歩一歩踏みしめていかねばならない。登っているときはいつも自分との戦いである。早くこのしんどさから開放されたいと思う。しかし苦労の末頂上に立てばそんな気持ちはどこかへ吹っ飛んでしまう。晴れていて360度のすばらしい眺めがあればもう何も言うことはない、何も望まない。至福のときが訪れる。しばらくはただじっと雄大な山々の大パノラマを見ているだけである。本当に心安らぐ時である。