合併物語(2)  (2004.11.08)



 S知事の決断を、地元紙を初め、全国のマスコミはいっせいに取り上げた。
 「地方分権の騎手」、「地方が国にもの申す時代」と、好意的な書きぶりが多かった。
 
 法定協議会設立には、各市町村議会の議決が必要である。
 市町村議会の議員の中には、当然ながらS知事の当選を穏やかに思ってない者もいる。
 それを意識してか、S知事は、「合併協議会が破綻した場合、当然ながら責任をとることもある」と発言した。
 続けて、「失敗して辞めるのは、無責任といわれるかもしれないが、現状のまま手をこまねいているほうが、よほど無責任だ」と、反対派の機先を制した。
 結局、各市町村議会は、県議会と同じ考え方で議決した。

 次に、合併協定項目に取り組むこととなった。
 第1回の合併協議会において、「新市名は、現在の県庁所在地の名称を使用」、「庁舎位置も同じく、現在の県庁所在地の市庁舎とする」、「合併期日は、平成18年3月1日」、「合併の方式は、対等合併とする」、との、いわゆる基本4項目が提案された。
 通常、合併協議会というものは、関係市町村の助役・課長で組織する幹事会で提出案を作成するものだが、県が作成するという異例のものだった。
 合併協議会も、市町村から出席するのは、市町村長のみというのも、これまた異例であった。
 
 対等合併について、県庁所在地の市長は異論を唱えることも考えたが、多勢に無勢である。
 また、 「庁舎に職員が入りきるのか」という質問に対し、学識経験者として協議会委員になっていたS知事は答えた。

 「次回協議会で提案予定ですが、合併特例区を旧市町村単位に設置する予定です。市町村の職員の皆さんは、当面現在の役場で業務をしていただく。県内各地に県の出先機関がありますが、いずれは各役場と統合していくこととなります。合併すれば、県の施設、市か町か村の施設という区別はなくなり、すべての道路を県道か市道となります。例えば、県には、知事と最小限の職員を残し、市の職員に身分を移行することも、将来的にはあるかもしれないと考えています」

 合併特例区という制度は、3つ程度の市町村が合併する場合には、一体性を妨げるものとなりうるが、このような多数の市町村が合併する場合は、理にかなった制度といえる。
 当分の間、現在の役場に近いかたちのものも残るし、あまり仲のよくない隣のまちと「合併する」意識も薄められる。
 なにより市町村名を変える必要がなく、合併特例区が解散した後も、それまでの地名が使えるため、住民の抵抗感も減少するのである。

 こうして、第1回の協議会は、無事終了した。
 時を同じくして、各市町村では、条例制定の署名収集が盛んに行われていた。
 先に制定した、合併の是非を問う県民による住民投票には、市町村議会の議決を一定拘束する内容は盛り込まれていない。
 「県民投票で過半数が賛成した場合も、最終的に市町村議会が否決するかもしれない」との考えから県内各地で有志が始めたものだった。
 条例の内容はただ1点、「市町村合併の最終判断の議決には、県民投票の結果を尊重すること」である。


(次回につづく)

                                     
前のコラム<<>>次のコラム

トップページに戻る
■当サイトは、リンクフリー(連絡不要)です。
copyright(C) 2004 PROTEXBLUE All rights reserved