合併物語 (2004.11.01)



 S知事は、この9月に知事選で初当選し、就任したばかりである。
 前知事は、元官僚で、県外からのいわゆる落下傘候補であったが、「他選は本意でない」と、2期目で去ることを公表していた。
 後釜に、またしても別の元官僚が出馬表明したところ、「今度は地元出身の知事を」との動きが生じた。
 そこで、IT関連の起業成功者で、名前の知れ渡っていたところに目を付けられ、担ぎ出された末に当選してしまい、「何となくなってしまった」のが本当のところである。

 「さて、何をやるか」となると、公約の実行である。
 選挙の際、後援会が準備した中からいくつか掲げたのだが、雇用の安定だとか教育の充実だとかで、斬新さにかけるものだった。
 そこで、S知事は、兼ねてから考えていたことを実行に移すことにした。


 S知事は、10月に行われた、市町村長が集まる会合に挨拶に出向いた。
 全市町村長と対面するのは、これが最初の機会である
 こう切り出した。
 「国では三位一体改革が進められ、我が県も県内市町村も財政難にあえいでいる」
 市町村長連中は皆、「やれやれ、人が変わっても同じ挨拶だな」と心の中で思った。
 しかし、次の言葉に会場がどよめいた。
 「ついては、本県から、新しいモデルを全国に発信したい。 本日から、全県1市合併を推進する。ご協力の程を。」
 どよめきはこれだけではすまなかった。S知事がこう続けたからである。
 「合併特例法期限である、来年3月までに、各市町村議会の議決を得て、国に申請をしたい」


 前知事は、「市町村合併は、主役である住民の意向で。 県から押しつけはしない」というスタンスであったが、S知事は違った。
 県内では、ピーク時に全体の3分の2の市町村が法定協議会に参加していたが、新庁舎の位置の問題や、関係町村の財政状況の悪さなどを理由に、次々と協議会が解散していた。
 また、合併したいにもかかわらず、スタートが出遅れ、今回の合併協議が一段落するのを待っている市町村もある。
 国―県―市町村は対等といわれるが、従来の縦型の観念は、特に内部の職員間では、なかなか消えることがない。
 「県がもっと主導してやってくれれば、こんな結果にならなかった」
 裏でこう発言する市町村長もあり、マスコミもこれを取り上げていた。

 「小さいエリアでやるから、役場の位置がどうこうという話になる。だったら広範囲でやればいい」
 これがS知事の考え方だった。

 S知事の行動は早かった。
 臨時議会を経て、11月1日付で、市町村合併局を新たに設置した。
それまでの市町村合併担当職員に加え、「学歴・経歴は問わない。とにかく期限までに仕事を片づけられる人間を」と、庁内各部長に5名程度ずつ推薦させ、人員を配置した。

 臨時議会においては、「もし実現したら、自分たちの立場が危うくなる」との声もあったが、「こんなこと成功するわけがない。県の知名度が上がるからいいんじゃないか」という意見が大勢だった。
 結果、「最初の議案くらい通してあげれば、後々の風通しもいいだろう」ということになり、すんなり議案は通過してしまったのである。

(次回につづく)

                                     
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