いきなりこの題では、「市町村合併と何が関係あるのか?」と、思う方も多いか
もしれない。
数々のアニメ作品で有名な宮崎駿監督が、地方自治について、「地域の人々の間の連帯を育んできた祭の衰退により、自治の意識が薄れ、行政頼み・公共事業依存につながった」という見方をしている。
終戦直後から、神道はまるで悪の根元であったかのように扱われ、現在では戦時中あるいはそれ以前とは、神道に対する感覚はかなり違ったものとなっている。
古来、地域の神社は、住民の生活のよりどころとしての役割を果たしていた。
お七夜から七五三、安産祈願や五穀豊穣などの祈りを捧げる場として、また、祭りの中心の場として、地域の核とも言える場所であった。
ずいぶん昔の話になろうが、村に一大事が持ち上がったときは、皆が神社に集まり、入れ替わり立ち替わり、何日も解決策を話し合ったそうである。
特に、戦後、行政の関与する領域が拡大したため、国民・地域住民の行政依存の蛍光がは強まり、地域のコミュニティも形骸化してしまった。
現在の建設計画(=まちづくり計画)を見ていると、「合併したほうがいいよ」という方向付けをするため、どこかしら住民におもねり、「合併後のまちに期待することは何か」、すなわち、「合併後の行政に期待することは何か」が中心となっている。
計画の中で、形式的に住民自治をうたってはいるが、基本的な施策の骨子は、「どんなまちがいいですか(どんなまちに行政がすればいいですか)?」という観点のアンケートにより作られたものである。
しかし、これでは、これまでと同じ方策でまちづくりを行うしかなく、戦後60年の繰り返しとなってしまう。
住民自治を進めるのならば、「どんなまちになれば幸せだと考えますか」、 「今後の地域(小規模なもの)のあり方についてどう思いますか」「では、自分たちでどこまでできますか」といった形式に変えるべきだろう。
行財政改革と住民自治を両輪にして、コミュニティの再生公共サービスの再編とコミュニティの再生を同時進行させることこそが重要だ。
むろん、これは建設計画作成時だけでなく、今後も財政状況や環境の変化に合わせ、何度も繰り返されるべきものである。
言霊(ことだま)論によると、本来祭り(マツリ)とは、神様と人間との間(ま)を釣り合わせ、一体化させる(神がかる)行事とされている。
祭りという非日常的な空間で、神輿を担いだり、踊ったりすることにより、精神が高揚した瞬間に神が宿るのである。また、祭りの後の直会(※)も大切な行事とされている。
人と人は、ともに食事をすることにより、より親しくなるといわれており、酒
(御神酒)が振る舞われるとなれば、その効果も高い。
言うまでもないが、これらはなにも、神社で行われる祭りにこだわるものではない。
地域興しのイベントで、従来のように行政主導で「役場職員が総動員」的なものでなく、地域住民が前にたってやるもであれば、何でもいいのである。
※直会(なおらい):神事の後、神様に供えたものを参加者で頂くもの。
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