昨年末、知人のY氏といろいろ議論していた際に、この「義務教育費国庫負担金」の話題となった。
「自分(=君)はどう思ってる?」 との質問に、私は、「中教審が、今後どんな答申を出してくるかですね」と、逃げるような答え方をしてしまった...。
正直、自分自身、今でもこの問題がよくわかっていないような気がする。
単純に言えば、「現在国が小中学校教員の給与の半額を負担しているが、これを削減・廃止し、地方に財源を移す」ことであるが、それほど単純な問題か、と思う。
それは置いておいて、とりあえず表面的な話として、進めることとする。
まず、削減・廃止賛成派の意見は、次のとおりである。
・義務教育を画一的にしてきた弊害が生じている(OECDの学力調査結果など)
・多数の自治体を統制するいわゆるヒモ付き補助金があり、それを改革している中で、これだけを特別視すべきでない
・地方分権は、自治体の裁量権を増やすためのもの。継続はこれに逆行している
・実際のところ、義務教育全体の経費負担は、国:県:市町村=3:3:4。「現行制度が教育水準を保っている」ということにはならない
次に、反対派である。
・学力低下は、「ゆとり教育」への過渡期の産物
・交付税削減により、カネに困った自治体が、教育経費を削減し、教育水準を低下させかねない
・今後、教員は過剰状態。退職金、年金の支払いを考えると、地方自治体では、まかないきれない
両派に種々の意見はあるが、やはり、ここでは、地方分権の原点に立ち返るべきだ。
もともとは、「道路を60メートルよくしたいのに、100メートルにしないと国の補助金が出ない。40メートル分がムダだ」、「国から1億円の予算をもらって道路を改良した。いろいろと節減し、9000万円で仕上げたのに、残った1000万円は国に返さなければならない」などといった事例から、地方への財源の移譲が訴えられてきた。
親(国)の仕送りで生活している子供(地方自治体)は、「一定の生活費をくれれば、それでやっていくんだから、服や食料品のブランドを指定したりしないでほしい。 ある時はお金をもっと使えといったり、逆に切りつめて残したお金を没収するのもやめてほしい」と、言っているのである。
霞ヶ関の方々は、予算とそれに伴う権限を離したくないようであるが、「金は出しても、口は出さない。 太極的な全国レベル(例えは悪いが生活保護水準的なもの)のチェックのみ行う」という着地点に向かうべきではないだろうか。
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