6年ぶりの再会の挨拶を交わし庭へ案内される。ローズの案内で家を取り囲んでいる庭を一回りして色々と
木々の話を聞く。アボガドやネクタリンの木が特に印象的だった。

夕食は庭でワインとお摘みなどで始まる。ジョンがワイン好きでいいワインを振る舞ってくれているのだが、私は
その良さがわかるほどでもなかったがとにかく美味しかった。あまり飲めない妻もついワインに手が伸びていた
ようだ。酒も入り話のテンションも上がる。そこへジョンが6年前みんなで撮った何枚かの写真を持ち出してき
た。写真を見て一層盛り上がる。メイン料理はバーベキューでのスパイシーなイカのバター焼き、チキンのオー
ブン焼き、ポテトと野菜のサラダ。

オーストラリア旅行記

2013年1月19日〜24日

Adelaide (アデレード)編

食事の片づけが終わり一段落するとやはり出てきたワイン。私達のオーストトラリアでの最後の夜ということで
ジョン達も帰らないで遅くまで居てくれる。オーストラリアへ来て以来私達が見たり、経験したことそして出会った
人々の事などが話題にのぼり話は尽きなかった。

誰かが歌を口遊みだした。するとそれがいつしかみんなでの合唱となって行く。懐かしい久ちゃんの「上を向いて
歩こう」という歌まで出てきた。外国では「すき焼きソング」として知られているようで、メロディーはみんなもよ
く知っていて一段と盛り上がる。

アデレードへ向かう朝クリスは車に自転車を積んだりと出発準備に忙しい。今日は天気も良くアデレードまで約
500キロの良いドライブになりそうだ。

コアラを見ての帰りアデレード市内の一番の繁華街・セントラルマーケットへ行く。ここでサンドとコーヒーでお昼。
今夜は私達二人で日本のカレーを作って召し上がってもらう予定。ランチの後「リトル東京」という店で日本で
私達がよく使うカレールー「こくうま」を見つける。

この店は日本の食材専門店で大体なんでもあった。あと日本酒と海苔巻のおかき、羊羹を購入する。今夜
はJapanese Nightにしたいと思って。その他の食材は市場で買う事が出来、これでカレーの材料が全て
揃った。
6人の年齢は私が一番上なのだが、一つだけ共通していることがあった。それはこの3組の夫婦が同じ年に
結婚をしていること。そして5年後には Golden Wedding(金婚式)を迎える。これでまた話が弾む。

時間のたつのも忘れて夜遅くまで語り合っていたが、去りがたい思いでクリスの車に乗り込む。明日はジョン
夫妻がアデレードを案内してくれる予定。
夜になり外に出ると寒い。用心のため長袖を着ていたがそれでも寒さ
を感じる。これが本当に夏なのかと信じられなかった。それ程寒く感
じた。オーストラリアでは真夏の夜はここまで冷えると教えられる。
土曜日の夜10時過ぎ、町は人通りが多い。ホームステイ先へ帰ったら
11時前だった。クリスは明日早朝から自転車レースに出かけるのに起き
られるのだろうか心配だ。

ひとつ気になることがあった。ケリーの下の娘さんは警察官なのだ。クリスはじめ車で来ている人がいるのに
大丈夫なのだろうかと。飲酒運転はまだ日本程厳しくないのだろう。
クリスの車、トヨタのランドクルーザーに乗り込み一路アデレードへ
向けて出発する。走っている車がほとんど日本車なので時々日
本の道路を走っているのではないかと錯覚する。

メルボルンからはマウントガンビアが丁度中間地点ぐらいで、アデレ
ードまで500キロとなるとオーストラリアを1,000キロ走ることになる。

アデレードへ向かう道は乾燥した大地もあるが、ユーカリの木や植
林されている森などが多くあり少し景色は違うようだ。

それでも一旦街を出ると時々農場のそばを通り羊や牛が放牧さ
れているのどかな風景に出会うのみ。途中何度かマウントガンビア
で見たあのケイブやシンクホールのそばを走っていると教えてくれ
たりもした。後はその他何もなく、隣町まで50キロ以上も走る。

こういう景色を眺めていると、オーストラリア大陸のスケールの大き
さに圧倒されてしまう。日本に帰った時のカルチャーショックが気に
なってくる。
翌日ジョンとローズが迎えに来てくれ、アデレードの中心街に6人で出かけた。まず最初に行ったのは街を見下
ろせる小高い丘。そこは"Light's Vision"「ライト展望台」でWilliam Light(ウィリ・アムライト)大佐の銅像がある。

翌日クリスは早朝5時にレースに出かけていた。私達はゆっくり9時
ごろに朝食を取り、ゴール地点で彼を迎えるために待つことにし
た。100キロ以上もの自転車レース、真夏の暑さの中、アップダウン
もありかなり過酷なレースだったと思う。1000人近く老若男女を問
わずに参加していた。参加費用は全て癌治療に寄付される趣旨
という。

夕日が美しい海岸で、沈みゆく夕陽を見ながらの食事は楽しいものだった。

ここでも驚いたことがある。還暦を迎えた主役がみんなにメニューを配り、注文を聞き、店にオーダーしている
のだ。日本では考えられないこと。は招待されている主役はでんと中央に座り料理を待つのが普通だから。
みんなが座って楽しく雑談をしている間、ケリーはあちこち動き回り忙しい。文化の違いなのか?

私は海辺という事で「prawn」(クルマエビのような中型のエビ)を注文する。妻は白身魚のフライとサラダを。
料理が出てきてびっくり。エビはただ蒸しただけでタルタルソースをつけて食べる。びっくりしたのはその量だ。お
皿に500グラムのエビばかりがこれでもかというくらい乗っていた。言わずと知れた事だがオーストラリア人の
大食漢からなのだろうか他の人の料理も量がすごい。でも残さないで平らげている。

味付けにも驚く。変化がない。これだけのエビがあるのなら、日本のレストランへ行けばきっと2,3種類の料
理として出てくだろう。少しクリスに助けてもらい何とか食べきった。多分あっさりしていたのでたくさん食べられ
たと思う。

夕食はクリスの弟ケリーさんの還暦祝いのディナーに招待される。ケ
リー家でみんなに紹介されてしばらく雑談した後、夕日の美しい海辺
のレストランへと歩いて移動する。食事前に海岸に出て沈みゆく夕日
を眺めた。美しい!何処で見ても地平線に沈み行く夕日には感動す
るのだが、遠い外国の空の下で眺める夕日はまた格別のようだ。

アデレード市内でもう一つ観光場所があった。それはHimeji Garden「姫路公園」。
二人と別れてクリスの車でアデレード空港へ向かう。空港でクリス達とも別れるがオーストラリアでの彼らの心か
らの温かいもてなしに感謝を述べていると、なんだか私は別れるのが少し辛くなってしまう。次回は日本で会おう
と約束して別れる。

お陰様で本当にいい旅をさせてもらった。今迄の観光や山歩きなどの海外旅行とは全く違う旅を味わった。オ
ーストラリアの大地に触れ、旅人と言うより住人のように過ごせた11日間、短い間だったけれど人の心に触れら
れた旅。本当にいい旅だった。(オーストラリア編終わり)
帰国の日がやってくる。お世話になった家を出る前にジョンとローズが見送りに駆けつけてくれた。
家に帰り早速カレーの下ごしらえ。6人分のカレーなので量もいつもより多い。ジョンは料理にも興味があるよう
で私達がいろいろやっている様子を観察していた。特にカレールーは見るのが初めてで空き箱を大事にとって
いた。今日のカレーの出来を見て自分でも一度作ってみたいとのことだった。

出来上がりは上々で、みんなは美味しいと言って残さず食べてくれた。日本酒やおかきも彼らの口にあったよう
だ。デザートは羊羹と日本茶(日本から持参)。これも好評だった。心配していたカレーの味など美味しくでき喜
んでもらい、アデレードの最後の夜を楽しむことができた。でもこれはパートワンだ。

1982年にアデレードと姫路市が姉妹都市を結びその記念に作られ
たようだ。中に入ると枯山水の庭や獅子落としなどもあり、日本庭園
の趣をを感じることができる。
確かに何匹もコアラが木の上にいた。私達が写真を撮ったりしている
と、子供たち(兄弟)の母親が現れて話を聞かせてくれた。

時々コアラが木から降りてきて、家のドアーをノックするという。「へえ!」
と私は驚いた。でも家に入れると野生性が奪われるので入れないと
のこと。コアラたちが木から降りて来てドアーをノックしている姿を想像し
ていたが信じられないようだった。

人間が生活している場でこんな風にごく自然の姿でコアラも生息して
いることに驚く、と同時にオーストラリア人の動物を愛する姿に心打た
れた。
そして更に歩いていくと、また木の上にコアラを発見。小学生ぐらいの男の子が二人やって来て、「自分の家の
敷地の木にもコアラが住みついているからおいで。」と言って連れて行ってくれた。
所が違う、郊外から丘を越えて林に中に入っていくのだ。不審な顔を
していると野生のコアラが生息しているところへ行くと教えてくれた。

両側に木が茂げっていて道路が走っている普通の林の中に入り車
から降りる。しばらくジョンの後をついていくと、いた、いた、小高い木の
股の所にコアラが座っているではないか。

日が変わり、今日はコアラを見に連れて行くと言って朝ジョンとローズが再びやってきた。多分どこかのコアラパ
ークのような所へ行くのだろうと思っていた。

夕食にはジョンが買ったワインが並んだ。6人で飲み始めたが、何本空いたかな、みんなよく飲むし、よく喋ること
にも驚く。
午後、さらに郊外のワイナリーに行く。ジョンがよくワインを買いに行く
"Kay Brother"(ケイブラザー)という所で、ブトウ畑が延々と続いてい
る中にあった。中に入ると大きな樽が並んでいていかにも伝統のある
ワイナリーという雰囲気。オーナーの説明の後みんなでワインを何種
類か試飲させてもらう。
街を通り少し郊外に出た。次に連れて行ってくれたのはハーンドーフ
と言う街。ドイツの人々が住みついた街で土産物屋が軒を並べてい
て、アデレード市内からも多くの観光客がやってくる所。

手作りのものが多くあり、妻は孫たちにカンガルーやコアラの人形を
買っていた。でもよく見ないとmade in China などを買ってしまうの
で要注意。

今日も暑い、木陰から出ると長くいられないくらい。みんなでアイスク
リーム屋さんに入りお好みのを買う。暑さの中とても美味しかった。

お昼はやはりあの”Bakery"(ベーカリー)と言う店でジュースやパス
ティ、サンドなどで済ます。お昼に12ドル、土産物で50ドル使いオース
トラリアドルとセントにも慣れてきた。コインの大きいのが必ずしも金額が
大きいとは限らないので最初は戸惑ったりしていたのだが。
彼は英国から派遣された測量士で、ビクトリア調やエドワード調の建物が並ぶ街づくりを指揮する。銅像の台座
には「私の州都選択の是否は、後世の人々の判断に委ねる。」と刻まれている。
デザートはフルーツの盛り合わせ。マンゴー、メロン、イチゴ、イチジク、プラム、チェリー、パイナップル、桃、ブドー
等満載だ。最後にコーヒーと手作りのケーキが出た。どれもみな本当に美味しかった。
クリスのレースが終わり、午後は家でのんびり過ごす。今夜はJohn
とRose夫妻に夕食に招待されている。彼等とも6年ぶりの再会だ。

クリス夫妻と私達4人、車でジョン宅に出かける。家はアデレード市
内にあり、緑の木々や草花に囲まれた落ち着いた雰囲気の所。二
人はガーデニングに力を入れており、家を取り囲んでいる緑を見
れば納得がいく。アボカドの木、ネクタリン、プラムの木など食べられ
る木が多くあるのが印象的だった。

ここにも今お世話になっているジニーの家同様の大きなタンクがあ
り、花等への水撒き用の雨水が貯められている。
1週間後にも又クリスは別のレースに出る予定。アデレードで夏に何度もレースが行われているようで、ロード
バイクに乗ったサイクリストが街中走っている。いわゆるママチャリとか普通の自転車は見かけなかった。

クリスが元気に帰ってきた。このレースは順位を決めて表彰するというものでなく、とにかく最後まで完走す
ることが大事。完走したサイクリストはお昼をもらいみんなそれぞれくつろいでいる。この日も40度を超える
暑さで太陽の下では立って居るのも辛くなり日陰を探す。

アデレードの宿泊はダイアンの友人Jinnyの家。ジニーは現在は一人暮らし。丁度この期間彼女は旅行に出て
いて私達に家を使わせてくれている。

ダイアンには4人の仲の良い友達がいる。大学時代にこの4人で家を借り共同生活をしていてその時の絆が今
でも続いているようだ。4人のうち3人はダイアンを含め学校の先生だった。ジニーもその一人で、私達がオース
トラリアまで会いに来たもう一組の夫婦の奥さん、Rose(ローズ)もそうだ。

このジニーの家はアデレードの一番古い地区の中にあり、整然とした街並みとアングリカンチャーチ(イングランド
国教会)などが近くにあり英国風を感じさせる。この家にもビジター用の寝室とトイレ、シャワーのある洗面所が用
意されていた。早朝試に一区画を歩いてみた。30分ではとても歩ききれなかった。一軒一軒が贅沢なほどの広
さの中にあり、時には家が木立に隠れてしまいそうなくらいまで緑に覆われていて散歩も気持ちが良い。

ここでクリス夫婦と4人での共同生活が始まる。
勘定は主役以外みんなで割り勘にして支払う。私達の分ははクリス達
が出してくれた。
夕方アデレード着。地名は英国のキング・ウィリアム4世の婦人、アデレード女王にちなんで命名されたという。
整然とした街並みのアデレードはクラシックな英国風のたたずまいのある街だというのも納得がいく。南オースト
ラリアの州都。更にシドニーやメルボルンなどはイギリスの流刑植民地として出発した都市に対して、アデレード
はこの地を訪れた移民の自由意思で築かれたことも人々の中に何となくイギリス志向が残っているのかも。

クリスはここでお昼にしないと次の町までは120キロあると教えてくれた。オーストラリアを走るときはこんなこと
まで知っていないとお昼にもありつけないんだ。

半分くらい車を走らせると海に出た。しばらく海を見ながら走っ
ていると、ペリカンを見に行こうと潟湖のような所で休憩。桟橋
を進んでいくとペリカンがいた。私には野生のペリカンを見るの
も初めてで驚く。

日本の道の駅のような休憩所はなく、お昼はガソリンスタンドのある
「ロードショップ」というコンビニのような小さな店であのパスティとコ
ーヒーなどで済ました。

思い出に残るとても素晴らしい時間を味わった夜だった。