秋篠寺

奈良県奈良市秋篠町

私は作家の石川達三さんに傾倒している頃があった。
ほとんどの作品を読破したと思う。

22歳の頃に事情があって突然の独立生活が始まった。
身軽になる為持っていた書物は全て処分した。
昭和50年だった。以降の詳しい話は置いといて、、、、。

月日が流れ流れ、、、

チェーン店展開をしている古本屋で石川達三さんの本を見つけた!

これまで何度と無く足を運んだが、お目にかかった事は無くて、、、もう、
無いのだろうと半ばあきらめていた。
・・・・・全部購入した。約20冊以上はあるだろう。

『自分の穴の中で』という作品がある。
男性、女性の結婚観を基軸にした、、、まさしく、、、、
おのおのの穴の中の自分を見つめ、考える、、てな、作品である。
従来通り、石川さんの真骨頂である人間の内面的描写には、
時々とんでもない破天荒な人物が登場してくる。

この秋篠寺のご住職もそのお1人である。
しかし、しかし・・・この作品の発刊が昭和33年、、なんと48年前。御生存は、さてどうかな?

後で分かったが、先々代のご住職だそうだ。・・・そりゃそうだ!(笑)

以下は作品の抜粋だが、まさしくこのような人物だったそうだ。

伎芸天という仏像についての説明で・・・鼻の形がギリシャ的では?という主人公の質問に対して、、、

 『ギリシャ人言うても、先祖は印度ですからな、、』
 『・・・・インドアーリア人種言いましょうかな。もともと仏さんは印度人にかたどったものですから、仏さんが
  印度人に似ていやはったかて、不思議な事でもおまへんわ。いまのネール首相の鼻やかてギリシャ人的ですよ。
  してみるちゅうと、印度人の顔は三千年来、あんまり変わっとらんちゅう理屈になりますな』

   風体のだらしなさに似ず、なかなかの知識人らしかった。
  しかも大阪弁のまざったねばねばした口調で、、と、主人公の心理描写がある。

『拝観料がいるのではないですか?』という質問に対して、、、

 『ああ、払いたかったら、たんと置いて行きなはれ。それだけ罪ほろぼしになるやろ。もっとも払わんかて、
  罪が深うなる訳でもないが、払うてくれたら、わしの小遣いがすこしばかり楽になるだけや。
  わしの暮らしが楽になったら、それだけが功徳というもんやろ』

そんな調子のご住職だったそうだ。
そして、、『月母天女という仏さんは、どこにあるのですか?』という質問に、、、

 『知りまへんな。とにかく奈良には、文化財の指定を受けた仏さんだけでも七百八十いくつとかあって、
  全部数えたら一万何千体仏像があるそうじゃからな。とてもいちいちおぼえておられしまへん。
  よくもよくも、こんな沢山の仏さんをこさえたもんや。大仏さんなんて、あんな馬鹿でかい物をこさえおって、
  当時の民衆は搾取されたのに違いないが、まあ、、しようがないやろ。インテリは、大仏言うたかて、
  光明皇后の虚栄心に過ぎん言うとるが、それが結果において奈良時代の芸術を今日まで残しとる。
  今の奈良の住民は、あの おばはんの虚栄心のおかげで、三度三度の飯を食うとる。
  おばはんの悪口を言えた義理やないわ。

  当時の民衆は搾取されたかもしれんが、民衆は歴史となんの関係もあらへん。支配階級の虚栄心やヒステリーや
  物欲や性欲や勢力争いが、国家の歴史をつくりよる。
  それじゃあ民衆は救われんさかいに、仏教が民衆を済度して、あの世へ送り込んで、あの世ではみんな平等な
  仏さんにしてやるという訳やな。支配階級があんまり民衆の事を考えてくれたら、仏教は何もすることあらへん。
  だから、民主主義の世の中になると、仏教も衰えて、わしらみたいな坊主は貧乏せんならん』

最後に、『毎日、御勉強ですか?』という質問に、、、

 『勉強しとるように、見せかけるのに骨折っとる』

以上が、この秋篠寺の先々代のご住職だ。
まさしくこのような破天荒な方だったと聞いた。

あ〜行ってよかったと思った平成18年の1月でした。


南大門より本殿に向かう参道

  

  

  

  

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