● 京様音楽語り〜捻りの美学〜  ●

俳優としてだけでなく、実はシンガーソングライターとしての顔も持つ京本さん。
これまでに13枚ものアルバムを出し、25周年となる今年(2004)は、久々の本格アルバムを発売し、その中から シングルカットの名曲が生まれたり、ライブにディナーショーも行うという精力ぶりです。

そんなMusician京本を語る上で、まずこれだけは外せない、という点が1つ。
それは……京本さんが作る楽曲たちは、なんと、どれ1つとして、似たような曲がないということです。

普段、自分が好きないわゆる音楽を生業としている生粋のミュージシャンの方々の 音楽を聴いていると、「これ、XXに似てるなぁ」とか「あ、この曲って○○を裏返したみたい」と 思うことが。
ちょっと例をあげると(極度にマニアックな例なので、わかる人だけ笑ってやってください)、、
某3人組の「SWEAT&TEARS」と「LONG WAY TO FREEDOM」、 同じく「SEWAT&TEARS」とBEAT BOYSの「YELLOW SUNSHINE」。
ボ○イの「PLASTIC BOMB」と背が高いギタリストの「BOYS BE AMBITIOUS」、同じくボ○イの「マリオネット」 と氷○京介の「KISS ME」(←これは、一般によく言われますが、個人的にはあまり 似てると思いません 苦笑)。
こういうケースは、別に売れ線狙いで最初から似せて作ろうと思ったわけではなく、恐らく コード進行やグルーブetc.、作り手が好きな旋律・カラーというものが色濃く現れた結果、意図せずして 似てしまったのでしょう。また、その似た部分が、そのミュージシャンの 特徴であり、ファンも好きなフレーズだったりして、「似てるけど、どっちも好き」 「こっちの方がより好きかも」と新たな喜びにつながったりもします。

と、話が横道にそれましたが(^^ゞ、上記のような現象が京本さんの楽曲にはないのです。
と言って1枚のアルバムの中に演歌からハード・ロックという極端に違う毛色の曲を 収めているわけではなく、全体的にミディアム・テンポのポップスというとても 限られた範疇なのに、似た曲がない!
これは、京本さんが作られる”フレーズの 引き出しが限りなく多い”ということの現われで、かなり凄いことではないでしょうか。 以前、トーク番組で「どんな曲でも作れる」と話されていたのも、楽曲を聴けば納得です。


さて、幅広い楽曲を作る京本さんですが、時々そんなフレージングあり!?それって美味しすぎませんか? と叫びたくなるフレーズに出くわし、くぅ〜〜やられた!と唸らせてくれます。

どこがどう凄いのか、個人的に大好きな「Ambivalence」(『虚飾のカサノヴァ』収録)を例に具体的にあげてみましょう。
のっけから変拍子のビートが効いた、小粋な ナンバーのこの曲。♪A〜m bivalance と癖のあるメロディーが印象的なサビも 捨てがたいのですが、それ以上に注目なのが、その直前のBメロ。
♪ドアを背中で 閉じればすぐに♪ というフレーズ。この♪閉じればすぐに という部分の
♪閉じれーば♪という 譜割り。『閉じ』の部分が16分音符、『れ』が付点8分音符、『ば』が16分音符で2拍分になって いて、タタ(この部分が極端に短く)タータというリズムになるのですが(分かりづらい説明ですみません)、普通に全部16分音符で♪閉じれば  と均等割してもそれまでです。
が、そこを敢えてシンコペーションをもってくるところが憎いっ。
たったこれだけの ことなのに、一気に楽曲に躍動感が生まれる上に、楽曲全体の雰囲気がぐっとお洒落になります。


そんなマニアックな例でわかるか〜っ!とお怒りの方、しばしお待ちを<(__)>。次は皆様にもお馴染みの名曲「薄桜記」を取り上げてみましょう。

私もそうですが、あの曲を聴いた多くの方が異口同音に♪何故になーぜに〜忘れられない♪ というサビの部分が耳について離れないというコメントを残しています。
とても綺麗で素直な耳にすーっと馴染むメロディーなのに、まるで呪文かこだまのように頭の中でリフレインし続けるあのメロディー。
その秘密は、、やはりフレージングにありました。

今、♪何故になーぜに〜 と表記したように、『なーぜに〜』の部分。実音でG(ソ)Fis(ファ#)G(ソ)Fis(ファ#)と半音ずつ4分音符、8分音符と16分音符2コで展開しています。 この”ぜに〜”の部分に注目です。
実際に歌われているように♪ぜに〜と音を半音上げず、どちらも同じFisで歌ってみるとどうでしょう?
コード進行上は何の問題もありません。ですが、ちょっと物足りない感じがしませんか?

では、次に実際の楽曲のとおりに歌ってみましょう。

どうです?メロディーが自然に流れ、より歌いやすくないですか?
そう、この♪なーぜに〜の”に〜”の部分。ただ伸ばすのではなく半音展開させることにより、ちょっとこぶしを利かせたような感じになって 何とも言えない心地よさが生まれるのです。この心地よさがそのまま聴き手に体感として憶えられ、耳に残ることへとつながっていく気がします。
この曲を聴くと、切なくちょっぴりほろ苦い気持ちとともに、どこか郷愁のようなものを感じてしまうのですが、その秘密ももしかするとこの”こぶし”にあるのかもしれません。

また、曲の出だし♪毎年この時期になると〜 はすべて16分音分の細かな譜割りで、とつとつと相手に語りかけるようなメロディーで歌っているのが特徴ですが、それがサビに来ると一転。
♪何故になーぜに〜 と流れに任せて朗々と歌い上げたかと思うと、♪忘れ〜られない の部分では、再びさりげなく細かで少し字余り的なフレーズになっているのも見逃せない点です。
わっと盛り上げておいて、さりげなく退く。しかも何故にの「な」と忘れられないの「い」は同じH(シ)の音で始まり終わっているという絶妙さ。
ちなみに、このひとつの音を起点に展開した後、また起音に戻ってくる 手法は『まるで悲しみが雨のようにくちづける』のサビの部分でも見られます。

この曲に限らず、京本さんが作る曲は、音が激しく上下したり、リズムが凝りに凝りまくったり、といういわゆる”難しい”メロディー、というのは殆どありません。 主にマイナーコードを基調に、素直で美しくなだらかなメロディーが中心です。 ところが、一見素直に見えるメロディーの中には、上にあげたようなさりげない捻り(小技?)が、こっそりと密やかに……。


と、わけのわからない暴論になってしまいましたが、決してファンだけが知っている「隠れた名曲 」ではなく、いつかMusician京本として一花咲かせてくれる日が来ることを願いつつ、 そろそろ筆をおきたいと思います。
ここまで読んでくださった皆様、戯言な長文にお付き合いくださり本当にありがとうございました!

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