『白神家』と『岡田藩』との関係について


 白神家と岡田藩との関係は、天正十一年(1583)に、当地が豊臣(羽柴)家の支配となり、その家臣である伊東家の領地となった際、元の領主で、それまで当地を事実上領有していた白神家が、平穏に伊東家の知行に従ったことに始まりますが、当時、伊東家は大坂に居住しており、当分の間は、白神家が伊東家の名代として、伊東家の領地を治めていました。

 それから暫くして、慶長十二年(1607)に、伊東家の家老千石家が白神家に入り、領主に代わって総ての政を行うようになりました。千石家系譜源定盛條には「慶長中金龍寺殿(丹後守)御就邑之前平左衛門君に命して備中に下し國ふりを視せらる、平左衛門君市場村に居をしめられ國の事大小となく皆平左衛門君に決す」とあります。

 その後、伊東家は、大坂夏の陣で敗北しましたが、家老千石家の懸命の取り成しにより、関が原の合戦での功をもって領地を安堵され、元和二年(1616)に入府しました。古文書には「金龍寺殿は元和年中下向有りて服部村庄官西(水川)與七郎與左衛門父子の構営に係る谷本の御陣屋に御入りありしなり、老臣千石院は政を預かりて嵯峨野村(市場村)土豪白神清左衛門家宅に其居を占む」とあります。

 爾来、藩主伊東家並びに家老千石(仙石)家は、始祖からの関係があり、又、代々、西園八幡宮(後の藩主伊東家の氏神)の宮司家でもあった白神家を尊重し、明治に至るまで深き縁故を有して参りました。

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