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岡田本藩十六ヶ村 寛政郷紳氏録 全




     秘用姓氏録 全
古川古松軒/著 日名静一/校




岡田村 題 詞

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 陶 村
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奥 書 水内村

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備 考 備 考

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 本書(原)は、備中岡田藩に仕えた古川古松軒が、寛政七年(1795)に、岡田藩領内十六ヶ村の土民の姓氏を調査して記したもので、岡田藩が役人を採用する際の資料としても蔭ながら尊ばれたものであるとされていますが、題詞に「他見を禁ぜるを以って秘用姓氏録と題せるならし」とあるように、この時代においても、現実の地位や身分以上に家系家流が重んじられていた事情が窺われます。

 尤も、この時代は、第一に、素性(姓氏・血統)、第二に、能力(知能・技能)、第三に、財力(財産・収入)、第四に、地位(役職・資格)、第五に、身分(士農工商)という評価であったようですが、例えば、第三の「財力」と第五の「身分」とを比較してみれば、士農工商とはいえ、中級以下の武士と豪農や豪商などとでは、相当の経済格差があり、実状は、側に近づくことも出来ない程の家格の違いがあったようです。

 又、「第一」から「第四」の何れかの特徴を有する者は、状況によって、容易に「第五」の士の身分を得たようですが、「第五」の士の身分は世襲の為、「第一」から「第四」の何れかの特徴を代々維持し、或いは、新たに形成することが出来なければ、ただ、「第五」の士の身分に執着し、それを誇示するしかないようにもなったようです。

 備中岡田藩においては、領内のおもだった家の殆どの者が藩士として召抱えられ、いわば、役所勤めをしながらの兼業農家や商家の如きであったようですが、この様な体制の下で、小藩とはいえ、岡田藩主は、代々、領民を慈しみ、領民に慕われた善き領主であったと伝えられています。


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