【参考文献】

SRL宝函 Vol.23, No.3 1999
杉 俊隆
「抗リン脂質抗体(抗フォスファチジルエタノールアミンIgG抗体)の臨床的意義」

 
※青字部分は、私自身が不育症患者に特に伝えたいと思ったポイントです。


はじめに
 近年、抗リン脂質抗体と血栓症、pregnancy loss、血小板減少症との関係が示唆されており、抗リン脂質抗体症候群として注目されている。なかでも、抗リン脂質抗体は後天性の血栓性素因(thronmbophilia)の最も重要なrisk factorであると位置付けられるようになった。それにもかかわらず、抗リン脂質抗体の測定法は未だ確立されたとはいい難い。特に日本では、抗リン脂質抗体の中のごく一部に過ぎない抗カルジオリピン抗体のIgGしか測定されないことが多く、多くの抗リン脂質抗体が見逃されているのが現状である。最近、日本でも経口避妊薬が発売されたが、その血栓症のriskは以前から指摘されており、抗リン脂質抗体陽性症例をはじめとしたthrombophiliaの患者への投与は禁忌とされ、そのスクリーニングは一層慎重に行うべきである。また産婦人科領域においては、反復流産の既往のある不育症患者に対して従来のカルジオリピン抗体の測定を行っても陽性に出ることは非常に少ないといえる。そこで我々は、抗リン脂質抗体を根本から見直し、新たに電気的中性のリン脂質であるフォスファチジルエタノールアミン(PE)に対する抗体に注目して研究を進めてきたところ、臨床上重要な意義のあることが明らかになってきた。本稿では、抗PE抗体の測定法、特異性、頻度、病原性などについて最近の知見を紹介したい。

1.抗リン脂質抗体とは

 抗リン脂質抗体とは、リン脂質に関する自己抗体であり、具体的には電気的陰性のリン脂質(カルジオリピン、フォスファチジルセリン、フォスファチジルグリセロール、フォスファチジルイノシトール、フォスファチジル酸)や、電気的中性の(PE、フォスファチジルコリン)に対する抗体である。
 歴史的には、抗リン脂質抗体は梅毒血清反応陽性として検出されてきた。梅毒血清反応では、抗原としてカルジオリピンとフォスファチジルコリンが使用されており、したがって陽性とはカルジオリピンとフォスファチジルコリンに対する抗体の存在を示している。フォスファチジルコリンに対する抗体は稀なので、一般的に梅毒血清反応陽性とは、抗カルジオリピン抗体陽性と捉えられている。梅毒ではないのに抗カルジオリピン抗体をもつ患者の場合、梅毒血清反応の生物学的擬陽性として抗リン脂質抗体が検出されたわけである。したがって、現在一般的に抗リン脂質抗体というと抗カルジオリピン抗体を指すことが多いが、それはこのような歴史的背景があるからである。カルジオリピンは血小板、血管内皮細胞、絨毛などの細胞膜には存在せず、生体内で血液凝固や妊娠維持に重要な役割を演じているとは考えにくい。むしろ細胞膜外層に多く存在するのは電気的中性のリン脂質であるPEなどであり、これらを軽視することは不合理であるし、これらよりカルジオリピンを重視する根拠もない。
 抗リン脂質抗体は、従来は名前通りリン脂質を認識する抗体であると思われてきたが、最近、病原性のある抗体の多くは実はリン脂質そのものを認識する抗体ではなく、リン脂質に結合する血漿蛋白に対する抗体であることがわかってきた。一番最初に発見された抗原はβ-glycoprotein I (βGPI)であり、当初はコファクターと称されたが、その後は事実上の抗カルジオリピン抗体の目標抗原ということでコンセンサスが得られている。βGPIは、カルジオリピンに限らずフォスファチジルセリンなど、電気的陰性のリン脂質に対する抗体の対応抗原である。その後我々は、中性のリン脂質であるPEに対する抗体も同様にリン脂質結合蛋白を認識することを発見し、それがキニノーゲンであることを同定した。この発見により、抗PE抗体の測定が事実上可能となった。

2.抗PE抗体とは
 restingな状態の血管内皮細胞や血小板などの細胞膜外層上には、フォスファチジルコリンなどの中性のリン脂質が多くを占めている。そこで、我々はPEを認識する抗体に注目して研究を進めてきた。抗PE抗体もまた、抗カルジオリピン抗体と同様血栓症や流産との関係が報告されている。しかしながら、抗PE抗体の測定法は施設によってまちまちであり、スタンダードな方法が確立していないため施設によって全く異なる報告がされていた。その原因として、抗PE抗体の特異性が不明であったため適切な測定系が不明であったことが挙げられる。そこで、我々は抗PE抗体の目標抗原の検討を行ったところ、抗PE抗体の多くはPEそのものではなく、PEに結合したキニノーゲンを認識するということが解明された。高分子キニノーゲンは内因系血液凝固因子であり、in vitroでは第12因子、第11因子、プリカリクレインとともに陰性荷電の表面に結合して活性化し、内因系血液凝固カスケードが開始される。intactなキニノーゲンは一本鎖であるが、活性化したキニノーゲンは二本鎖であり、立体構造の変化により抗原性が変化する。したがって、血漿と異なり、血清の中にはintactなキニノーゲンが存在するかは疑問である。
 従来、抗カルジオリピン抗体のELISAにはブロック試薬や患者血清希釈薬としてadult bovine serum(ABS)やfetal calf serum(FCS)が用いられていた。ABSやFCSを用いないと測定がうまくいかないことが経験的にわかっていたが、後に、これらに含まれているβGPIが抗カルジオリピン抗体の事実上の目標抗原であることが解明されたのである。同様にして、抗PE抗体のELISAにもABSやFCSが使用された。しかしながら、抗PE抗体の目標抗原は血液凝固因子であるキニノーゲンであり、serumをそのsourceとするのは問題がある。我々はキニノーゲンのsourceとしてadult bovine plasma(ABP)を使用することにより、安定したデータを得ている。

3.抗PE抗体の頻度
 我々は、抗PE抗体の対応抗原がキニノーゲンであるということを踏まえて抗PE抗体ELISAを確立し、それを用いて不育症患者に対して抗PE抗体のスクリーニングを施行した。その結果、初期流産(妊娠10週未満)を繰り返す不育症群の抗PE抗体陽性頻度は正常群と比較して有意に多く(p=0.0002)、PE結合蛋白を認識する抗PE抗体、PEそのものを認識する抗PE抗体あわせて31.7%となった。ただし、現在病原性の示唆されているPE結合蛋白依存性抗PE抗体IgGの頻度は15.1%であった。この場合、正常群の4.0%が陽性になる値をcutoff値とした。
 これに対して、従来より検査されている陰性荷電のリン脂質に対する抗体である抗カルジオリピン抗体、抗フォスファチジルセリン抗体、ループスアンチコアグラントなどを初期流産(妊娠10週未満)を繰り返す不育症群に対してスクリーニングしたところ、正常群と比較して陽性率に差を認めなかった。
 PE結合蛋白を認識する抗PE抗体の特異性に関しては、精製したキニノーゲンを用いてPE結合蛋白を認識する抗PE抗体の対応抗原を検討したところ、不育症群で検出された抗体の73.3%がPEに結合したキニノーゲンを認識した。また、血栓症や網状皮斑の症例でもキニノーゲンを認識する抗PE抗体が検出されている。

4.抗PE抗体の病原性
 キニノーゲンは血液凝固反応のうち内因系に属する凝固因子であり、高分子キニノーゲン、プレカリクレイン、第11因子、第12因子の4つの蛋白をcontact proteinという。この4つの蛋白が陰性荷電の表面に集合し、内因系の血液凝固反応が開始される。しかしながら、in virtoではこれらの蛋白が欠損していたり、抗体が存在するとaPTTは延長するが、in vivoではこれらの蛋白は抗凝固、線溶促進作用があり、欠損したり抗体が存在すると出血傾向ではなく血栓の原因となりうることがわかってきた。例えば、血小板に対しては、キニノーゲンは血小板に結合してそのトロンビンによる活性化、凝集を抑制していることがわかっている。その血小板活性化を抑制する活性はキニノーゲンのドメイン2と3にある。我々は、キニノーゲンを認識する抗PE抗体が血小板上のキニノーゲンを認識することにより、キニノーゲンの血小板活性化抑制作用を阻害し、血栓の原因になるのではないかと考え、in vitroで血小板凝集能にて検討した。その結果、キニノーゲンを認識する抗PE抗体は、キニノーゲンを認識しない抗PE抗体と比較して著明にトロンビン惹起性血小板凝集能を亢進させた。
 以上の結果より、抗PE抗体はキニノーゲン、ドメイン2、3を認識する可能性が示唆されたので、合成ペプチドを作製してmappingを施行したところ、この抗体はキニノーゲン、ドメイン2、3に存在するcystein protease inhibitor部位や、ドメイン3のCys Cysを認識することが明らかとなった。cystein protease inhibitor部位は血小板のcalpainを阻害し、トロンビン惹起性血小板凝集能を抑制する部位として知られている。このことにより、キニノーゲン依存性抗PE抗体陽性の不育症患者には、抗血小板療法である低用量アスピリン療法が有効である可能性が示唆された。また不育症患者に対して血小板凝集能のスクリーニングを行った結果、正常群と比較して血小板凝集能がin vvivoでも有意に(p=0.0001)亢進していることが確認された。
 キニノーゲンは血液凝固反応の内因系の一員であるだけでなく、カリクレインーキニン系においてキニンを放出する重要な蛋白でもある。カリクレインーキニン系を概説すると、活性化第12因子がプリカリクレインを切断してブラジキニンを放出させる。ブラジキニンは血管内皮細胞を刺激して組織プラスミノーゲンアクチベーター(tPA)を分泌させ、線溶系を活性化させるとともに、胎盤血流の調整に関与している。最近になって、キニノーゲンは子宮胎盤ユニットに高濃度に蓄積しており、妊娠中に周期的に変動していること、カリクレインーキニン系は様々の物質や代謝産物の経胎盤輸送や胎盤血流の調整に関与していることなどが相次いで報告され、その妊娠維持における重要性が注目されている。したがって、我々が発見したキニノーゲンを認識する抗PE抗体がカリクレインーキニン系を破綻させ、流産の原因になるという可能性は十分考えられる。

おわりに
 1990年にHarrisらが抗リン脂質抗体症候群の診断基準案を発表してから10年近くになるが、未だに診断基準は定まらない。Harrisらの診断基準案の中の検査所見には抗カルジオリピン抗体とループスアンチコアグラントしか触れられていないが、我々は抗PE抗体も含めるべきであると考えている。実際、抗カルジオリピン抗体陽性症例に対して抗PE抗体を測定すると、多くの患者が両方の抗体を併せもっていることがわかる。抗カルジオリピン抗体の抗体価と病状が一致しないことが多いという現象も、そのようなことと関係しているのかもしれない。抗リン脂質抗体症候群を疑いながらも従来の抗カルジオリピン抗体やループスアンチコアグラントが陰性である症例には、抗PE抗体の測定を試みることをお勧めしたい。