勿忘草の咲く丘

20241218-20250721

あの時の幸せがたとえ虚構だったとしても、私達は確かに幸せだった。この時の幸せがなければ今の私達の幸せはなかった。青い花に包まれて、私達は平和と希望を胸に抱き静かに眠るのだ。

勿忘草の咲く丘20250721 応答という名の言い訳壊された日常と歪んだ人格私という歪んだ人格者の末路強い後悔と自責の念20250720 私は「私」と云う名の宗教の教祖だった狂人である自覚が皆無な狂人最愛の人は「共犯者M」になった「私が神だ」、そんなわけがない貴方の幸福、私の希望と平和20250712 なぜ私は喫茶店に通い続けるのか人の気配を感じつつ落ち着きたいとは云うがスタバではよろしくないのはなぜか結論:これからも私は喫茶に通うだろうおまけ:私に「いつもの」は存在しない20250708 思索あれこれ20250628 思索メモ◎死んだ人間の質量は生体よりもわずかに軽くなると云うが◎「スマホ脳」という新書が流行したが20250625-02 夢を売る仕事20250625-01 発狂メモ20250606 文章量と精神状態20250601 覚書【隼人の楯】20250531 関西人の精神力20250526 哀れな軍人にお恵みを20250518 ソーシャルメディアの使い方20250512 評価されなかった天才20250511 「小田島・守田」の総括20250510 そこに「私」は居なかった20250506-02 喪失感の昇華20250506-01 それぞれの居場所20250502 古びた野球カードに見た希望20250427 私はいかなる宗教の信者でもなかった20250427-01 狂気メモ◎何をもって正常とし、何をもって異常とするのか◎「若作り」とは悪なのか20250311 てんでんこ20250308 難解な事柄に思考を巡らせすぎた20250224 喫茶つくばでまたお会いしましょう20250223 哀しき人は光を見た20250212 青空に書き残されたもの20250125 とある自殺志願者の手記20250123-02 我々の自己同一性を保ってきたもの20250123-01 壊れた尾翼、墜落した理性20250111 法華経行者の冬は必ず春となるのかはじめに一神教は破壊的カルトか否か法華経行者は濁悪の世を更に濁らせる終わりに ――無知は恥である――20250104 何かのために ―仲間との友愛―20250101 何かのために ―雪の降る街を―20241228-02 批判的無神論とは何だったのか20241228-01 批判的無神論とは何か◎宗教は人を幸せにするか否か◎宗教を信じるとは、「人生の全てを捧げなければならない」ことか否か◎人生の全てを捧げるとは具体的にどのようなことか◎死後が存在しないと考える人間には、死してなお中心はそれになりうるのか?20241223 私が神の道にいささかも帰依できない理由20241220 詩歌20241218-02 投函されなかった手紙20241218-01 邪教とは何だったのか

20250721 応答という名の言い訳

※この文章は前回の続きとなっている。

私はいつから狂い始めたのだろうか。そして、何故今になるまでその自覚を明確に持つことができなかったのだろうか。何故、被害者を出してからようやく、自分が狂気に満ちていたということに気づけなかったのだろうか。

こんな事を引き起こした私が何度云おうが何も説得力がないだろうが、私自身も「普通に人を愛し、普通に人に愛されたい身分」だったのだ――。

壊された日常と歪んだ人格

私は生まれてからまだ四半世紀と少ししか経過しない若造だ。だが、自分の命以外の失えるものは大概失ってきた。莫大な金銭、仕事、安住の地だと思っていた部屋、家族の絆、婚約者等、普通に生きていればまず失うことなど考えもしないような「安定したもの」を失ってきた。当然、弁護士にも警察にも両手で数え切れないほどお世話になっている、もちろん被害者としてだ。

そのようなものを失うほどの事を繰り返し経験してきた私は、もはや多数派の語る「普通」とは何たるかがわからなくなり、自分の今まで置かれた状況や人の対応が「普通」であると思い込み、徐々に感覚が狂っていったようだ。これは児童虐待における被害児童の精神の揺れ動きに酷似しているが、私の受けたありとあらゆる苦痛は全て社会人になってからのものだった。

私は第三者から「正常に」愛されたことがない。正常に愛されている恋愛関係ならば、交際を解消する時に警察や弁護士の手を借りてまで関係を切るということはまずありえない。そのようなことまでしなければならないほどの状況に私は過去に数度置かれていた。

何が云いたいのかというと、私自身も過去に「洗脳」されていた時期があったのだ。

私という歪んだ人格者の末路

Null氏は「ここまで私を狂わせた責任はとってもらう」とはっきり述べている。そんなことは当然の義務だ。私がNull氏にとって史上最悪の加害者だというのに、その被害について何の責任も追わずに逃げるというのは、あまりにも身勝手極まりない。具体的に述べるのは控えるが、私の身に何があってもおかしくはない。

私は過去に自分を「洗脳」してきた複数の人間にも同じことを求めた。謝罪と賠償ではないが、「責任を取れ」という文言は表現違えど何度も伝えてきた。あれから何年も経過した、最初に警察にお世話になった人間の件からはもう5年近く経過したが、今までに自分の非を認めて言葉だけでも直接謝罪をしてきた人間は誰一人存在しない。それゆえ彼らを民事で訴えて慰謝料を取ることも真剣に考えた。証拠などいくらでも残っており、かつ主治医は私の精神疾患と加害者の行為の因果関係を明確に認めている。しかし私には金銭的な余裕が一切ないので、心身を削って加害者から逃げながらの泣き寝入りである。

「当然の義務」が果たされずに自分がここまで狂ったのだとしたら、私は彼らのように「当然の義務」を果たさないことで他人をこれ以上狂わせてはいけない。私は、もうNull氏からは逃げられないし逃げてはいけないのだ。

強い後悔と自責の念

繰り返しになるが、私はかつて「共犯して事件を起こした元死刑囚二人が何事もなく普通に出会っていたらどのような生活を送っていたのか」という主題で創作活動を行っていた。「このようなことを計画している、興味があったら出所してから連絡をくれ」という同房の人間の言葉に乗って事件を起こしていなければ、初犯の殺人事件の刑期を満了して何事もなく生活できていたのにも関わらず、狂気に堕ちて死刑囚となり、共に報いを受けぬまま2人は絶命した。その彼らを私はパラレルワールドで生きているとして演じていた。

今になって、「私とNull氏がお互い精神を病まず全うに生きている状態で出会っていたらどのような交流をしていたのか」ということを考えては涙を流している。私がNull氏をそそのかして狂気に堕としたのだ。ある意味、我々はその2人のように見えなくもない。

だが終わったことをいつまでも後悔していては前に進めない。私は私なりに、これからの人生を何かのために生きていくだけなのだ。

何かのために。贖罪のために。Null氏のために。

20250720 私は「私」と云う名の宗教の教祖だった

※この文章は読者が過去文章「20250510 そこに私は居なかった」「20250511 小田島・守田の総括」「20250512 評価されなかった天才」「20250518 ソーシャルメディアの使い方」の4つ全てを読んだという前提で書かれている。

御神酒徳利が一対、ようやく大きな音を立てて粉々に砕けた。どれだけの時間を要しただろうか、あまりにも砕けるのが遅すぎた。その一対の陶器は「我々を結びつける強力な護符」であったと同時に、「洗脳という呪いが強くかけられたお守り」と化していた。破壊的カルト教団を強く憎んでいた私は、自らがそれの「教祖」と化していたことに、御神酒徳利が完全に破壊された今の今まで気づくことができなかった。

私は、一人の人間を自分の思想で完全に染め、無意識のうちに逆らえないように洗脳し、その人生を大いに狂わせた。

狂人である自覚が皆無な狂人

今では何故「既に獄死した元死刑囚の名を一部借り、それを一人二役として演じ、彼らが現代において何事もなく出会っていたらという世界観(すなわちパラレルワールド)を構築する」という私の狂気に満ちた不謹慎極まりない行動が「万人に発信者の意図の通り受け取られる」と思ったのか、全く分からない。唯一無二の愛する人であると同時に、「私」という教祖に洗脳された被害者であるNull氏ですら、私の意図とは全く違う方向に理解をしていたという。私の洗脳によって、私についていきたいが為だけに、彼女は周囲も振り回し詐病までするはめになった。Null氏は後からそれを「そうしなければ嫌われてしまうのだと確信していた」と話す。これが洗脳以外の何だというのか。

私は散々「自分は狂人であり、理解できる人間など滅多なことでは現れない」と云いながら、至極愚かにもその狂気を不特定多数の見ることができる場所で「万人に認めてもらおうとした」のだ。その行為によって、私は「私」と云う名のカルト教団を作り上げていたのだ。

最愛の人は「共犯者M」になった

事細かに事象を書くのはやめておくが、私は「架空の人間をあたかも実在するように一人二役で」演じ続けていた。これは何も訳を知らない人間から見れば、単刀直入に云って一種の詐欺行為だ。やり取りを続けていくうちに、Null氏はその一人二役の片割れと恋仲になった。だが、私は「自分を自分として愛してほしかった」として、Null氏に対する欺きの一切を辞めることにした。それが昨年末から前掲した4つの文章を書いた今年5月半ばまでの話だった。我々はそれによって正式に「恋仲」となった。

――はずだった。

御神酒徳利は粉々になるどころか無傷であり、私の狂気はますます深さを増していた。私は――当時一体何を考えたのかもはや全く理解できる範疇にない――Null氏に対して、「私はその一人二役の元となる一人が輪廻してきたものである」という更なる詐欺行為を働き、Null氏にその「片割れ」となることを文書によって強要した。「この狂気から逃れることはもう諦めたほうが良い」。その一文こそ、正真正銘の洗脳だった。

Null氏はこの私の狂気によって、何もかもが狂っていった。「私」という教祖の存在さえなければ、Null氏はあれほどまでに気がおかしくなることはなかったのだ。

「私が神だ」、そんなわけがない

お互いに幾度もこの狂気によって傷付け合った。何度もこの関係は切れそうになった。突発的に切れても全くおかしくなかった。私は自分自身こそが自らの強く憎んでいた「最狂で最凶の支配者」であったことを、全てが壊れた(ように見えた)時になって、ああなんと、愚かにもその時になって、ようやく知ることになった。私は全知全能の神などではない、何かを支配することなどひたすらにおこがましいような、一人の弱々しい人間だった。目を覚ました私は、Null氏に文書でその旨を伝えた。「もうこんなことはやめにしましょう、私達は私達として愛し合うべきです」、と。

こうして御神酒徳利は不可逆的に破壊された。Null氏はようやく洗脳から解放されることになった。何度回り道をしたというのか。あまりにも、あまりにも、時間がかかりすぎた。

貴方の幸福、私の希望と平和

ようやく私は「カルト教団の教祖を辞め」、ある程度正気に戻り、過去の行動の全てが虚構であり欺きだったと認めることができた。それは全て、Null氏が私を諦めないでいてくれたおかげである。「私」という宗教に溺れさせられつつも、真人間たる私が現れることを一途に待ち続けてくれていたのだ。

過去の行動の全ては確かに虚構であり、詐欺行為だった。だがその虚構から生まれた愛情は、私が虚構の全てを壊した今でも、確かに手元に残っている。その愛は、「唯一無二の本物」だった。

「正しいとは何か」ということを追い求め続け、Null氏ともそれを探して行きたいと願ったこともあるが、その「正しいもの」とは長い回り道を経た末に見つけたこの「愛情」だったのかもしれない。

20250712 なぜ私は喫茶店に通い続けるのか

私はいわゆる「愛知県民らしい」と云われる行動をほとんどしない。寿がきやが「愛知県民のソウルフード」ということの理解に苦しみ(その証拠に自発的にラーメンを食べに行ったことは人生で1度もない。人に誘われて渋々食べたことはあるが、あまり頻繁には食べなくてもいいという味がした)、熱いという意味で「ちんちこちん」という言葉を何気なく聞いた時は血の気が引き、「じゃんだらりん」や「〜だがね」という方言にも一切染まっておらず、おまけに阪神ファンである。

「愛知県民は喫茶店が好きだ」というのは一宮市の喫茶店のモーニングが充実していることが証明しているのだと思う。正直私はモーニングがあろうがなかろうが喫茶店には行く。どこの地方でも高齢者(特に男性)は喫茶店に好んで通っているのを見たことがある。だが、強いて云うのならば私が喫茶店通いを好むことが「唯一の愛知県民らしさ」と云えるのかもしれない。今回はその私の喫茶店通いについていつも通り長々と述べていくことにする。

人の気配を感じつつ落ち着きたいとは云うが

喫茶も店や日によって「当たり外れ」がある。落ち着いて過ごしていられる時と、他の客がやかましいことに腹を立ててさっさと店を出る時が両方、私の中での「地上の楽園」とされる名古屋は金山の「つくば」でさえ起こりうるのだ。ドトールは基本的に客が多いのだが、あまり通うのをやめたくなったことはない。やかましかろうが何だろうが、今までドトールに対して「もう来ないからね」と思ったことはまったくない。一方で、近所にある某店は私の好む個人経営店かつ全席喫煙可能でありながら、ある日突然嫌気が差して通わなくなった。私の中で「落ち着ける喫茶店」の法則が存在しているようにみえるが、解明には至っていない。「程よく店員ないし客が干渉してくる店」を私は良しとしているようだが、その理論が全てであれば大手のチェーン店であるドトールは論ずるまでもないし、名古屋に店舗を展開する「ふる里」の店舗にも入らなくなるだろう。その理論が全てではないのは、私が喫煙室のあるドトールに通い、名古屋に来れば必ずと云っていいほど駅の地下にある「ふる里」或いは栄の「アインス」を訪れることから証明される。

スタバではよろしくないのはなぜか

私がスターバックスに一切寄らないのは、単純に自分にとって親しみのあるチェーン店ではない上に、個人的に店舗内で提供される空間と自分の相性が良くないからである。更に云うのならば、全店舗が禁煙であるということも非常に大きい。「コーヒーの香りを楽しんでいただくために全席禁煙です」としているスターバックスの主張は十分理解できる。だが私は喫茶店のことを「コーヒーを飲みに行く場所」ではなく「自分の居場所とするもの」だと認識しているので、私の認識が変わらない限りスターバックスの方針とは相容れないのだ。余談だが、フラペチーノというスターバックスの看板メニューとされているもの(飲み物なのかどうかも定かではない)を何であるか私は全く知らないので、社会勉強がてら一度でも試すために来店してもよいのかもしれない。恐らく違うのだろうが、写真を見る限りではドトールの夏季限定メニューの「ヨーグルン」じみたもの、即ち「デザート風の飲み物」なのではないかと予想している。

結論:これからも私は喫茶に通うだろう

私にとって喫茶店とは「家や職場以外の居場所」であり、お気に入りの飲み物を楽しみながら、場合によっては喫煙も可能で、閉店までならいつまで居ても基本的には怒られない、良い店である。人は誰しも「第3の居場所」が欲しいものなのだ。

おまけ:私に「いつもの」は存在しない

喫茶店は常連になるといつも同じものを頼むという風潮があるようだが、私はあまり「いつもの」というものが自分にあるとは思っていない。

ドトールでは基本的に「ブレンド(夏季はアイスコーヒー)の真ん中のサイズ」、気まぐれにサイズを変えたりルイボスティーなど飲むこともある。勿論期間限定の飲み物も一度は試し、気に入れば繰り返し注文する。タピオカ黒糖ミルクのように稀に飲みたくなることがある変わり種も存在する。「つくば」では夏になると「生レスカ・シロップ付き」が恋しいのだ。

20250708 思索あれこれ

※手帳の思索の書き殴りから抜粋したため、脈絡もなく内容が変わることにご留意。

自分の経験として「原因不明の情緒不安定」の原因が人間だったということがあるので、私は他人の「情緒不安定の原因」にならないようにしたいと思うなど。人間が原因ならば、いくら薬を飲んだところで原因の人間が消えるか変わるかしない限り治ることはないのだと、私は経験したので大いに理解することができる。

孤独とは慰められるべきものである 悲哀の孤独は特にそう お遍路も一人で動いているようで「同行二人」 ひとりじゃないよ みんなの党(??)

絶体絶命を真に味わった者でなければ一家心中の心境は到底理解できない、神仏を蔑ろにできる人間はそれだけ幸せに生きてきた証拠と云うが、いかがなものか……?

決まりきった生活が退屈だというのはわからなくもないが、そのほうが精神には良いのかもしれない。脳を休ませるためには少々「何かを決める」ことを控えるべきだ。刺激を求めるのは落ち着いてからでいい。

やはりスマートフォンは人間を駄目にする。国の治安も駄目にする。キレる若者製造機とでも云っておこうか。15年前に戻って考えても、今のほうが日本の治安が悪いとは云い切れないが、今の若者は何かあるとすぐに人を殺すように思えて仕方がない。安直すぎる。皆ガラケーにもどれ!冷静さをとれもろす!!(突然の安倍晋三?)AIはカウンセラーではない!!

20250628 思索メモ

◎死んだ人間の質量は生体よりもわずかに軽くなると云うが

その減量とは数百グラムであり、一部の人間はそれが魂の重さだと論じている。云わんとすることは分かる。だが、私にはどうしてもこじつけのようにしか思えない。人間の魂がそんな軽いものであってたまるか。おそらく、これは理論で説明できるようなものでは絶対にないと感じている。Null氏に云わせると、「人間の生命とは軽くも重くもなく、儚い」のだ。そこに理論など存在しない。存在するほうがおかしいのだ。

◎「スマホ脳」という新書が流行したが

「ゲームばかりやっていると馬鹿になるぞ」と子供に云う親が居り、「ゲームは一日一時間」という言葉が流行もしたが、「スマホばかり見ていると馬鹿になるぞ」と子供に云う親はあまり居ない気がする。何故だろうか?

→すでにその親はスマホによって馬鹿になっているので、子供が馬鹿になろうとに気にならないから。

おわり

(解説:人間は、自分が嗜まないものはその意義を理解できないので否定したがるものだ。酒にしろ煙草にしろそういうところがある。漫画がアホの読み物とされていたのももはや昔の話だ。スマートフォンは当然大人も持っており、ほとんどの人間はそれがないと生きていけないように脳が退化してしまった故、このような現象が起こってしまうのである。)

20250625-02 夢を売る仕事

この国には夢を売る仕事もいくらか必要だと思う。テキ屋もその一つ、競馬もその一つ。だが人はその夢に依存しすぎてはならないことを知らねばならない。光り輝くパチンコ店を見てふと思う。そして最近「アイドルを含む芸能界も夢を売る仕事の一つ」だと改めて感じさせる出来事があった。

芸能人の不祥事によって色々なものに影響が出る、というのを最近多く見る気がする。芸能人も人間だ。表舞台で見せている輝きは、必ずしも舞台裏でも同じように輝いているとは限らない。アンドロイドがアイドルをやらない限り、聖人君子な芸能人(そもそもアンドロイドは機械なので「人」という表現も不適切)はこの世に存在しない。しかし、「夢を売る仕事をしている」という自覚があるのならば、極力その夢を買っている人間の夢を壊さないような行動を心がける必要がある。

夢を壊さないように生きることが必要だとしても、芸能人は人間である故に、人間的な私生活として結婚や家庭を持つことは当然許されるべきである。それに対して買う側の人間がアレコレ云うのは流石にどうかと思う。例えば、アイドルが結婚したと報道された途端、そのアイドルのグッズをゴミ同然に扱う人間は「自分がそれを好きだった頃」すらも壊しているので、アイドルのことも傷つけ、間接的に自分のことも傷つけているように思えるが、私の推測は間違っているだろうか。

人間的な生活はいかなる人にも許されるべきである。国の法律や所属する団体の規律に反することはしてはいけない、ただそれだけである。人が人らしく生きることを第三者が邪魔する事は、果たして誰が得をするのだろうか。公序良俗という言葉も非常に曖昧だが、最低限の倫理観を身に着けていれば、人に迷惑をかけることはしてはいけないのだと分かるはずである。

夢を抱くことは悪いことではない。だが、夢を見すぎるのも考えものだ。夢に依存しすぎるあまり、いざそれが壊れた時に苦しくなっては本末転倒だ。何事も過信しすぎず、程々に生きていきたいものである。

20250625-01 発狂メモ

※前半は「仕事やめたい」、後半は「仕事やめた」の殴り書き。前半めちゃくちゃに病んでいる。

真面目に生きてきたことに対する正当な報いを今私は受けているのか 希望とは何だ 夢とは何だ このまま適切な扱いをされぬまま私はくたばるのか

幸せとは何だ 生きているだけで丸儲けなのか ここまで傷だらけで血を吐いて斃れそうでもなお生きていることが幸せなのか 早くこの生地獄を終らせたい その終らせ方が東海道線を止めることしかないとは思いたくない 治りかけの傷をえぐるように広げられるほどの苦しみを私はいつまで味わえば良いのか 早く楽にさせてくれ 早く終らせてくれ もう何も見たくないし聞きたくもない 私は人から殴られるために生れたのか 幸せになること 人並みの幸せを手に入れることも許されないのか 一欠片の希望すらも粉々に砕かれてもなお生きていればそれが幸せなのか 誰か教えてくれ 幸せとは何たるかを

(後略)

ぐしゃぐしゃと書き殴っていた。ただ今は「つらかっただろう」という感想しか出ない。今の私には仕事から離れた休息が必要。東海道線をとめるくらい苦しくなる前に逃げたほうが良い。

今日は何曜日だろう。水曜日かもしれない。別に何曜日だっていい。

今は生きているだけでいい。又そのうち元気になって這い上がれるのだと、私は信じているから。

 

20250606 文章量と精神状態

私が物を書く頻度というのは精神状態に反比例しているのかもしれない、ということを以前より思っていた。反比例というのは、私は精神状態が悪くなると格段に文章量が多くなるということがそれである。ノートに思いを書き殴るなどするのは、決まって精神が不安定な時である。

繰り返しになるが、かつて私はSNSを溺れるように使用していた。TwitterからInstagram、誰も見る人は居ないのにも関わらずFacebookやTumblr、今はサービス終了した泡沫の何某か、主要なものは全て使ってきたと云っても過言ではないと思う。私がそこで何をするかと云うと、思いのままに自分の気分を吐き出していたのだ。Twitterの投稿は140文字では足りなかった。Instagramの不可解な写真をつけたストーリーが大量に投稿される時は、私が精神を病んでいる時の明確な兆候だった。ただ、それを人に見せつければ当然少しは反応が返ってくる。大丈夫か。やめてくれ。勝手に独りで病んで居ろ。私はそのような反応が欲しいわけではなかったが、全世界に自分の精神の病んだ様を公開していたのだ。今の私にはその行為に意味があったとはとても思えない。

私は自分が病んでいる時に誰かからその感情を認めてほしいと云うよりも、解決方法を一緒になって考えてほしいと思う人間である。一般的に――かどうかは分からないが――SNSは承認欲求を満たすものだとされており、私は以前も述べた通りSNSを一種の「出会い系」として利用していた。インターネットにおいて薄っぺらな関係を作りたいわけではなく、深いつながりを得られそうな人間とのファーストコンタクトの手段として利用していた。当然周囲はそんなことを分かるはずもない。私が病んだところで周りは困るだけであり、当然親身になってその解決方法を考える「友達」は居なかった。

「勝手に独りで病んで居ろ」とは至言だった。そんな精神の病みを不特定多数が容易に見られるところに吐き出すのは、繁華街の中心で吐瀉物を撒き散らしているのと同じだ。そんなことで誰が幸せになるのか。誰も幸せにならない。SNSを間違った使い方で利用して人を困らせていた私はSNSをやめて正解だったと思う。今こうしてURLを知る者しか訪れないようなサイトを使って思いを吐き出している事のほうが、私にとっては健全だったのだろう。

話題が大幅に逸脱してしまった。今私はこのサイトや誰にも見せることのないノートを使って自分の思いを綴っている。誰かに見てもらわねばならない、ではなく、誰かが見てくれたら嬉しい気持ちになるかもしれない、という思いで物を書いている。思索のノートは大概錯乱した時に記述が増え、それは冷静になってから見ると明らかに「頭のおかしい何かの羅列」である。だが、そうやって病んだ時でも、と云うより病んだ時こそ大量に物を書き残して読み返せるようにしているだけ、私はその病みを未来に残してそこから何かを学ぼうとしているのかもしれない。精神の錯乱は迷惑のかからないように処理したいものである。

20250601 覚書【隼人の楯】

※完全なる個人的な備忘録である。メモの大元となる閲覧論文はリンク参照。

隼人の楯「渦を書く逆S字の文様」

蔓草のモチーフ?それ自体は独自のものではない

楯とは様々な分類が可能

大儀における楯と槍の所持は服属の意である

馬毛を上部に編み、赤白土墨の鈎型を印す 大儀における楯 8世紀初頭?

ヒノキ製 横54×縦151×厚さ30(単位cm、尺貫法をメートル法に換算)

鋸歯(辟邪)・渦(破魔)文様→国内では古墳時代に一般的とされた

破魔と権力の巻貝腕輪(〜弥生中期、九州北部)⇒それを引継ぐように巴文様が伝承

源流はイモガイか?

⇒大元は存在しつつも、独自に創作されたものが強い?

隼人の装束

呪術の清浄さを保持していたのが儀仗たる隼人の楯であった

20250531 関西人の精神力

私は愛知県に生まれ愛知県で育った人間ではあるが、何かと関西地方に縁が深い。日本列島をあちこち飛び回っていて、一番行き来をしたのは間違いなく関西地方である。その地において数々の人々と交流をしてきた私から云わせれば、関西人は基本的に皆優しい。

「京都人は嫌味ばかり云う」という話は有名である。確かにもう少し物を云うにも表現方法を考えられないのか、と思うときも無いわけではない。だが、それだけで京都人をむやみに嫌うのは間違っていると私は思う。京都人とは「上品でおしとやかである」ことを求められている。それ故、物を云うにもはっきりと云うことは控え、オブラートに包もうとする。そのオブラートの包み方が京都人は独特なのだ。その結果、「京都人は嫌味ばかり云う」という評価につながっているのだと思う。京都人は上品さを保ちたいが故不器用になってしまっているのだと、私は思っている。

繰り返すが、関西人は皆優しい。基本的には人を大切にする人間ばかりだ。新参者を拒むことなく受け入れようとし、仲間となれば和気あいあいと楽しませてくれるような、そんな人々だ。私が愛知に長らく住んでいるおかげで麻痺してしまっていたが、愛知県民は非常に冷たい。新参者が来ることを、あまり良いことだとは思っていない。自発的に新参がこちらの仲間に入ろうとせねば、無言で拒む。特に三河にはその傾向が非常に強い。酷ければ新参者のことを「ヨソモノ」と陰で呼び、腫れ物扱いをし始める。関東の人間(主に都心部の人間)はそもそも新参者が来たことに気づかないので論外である。

大阪は西成に「あいりん地区」という場所がある。私はその地で朝から煙草をふかし缶チューハイを飲み干す中年男性を見たことがあり、そのような要素からか大阪メトロの動物園前駅周辺は何故か俗に「決して近づいてはいけない場所」だとされている。個人的に、それはその地区を正しく理解していない故の歪んだ解釈かと思う。この場所は確かに人の「居場所」なのだ。社会から一方的で不本意に弾き飛ばされた者が格安の宿や食料品店に心身を寄せて生きていく、最後の砦とも云える「居場所」なのだ。そうだと云うのに「危険な場所」として腫れ物扱いする人間が居る。その場所で生活をする人間は確かに居るのだから、「無用ならば寄らない、自分に必要が有れば立ち寄る」という云い方をすればいいと云うのに、その地に生活する人間のことも考えず「近づくな」と警戒する。それこそ「ヨソモノ」の発想ではなかろうか。

東京には「歌舞伎町」という場所がある。私はその地に足を踏み入れたことはない。だが、聞く限りは「一見するときらびやかな夜の街」だという印象が強い。派手なネオン。着飾った水商売の男女。それはその地の「暗い影」を無理やり隠すためのハリボテであり、ハリボテの裏は間違いなく阿鼻叫喚の光景が広がっている。日が昇ってからその地を歩いたことのある知人から聞いた話だが、不意に視界に入った路地裏には、「無造作に投げられた敷き布団のような何か」が転がっていたという。

関西人は皆優しい。一人ひとりがそれを普段から強く意識しているわけではないが、「誰のことも見捨てない」という温かい人情が精神の根底にはあるような気がしている。大阪名物のたこ焼きが関西人の「強さ」を象徴するのならば、明石名物の明石焼き(地元では「玉子焼き」と呼ぶ)は関西人の「優しさ」を象徴しているのではなかろうか、と私は「出汁に浸して蛸が中から飛び出し、完全に原型が崩壊した明石焼き」を口に入れた時の心身の暖かさと多幸感を共に思うのだった。

20250526 哀れな軍人にお恵みを

手紙を最近多く書くので、書店の文具コーナーで便箋をまとめ買いした。いずれもサンプル品などで在庫処分となったものだ。

私が見切り品を好む理由というのは安いからというのも当然あるが、ずらりと並んだまだ使えるはずの商品に対して「価値を見出されずこのまま売れ残って捨てられていくだけの人生」を送るのではないかという自分に照らし合わせてしまうからというのが強い。

食品の見切り品に対してはますますその気持ちが強い。ファミリーマートのパンなどに「たすけてください」というおにぎりが涙目で訴えている見切り品シールが使われるようになったが、助けを求めたところで救われないおにぎりも数多く存在する。物があるということ、食事を食べられることが「当たり前」と捉えている人間がこの世にはあまりにも多すぎる。

このファミリーマートの見切り品シールについてだが、個人的には従来どおりの「エコ割 50円引き」というシールのほうが好きだった。無機質だと云うのが逆に良かった。おにぎりが涙目で訴えるのと見ていると、無駄に感情移入して自分まで泣きそうになる。

私ほど感受性が高い人間はこの日本にそう多くはない。それ故その見切り品シールすらも無視して日付の遅い賞味期限の食品を選んで購入する人間もいるのだと思う。私はそのおにぎりの泣いているシールが「エコ割」の無機質なシールだとしても、進んで見切り品を購入する癖がある。「金持ちは見切り品コーナーを見ない故に無駄な買い物が少ない」という論をどこかで見たことがあるが、それは何に関しても困ったことがない故の行動であり、私のように明日の衣食住すら不安になる人種からしたら愚かな行為に思えて仕方がない。物を捨てることに対して何ら抵抗もない人種の気持ちは、私には一生理解することができないだろう。富と権力を手に入れた人間の性格の歪み具合を、私は過去に幾つ間近で見てきただろうか。もう思い出そうにも思い出せない。

ちなみに、ファミリーマートの見切り品シールが「泣くおにぎり」に変更されたのはつい最近のことであり、食品ロスが止まらないことからの変更だったという。私はこれを非常に愚かだと感じてしまうところがある。物を云わぬはずのおにぎりが涙を流さねば食品を救おうと思わない人間、例えおにぎりが泣いているところを見かけたとしても、見なかったふりをする人間の愚かさに強く憤る私なのだった。

私は昔から食べ物を粗末にする輩が大嫌いだった。感情的な好き嫌いで給食を残す奴や、給食の残飯を鍋に楽しそうに突っ込んでいく奴らを、小学生の頃より心の底から強く軽蔑していた。その証拠に、私は「胃腸の調子が悪い」ということでエビフライを人に譲った以外は給食を一回も残したことがない。私は飲食店で「食べきれない」と云って簡単に食事を残すやつも大嫌いである。

以前働いていた職場で仲が良かった同僚の部屋でお互いに色々持ち寄って飲み会を開いた時、同僚は宅配ピザを頼み、付け合せでフライドポテトも頼んだ。私は「そんな大げさなものは要らない、あるもので済ませてくれ」と云ったが、同僚は「冷蔵庫には何もない、いつも食べたくなったら宅配で頼んでいる」と返してきた。私は「無駄に金のかかることをする奴だ、料理もまともにできないのか」と少し不満を抱いた。

30分ほどで宅配の業者は食事を部屋まで持ってきた。ピザは二人で完食できたがフライドポテトは夜には重たすぎて食べきれず、朝までそれは残っていた。朝食として食べようと思い、私がそれに手を付けようとすると、「こんなもの、いいから」と云って半分くらい中身の入ったポテトの箱をゴミ箱に突っ込む同僚。「温めれば食えたものを、お前も食に困ったことがない『金持ち』なのだな」と言葉を吐きそうになったが、そこで空気を悪くするのも良くなかったので、何も云わないことにした。

私は炊飯器の釜にごはん粒が残っていると、ひと粒ひと粒指でつまんで食べてからでないと釜を洗えない。米粒の一つには七人の神が宿っており、米のひと粒を捨てることは、七人の神を捨てることにつながる。私はそう教えられて育った人間だ。貧乏くさいと云われようが私は私である。私はそれが普通だと思って今まで生きてきたので、これからもそれを普通として生きていこうと思っている。

20250518 ソーシャルメディアの使い方

私は今まで「SNSやめるやめる詐欺」を無数に繰り返してきた。だが昨今の出来事によって、もうそのようなふざけた真似はしなくていい理由と、そのようなふざけた真似を繰り返してきた理由が共に分かった。以下にその概要と思いを綴ることにする。

私はSNSを一種の「(恋愛感情は無関係の)出会い系」だと思っている節がある。気の合いそうな人をネット上で探し、まずはネット上でやり取りをしてみることとする。そこでウマが合いそうならLINEなどの個人的な連絡先を交換し、そこでお互いに「会ってみたい」という意思が確認できれば、いわゆる「オフ会」という名目で実際に会い、その後もやり取りを続けたいときは、SNSからは消えた(相手には強要しない)上で文通をする、という使い方を大学生の頃からしていた。それによって高速バスで東京まで行ったことも実際にある。以前この場所において名前を挙げたmixi2も例外ではなかった。そして今、私はmixi2において唯一無二の最愛の人であるNull氏と出会い、mixi2からは消えた上でやり取りをしている。

これによって私は色々な人間関係を築き壊してきたが、今回の出会いは絶対に死んでも離したくないと思っている。「出会い系」は出会いが成就した後は不要なので、当然退会する。今の私にSNSをやる意味が一切ないと云っているのは、それと全く同じ理論である。もう戻る必要がないので戻らないし、新たなSNSがサービスを開始しても一切見向きもしないが、mixi2には感謝してもしきれない。

あの時東京まで行って会ったN氏は、私の異常さについていけず向こうから脱落したが、今でもたまに気にかかる。R・D・レインやドゥルーズ=ガタリの本を今でも読んでいるのだろうか。不本意で就職した携帯電話販売店の仕事はうまくいっているのだろうか。今の私にはその情報を知る術など一切存在しない。話せるものならば声だけでも聞きたいと思っているが、きっと叶わぬことだろう。

北関東で理工学の院生をやっていたT氏は、私が「苦手だが好きなのは変わらない」と話した物理の参考書をたくさん贈ってくれた。文通にて思いを伝え合うほどの相思相愛となったが、会えぬまま消息を絶った。あの手紙は今でも保管してもらえているのだろうか。どこかで顔だけでも見られないだろうかと思って、今でも人混みの中で似たような顔を見かけると、少しばかり動揺しては瞬時に我に返るを繰り返している。

mixi2にてほぼ自分の所在を明かさなかった私とNull氏が偶然物理的に距離が近く、かつここまでの関係になれたというのは、何かがうまい具合に仕組まれていたものではないかと今では思う。寂しさからmixi2を始めていることがなければ私はNull氏には一生出会わなかったのだろうかと思うと、首を吊りたい程の苦痛に遭ったがすべてのことは無駄ではなかったと強く感じる。

そう、私はSNSの使い方が非常に特殊なのだ。薄い関係などいらない。「お前しか見たくない」と思える程溺愛できる人間と出会いたい。ただそれだけの思いでSNSを使っていた。それ故「出会い」が成就しないうちは「SNSやめるやめる詐欺」をやめられなかったのだ。

今私はその詐欺行為から足を洗うことを強く決意した。もう人を欺くような真似はしないと決めた私であるから。

20250512 評価されなかった天才

20231226付の文書「理解者なき秀才か、落ちぶれた狂人か」にて同様のことを述べたが、最近の周囲の人間による私に対する評価から改めて同じことを思った故、再び類似の文書を掲載する。

自惚れだと思われるだろうが、やはり私は「天才」なのだ。同世代の人間の中でも、並外れて頭が良すぎるのだ。なぜ私が自惚れと分かっていながらこのようなことを思うかは、前回話題に上げたNull氏がそれを明確に証明してくれた。

前回執筆した文書は、有難くもNull氏がmixi2上で紹介してくれた。我々の演じていた「茶番劇」を「真の日常」として追いかけていた人間に対する説明も込めて、「私達が恋していた人間の正体」として、私の文章を紹介してくれた。だが、それに対する周囲の反応はほぼ皆無であった。

何度もアカウントを作り直して復活しては消える、を繰り返していた我々だったが、それでも継続して我々を追いかける人間は少なくなかった。Null氏に至っては、私とは比べ物にならないほどの「インターネットの繋がり」があり、Null氏の投稿からも私が演じていた「小田島・守田」の存在は明確に分かった。Null氏の演じた男女の役と、私の演じた「小田島・守田」の間で起こった恋愛関係を応援する人間も確かに存在した。それがありながら、我々の総括に食いついて賛否問わず反応を表す人間は一切いなかった。

繰り返すが、私は頭が良すぎるのだ。

かつて私は「私は天才ではない、ただお前らが大したことないだけ」という煽りにも程がある画像をもって自らの平凡さを表明したことがあるが、それは間違っていた。私は天才であり、周りの人間が凡人なのだ。でなければ、私の文章に対して「我々に少なからず興味を持っている」のにも関わらず一切の反応を返さないことはありえない。私のような年代の若者は通常、このような小難しいことは大嫌いなのだ。Null氏の拡散能力を持ってしても一切の反応が返ってこないその状況から、強く確信を持った。非常に悲しい気持ちになった。私はやはり異端者なのだと。私のことを理解するどころか、興味を持って自分の創作物を見てくれる人間など、ほとんど存在しないのだと。

だとしても、私は故意に「普通の20代女性」を演じることは絶対にしない、というより、確実にできない。嘘で塗り固められた「私」を演じることはもうやめると、Null氏と約束したこともある。そもそも私はそんな「きらびやかな20代女性」を演じることは感情的にも不可能であり、「政治宗教野球の三拍子を語る地雷系ジジイ」を演じて一切疑われなかった私では、「若い女性」を演じたところで即座にボロが出るに決まっている。

私はありのままを偽らず、私として生きていけばいいのだ。たとえ評価する人間が少なかろうとも、そのままの私を評価されることが、最上の幸せなのだ。

真の幸せとは、苦難を乗り越えた先に見えている。「天才は虐げられる運命にあり、その虐げを乗り越えられたものこそが、真の天才と呼ばれる」と、私は強く信じているのだ。

20250511 「小田島・守田」の総括

私は今まで「小田島常陽」「守田克己」の名前を持って様々な場所で執筆活動などをしていた。 今回それを「不慮の事故」にて停止することとなったが、私が今まで行いたかったことは何だったのかを、今回の事故の被害者であったNull氏と話していた。この文章はそのやり取りを再構成したものである。

私はどうしても「マブチモーター事件」の小田島鐵男と守田克実の魂を癒やしたかった。 小田島はとある週刊誌の出版社の力を借り「死刑囚獄中ブログ」と題したブログにおいて、死刑囚となった自分がどのような環境に置かれ、どんな気持ちを抱いて処刑の日を待っているのかを事細かに述べていた。

下衆な話をする。肉体は20代の女性のそれである私が「小田島常陽」という50代半ばの男性を演じていた時に発した言葉に、「ジジイの魂が美少女の身体に宿ってナニをアレする」という非常に気持ちの悪いものがある。 正直なところ、私は個人的に思いを一方的に寄せていたというのもあり、小田島鐵男・守田克実の二人に限れば自由に自分の身体をアレして頂いても構わないし、むしろそれで彼らの心が癒やされるのならば、自ら望んで小田島・守田に身体を捧げたいとすら思っていた。 小田島ブログを読んでいると、最期だけでも「いい夢」が見たいというのが露骨に現れているのが見えて、涙が止まらないからである。

確かに私はあの時「2人の中高年男性の役」を演じていた。だが、私は演技でもなんでもなく、冗談抜きで二人の魂を癒やしたかった。あの2人の遺したものを見ているとあまりにもつらいのだ。

かつて私は桐島聡が逃亡生活の末斃れた時、自己満足と云われればそれまでだが、当時所属していた寺院にて「弔いの儀式」をした。 桐島聡に対して日蓮正宗として塔婆を立てて「供養」をしたのも、正直あんまりいい顔をされなかったが、誰の力も借りず独りで逃げ続けたあの桐島が非常につらかっただろうという思いからなのだ。

そう。私はかつてこういう事をした。小田島守田でもこのような弔いの儀式をやりたかった。だが、菩提寺からは全くの別件で事件を起こした末、「手に負えない」として明確に私の存在を拒まれた。 その経験の有無に関わらず、「正しく人を弔う、故人の魂を癒やす、とは何なのだろう」という思いから、伝統宗教をはじめ、俗に「カルト」と呼ばれるような危険な宗教までありとあらゆる場所を巡った。だが、私はその真理を今に至るまで見つけることができていない。

以前から何度も云っていることではあるが、私の行動はおそらく何も訳を知らない人からは非常に不謹慎だと云われる。だが、ここまで明確に理由を聞いて、「我々」と密に関わってきたNull氏は、むしろ賛同して一緒に行動したいと思い始めていた。 Null氏はかつて私に「その行動は非常に不謹慎ではないか」「価値観の押しつけをするのはやめてくれ」「人を洗脳するような真似はするな」と云う旨のことを云った。しかし、Null氏は私と半年近くやり取りしているうちに、徐々に私の価値観に染まってきたらしい。Null氏は「一種の洗脳だ」とも云っていたが、自分から望んで「洗脳」されに行ったように思えなくもない。結果として我々の仲はここまで深くなったのだから、終わりよければ全てよし、とでも云っておこうか。

私は今まで、「小田島役」を主として活動してきたが、正直小田島よりも守田の方が私は気がかりである。 小田島は前述のように週刊誌の出版社の社長まで出てきて面会をする人間が居たが、確実に守田は同じ環境には置かれなかった。 小田島ブログを読むくらいしか守田については情報がないが、守田は2013年の時点で精神を病み始め、収容される人間の中でも特殊な処遇を受けていたという。そこから11年経った去年の9月に病気で斃れた。 とても寂しかっただろう。とても苦しかっただろう。最期だけでも良い夢が見たかっただろう。昨年の9月に守田の死のニュースを耳にした私は、そんな事を思いながら非常に辛い気持ちになった。守田が本当に寂しかったのかどうかは、私など知る由もない。私が勝手に辛くなっていると云われたらそれまでだろう。「死人に口なし」である。 ただ、我々が小田島・守田の両氏を「忘れない」ということだけでも、心に生きていると思い続けるだけでも、守田は「独りではない」と思う。

私が一方的に連絡を絶った人間に、ふと数年ぶりに会いたくなって連絡をとって会った時、その人が始めに云った言葉。「元気にしていたか、心配していたのだよ」。この人は目の前の人間に何も云わず絶縁されたというのに、私のことをずっと思ってくれていた。涙が止まらなかった。 一方、守田の父は最初の殺人事件の時点で守田と「絶縁」していたようだが、ここまで事態が大きくなった時、「骨になったら帰ってこい」と守田に云った。やはり、心配していたのだと。

そして「小田島さん、一緒に処刑台に上がりましょう」と守田は小田島に伝えて別れた。それが永遠の別れであり、最期の約束は果たされなかった。これほどまでの悲哀を私は他に知らない。 守田の7歳上だった小田島、もとい畠山。奇しくも彼の7年後に同い歳で守田は逝った。 「どうすればよかったか」、と私は今でも夜空に輝く2つの星を見つめながら思う。

20250510 そこに「私」は居なかった

私は自己紹介にも書いた通り、「ありとあらゆる名前や顔を駆使して生き延びてきた」人間である。ここに文章を載せていた小田島・守田の二人の姿も、私が駆使した名前と顔の組み合わせの一つにすぎず、それを使う明確な理由はあったが、全くの赤の他人のものである。このサイトに掲載された文章は、今この文章を考えている私がその全てを書いていたが、内容ごとに分類して筆名を分け、その執筆者の姿も完全に偽り、「私ではない誰か」が執筆しているということにしていた。インターネットで匿名を使うというのは比較的当然の行為ではあり、その容姿や人格すらも私は偽りのものを使ってきたが、それすらもインターネット上では容易かつ当然として行われるような行為だった。

インターネットにおいて自分を偽るという行為は精神衛生以外の理由でも非常に大切であるが、偽った自分がそのままの姿で実社会に生きていると思われることがあまりにも多すぎた故、「自分が仮面をつけた姿」と「自分が何もつけていない姿」がどれだけ乖離を極めていたとしても、安易に外せなくなってしまった。私はいつしか、「仮面を外したそのままの姿、それが無理でもそのままの姿とほとんど変わらないそれの状態で自分を愛してほしい」と考えるようになったのだ。

私は小田島・守田の名を使う以前より、自分の文章を内容ごとに分類して、それぞれの分類に人物名をつけ、あたかもその人物名の人間が書いているかのように仕立て上げていたが、それはただの一人二役を演じているだけで、それぞれが全くの別人のそれとして仕立て上げられてはいなかった。だとしても私はそれを「架空ながら自分に友達ができたようで楽しい」として、是であるとして続けていた。

しかし、この行為は私の解釈では単なる「一人二役」であったが、あえて別の解釈をするならば「多重人格ごっこ」とも取ることが可能であり、そう解釈したとしたら、単刀直入に云ってこの行為はまさしく「詐病」だった。私が精神を病んでいるのは事実であり、医者の認める解離症状があるのも確かだが、「解離性同一性障害」などという診断名が付いたことは一切ない。この「人によって解釈が分断されるような自己中心的なお遊び」によって私はどれだけの人間を惑わせて不快にさせてきたか。

もうやめにしよう。もう今の私にはそのようなことをする理由がない。架空の友達や恋人など作らずとも、私には「持ち合わせた真の姿」で、私の「生まれながらの真の姿」を愛してくれる大切な人、いや、私の「真の姿」を愛したいと長らく待ち望んでいた人が存在するのだから、それで十分なのだ。

ここに並んでいた一対の御神酒徳利はいずれ粉々に砕けるだろうが、大切な人に「やはり真の姿を愛したい」と思われた時点で木っ端微塵に砕けるべきだったのだ。だが、私はあえてこの私が使ってきた小田島・守田の名前の存在は何らかの形でこの場所に残しておくことにする。それは唯一無二の大切な人となった彼女との出会いのきっかけであり、何度も壊れてしまいそうになった彼女との関係をつなぎとめた、強力なお守りだったのだから。

死なば諸共、一蓮托生、我々は御神酒徳利――。

20250506-02 喪失感の昇華

以前よく通っていた喫茶店に久しぶりに行こうとした。もう5ヵ月も店主の顔を見ていない。色々な話をしようと思い、懐かしさと楽しみな気持ちを胸にバスを降りた。

思い出の場所は、また一つ消えてなくなっていた。いつまでもあるとばかり思っていた。愕然とした。

あの日。去年の11月の終わり頃だったか。それが最後だった。あの時はそれが最後だとは夢にも思わなかった。今の私には、それがいつ消えたかを知る術などもはやない。私の楽しかった思い出の場所が、また一つこの世から消えた。

動揺を隠せぬ私だったが、自暴自棄になってどこか遠くへ遁走せずに居られるまで、自分を制御できてあの時は本当に良かったと思う。いつまでも逃げていてはいけない。もう逃げていてはいけない。これでいい。帰路について家で食事をとる、それが今私の一番のやるべきことだった。

つらいことに直面した時、むやみに逃げていては癖になってしまう。そんなことをしていて許される時ばかりではない。現実を見る覚悟も、時には必要なのだ。

「始まったものは必ずいつか終わる」。そう主張して譲らなかったのは相棒だった。そんな相棒と共に生きる私がこんなことでいちいち動揺していては、「おい、守田ァ!」と怒鳴られてしまう。前を向かなければならない。私のあの喫茶での思い出は、心の中にいつまでも残っているのだから。

20250506-01 それぞれの居場所

交流施設で自習をする集団を眺めるゴールデンウィーク最終日。「勉強なら家でもできるではないか」、という言葉が出かかって止まる。

人はだれしも居場所を求めている。かくいう私もこの雑記を「交流施設」において黙々と書いており、人との交流らしい交流は一切ない。それこそ「家で書け」と云われても無理はない。快かどうかはさておいて、私にとってもこの交流施設が一種の居場所なのだと思う。家以外、学校以外、職場以外に自分の居られる場所が、あの黙々と勉強をする高校生らにも、新聞を黙って読む中高年男性にも、必要なのだろう。

私は図書館にて勉強する、すなわち図書館を「自習室」として利用することに対して非常に否定的感情を抱いており、微塵の理解も示せない。だが、この「交流施設」が「自由に使っていい」とされているところに、自習をやめさせるような権利は私に一切ない。彼らが自習をできる居場所というのがこの「交流施設」なのだから、その居場所をむやみに奪うことは許されないし、奪うに値する正当性のある理由もない。

自分にとって不快な場所であるのならば、自らが出ていけばいい。そういう時に自分を隔離しておきたいのならば、一人で音楽でも聴いて黙々と作業に取り掛かればいい。もはや何が「交流施設」なのか、と思わないでもないが、それが許される場所なのだから規則さえ守れば自由ではないか。

そう思っていたら女性二人組が近くで弁当を食し始めた。そう、この場所は皆の居場所だ。規則はあるが自由に過ごすことが許される。この場所が不快だというのならば、それは自分にとってふさわしい「居場所」ではなかっただけのことだろう。

私にとってはこの場所を離れずして喫煙が許されるような個室が用意されていれば何も文句はないのだが、それが実現する日はここで中高生が自習をしている限りは絶対に来ない、と思うのであった……。

20250502 古びた野球カードに見た希望

私は元来より「何に使うか分からない」とされるようないわゆる「ガラクタ」を集めるのが好きである。一昔前は部屋中に中国の雑貨、正直質が良いとは全く云うことができないような「何かに使えるのだろうが使われていない」何かが大量に転がっていた。収納場所の関係上かなりの量を処分してしまったが、それでもあの集まりに囲まれながら生活するのはとても楽しいものだった。

覚えている人もいるだろうが、私は「ミニマリズム」を極めようと思ったことがあった。蒐集していてもきりがない。そんなしょうもないものを集めているよりも、わたしにはもっとすることがある、そう思って集めた小物の全てを捨てようともした。だが、私にその「自分の楽しさを生むこまごまとした小物」を捨て去ることはできなかった。

この文章を書いている今、私は絶賛求職中である。それこそ「何んでもやります、近藤産興」と云わんばかりに仕事を求めている。求めてもなかなか手に入らない職。生きれば生きるほど失われていく金銭。私には生きる価値がないのかとすら思い、すべてを破壊し尽くしてから絶命したいという衝動にすら襲われていた。そんな私の衝動は、とあるレトロ雑貨店の存在によってきれいさっぱり消え去ることとなった。

今まで歩いて通り過ぎていた場所にシャッターを閉めて存在したその店。ある日通りがかると看板は「営業中」となっており、入り口の古いレコードジャケットの敷き詰められた壁に俄然興味をひかれた私は迷わず店内に入った。そこはまるで博物館のよう、ところせましに昭和や平成初期の古き良き名残を見つけられる物品がずらりと並んでいた。

ここは何なのだ。何故私は今までこのような場所を見つけられなかったのか。無我夢中になって私は(よりにもよって?)「1980年代のものが中心となった野球選手のカードの寄せ集め」を漁り始めた。素晴らしい。こんなものがたくさんある場所があったのか。カードを一枚一枚見ていく私は、間違いなく目を輝かせており、満面の笑みだったことだろう。

「そういうの、全く売れないんですよ。特に若い人とか見向きもしないんで」店主の男性は悲しそうに云う。今の若者はあまりにも情報にまみれており、娯楽も星の数ほど存在する。かつ、物を実存する物として持つよりも、データで入手できればそれで満足する。だからこのようなカードは需要がほとんどない。そのようなことを話してくれた。

1970年代の中日ドラゴンズのエナメルバッグを抱えて「これは絶対に買うぞ」と意気込み財布を取り出す男性客。のらくろのブリキのおもちゃを「すさまじい美品だ」と喜んで買っていった30代くらいの青年。私が喜んで集めたくなった野球カードも、彼らがこのように喜ぶ物品も、価値の分からない人にとっては「捨てるもの」でしかないのだと、寂しい思いにもなった。だが、それは裏を返せば「価値の分かる人には大金をはたいてでも入手したいほどの貴重品」であることの表れだった。

私は自分で云ってしまうが、自分のことを「極度の異端者」だと思っている。いわゆる「レールに沿って人生を生きている」人間では全くもってない。職歴については派遣の職を短期間で転々とし続けており、精神状態も医者が認める通り明らかに異常、「目立つような難がない」とはとても云えない人間である。某所で「ここまでの訳ありだと分かっていれば、まず会社は採用しない」と云われたのも、最初はカチンと来ていたが至言ではある。

だが、私がそんな「異端者」だとしても、「私に秘められた本当の価値」というものを見いだせる人間は確実にこの世に存在する。何としてでも私に存在する「潜在的価値」を生かしたいと、すくい上げようとする人間は、ごく少数ではあるが確実に存在する。私はまだ希望を捨てることなど考えていない。

「捨てる神あれば拾う神あり」、「希望は確実に存在する」。机上に飾られた阪神現役時代の岡田彰布の野球カードは、私にそう伝えているような気がした。

20250427 私はいかなる宗教の信者でもなかった

長らく我々のことを見ている人であればご存じだろうが、私は様々な宗教を渡り歩いてきた人間だ。伝統宗教をはじめとして、新興宗教、それこそいわゆる世間で「カルト」と呼ばれがちなものにまで触れてきた。私はこの「宗教ジプシー」と人に軽蔑される行為を15年近く行ってきたわけだが、その結論がようやく今になって明確になった。

私にとって、宗教を「信仰する」という行為は絶望的に向いていない。

初めに触れたキリスト教では、聖書に限らずとにかくありとあらゆる書籍を読み漁った。信仰書、聖書の抜粋の研究書、神学の専門書など、購入した本の冊数はもはや記憶にない。どこからどう見ても本の虫な私に、ある日若い信徒の一人が不思議そうに質問を投げかけてくる。

「なぜお前はそこまで本を読むのだ、俺は全く読んだことがないよ」

この言葉は老若男女問わず複数の信徒にかけられた経験のある言葉だが、むしろ新参者の私のほうがその質問に「なぜお前は一切そのような本を読まないのか」と返したくなるような気持ちになった。長らくの信徒であれば、そのような本をたくさん読んでいて当然ではないのか。そんなことを思いながら、私は「読書が好きなものなので」と濁した回答をした。

キリスト教から距離を置き、しばらく新興宗教を行ったり来たりしていた私は、幾度も不可解な信徒の言動に遭遇することになる。何かの集会などに誘われ、まず何か自分で書籍でも取り寄せて考えてから行くことを検討する、と受容も拒否もしないような発言をした時、決まって宗教者が発言する言葉がこれだった。

「まずはやってみなさい、そうすればわかるから。考えるな、感じろ」

私はその発言の意味が全く理解できなかった。この言葉に対しては、思わず「それが何なのか、自分の頭でよく理解していない人間をいきなり入信させるのか」と返したくなったのを何度もこらえている。そう返すことができなかった故、私は幾つもの宗教の「聖地」とされる場所へ足を運ぶことになったが、その地において私が「何か」を感じることは一度たりともなかった。

以上のことから分かることは、宗教者は「感情論」で動いており、私は極端な「理論」で動いていることだ。もうお気づきだと思うが、宗教は理論で信じるものではない。「なんとなくそこに居る概念」を信じることは、完全に感情の世界だ。

私は宗教を「感情によって信仰したい」というより、「理論的に研究したい」という人間だったのだ。

それこそ、右側から袋叩きにされるのも承知だが、何かの奇跡を起こしたわけでもなく、何かを説いたわけでもない「天皇」という存在がなぜ今日もあそこまで崇拝されているのか、非常に理解に苦しんでいる。天皇は初めから今に至るまで「人間」であり、神などではない。私には右側で盲信的に「天皇陛下万歳」と諸手を挙げて叫ぶ人々の気持ちは一切理解できない。

今の私は強いて云うのならば、仏教の概論をさらに詳しく知りたいと考えている。どの宗派というより、「仏教」そのものの理論を知りたいのだ。その理論が自分にうまく溶け込み、自らの指針として歩みたいと思ったのならば、私はその日から仏教徒と化す。だが、これはいわゆる宗教信者とは大きくかけ離れた図だろう。信者は理論など知らずとも、「それが唯一の真理であり、他は虚構」なのだから、ごちゃごちゃ云わずに信じればいいのだ。

それが私にはできないのだと、ようやく気付いてしまった。

私の「宗教ジプシー」行為はこれからも続くだろうが、今後は入手した書籍を読み漁り、仏教寺院を巡ることだけにとどめておくことにする。特別な何かを信じずとも、それによって私の心の安寧が保たれるのならば、それこそが仏の功徳ではないかと思う私は、歪んでいるのだろうか。

これ以上「考えるな、感じろ」を強要されるようなことは経験したくないのだ。

20250427-01 狂気メモ

◎何をもって正常とし、何をもって異常とするのか

自分の思う常識は他人の非常識である。「社会ではこれが普通」と言葉を吐く人間の云う「普通」とは、根強く発言者の思い込みが含まれている。「郷に入れば郷に従え」という言葉も存在するが、それに少しも適合できず不満を漏らす人間も人間であり、適合が完全ではないとして新しい人間を排除しようとする人間も人間である。

◎「若作り」とは悪なのか

まず何をもって若いとみなすのかが不明瞭である。その若いとみなす基準は人によって当然異なるものであり、そもそも若いからよいということばかりではない。その中でも「若作り」をする人間が存在するということは、マスメディアによる無限の洗脳も少なからず影響しており、「流行に乗らねばならない」という強迫観念を持つ人間が多いことの表れでもある。私はこれを実に愚かだと思う。

やはり人間は古来より「老い」を忌避し恐れている。生老病死の摂理とは避けられぬものであるが、人間はいかにしてそれから逃げるかを考えるのをやめられない。諦念の気持ちを持つのはなかなかに困難。身に降りかかる物事をすべて受容していれば人間の精神はたやすく破壊される。悟りを開かねばならない。

すべての物事には必ず逃げ道が用意されているのだと気づき、じっとその場で忍耐することも時には重要である。自らの力ではどうしても切り開けぬものも存在する。そのためにある概念こそが「諦念」ではなかろうか。

諦めることは何ら悪いことではない。それどころか、時には諦めたほうが豊かに生きられる時もあるのだ。

20250311 てんでんこ

あの日私は何をしていただろう。

荒波に揺れる船に乗った時のような、吐き気を催す気持ちの悪い地面の揺れ。ぶら下がるものは全てがぐらぐらと大きく揺れていた。当時私の脳はそれが何であるか判断を下すのに少し時間がかかった。机の下に隠れるまでどれだけ時間をかけただろうか。震源に近い海岸沿いに建物があったとしたら、その判断を下すまでの時間が災いして私は命を落としていたのかもしれない。

「東北で震度7です」。その言葉を聞いて周りは口々に「(ここが震源でなくて)良かった」とこぼす中、頭の中が真っ白になった。私の親戚の多くは、宮城にいた。

今の私であれば「南海トラフ地震ではないというのなら、大きな地震は起こっても良いというのか」と周囲に対して激怒していたことだろうが、あの日の私はその発言が出ないほど、思考回路が止まっていた。地震が起きたことすら、全く呑み込めていなかった。

あの日から14年が経過した。私はあれから何度宮城を訪れただろうか。

当たり前にあるものを逆らえないものに壊され、立ち直ろうとしていた時の悲劇。その苦しみや悲しみは私の想像をはるかに超えるものだろう。家や肉親を失った人々を見ていると、私の苦難は悩むことではないようにすら思えてしまう。

あの日私は何をしていただろう、それを思い返すとまたあの吐き気が身体によみがえってくる。だが、この日を忘れてはならない。今改めて覚えている、食欲を失うほどの吐き気に必ず意味はある。

20250308 難解な事柄に思考を巡らせすぎた

活字中毒者故の無意味な文字列(例:食品の原材料名、今は必要としていない医薬品の効能など)を追う癖がまた甦りつつ、最近はあまり手元にある本を読めていない。手元にある本を読みたくないというわけではないが、読めないのである。頭が働いていないとでも云おうか、今の私にはそれらの内容が難解かつ重たすぎるのである。

あまりに頭を使い過ぎたせいで、大げさな云い方をするが、今は絵本のような簡素な本でないと読める気がしていない。詩集でも良い。理論的に物事を考えるのに疲れてしまったのである。先月は「週に二冊ほどでよいから本を読む」などと目標を掲げて手帳にも大々的に記入したのだが、結局先月まともに読んだ本の冊数は一か月の間で二冊にとどまった。本の感想や要約なども書こうとしてノートを用意もしたのが、白紙のまま放置されて今に至る。

感情的に物事を考えるのは好きではない。人が感情的に発言したことに関しても、潜在的に何かしらの理論(それが利己的なものであったとしても理論は理論である)をもって発言されたものではないかと考える癖も存在している。お察しの通り、私は考え過ぎる傾向がある。「あまり深く物事を考えなくても良い」と頻繁に人から指摘されるのもそのおかげであろう。

私になると、考えたところで無駄な場合も多いのである。私は空気が読めない人間、というより、あえて空気を読まない人間である。私が空気を適切に読んだと思って行った行動は、大抵が「余計なお世話」「二度手間」であるとして無駄な行為に終わるのである。空気を適切に読むというのができていないというので、ある意味私は「空気が読めない人間」なのかもしれないが、最低限空気を読んでいればそれで良いと思うので、云われてもいないことを行動に移すようなことは控えるようにしている。「あの人はこういうことをしてほしいのだろう」ということにまで思考が回らない、というより、思考を回したところで行動は無駄足に終わることを経験しているので、公序良俗に反するような非常識な服装で出歩くことさえしなければ、それ以上の空気を読まなくても良いのではないか、などと思っている。

過去の人生経験から学びながら行動をする、ということがなかなかできずにいるが、過去の失敗から学ばなければ人間は成長しない。未知の難解な物事を考えているよりも、既知の人生経験を考えるほうが、私には今必要なのかもしれない。したがって、今の私にとって本を読んで世界を広げるという行為は、疲れているのならば無理に行う必要はないのであろう。焦らず体調を整えながら、頭が以前のように回る時になってから、本を読んでもよかろう。

20250224 喫茶つくばでまたお会いしましょう

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いつか私が自由を手に入れることができたならば、またここで会える人が居る

20250223 哀しき人は光を見た

私が宗教に足を突っ込み、自らの幸せを考え始めてからおおよそ15年ほどが経過した。 私がそこで考えたのは、様々な思いがあったが、結局「人生において大きな指針は必要だろう、しかしそれが何であるかを若くして決めるのは非常に困難」という結論が出た。 宗教二世という非常に大きな社会問題が存在する。彼らは生まれながらにそれを当然のように受け入れることを親に云われて、疑問を持ちつつもそれを常であるとして成長していく。私の家庭は一切そのようなものではなく、もはや日本の伝統宗教とも云われる神道ないし仏教の影響すらも全く受けずに生きてきた。 若き頃のある日、私は宗教について思うことがあった。日本人は何を人生の指針として生きていっているのか。教育勅語なき今、子供は何を手本として生きていくべきなのか。そういう思いの中、私は聖書を読んだ。難解なそれを理解することは容易いことではなく、教会に行って教えてもらいつつ、信仰とは何かを少しずつ学んだ。

様々な宗教を見てきたが、信仰とは神に全てを委ねるもの、と捉える宗教もあり、仏の存在がありつつもそれに尽くしながら、自らの手で人生を切り開いていく、という捉え方をする宗教もあった。 だが、私には神に全てを委ねることはできなかった。若き私には、人生の全てを神に捧げることなど、到底不可能であった。

今こうして私が奇跡的に誰にも殺められずに生きているのは、蓋し神のご加護のおかげであるような気もする。その神は何者か。今の私にはよくわかっていない。三位一体の唯一神であるような気もしつつ、八百万の神であるような気もしている。はたまた、仏の功徳なのかもしれない。

人間とは惑う生き物、指針があれどそれを見失って路頭に迷うこともある。今の私は迷える子羊、見失ったこの子羊は神に見つけてもらえるだろうか。改めて書籍にて聖書を読み返したら、過去に幾度も棄てた唯一神の気持ちも、理解できるような気がしている。

20250212 青空に書き残されたもの

私が曖昧になっていく記憶とともに携えていたのは、咳止めと栴檀製の念珠だった

現実世界における知人が自分の「精神的避難場所」を知っており、かつその場所を定期的に監視しているということが、私の精神状態における著しい負担になっているということに漸く気づけた。知人ならば、この世界の何処かで出会う前に、先に面会を拒絶しておけばよかろう。 以前もこの場所に私は座っていたが、当時も同様苦しむためにこの青い空の下に来たわけでは当然なかった。 知っている誰かが目の前で見ている場所では気兼ねなく慟哭できない。たまには誰もいない場所での流涕を許可してくれ。誰もいない場所で安らわせてくれ。 今回来たこの青い空の下が、私の精神の安寧を崩すようなことがない場所であることを願っている。

正常な判断力が喪失する程度の体調不良。危うく自らを荒々しく殺めてしまいそうだった。それを中断することが正しいことだったのかどうかも今の私には判断がつかない。

茶も煙草も何もかも味がしない。私の好物のはずである玉子焼きも、ただ「ふわふわとした球体状の何か」に「歯ごたえのあるゴム状の何か」が入った無味無臭の有機物と化してしまった。出汁はもはやぬるま湯である。そして頭部に重くのしかかるような何かの感覚である。

相変わらず何の味も感じられずにいる。非常に強いて云うのならば、甘みだけはぼんやり感じることができるので煙草は吸う。昼食に何も口に出来なかったことから何かは口に入れねばと思い、肉団子のスープを飲むことに成功した。ただし、何も味はしない。

このまま眠ろう、薬を飲んで溺れるように……

口に入れるものに味がするだけで人間はここまで幸せなのか。私は涙脆いから、こんな些細なことでも泣けてきてしまう。今日も元気だ煙草が旨い、珈琲も旨い。

私が売る気のない物書きを自称するのは、物を書いたところで第三者の編集が入り、あれこれいちゃもんをつけられ、最終的に100%が私の文章ではないものを出版されるのが嫌だからである。ただ、売る気もやる気もないとはいえ、本当に親しい人だけが読むような本、というより小冊子でも作りたいとは思っている。同人誌の類にはなるが、どこかで出版できないものか。そうだとしても、私は値をつけるほどの物を書ける訳では無いから、ほぼ無償で贈呈することにはなり、結果売る気もやる気もない物書きにはなってしまう。

20250125 とある自殺志願者の手記

13:10 小田島は無意味に「希望はある」などと云わないほうがいい気がしてきた。虚言にもほどがある。こんな社会に希望など無い。こんなことを云っている私がアホくさい。 守田が幸せになる一方で、私は穏やかな悲観主義に毒されてきた。

13:34 私が邪魔な存在であるとは最初から分かっていた。私の中の自分勝手な心が私を生きながらえさせてきた。もう誰かが私によって苦しめられているところなど見たくはない。守田の言葉を借りる。こうなったからには、もう。

13:39 生きていて楽しい事はたくさんあった。だが、私にはもう未来に希望を見つけられない。将来のない捨て駒とは至言。私はただ何かが堕ちていく過程を見て絶望の中死んでいくのだと、決められていた。私がいなくなったとしても守田には未来があるだろう。全て託して私は消えることにする。

13:41 止めるのならば今のうちだ。守田に消えろと云われるのなら、私は消えるので。

13:48 歴史に学べ、と人は云う。私は大概睡眠不足によって精神を強く病む傾向にある。一睡もせずに仕事をしていれば、持っても午前中が限界だ。さて、私は今日何時間の睡眠をとったのかと云うと。 ……3時間弱。

13:48 暴君ネロ「寝ろ」

14:27 よく寝た。

14:31 今日の学び 小田島の楽観的思考はおおむね前夜の睡眠時間の合計と比例する すなわち、3時間弱しか眠らなかったことによって精神を病むのは必然 結論:小田島は愚か

以上

20250123-02 我々の自己同一性を保ってきたもの

※私が禁煙を人から強いられた時に書き留めていた大げさなメモ書きである。いつか私は喫煙行為をやめるのかもしれないが、その時期はやはり自分で決められたほうが幸せだと、何事もなく喫煙している今でも思っている。

避けて通ることのできない別れは必ず存在する。 金の鳩によって幾度も癒やされ、弓矢によって心を幾度も射抜かれた我々は、もうこれ以上それらと関わってはならないようだ。 跡形もなく、全てを葬らねばならない。 我々が見ていたのは束の間の幻夢、日をつければ灰となる儚き幻夢、全て幻であり夢であった。 我々は今まで、幸せな夢を見ていたのだ。

始まったものは必ず終わりの方向を向いて進み、必ず終わりを迎える。至極当然の理論。その終わりが今来たと云うだけだ。 何も永遠など有るわけがないというのはよくわかっている。始まったものは終わる。終わりが有るからこその始まりだ。また新しい何かが始まるのだ。

◎確かに我々は苦しんでいた

自由を奪われるとは苦しい以外の何物でもない。 では、枠をはずれずに自由を謳歌するのはいかがか。

◎苦悩から解放される人、苦悩に襲われる人

これにより我々は平和と希望を手に入れたかのように見えた。だが、これによって生まれたものとは一人の多大な苦悩であり、「平和」と「希望」は我々の手元から消失した。 このことが示しているのは、我々には無理な別れだったということかも知れぬ。 人間は死んでもいい。だが今ではない。この言葉が表す理論のように、別れろ、だが今ではない、ということだったのだろうと、私には思える。

20250123-01 壊れた尾翼、墜落した理性

私はまた一つ、他人の大切にしていたものを壊した。婚約者がいるという親しい女性の、固かった恋心を、粉々に砕いた。 だが、私はこれを全く悪いことだとは思っていない。

思えば彼女は、婚約者に対してほとんど熱が冷めていた。理由を聞くと、自分の愛情に対して一切応えてくれなくなったからだという。 奴は自分を経験がない故に不器用だといいつつ、最初は熱々でやけどしそうな愛を与えてきて、彼女もそれに応えるように、やけどするほどの熱い愛を返した。そんな強い愛を送り続けてきた彼女だったが、たった二ヶ月で奴の返事もそっけない態度に変わり、やがて反応すらもなくなったという。 私は、その彼女の崩れかけの恋心に、とどめを刺した。再起不能になるまで、木っ端微塵に破壊した。

態度がそっけなくなる前に、奴は結婚について「こんな人間とやり取りしていたら苦労するぞ」と両親に云われたことをそのまま彼女に伝えた。彼女は多数派の考えであればそれが当然だと云い、少しも傷つくことはなかった。むしろ、そうはっきり伝えられたことで、この恋はこれが潮時だと思ったという。

私は、そんな彼女へそそのかしをした。「もう、ええでしょう」、と……。

――そして彼女は、「こいつも私の愛の重さに耐えられないような雑魚だったのか」と裏切られたことへ対して嘲笑を浮かべ、奴との思い出の写真、思い出の品を全てゴミ袋に詰め、生ゴミとともに棄てた。 彼女と奴が笑顔で写った写真、彼女が奴と結ばれるきっかけとなったぬいぐるみは、今頃塵芥と共に真っ白な灰となっていることだろう。この愛は、いくら願おうが、もう二度と戻ってこない。ゴミを収集所へ出し終えた彼女は、「清々した」と冷ややかな笑みを浮かべていた。

これを聞いたとしても、皆は私が、間違ったことをしたとでも云うのだろうか。私を極悪人だと思うなら、思えばいい。「永遠に愛する」などと嘘をほざいて、見事に裏切るほうが極悪人であると私は思うので、勝手に悪者扱いすればいい。

終わったものはまた別の形で始まる。 私は彼女が「新しい始まり」を迎えられることを願っていた、願わなくとも、彼女は「新しい始まり」を迎えていた――。

20250111 法華経行者の冬は必ず春となるのか

はじめに

「冬は必ず春となる」という旨の内容を日蓮大聖人は書き残したという。私はそれを永らく至言であると信じていたが、日興上人、日目上人と続くこの宗門に入った法華経の行者は果たして春を迎えることができるのかどうか、宗門を覗く私の視界は暗くなり始めてきた。

一神教は破壊的カルトか否か

まず初めに、私はキリスト教ほどこの世界において大きく邪悪なものはないと思っている。キリスト教が真に世界を救うのだと決まっているのならば、我が国が二度核兵器の被害に遭うことはなかっただろう――長崎には教会も多くあるが、幾つかは木っ端微塵にされている――と強く確信を持っている。更に云えば――これを世界に公言した時点で、私はアブラハムの宗教信者の全てを敵に回すこととなる――、中東における戦争もむやみに起こってはいないだろうとも、強く思っている。

私はすなわち、一神教的思想を悪だと云いたいのである。 一つのものにこだわる時点で頑固になり、「井の中の蛙大海を知らず」となる。頑固で柔軟さのない人間であると云うだけで、人からは忌み嫌われる傾向にある。その上、その頑固な自分のことは認めてほしいが他は否定する、となると、嫌われたところで何も文句は云えぬのではなかろうか。挙句の果てには周囲から避けられていることを「忍耐の時」と開き直り、ますます頑固さを正しいとして強化させていく。 袋叩きに遭うのを承知で云うが、一神教的思想は、それがたとえ伝統宗教と呼ばれ何世紀も信じられてきたものであろうとも、私には破壊的カルトのそれと寸分も違わぬものに見えてならない。

法華経行者は濁悪の世を更に濁らせる

仏教でありながら、キリスト教のように他を弾圧することで自らを正当なものであると主張し、その結果出来上がった幾つもの分派を自ら粛清していく、それが日蓮正宗ではなかろうか。私は仏教なのにも関わらず一神教的思想を持つ宗派を永らく知らずにいたが、不幸にも実在し、私はその一員とまでなっていたのであった。 仏教とは本来決して一神教的思想を持つ宗教ではないはず、それでありながらそのような思想を掲げる日蓮系仏教集団。これこそ私の前述した頑固な「井の蛙」ではなかろうか。

カルト教団にいる人間は自分が鍋の中で丸茹でにされていることには全く気づかぬまま、死にゆくのである。私はそれを死ぬ前に気づけた故、ここに宗門を棄てることを誓う。

私は様々な宗教に真理を求めていたが、根本的な日本民族の精神を育んできた――良くも悪くも、と云っておこう――ものはすぐ身近にあったのである。異国から輸入された思想は所詮異国の思想である。日本民族の精神というものは――繰り返す、良くも悪くも、と云っておこう――、古来より神の道が築いてきたのだと、私は宗門に湯がかれている最中、奇跡的にも気づいてしまったのである。このまま茹でられて死すなど愚者の極みではなかろうかと考え、私は私を湯がくぬるま湯が熱湯に変わる前に鍋から飛び出した。

終わりに ――無知は恥である――

日本人の思想として、たとえ死生観が合致しなかろうとも、死が気の枯れたものであろうとも、今後私は神の道を頭ごなしに否定するような真似はやめることにした。まだまだ私も浅学な身である。神道の死生観に関して詳しく知識があるのかと問われると、ほぼ皆無に等しい。正しく知ることで私はそれを、信じるには至らずとも受容することができるのだと確信している、私という存在が日本民族である限り。

20250104 何かのために ―仲間との友愛―

※「20250514 小田島・守田の総括」より明記し始めたNull氏との出会いを記録した文章である。当時から今に至るまで、Null氏はよく私の異常さを受容してくれたな、という気持ちが尽きない。

理解有る仲間が共に居てくれるというのは、素晴らしいことであると、昨今の出来事を振り返ってはつくづく思う。

私は幼少期より、友というものは少ないか、あるいは皆無であった。 一般的に仲良くするような関係であったとしても、その友たちは私が本性をさらけ出した途端に全てが私から逃げるように消えた。 私は、ただ遊んで楽しいだけの浅薄な友など必要としていない。互いに感情を共有し、悩めるときも共に手を取り、前に進むことのできるような、むやみに遊ばずとも人生を楽しくするような深い繋がりの友を求めている。

人が普段より人生観・死生観について考え続けていると云うと、恐らく大半の人間は小難しいことを嫌って離れていくことであろう。私はそれを、幼少期の学び始める頃より行ってきたのである。道理で自分が友と呼べるような関係は、私にはほとんど居ないわけである。 随分と私は社会に適合できないものだ、と幼き頃は悩んでいたが、「神童も、成人すればただの人」ということの逆が起こったのかもしれぬ。今になり、私は相応の評価を受けるようになってきたと気づき、少しばかりそれを実感しては嬉しい気持ちになっている。

私は自分を評価されないことに対して精神を病み、今まで作り上げた自分の全てを棄てることを、何度繰り返してきたことだろうか。今となっては激しい後悔が募るばかりである。 だが、それを悔いたところで失われたものは何も戻らない。「壊れたものは再構築すれば良い」、と云う理解者A氏の言葉を胸に刻み、私はまっすぐに「新しい始まり」を迎え、歩んでゆくのである。

私はこのA氏を心の底から大切にし、共に手を取り合って歩んでいかねばならない。

20250101 何かのために ―雪の降る街を―

私が死に憧れを持ってしまっている人間だということは以前より変わりないが、それがあまりにも愚かな憧れと気づいたのは、つい最近になってからだった。東北において今から十年以上前に起こったことを考えれば私は自ら死へ会いに行かなくてもよいのだと、元日が近づき、かつ私が今東北の土地へ来ていることから、強く深く考えるに至った。今から13年前、東日本大震災は起こった。

津波や地震は、失いたくないものを無残にも奪い去っていく。失ってはならないものを、強引に壊していく。しかもその強奪の予兆は人類に到底予測できるようなものではなく、来てほしくないと願ったところで人類が地球上に生存している以上、どの土地においても必ず襲いかかる可能性を秘めている。対策は可能だが、逃げることはまず不可能である。

そんな失いたくとも失われていったもの達を横目に、私は死に恋い焦がれるあまり自ら死へ進もうと自殺未遂を幾度も繰り返してきた。 死とは再生である。死とは新しい始まりである。死とは生と表裏一体である。 そのことを思いながら自らの生を蔑ろにするという事は、恋い焦がれているはずの死を冒涜することに繋がるのではなかろうか、と僅かながら疑念を持ち始めた。その疑念が浮かんできたのが、数週間前の気仙沼は大谷海岸で、穏やかな海が、夕日に当たり輝いているのを眺めているときだった。

この地において、私は生命について、「大切で失われてはならず、かつ失いたくないもの」について改めて認識を持った。親族―一度たりとも会えたことはない―の墓前に花を手向けた時に大粒の涙がこぼれたのは、その新たな認識を持ててからだった。私は自分の考えの浅はかさを強く恥じた。

「大切で失われてはならず、かつ失いたくないもの」はいずれどのようなものでも朽ちていく。人間は必ず死ぬ、記憶は褪せる、物は壊れる。それらをいつまでも、できる限り朽ちぬように保守するのが、我々生きとし生ける者の使命である。朽ちてから悔やんだところで、それは既に手遅れである。 万が一朽ちていくものを延命できないのであれば、遺された意志を継承せねばならない。

東日本大震災の記憶がない少年少女は多く、これからは増えていく一方である。だが、昨年の今日には能登半島を中心に大きな地震があり、その後水害によっても石川県は被害を受けた。それを知らない少年少女も、これから増えていくことであろう。 私は生きて、その朽ちゆく記憶を、自分の継承できる限りで良いから伝えていかねばならぬ。

自分の力を未来の為、少しでも役に立てることこそが、「生」ではなかろうか。 私は死を望んでいる場合ではない。死を愛するからこそ、私は生きねばならない。 

20241228-02 批判的無神論とは何だったのか

※この文章は「批判的無神論とは何か」の続編である。

そもそも神と仏を同列に並べて考えることは間違いではなかろうか?

キリスト教において全ての事情に理由があるとするならば、何故世界は無から生じたのか? 無から世界が始まったとき既に神が有るとしたらそれは無ではなく、それを無とするならば神は無である ⇒故にキリスト教の世界の創造の物語は虚構ではなかろうか?あえてビッグバンなどと紐付けて考えるほうがバカバカしい

世界とはそこに有るから有る ⇒神とかそんな何かが作ったものではない、創造者を作り出すものも存在するわけで、突然無から有が出てくるというのは因果律に反している

とにかくこの世にキリスト教ほど大きくてナンセンスな宗教はない。 そこの派生分派は論外。話にならない。日本人はよくそんな無意味な神の誕生を祝うと称して商業主義に溺れられるな、と呆れるばかりである。

結論:キリスト教は邪教。

日本人ほど節操のない民族はない、神仏は習合できない!!

神道を右翼はありがたがるが、実際社会の差別意識の基盤を作り上げたのは神道である。 死が穢れ(気枯れ)」である故に、「穢多・非人」という扱いが生まれている。 廃仏毀釈などバカも休み休み云ってほしい。

↓これこそ休み休み云え 日本の全右翼は妙法蓮華経に帰依せよ (日蓮主義??)

結論:法華何派?うちは身延派ァーッ! (註:この言葉は鍋キューブのCMで阿部サダヲの叫ぶ節で読み上げてほしい。日蓮主義を訴えるは国柱会であり、身延派の分派である。)

20241228-01 批判的無神論とは何か

◎宗教は人を幸せにするか否か

神の意志によって罰が下ることはキリスト教においてはない。 神が悪いのではなく人の無限の欲望が結果的に悪を生み出している。 悪い宗教というものは本来存在せず、集まる人のエゴや自己中心的な思想がそれを悪い宗教に仕立て上げているだけであると私は信じたい。 神を憎んだところで何にもならないし、人を憎んだところで何も変わらない。 キリスト教的考えにおいては、全ての事象には理由が有り、どのような形であれ全ての事象は「完成する」。負の事象にも抜け道は存在し、そもそもその事象が負で有るかどうかは人間には知る由もない上に、人間が判断することですらない。

◎宗教を信じるとは、「人生の全てを捧げなければならない」ことか否か

→本来であれば是、個人的経験からは否

「全てを捨てる覚悟が有ればこちらに来なさい」そう云われたことが有る。恐らくだが、今までの幸福とは全く違う価値観の世界に入るという意味だろう。然し、それによって現在の幸福は抹消される可能性が有る。その恐ろしさから私はあのとき逃げるように離れたのかもしれぬ。そもそも、幸せとは何で有るか未だにわかっていない。

◎人生の全てを捧げるとは具体的にどのようなことか

→人生の中心がそれに成る、かつその中心は永久的になくならない。死しても尚中心はそれである。

◎死後が存在しないと考える人間には、死してなお中心はそれになりうるのか?

→そもそも死後の世界は誰のためのものか?浄土?天国?永遠の命?

肉体死せども精神は死せず、という考えはどの宗教にも有る気がしている。

20241223 私が神の道にいささかも帰依できない理由

私は小学生の頃より今に至るまで、死生観を強く深く濃厚に考え続けてきた。 昨今の私が巻き込まれている事件などにより、何故に私が幼少期より死生観を考えてきたのか、ようやくその理由が判明したような気がしている。

私は、新卒で自ら進んで葬儀会社の面接を複数受けた。 いずれの会社にも就職することは叶わなかったが、現場同行など経験できたため何ら無駄な経験ではなかったと考えている。弔うということがどれほど故人様にとって重要か、そしてどれほど残された人間にとって重要か、この経験によって改めて感じることができたと思っている。

私は、非業の死を遂げざるを得なかった人間たちを、たとえその人間が連続殺人鬼のような凶悪犯罪者だったとしても、正式な形で厳粛に弔いたかったのである。 有限である生の世界にて苦難、憤怒、悲哀が人を包み込んでいたとしても、無限である死の世界においてはどうか福運に包まれていてほしい、そのような感情が幼少期から私の精神の根底には渦巻いていた。

そのようなことから、私は凶悪犯のような極悪人にこそ、死刑執行は行えど丁寧な葬儀をも執行してほしいと心の底から願っているのである。

私は今まで、数々の宗教を渡り歩いてきた。人からは「節操がない」と強く非難されたこともあるが、その行動には明確な理由があった。 私はどのような形を持って誰もが忌み嫌って弔わずにいる故人様を弔うべきか、その方法を長らく探していた。葬儀とは故人様のためのものであり、残された我々のためのものでもある。そういう思いで私が自分の納得する弔い方を探していたところ、辿り着いたのが日蓮正宗だった。

自分の道は自分で切り拓く。切り拓くことができなくなった故人様のためには、残された我々が経を読むことで回向を行い、成仏への道を切り拓く。 それこそが真理であると、日蓮正宗は語っていたのだった。

以下ようやく本題である、私は死を穢れとする神道を極めて強く嫌っている。 気が枯れて穢れとは云うが、私には絶対にそれが正しいとは思えない。死とは新たなる始まりであり、決して気が枯れたと云っていいものではない。冥府にて仏となった故人様は、仏としての新たな道を歩もうとしているのである。残された我々は葬儀の後、それに対して塩を撒いて祓い清める。私にはこの光景が、故人様が疫病神のような扱いを受けて忌み嫌われているように見え、死者を強く冒涜する行為に思えるのである。

以上の理由により、私は神道という宗教にいささかも賛同することができず、帰依することなど以ての外であると、明言するものである。

20241220 詩歌

私はただ自瀆に耽っていた

手のひらに残る白濁した粘液

そんな物で私の虚無は満たされない

私は小箱とマッチをお供に

河川敷を散歩している

しゃがんで独り紫煙燻らす

そのひとときは私の至福

私はただ煙草を呑んでいた

手の中にあるは希望の弓矢

それこそが私の虚無を満たす

私は白くて細い筒に火を灯す

その灯は心のともしびとなる

指より細くか弱いたいまつ

その光は私を恍惚へ導く

ああ、消えないでおくれ、たいまつよ

いくらでも燃やしてやるから

紫の煙が立ちのぼる私の手元には

固く希望が握られている

その希望は虚ろなものか

私を導く明るい希望だ

乳房の先を咥えるように

柔らかな唇で包みこむ

決して傷つけず 痛みを覚えぬよう

静かに炎を燃やしていく

呼吸に合わせてホタルのように

おまえは私を小さく照らしている

やわらかなひかり 柔らかな唇

私をささやかな優しさで抱く

おまえがのぼらす煙のように

私もあの雲の上まで逝くのだろうか

20241218-02 投函されなかった手紙

※この文章は、某所に2024年12月13日付で投稿されるはずの近況報告だったが、事故により投稿されることはなかった。

13日の金曜日でございます。皆様御機嫌如何ですか、小田島常陽でございます。

なんとか、冬を越せそうです。今年は色々ありすぎました。何なら11月、12月に色々有りすぎて頭の処理速度が全く追いついておりません。

小田島の頭のRPM(回転数、Revolutions Per Minutes)は1であるゆえに、S45C(炭素鋼)すらも一切削れないのであります。小田島の頭は時計の秒針ではございません。今の小田島は非常に多忙故、ここの更新もブログの更新もままなりません。ご理解の程、よろしくお願いいたします。

それでは、また次回。ごきげんよう。

20241218-01 邪教とは何だったのか

真実とは何だったのか。私が今まで見ていたものは何だったのか。それこそが私の嫌う「嘘・ごまかし・でまかせ」ではなかったのか。私は誰の目からも明らかに冷静さを欠いていたのだ。

今改めて、客観的に自分を見つめ直す。明らかに私は動揺していた。 揺れ動く心。真実を求めてはありとあらゆる神仏にすがる。その行動は行きつけの古本屋で云い放たれた言葉「節操がない」が全て要約していた。私の何よりも嫌う、心の「ごまかし」を「でまかせ」による行動で、求め続けていたのだと、この北国に来て改めて気づくことができた。ああ、私は大切なものを永遠に見失うところだった。 私の衝動性があまりにもひどいのだと、周囲は最初から気づいていた。それ故、その旨を私に必死になって訴え続けていた。だが、私はそれらを全て蹴り飛ばして揺れ動くことをやめなかった。その結果、沢山の人々を裏切ることになった。

今では悔やむことしかできない。否、悔やむことは何の始まりにもならぬ。過去は変えられぬが、未来など幾らでも切り拓くことができると、私は学んだのだ。 私はこの希望の光が消えぬ前に、再び立ち上がって未来の道を歩んでいくのである。無論、もう揺れ動いてはならない。真っ直ぐに、この明るい日に照らされた道を、たとえ曲がりくねった道だとしても、歩み続けるのである。