自称「売る気もやる気もない物書き」。同音異義語で遊ぶのが好きだが、渾身のギャグはいつもスベっている。日常生活において何かと短歌を詠みたがる。「規則は守るためにある」という考えを持っている。
感情を乗せて詩歌を詠む。「やられたらやりかえす」主義だが、100倍くらいにして返ってくるらしい。 「カッちゃん」「かっつん」「平克盛」「まもぴ」など、ありとあらゆる愛称がつけられている。
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以下、更なる詳細……
令和六年十二月十七日 結成 サークル「守田症候群 -Morita Syndrome-」
我々のサークルの名は、 「Lolita Syndrome(ロリータコンプレックスの別名)」 「Morita(元死刑囚の守田克実、ないし三島事件の森田必勝のモリタ)」 「Morir(スペイン語にて「死ぬ」の意である動詞)」 をかけ合わせた造語より出来上がっている。 我々が幼少期より死について深く考えてきたことを病的に捉える、という意味が込められている。
我々は主に、 「死生観・宗教観・政治観を主題とした文章の執筆」 「詩歌作成」「人物画描画」 を活動内容として、小田島常陽・守田克己の二人で活動していくものである。
おだじま・じょうよう。人物画担当。ピース党日本酒派。 元図書館員、無資格だが博物館学も専攻した。 パソコンに精通しつつも、紙の手帳を常時所持している上、「インターネットで有象無象が発信する情報」に強く不信感を抱いている。 活字中毒者であり、活字が読めるか否かが精神状態の指標となっている。 情報源は新聞・ラジオ・週刊誌の三拍子。週刊誌は現代派である。 メモ魔兼手紙魔であり、肌身離さず紙の手帳を持ち歩き、その中にははがき箋と切手が仕込まれている。 文通を始めると望まずとも一方的に手紙を送りつける様を、「恐怖新聞」「押し売り新聞」と呼ばれて久しい。
もりた・かつき。詩歌担当。ホープ党芋焼酎派。 宗教学・心理学・民俗学・社会科学等、様々な分野に興味関心を広げている。 大学院で方言を言語学的に研究すること、「解離性同一症における宗教的対立」を主題として論文を書くことを目標としている。 キリスト教徒(ルーテル派)でありながら様々な宗教を渡り歩いた経験があるため、宗教の全般に詳しい。 「カッちゃん」という愛称があるが、近しい小田島ですらほとんどそれで呼ぶことはない。親しくない人間に愛称で呼ばれるといつもの穏やかさを崩して激昂し、暴力をふるい出すという噂があるが、真相は小田島にも未確認。
※図書館十進分類法に従って分類。 ※互いに大学より文転している。特記のないものは基本的に広く浅くのうちの一つであると思っていただきたい。
総記:図書館学、博物館学、プログラミング言語、パソコン(ソフトウェアに限る、OSはLinuxのUbuntuを常用)
哲学:キリスト教(カトリックは未知)、仏教(日蓮系以外は未知)、新興宗教全般、中国古典思想、心理学全般(特に異常心理学、犯罪心理学を好む)
歴史:日本近代史
社会科学:東アジア情勢(中韓朝)、社会病理(主に犯罪、特に未解決事件・凶悪事件)、政治思想(社会主義、共産主義、結束主義、国家主義)、西部邁の思想
自然科学:原子物理学
工業:航空機(主に世界の軍用機、旅客機事故)、原子力(兵器としての原子力も含む)、宇宙開発(主に惑星探査)、鉄道
産業:(旅客機・鉄道事故はこちらへ分類されることがあるが、工業に記載)
【芸術・言語は特記が困難なため省略】
文学:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、三島由紀夫、小松左京、松本清張
《なお、以下に挙げるものは以前所属ないし関係者との明確な交流があったが、現在は完全に距離を置いている。現在これらの団体と我々は一切関わりがないと明言しておく》
所属:日蓮正宗、日本共産党、維新政党・新風
交流:天理教、幸福の科学、創価学会、顕正会、寳珠宗(旧・泰道)
既にお察しの方々もいるだろうが、我々二人の名字は、とある元死刑囚の名字を借りている。 我々はその二人の名字を借りた上で、我々の日常を二人が追体験しているようにインターネットで活動を行っている。
二人の死刑囚は、「幼少期に母親の無理心中に巻き込まれそうになったところを逃げる」などせねばならなかった、今で云う機能不全家族で育った。それにより二人の幼少期にかけての人格形成は大きく阻害され、満たされるものも満たされぬまま、自暴自棄となって幾度も惨たらしく人を殺めることとなった。 二人は偶然同じ刑務所の房にて出会い親睦を深めたが、出所後に二人で某会社の社長宅にて強盗放火殺人事件を発生させたことで、死刑判決を受けた。だが、二人はその報いを受ける前に両方がこの世を去った。
人生の歯車が第三者(親族ではない)の手によって狂わされた経験のある我々は、非常に不謹慎ながらも二人の惨めな人生の幕引きに対し幾度も涙を流した。 その思いから、我々は「もし二人が刑務所以外の場所で出会うことができて、死刑囚とならずに生活していたらどのような風景を見ていたか」という題材を持って、活動を行っている。
繰り返しになる、我々はこの発想を全く不謹慎ではないとは思わない。だとしても、我々という無名な二人組の妄想の中だけでも、星となった元死刑囚二人は笑顔でいてくれないものか、そんなことを考えているのである。
二人の不遇な人生を、我々の生活を織り交ぜつつ「物語」として幸せに描くことで再生する、それによって小田島・守田の両氏は心置きなく仏となれるのではないか、と我々は考えているのだが、それは道を違えているのだろうか。
小田島・守田両氏の存在は、安直に例えるならば夜空に輝く星である。人は星を見て想像を広げ物語を紡ぐが、星自身が物語を紡ぐことはできない。小田島は空で輝きながら守田のことを長らく見つめていたが、2024年9月9日、遂に守田は小田島の隣で輝き始めることとなった。
今、小田島・守田両氏は我々を空から静かに見つめている。我々は幸せな物語を紡ぎたくても紡ぐことができなかった二人のためにも、夜空に輝く二つの麗しい星に穏やかに微笑み返しながら、新たな物語を紡ぎ続ける、我々が二つの星の隣で輝くことに成る日まで。
令和6年12月17日 小田島常陽 守田克己
我々の活動では我が国に実在した人物の名前を一部借用していますが、 記述内容の一切は一個人の行動をもとにして描かれたものであり、 実際の事件・人物等とは無関係です。
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