洋子のサンクト・ペテルブルグ通信:39
クロンシュタット
2008/08/13

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石井です

20080813_1、高速艇より見たクロンシュタット20080813_4、クロンシュタットに停泊している軍艦 先日の日曜日は以前から行きたかったクロンシュタットへ高速艇で行ってきました。クロンシュタットにはほかにバスで橋を渡っていくこともできます。

 クロンシュタットはフィンランド湾にある軍港の島です。1997年までは外国人はもちろん関係者以外のロシア人にも開放されていませんでした。
20080813_3、軍港の反対側の海岸にある要塞の壁 クロンシュタットの歴史は、1703年に、コツリン島に新しい首都サンクトペテルブルグを海からの攻撃に備えて要塞を作ったのが始まりです。次の年には第1の要塞が完成し、 1721年にはピョートル大帝がこの島に町建設を計画しました。そして1723年に軍事基地が完成し、「クロンシュタット」と名づけられました。また運河が敷設されたのち、ドッグが作られたことによって町はその当時としては近代的な設備を整えた造船所になりました。
 また、1824年の大洪水によって町のほとんどが崩壊したのに伴い、1825年から、要塞は石に変えられました。それが今日まで町を水害から守っています。
20080813_2、要塞の壁の外向こうに見える橋はフィンランド湾の対岸も町ゴールスカヤと結ばれているバスや車で島に来る時はこの橋を使う。 (2)の写真を見てもらうとわかるのですが元の島コツリンの周りはこのような水草が生えている浅瀬な様なところだったそうです。そこの場所に冬、凍った氷の上に壁を築き、夏雪が解けたら、沈ませ、(自然に沈みます)また、冬に凍ったらその上に壁を築くという作業を繰り返して要塞を作っていったそうです。気の長い話ですね。
20080813_5、マカロフ提督20080813_6、海の大聖堂(クロンシュタット要塞歴史博物館) それから、日本とのかかわりでは、日露戦争で撃沈されたペトロパブロフスク艦船はこの島から出港しました。クロンシュタット歴史博物館の前にはマカロフ提督の銅像とその船員たちの慰霊のプレートがあります。
20080813_7、一番最初の要塞(砲台の向けられている方向にある)20080813_8、イタリア溜まり池大砲 (2) この日はお天気も良かったので船着き場でレンタル自転車(サンクトでは初めて見かけました)を借りて3時間ほど町を走りました。レンタル自転車を借りるのには1000ルーブルとパスポートか、2000ルーブルを預けると貸してくれます。料金は1時間100ルーブルです。私たちは途中誰何されても困るので2000ルーブルを保証金にして借りました。
 久しぶりの自転車なのでうきうき気分で乗りたかったのですが、この自転車はペタルが重くて、またペタルが後ろ回りしないので最初は慣れなくて困りました。しかし、お天気も良く、風もさわやか自動車も少なく、街並みも緑が多く、乗っていて楽しかったです。
石井 洋子

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