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洋子のサンクト・ペテルブルグ通信:12
ツァールスコエ セロー
2007/12/16
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見学は中央の建物の入り口から入ります。内部は1階はクローク、お土産品コーナー、喫茶店、トイレなどで、見学するのは2階部分です。まず、中の入り口を入ったら靴のカバーをかけるようにいわれます。お風呂に入るときに頭が濡れないようにかぶるビニールと同じようなものを靴の上から履きます。(使い捨て)N![]() ![]()
中央階段は途中で踊り場があり、あと左右に階段がわかれます。階段の側面壁は白で統一されて赤のじゅうたんと組み合わせがとても明るく見えます。壁面にはブルー地に金の針の時計とその日の天気を示しておく陶器が飾られています。BCD![]() そしてあがったところにそれぞれ東の窓際には「目覚める天使」、西側の窓には「眠っている天使」の像がおいてあります。EFとてもかわいい子どもたちです。その天使に見とれてながら次の間に入ると黄金の大広間です。 G黄金と鏡で装飾された広間で、思わず「わおー」と声が出ます。天井は高く、四方はアーチ型の窓(扉)が黄金につつまれて、2段にずらりと並んでいます。壁面はペチカ以外の部分には鏡がはめ込まれて全体を広く感じさせるように作ってあります。私の乏しい日本語ではなんとも形容しがたい、ただ"豪華、まぶしい、すごい!"としか言いようのない大広間です。また小説「おろしや国酔無譚」の中で大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に日本への帰国を嘆願したのはこの広間だったといわれています。もし当時もこの通りなら光太夫はきっとすごく圧倒されたでしょうね。そこで臆せず自分の希望が言えたのは、周りが見えないほど緊張していたか、帰国の希望が何にも増して強かったからでしょうね。![]()
宮殿内で私が気に入ったのはペチカです。どの部屋にでもあり、あって当たり前というように模様も形もまわりとしっくりとけあって、暖かい雰囲気をかもし出しているように感じられました。また、タイル一枚一枚の模様が花であったり、人々の生活を描いていたりと見ていて私は飽きません。大広間にもブルー一色で花々を描いたタイルの素敵なペチカがありました。HI![]()
次の食堂にもペチカがあります。大きくてしっかりしたペチカで存在感があります。部屋の中央にはその当時のテーブルセッティングがされていました。テーブルの上の東屋の形の置物は庭園にある東屋をエカテリーナ2世の希望で模倣させたものだそうです。JKこのような贅を尽くした部屋をいくつか通り過ぎて、いよいよ話題の「琥珀の間」です。この部屋は撮影禁止です。部屋一面琥珀"画"です。琥珀にいろんな色があることは知っていましたが、これほど濃淡がいろいろあるとはびっくりです。いろんな色の琥珀で壁画が描かれています。 ![]() LMすごい技と根気だなあと関心するばかり。もう終わりかと思っていたら、まだまだ素敵な部屋が続きます。骨董好きの方たちには時間を忘れそうなものばかり飾られています。OP ![]() 最後に床ですが、これも私は気に入りました。小田原の細工物ほど細かくはないですが、自然の木の色を組み合わせて模様を作る。みごとです。だから土足では歩かせないのです。日本なら靴を脱がされるのでしょうね。 次の目的地はエカテリーナ宮殿から4キロぐらいいった所にあるパヴロフスクです。 ![]() QRその前になぜ現在ツァールスコエ セローと呼ばないでプーシキン市なのか。 それはエカテリーナ2世が、宮殿の横(廊下で行き来できる)に孫たちのために学習院を建てました。そして貴族の子弟たちもここで勉強しました。その中にプーシキンもいたのです。成績優秀で後に有名な詩人になったプーシキンを称えて革命後、村の名前をプーシキンとしました。ロシアは政権が変わると地名も変わるのは今に始まったことではないのですね。 S パーヴェル宮殿はエカテリーナ2世が息子パーヴェル皇子のために建てた宮殿です。完成は1786年です。この宮殿の中の装飾もすばらしいものでしたが、エカテリーナ宮殿と大きく違っていたのはタペストリーのすばらしさです。ほとんどがフランスからの贈り物です。それはパヴェル皇子のお妃マリア・フェドローヴナがマリー・アントワネットと親戚だったからです。織物は物語「ドンキホーテ」をテーマにしています。私の聞き間違え出なければ織るのに4年ほどかかったそうです。そして、織った職人兄弟の名前がカビョールというのだそうです。(じゅうたんのような織物をロシア語ではカビョールといいます) ![]() ![]() [21],[22],[23],[24]それから残念ながら今回は時間もなかったのでどちらも庭園〔すばらしいらしいです〕を散歩できませんでした。夏に来てまた見たいです。それまで私と同じように冬ごもり(?)しているのがこの写真の人たちです。これは1例ですが、この庭園に限らず、サンクトの街、郊外の庭園の彫像たちは、白い肌が寒さと雪で汚れて痛まないように、10月になるとトタンの家に入れられてしまいます。 [25]このバスツアーは旅行会社を通じていったのではなく、ネフスキー通りで呼び込みをしているツアーに参加しました。別に変な呼び込みではなく、その日の出発スケジュール(大体毎日同じ時間表みたいです)が決まっていて近郊バスツアー、市内観光、夜の市内観光、美術館めぐりなどいろいろ企画されています。参加は当日、時間までにその場所に行けば乗せていってくれます。たいてい空席があります。私たちのときは予定では朝10時45分に出発して6時間ぐらいのコースといわれていました。(実際出発したのは11時過ぎでプーシキンに着いたのが11時51分、出発場所に帰ってきたのが午後4時40分頃でした。) ![]() [26],[27]当日のバスの乗客は23名ガイド1名です。ガイドはおじさんで(私と同じくらいの年)ガイドはバス内のみ、館内は別のガイドがそれぞれつきました。最初の目的地プーシキンに着くまで、バスガイドさんは目的地までの窓の外のいろんな名所、旧跡の説明をしてくれます。 ツアーの値段は各宮殿入場料込みでロシア人は800ルーブル、外国人は1500ルーブルでした。お昼の昼食はついていません。各自持参または帰るまで食べない(らしい)。バスでは飲食しないようにと注意があったそうです。だからか誰もバス内では飲食をしていませんでした。私たちは前日呼び込みのおばさんに、向こうで食事する場所があるかと聞いたら、喫茶店は高いからロシア人はみんなサンドイッチなどを持参するよ。といわれていたのでおにぎりを持っていきました。そして持っていって正解でした。まず、ゆっくり食べている時間がないこと(エカテリーナ宮殿ではガイド付き見学が約1時間半で、バスに帰るまで20分しかなかったこと)、そしてべらぼうに喫茶店が高かったことです。私たちはずうずうしく紅茶だけとっていそいでおにぎりを食べてきました。店の人は何も言いませんでしたよ。パブロフスクではバスを降りて宮殿に着くまでに歩きながらピロシキを食べている人もいました。 一日疲れました。救いは、バスの解散地が家から歩いて7、8分のところだということです。この点市内に住んでいるというのはいいですね。 @ エカテリーナ宮殿右側の翼 A エカテリーナ宮殿左側の翼 B 中央階段(絵葉書の一部借用) C 時計 D 天気を示す E 目覚める天使 F 眠っている天使 G 大広間 H 大広間のペチカ I 白のペチカ J 食堂 K テーブルの上の東屋 L 緑の食堂 M 精巧な木目込み模様のデスク N ビニールの上履き O モザイク画の床 P 美しい床の模様 Q 宮殿の全体の絵 R プーシキン像 S パブロフスクの宮殿前の馬橇 21 見事なタペストリー 22 マリア・フェオドヴナが使用した鏡 23 マリア・フェオドヴナが使用した陶器 24 皇帝の礼拝堂 25 冬ごもり中の彫像 26 観光客を待っているバス(ガスティンナイ・ドブォールの横の広場) 27 観光客を誘っているおばさんたち 石井 洋子
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