オトナになると、自分の立ち位置は自分で決められるようになる。しがらんだり、愛したりしながら、みんな落ち着いていく。コドモの頃はそうではなかった。不平不満を並べ立てても、そこ以外に場所はなかったし、何もできなかったし。
で、イナカのハナシ。
都会のオトナはイナカは住むところではないといい、イナカのオトナは都会は住むところではないという。ボクは基本的には“住めば都”と思っているので、したいコトさえ出来ていればどこでもいいと思っている。ただ、そのしたいコトには確実にイナカ、あるいは都会でないと出来ないようなものがあって、そこが高〜い壁になってしまうコトも事実。
ただ、面白いことにウチのイナカから大阪に出たヒト・東京に出たヒトにそれぞれ質問してみると、そこでも同じ感情が渦巻いているコトがわかる。つまり、大阪はイヤだの、東京はイヤだのと言ってるわけだ。
そういう感情はつまり、自分の現在の立ち位置を肯定したいゆえににじむものなのだろう。もう一人の、なりえたかも知れない自分を否定する作業。イナカのヒトは比較的これが少ない気がする。むしろ今の自分に何の疑いも持たないタイプ。選択肢の少なさからくるものだろうか、当然のように実家に収まってしまう。ボクにはこれがイイことかワルイことかを論じるつもりはまるでない。ちなみに都会モノに親切なのはこういうタイプ。
ボクの友人たちを見ていると、やはり各種取り混ぜられている。何の矛盾も抱かないタイプ。矛盾はあるけれど、諸事情により実家に収まらざるを得なかったタイプ。あとは諸事情を無視して実家を出たままになっているタイプ。諸事情はなく、むしろ実家に帰る場所はないタイプ。ていうか、もう実家がないタイプ。ざらっとあげてもこれくらい。
ちなみにボクは無視してます。そろそろヤバいです。帰る場所はあるし、いつでも帰れるんだけれど、仕事がない。いや、ここグチなんでこのへんで。
イナカはどんどん変わっていきます。知らない間にいろんなモノがなくなり、いろんなモノが出来ました。この10年で一番変わったのはまず、時間帯でしょう。24時間のコンビニが地方にまで進出していますし、夜でもけっこう明るいです。おおかたの予想通り、ヤンキーたちのたまり場になっていたりもするようです。が、ウチのおばーちゃんは重宝しているようでした。夜中にふと目がさめて、食パンを買いに行ったりするそうです。90過ぎてるのに。・・・まあ、90過ぎのおばーちゃんを襲って金を奪ったりするほどの根性は、ヤツらにはないでしょう。たぶん。
携帯電話もずいぶん通じるようになりました。家の中にいると、立ってたり立ってなかったりするけれど、前はそもそも立つ気配もなかったから。あとはねえ、そう! 中古品ショップが出来ていたのですよ、本・CD・ゲーム等の。少ないこづかいでCD買うんだから、たくさん欲しいじゃないですか。ま、ボクの頃はまだ、旧譜のCD化が進んでなかったから、あまり役には立たなかったかも知れないけれど。
いいんですよ。いいんです。時は流れるモノですよ。歴史を悔やんでも仕方ないっすよ。“ソフトの圧倒的な不足”というのが、解消されていくのはとても素晴らしいコトです。でも、いろんなモノがなくなってもいくんです。ある夜、浜に散歩に行ったんですよ。そしたらね、暗くないんですよ。いや、暗いし、足下でブンタがウンチしてんのかどうかも実際わからないんですけれど、以前はもっと暗かった。人工的な光がずいぶん入ってきたんだなあ、と感じさせられた一件でした。ロー○ンのとか。
で、そこでもうひとつ気付いたコトは、いつの間にか自分が観光客的な視点で自分のイナカを観ていたコト。ノスタルジーを満足させる手段として使おうとしていたコト。友人にも、昔の友人を求めてしまうコト。ヒトは変わっていくモノだ。同時に場所も。
せつない。
2001/9/28