「猫の恩返し」 於・新宿グランドオデヲン座 2002/8/19 11:00

 ボクの中で「ジブリ映画」というジャンルが確立したのは、「耳をすませば」などが公開されはじめた頃だ。「海が聞こえる」に引き続いて宮崎駿・高畑勲以外の監督がメガホンを取った「耳をすませば」で、ジブリは方向性を定めてきた。それまでは、言ってしまえば、宮崎・高畑映画を製作するための会社でしかなかった。

 ボクは高畑映画が余り好きではなかったので、必然的にジブリ=宮崎駿だった。その認識が、近藤喜文の「耳をすませば」によって変わった。あの瑞々しさは宮崎にも高畑にもないものだったのだ。それだけにその監督が死んでしまった時にはジブリの今後まで含めて心配になってしまったものだった。余計なお世話だが。

 今回の「猫の恩返し」はその「耳をすませば」の続編に当たる。ストーリーにつながりはないし、具体的にキャラクターが同じワケではない。「耳を〜」に出ていたあるグッズが、今回非常に重要なポジションにいる、というだけだ。しかし、同じ原作者によるこれらの物語は明らかに同じ空気を持っていて、それ故にかどうか、続編(あるいは地続き)を感じさせたのだ。ただしその疑問はパンフレットをひも解いて氷解した。原作者・柊あおい曰く、これは前作の主人公が成長してから書き留めた物語、とのこと。すごく納得がいく発言。

 今回の監督は森田宏幸というヒト。長篇の演出は初めてらしく、これまで名前を聞いたことはない。それでも今回は非常にかたい演出を見せてくれたと思う。何が良かったって、役者がみんなよかった。劇中にあまり感情の起伏が激しいキャラが出て来ないのにも助けられて、とてもまっすぐに、素直に芝居ができていた。

 例えば「もののけ姫」のサンなどは、役者にやらせるべきではなかったと、ボクは思っている。きちんと声優を使うべきだったのだ。彼女が大根だ、と断罪してしまうつもりはないが、彼女は声優には向かない役者なのだと思う。その点、今回は同じように役者を多数起用していながらも、そういった部分がほとんど気にならない。危ないトコロはあったけれど、演出でか、偶然でかはわからないが、その寸前で止まっている。

 この作品中のキーワードは、やはり「猫の国もいいかも・・・」という台詞だろう。ボクらにもフツーにある感情だと思う。ちょっと自分のホームグラウンドから離れたところでいい感じを得たりすると、軽々しくもそう思う。それも高校生という、“何者にでもなれるジブン”を抱えている年ならなおさらだ。 

 色々なコトに憧れて、そして色々なコトに裏切られて(あるいは裏切られたと感じて)ヒトは“全部は出来ない”というコトに気付く。可能性は開かれていても、その扉を開くには鍵が必要で、それはやっぱり努力しないと手に入らない。そこで努力する価値が本当にあるのか、自問自答があってはじめて、選ばれた可能性に向かっていく。

 結局のトコロ、この物語は「浦島太郎」だと思えばよい。あの、教訓がどこにあるのかわからないお伽話。教訓があったのかなかったのか、それは多分、主人公・ハルにもわからないだろう。

 でも、彼女はひとつオトナになった。例えば千尋の成長と共通するコトだが、本人が何か新しいコトを得たワケではない。外部から何かを得るのではなく、自分の中のチカラを振り絞るコトで成長していく、それがこのふたりに共通するコトだ。

 さて、ここまでは、単品としての「猫」について語ってきた。ところが今回は併映があった。ジブリの併映として想い出深いのはやはり、「となりのトトロ / 火垂るの墓」だろう。ひとつの面だけではなりたたないジブリを、併映という形で印象づけていく。今回も「ギブリーズ」のおかげで、これがただのコドモ向け夏休み映画ではないのだ、というコトがはっきりした。こっちも楽しめてこそ、酸いも甘いも理解できるジブリファンだ、という挑戦的な併映。この意識付けにも今のジブリが好調なのがわかる。

 オトナとして、ジブリを楽しむべきだ、とは思う。でも、オトナとして、「猫の恩返し」だけを楽しんでもいいだろう。映画製作会社としては日本有数であるジブリに敬意を表するには、作品に正面から向き合うだけで充分だ。そして、この作品も十分にその価値はある作品だと思う。

 

 

2002/8/25

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