「千と千尋の神隠し」 某所試写会 2001/7/16

 さて、待ち望んだ復活作であります。事前情報は極力入れないように、それこそ予告編を観てしまいそうになったら目をそらして耳をふさいでまいりました。それでも入ったいくつかの情報はネガとポジが入り混じってます。いわく、「となりの山田君」で空いた穴を埋めるため、だとか、親戚かなんかの女の子と話していて、この子にわかる映画を作りたい、と思った、だとか。期待します。せずにどうすんの。

 で。
 まずはっきりと書こうと思う。

 観るべきだ。劇場で。デカい画面で。

 ホントに引退する気かも知れない。

 やる気がない、とか、テンションが低い、とか、レベルが、とか、そんなもんはクリアしている。って言うか、そんな単語を話題にのせることが間違ってる。たしかにあまり新しいことはやっていないけれど、手持ちのフダは全て使うぜ的な気迫に満ちあふれた一品だ。ついでに言うと、あえて切り捨てるところは切り捨てるぜ、というバッサリ感にも満ちあふれている。具体的に言うと、おとぎ話みたいな御都合主義。

 そんな中で際立っていたのはやはり、構築された世界そのものだろう。物語よりも、“ここで何がおこるんだ?”という期待を抱かせる湯屋。そして謎。どれもこれも、ひとつひとつは決して大仕掛けではないし、中心に置かれるのは使い古された成長譚だ。ひとつ間違えば地味な佳作で終えるところを、そうはさせなかったのはやはりエンタテインメントの鬼のチカラ。キャラ的な可愛さも押さえつつね。
 もう言わない。中身に踏み込んでしまうから。でも、ひとつだけ。

 引退はまだ待ってくれ。いや、ホントに。

 

再鑑賞 シネマサンシャイン 2001/11/29 16:10

 いや、やっぱり面白いわ。

 ハナシは知ってるけど、その分ゆっくり楽しめた。拗ねる、泣く、笑う、色々な表情を次から次へと魅せていく千尋に釘付け。でも、もちろんそれだけではなく、他のキャラクターにもすごくわくわくさせられた。

 宮崎監督の言い分とは逆に、ボクはこの物語を“ありふれた成長譚”と位置付けてきた。でも、この再鑑賞で多少違うことも考えた。それはやはり、千尋という少女がずっと内側には持っていた“感情”というヤツだ。千尋という少女は以前、泣いたり笑ったりをあまり素直に出来なかったのではないか、という感じがする。

 コドモゴコロというのは時にクールにふるまいたがるもので、それはいつのまにか素直さを閉じ込めてしまう。素直にふるまうのを恐れるあまり、自分に殻をまとわせてしまったりする。その殻が、状況によって取り払われていったのが、“成長”に見えた部分の半分だ。そして残りの半分はやはり経験と勇気を経てのレベルアップ。こちらが通常の成長譚だ。

 やはりこのヒトはアタマひとつ完全に抜け出している。世界的に観ても、その認識は変わらない。アニメーションで、ではない。映画作家として。

 うわー、もう一回、もう一回劇場で観たい。

 

 

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