性同一性障害の人が、戸籍の性別を変えられるようになったそうだ。
何と言うか、ぽんと喜んでいいハナシなのだろうか。
もちろん厳しいルールはあるけど、戸籍って、そういうもんかい?
そういった障害を持ったコトは、もちろんない。
持ったヒトにそうと知って会ったコトもない。
かわいそうだなあとは思うよ。
戸籍ひとつで気分が変わるなら、それもいいだろう。
でもなあ、ここで戸籍に手を加えるコトが許可されたら、ゆくゆくはどうなるコトか。
なんだか心配だなあ。
例えばかわいいオンナノコに恋をしたとしよう。
彼女は以前、男性だったのだ。
おつき合いして結婚して、戸籍をしげしげ眺めて気付く改ざんの後。
隠しておきたかったのはわかるし、別にどこかに法律上の問題があるわけではない。
後は本人の気持ちひとつだ。
許すのか? 許さないのか?
いやーそりゃまあ許すよね。
愛があれば、ふたりの歴史が許させるよね。
でも、ここで心配がひとつ。
夫のナニは、今後役に立つかなあ。
気持ちは理解しているのに、体が理解しないなんてコトはよくある。
女だという先入観を、どう塗り替えればいいのかがわからないのだ。
強くありたいね。
全てを受け入れられる強さが欲しい。
例えば先日、事務所におせんべいが転がってた。
袋は開いてたけど、ほとんど減ってない。
新潟のあられおせんべい、一枚もらいますよー。
ぼりぼり。
からっ。
「辛いだろ、それ。」
辛いっすね。
何だろ、七味でも一味でもないなー、でもよく知ってる味だよ。
裏面の原材料を見ると、何とコチジャンって書いてある。
あー、その味かー。
違和感あるなあ。
まずいわけじゃないけど、気分が乗らないよ。
万景峰号絡みのお土産品だろうか。
あ、それいいな。
あれからも時々ぼりぼりとかじるのだけど、その度に違和感がある。
七味だと騙されてれば、変なの、とか思いながらもうまうま食べてたかも知れないのに。
おせんべいはおせんべい、愛情は不変。
ちょっとムリあった。
ヒトのライフサイクルは一日24時間ではない、というのはよく知られたハナシ。
実際は25時間らしい。
もっと長いような気がするけど、それはボクだけか。
意外とみんなそれぞれ違ってたりしてね。
その方が、それっぽいよ。
ボクは多分、26〜27時間くらいだ。
だから日テレよりもむしろフジに近い。
長ければいいというものではないが、“丸一日”という意味をどっちで取るかで違うね。
ライフサイクルと、アースサイクル。
まああれは単なるフジの負けず嫌いだと思うけどさ。
しかし24時間ない、ってヒトのハナシは聞いた覚えがない。
そっちの方が合わせるのが楽だから、気付いてないだけだろうか。
睡眠時間が少なくてすむヒトは、そうなのかなあ。
それは体質もある気がする。
24時間に満たないヒトは困ってないんだとすると、やはり一日は25時間あるべきだろう。
一時間を足して、地球の自転を遅らせるのだ。
色々と変わってくるだろうな。
生態系にまで影響が及ぶだろう。
ヘタすれば、世界が滅亡するな。
アルマゲドンだ。
そういうシリアスな面を切り捨てたとして、この一時間で昼を延ばすか夜を延ばすか。
これは、どう考えても夜だろうな。
昼間に足されたって、おシゴトの時間が増えるだけだよ。
それもきっと、ギャラには反映されないんだ。
だったらその分、寝かせてくれい。
それか一杯、余計に飲ませてくれい。
あーごめん、やっぱ寝る。
でもそうすると、地球の反対側は昼間が延びるのか。
それはかわいそうだなあ、均等にするべきかな。
そもそもそれが決められるようなコトだったとしても、決めるのはボクじゃないな。
いやまあ、そんなコトわかってるよ。
いいじゃないかちょっと決めてみたかったんだよ。
おおよそボクくらい神様に向かないヒトはいないだろうな。
別にならないけど。
全てを平等に愛するのが神様のおシゴトなら、ボクはなりたいとは思わない。
ボクの愛は、そんな広範囲にはとてもじゃないけど及ばない。
一時間あったら夜だけ延ばしたいし、できればその分の年は取らないようにしたい。
そんなわがままな神様はいらない。
この世の中にはあらゆる愛が溢れていて、その全てが世界を救うわけじゃない。
愛は世界を救うだなんて、嘘っぱちだ。
ボクはボクの周りだけ救えればいい。
半径2メートル弱、せまいけど、これで充分。
募金はしないタイプだ。
“何とかの王様”っていう言い方がある。
例えばバドワイザーにはKING OF BEERと書いてある。
ピアノは楽器の王様だ。
いや、習いゴトの王様とも言う。
でもそろそろそういうのはヤメてもいいんじゃないのかな。
暮らしに於ける三種の神器が移り変わって、新・三種の神器になったように。
アメリカにもヱビスを連れていくべきだと思うよ。
ボクもバドは好きだけれど、この日本でバドだけでいいなんて、口が避けても言えない。
黒ラベルやモルツ、クラシックラガーにもちろんヱビス。
スーパードライはいらないや。
ピアノに至っては、完全に時代遅れだろう。
高度成長期にピアノが流行ったのは、ピアノの魅力と言うよりむしろ生活様式への魅力。
だだっ広い部屋にビリヤード台置きたいってのと一緒だな。
確かに楽器としての魅力も否定しないけどね。
でもそれは他の楽器だって一緒。
条件的にも、イマなら特にそうだ。
音を出せないなら、サイレントシリーズを他にも作ろう。
サイレントヴァイオリン、サイレントサックス、サイレントお琴にサイレント和太鼓。
オーケストラも静かな中で、みんなでヘッドホンしてできるよ。
何だったら客席に座るヒトたちにもヘッドホンを。
イヤホンガイドみたいだな。
しかしサイレントシリーズで練習していると傍から見るのが楽しいね。
きっとCMでやってる、iPod付けて踊ってるヒトも同じだろうな。
でもまあ、それは慣れるでしょ。
そうなればきっと王様は交代するかも知れないよ。
クーデターを起こそう。
しかし時代時代で移り変わってしまうような王室じゃあ困るね。
時代に関係なく、いつだってどっしりしていて欲しいよな。
そんな総理大臣みたいなコトでは困るんだ。
文句とか言えないような存在じゃなくちゃ。
でも、“President Of Beer”って響きも結構いいじゃない。
“習いゴトの総理大臣”ってのはどう?
夕日ヶ丘の総理大臣みたいじゃない?
誰も知らねえよ。
コドモの頃に習ってたコトの大半は、大きくなるとどうでもいい。
ボクの場合はそろばんだな、もう足し算もできないし。
そういう意味では、ちょっとピアノが弾けるといいよな。
ふとしたピアノバーで、ちょっと弾いてみせられたらかっこいいよね。
普段まったく使えない分、そういう時の効果は絶大だ。
ヴァイオリンが普段その辺に置いてあるとは思えないから、そういう意味では王様かも。
「王様、何か弾いてよ。」
大抵は“ネコふんじゃった”なんだけど。
オトナの三連休は終わるけれど、コドモの40連休は始まったばかりだ。
いいなあ、ボクには三連休すらなかったというのに。
いやまあ、それはボクの都合だけれども。
とは言え、イマ40連休もらっても何していいやら。
きっとボクはバイトするなあ。
コドモじゃないんだし、毎日遊んでたらすぐに財布が底をつくよ。
休みが終わってから、スッとおシゴトに戻れるかどうかも不安。
学校の先生とか、どうしてるんだろうね。
そりゃまあ夏休み中だって遊んでるわけじゃないのは知ってる。
でも生徒の前に立つのは、40日ぶりになるわけだ。
登校日というのは、意外と先生の為にあるのかもしれないね。
ベテランならともかく、新卒の先生がいきなり40日もブランク空けられない。
距離感掴みかねるよなあ。
夏は色々ある季節だし。
イマのボクなら40日はあっという間だな。
計画なんかヘタに起てたら、絶対40日じゃ足りないよ。
コドモの頃の、あの永遠とも思える感じは、まだ見ぬ未来への憧れそのものだったんじゃないだろうか。
そんな中で、守るべき計画なんて起てられるはずがない。
これは、空けておくべきスケジュールだ。
宿題なんてやってらんないよ。
そんなワクワクした気持ちには、もうなれないかなあ。
まさかそんなわけないよな。
他力本願でワクワクする時期はもう過ぎた。
これからは自力本願でワクワクしないといけないんだ。
ああ、自信ないなあ。
まだボクの中にはそんなタネが隠れているだろうか。
まだ見つけられない。
そもそもイマのコドモたちは、40日間何をやってるんだ?
ちゃんと遊んでるの?
ちゃんと夢見てるの?
ちゃんとともだちを見てるかい?
ジブン以外にも見るべきものはたくさんあるんだ。
やるべきコトは、やっといて欲しいなあ。
勉強なんか、普段いくらでもできるだろうに。
80日間世界一周って言うからには、40日あれば世界を半周はできるわけだ。
それだけの時間を、いつもと同じコトをやって過ごすのはおかしいよ。
それは確かに大切なコトだけど、それ以外にも大切なコトはいっぱいあるんだから。
その時にしかできないコトは、きちんとその時にクリアしておかなくっちゃ。
あ、ボクですか?
えーと、バイトします。
オトナはいいのっ。
・・・ホントかなあ。
線路は続くよどこまでも、っていうのはイマでも通用するコトバなのかな。
東京には網の目のように線路が走っているけれど、どうもすぐ終点になってしまう。
山手線なんかは確かにどこまでも続くけれど、きっと歌の意味とは違うね。
電車は走るよいつまでも。
どこまででも行けそうな、そんな空気を漂わせた歌なんだ。
そもそも東京から電車に乗ろうってヒトが歌っていい歌じゃないんだな。
夢を両手一杯に抱えて乗り込もうってヒトでないと似合わないよ。
朝の出勤で口ずさむなんて、皮肉以外の何ものでもない。
あるいは逃避願望。
電車は目的地に行く為に乗り込むのであって、行き先が曖昧じゃいけないのだ。
“どこまでも”行きたいなあとか思いながら乗り込むなんて論外だよ。
それが許されるのは運転士だけだ。
逆に言えば、そうしたいだけで運転士になってもいい。
そして一生に一度、何もかも忘れて走り出してもいい。
えーと年間何人が運転士になるんだ?
やっぱり全員にされたら困るなあ。
五年に一回くらい、どこかで起こるとかでいい?
誰がやるのかは任せるよ。
ジャンケンでも試験でも、好きなように決めてくれればいい。
そんな特典が付くと、私鉄の運転士になるヒトがいなくなりそうだなあ。
だってすぐに終点に着いて行き止まりになっちゃうもんね。
あのストッパーの強度を試してみたいという希望もあるかもしれない。
しかしそれは却下だ。
ああ悪いが却下だ。
地下鉄じゃあそんな気分にもなれないかな。
危険なのは、地下鉄が地上に出る一瞬だな。
あの瞬間に、様々な誘惑がアタマをもたげるよ。
陽の光が、彼らを狂わせる。
もちろんボクらも狂う。
夏にボクらは、どこまで狂うべきなのか。
あの一瞬の開放感は、果たしてただの幻で気のせいと言ってしまっていいものなのか。
まさにあの一瞬、このままどこまでも行けるかのような気がしたのだ。
どこまで行ってもいいような気がしていたのだ。
全てにさようならを告げて。
幻とか言うよりも、一瞬の気の迷いと表現した方が的確だな。
気の迷いも、どこまでも続けばどこかに辿り着くのだろうけど。
世間的にはそのまま行方不明もあり得るな。
例えば風船おじさんよ、イマどこにいるのだ。
そこはいいとこかい? 帰ってくるつもりはあるのかい?
夢を見て出発したヒトの末路を知りたいのは、夢を捨てたヒトだけだ。
そうだボクも線路の上をどこまでもその前に運転士にはどうすればなれるんだっけ。
そもそも別に運転士にはなりたくなかった。
ボクなんかはその原因の筆頭に挙げられるけれども、コドモが減っている。
一夫婦につき平均1.2人らしいね。
しかも都内に限っては0.9人とからしい。
そう考えると少ないねえ。
まずボクが結婚とかしたくないとほざくヒトなもんで、気分はよくわかる。
コドモがプレッシャーを感じているのと同時に、オヤも感じているのだ。
もちろんそれだけではないけどね。
ああいやだいやだ。
何がいやだって、そんなコトに怯えているジブンがいやだ。
ボクが年金をもらうまで、あと30年ちょっと。
その頃にはもう国民年金は崩れてしまってるだろうな。
少なくともボクはそう思ってる。
ボクらの世代は、結構な確率でそう思ってるヒトいるんじゃないかなあ。
ボクだって別途に年金入ってるし。
だからボクはあまり、これから生まれてくるコドモたちは当てにしてないのね。
でも、例えば今の60才は当てにしてると思う。
五年後、確実に受け取れるものだと見込んでると思うよ。
まあいいけどね。
そこへ来ると今の50才はビミョーだね。
あと15年、果たして年金制度は現存しているのだろうか。
目減りで済むなら、何%だろうな。
対処するには残り時間が少ないし、政治に絶望するくらいしかできるコトがない。
何かないか、できるコトはないか。
ひとつある。
少子化に歯止めをかける、世代間の戦いが今幕を開ける。
ジブンたちでコドモを作ればいい。
もう作れないならまだしも、まだできるなら作ればいい。
妊娠するとガンになりづらいって言うよ。
子育ては確かに骨かも知れないけど、コドモの夫婦にひとりぐらいいない?
持ちつ持たれつだ、一緒に育てていけばいいさ。
兄弟は欲しいけれどふたり育てるのはつらい、そんな若夫婦には朗報ではないだろうか。
兄弟のようだが実は叔父と甥というこの関係は、将来的に何か問題があるかな。
片方が早めに両親を無くす可能性はあるが、それでも成人して75才くらいでしょ。
ダイジョーブだよ、生きてる生きてる。
別にコドモが結婚してなくたって、もういいオトナなんだから子育てくらい手伝うだろ。
そこでまた、コミュニケーションを取るタイミングにもなるじゃない。
きっと犯罪発生率は減ると思うけどな。
赤ちゃんを意識して犯罪を犯すって、犯罪的にはハードル高いでしょ。
飛ばなきゃ未来がないなんてコトになれば、赤ちゃんの分、余計にがんばれるだろうし。
それはそれとして、イマ弟とか妹とかできたら驚くなあ。
うれしいかどうかは分からないな。
ちょっと恥ずかしい。
アルバムは30cm、ジャケが大きくて、ポスター代わりにもなった。
ウチにはレコードプレーヤーは共用のしかなくて、普段はカセットで聴いてた。
録音するのも結構大変だったんだ。
まずレコードの中の歌詞カードから各曲のタイムを合計する。
それでいちばん近いタイムのカセットテープを用意する。
たいていは46分か54分、まれに60分が必要。
ボクの記憶が正しければ、小中学生の頃にはまだそれに70・80・90があるくらいだった。
もちろん120はあったけど、繰り返し聴くのには適さないって言われてたな。
しかもどれも高かった。
46分でも300円より安いってことはなかった。
で、長さの確認ができたら、次はノーマルかクローム(ハイポジ)かメタルかを選ぶ。
たいして分かってないんだけど、要はそのアルバムに対する気分の問題だ。
思いきってメタルを与えたアルバムは、やっぱり特別な存在だった。
ごめん、ひとつも覚えてない。
カセットデッキにテープを入れる前に、リーダーを巻く。
録音のできる部分がすぐ出てくるようにしておくんだ。
そしていよいよアルバムに針を落とす。
針をじっと見ながら、録音の一時停止ボタンに手をかける。
ここだっ。
もちろんうまく行く時と行かない時がある。
早かったり遅かったり、ノイズが入ったりもする。
ジャスト!とか思ったらA面にB面を録り始めたなんてコトもあった。
イマならどっちでもいいとか言えるのに、どうして当時はそう思えなかったんだろう。
止めて、一度テープに無音を録音してから再チャレンジ。
聞き齧った分かりもしない知識を振り回して悦にいっていた。
そうやってやっとこさアルバムのA面を録り終える。
曲が終わったからって、すぐに停止ボタンを押しちゃいけない。
そこにノイズが入るからね。
その代わりに、曲が終わったら、カウンターをリセットするんだ。
ぽちっとな。
しばらくしたら針を上げて、そのままテープは終わりまで廻す。
またおしりのリーダーを巻いて、カウンターをリセット。
廻っていた分とちょっと、テープを巻き戻して再生する。
曲が終わったら録音スタンバイ。
さて、ここまででどの曲がいちばん好きだった?
そいつを余った部分に入れようじゃないか。
それが例えば三曲目ならば、二曲目の途中に針を落としてターンテーブルを振らす。
それから回して、ボリュームを上げる。
二曲目の終わりに耳を澄ませて、録音ボタンを押す。
さあポイントはここからだ、カウンターを睨み付けろ。
テープはジャストにいちばん近いものを選ぶので、当然全部は入らない。
だから途中で切れるのだけれど、そこでぶちっと途切れるのはつまらない。
きちんとフェイドアウトさせなくちゃ。
カウンターの目盛りがあと5になったら、徐々に録音レベルを下げていく。
0になるところで絞りきるように、きちんと均等なスピードで回すのだ。
ここで失敗するわけにはいかない。
よーいーしょー。
これでやっと片面の録音が終了する。
当然ではあるが、もう一度カセットとレコードを引っくり返して同じ作業を繰り返す。
それでやっと一本のカセットの中身が完成するのだ。
ウォークマンすらなかった時代、ボクらは部屋でカセットを伸びきるほどに聴き倒した。
もちろんケースにも気を使ったが、それはまた、別のハナシ。
さあそしてベツのハナシ。
フツーは“別の話”っていうのは語られないものと相場が決まってるんだけどなあ。
カセットへの録音をしている間に、タイトルを書いたラベルを作る。
フツーの製品なら、タイトルを入れる為の紙ラベルが付いてた。
片面に付き10行くらいはあったから、アルバム一枚は余裕で書き込める。
MDとは違うのだよMDとは。
中学生のボクはそのラベルに、一行置きに曲名を書き入れていった。
使うのは0.5mmの油性ペンだった。
空けた一行の有効な使い道を考えたコトもあったけど、見つからなかった。
コンピレーションを録る時には実にありがたかったけど。
メインのタイトル(本で言うと背表紙)にはレタリンググッズを使う。
ペンのお尻とかで、紙にこすって張り付けていく。
一度だけ、曲名まで全部やったコトがあったっけ。
余ってる文字を分解して使ったりもしてた。
ちなみに付属のラベルはすぐに使わなくなった。
ファンシー系の文具屋さんにはカセット用のラベル紙が売られてたから。
お好みのを買ってきて、外見を統一する。
それがしばらく続いた。
でも、高校に入る頃には違ってた。
わら半紙のジャストサイズの束をウチで発見したので、それを使ってた。
ちょっとレトロな雰囲気で、結構気に入ってた。
この頃にはタイトルも手書き。
さて中学の頃、録音の終わったカセットを取り出して、タイトルラベルを貼付ける。
貼付けずにカラーマーカーなんかで直接書くのもあり。
ABCをかたどったパスタをのりで貼ったりもしたっけ。
それもすごい時には、それぞれにきちんと着色してからだ。
よっぽどヒマだったんだな。
で、その結果、すごくカスタマイズされたテープができあがる。
だんだんと聴くものが増えるに連れて、使い回す必要が出てきてこの習慣は廃れた。
外側を変えるだけのわら半紙ラベルも、実に都合が良かった。
ちなみにこの頃も、テープの使い方を見ているとおもしろい。
ボクはある音源は全部入れたいヒトなのだ。
でも、特にオンナノコに多いのは、テープが短いなら好きじゃない曲を切ってしまう。
そうすると二枚組のライヴ盤が、60分に収まるなんてコトも可能になる。
それでいいと思えるクールでドライな感覚が、実に羨ましかった。
つか、イマでも羨ましいな。
何ひとつ進歩がないらしい。
長々とカセットテープについて記憶を掘り起こしてみた。
イマやCDをPCに放り込んでポンで終わってしまう。
ボクはイマでも、音楽を大切にしてるだろうか。
教えて偉いヒトかどうかはわからない当時のボク。
ボクは常々、虫歯は既に駆逐されているのではないかと睨んでいる。
歯科医師会あたりが、世に出ないように圧力をかけているのだと思う。
なめるだけで口中の雑菌をクリアするアメ。
噛むだけで歯並び矯正をしてくれるガム。
歯磨き効果まで含めた液体歯磨き。
果たしてポスカムはその第一歩たりうるのか。
歯科医師会的には見逃してもかまわない程度の効果なのだろうな。
しかしこれを足がかりにして、どんどんとやってってもらいたい。
自助努力とかサポートとかじゃなくてね。
とか言っても、調べてみたらこれ一日四回、しかも20分も噛まなきゃいけないんだな。
しかも食後の歯磨きは欠かしちゃいけないらしいよ。
ダイエット食品だって、いちばん実効性の強いのは注意書きだっつの。
まずは食後の歯磨きを欠かさないヒトに使ってもらわないとわからないなあ。
いるよねえ、ジュース飲んだだけでも磨くヒトね。
よっぽど痛い目にあったんだろうな。
しかしホント、それができれば苦労はない。
飲みに行ってお風呂も抜きでバタンキュー。
歯磨きはついつい省略されてしまう。
よくないとはわかっていつつもつい。
ああ、これがあるから歯科医師会が容認したのか。
いや意外と歯磨きの注意は、歯科医師会に対する目くらましかも知れないぞ。
すり抜けて、たばかって、転覆を狙っている。
いずれ歯科医師会はグリコの傘下に入るのだ。
おおグリコすごい、そこまで考えてたか。
しかしそこまでうまくいくかな?
コドモの頃、何度か歯医者に行った。
ある時、治療が終わった後に麻酔薬か何かを含めたガーゼを噛まされた。
これをいついつまで噛んでろと。
たしか終わるとちょうど夕食前だったから、ちょうどいいやと口に入れる。
噛んだままでウチに帰り、しばらく噛んでた。
そのうちに飽きてきた。
さらにそのうちに苦痛になってきた。
そこまでして噛んでるコトもないだろうと、イマならやめちゃうだろうけど。
当時のボクは頑張ったのだ。
ひとりで依怙地になってたんだと思うけど、気が狂いそうになりながらもクリアした。
ああ、何という開放感と達成感だったコトだろう。
その代償として、ボクはそれ以降ガムが噛めなくなった。
味がなくなってくると同時に、あのガーゼの感触が蘇って気が狂いそうになる。
グリコの策略なんか、もう20年も前からわかってたんだ。
恐るべき、歯科医師会。
宣伝してくれってサンプルもらったんだけど、こんなもんでよい?
一回だけ試したけど、やっぱしダメだったよー。
テレビでちょっとかわいいオンナノコを見つけて、ネットで誰か調べてみた。
生年月日に平成元年生まれとか書いてあって、軽く凹んだ。
よく考えると、何で凹んだのかわからない。
いいじゃないか、知らないわけじゃなかっただろ。
モー娘。とかに平成生まれがいるのは知ってたけど、あれはコドモだったからね。
だから別に気にしてなかったんだな。
ところが平成生まれがジブンのストライクゾーンに入ってるとなるとハナシは別だ。
いやまあ、繰り返すけど知識としては知ってたんだよ。
実感が伴ってなかっただけで。
そうかー、平成生まれのオンナノコはもう結婚できるんだなー。
ちょうどボクの半分の年なんだよ。
そうか、そんなに過ぎたのか平成は。
ボクは“平成”をずっと過小評価してたのかもしれないなあ。
ただ新しい年号だと言うだけで、ずっと“時間”としては認識してなかったのかも。
昭和と同じように過ぎてたのにね。
なんか、ジブンより後に来たというだけで、ジブンの後輩みたいな気分だったんだ。
そりゃあ違うのはわかってた。
きっちり昭和の後を継いで、ボクらの時間を刻んできたんだ。
もう16年もやってきたんだ。
もう昭和は忘れてやってもいい。
先代のコトをいつまでも引き合いに出して語るのはやめる。
もしかして歴史の教科書の現代史には、もう昭和は載ってないのかな。
昭和はもう近代史だったりするのかな。
たまらんなあ。
ボクの半生が。
そうなんだよ、半生なんだ。
もう半分は平成になってから過ぎたのだ。
それなのにボクが平成をなめてたせいで、ぼやぼやしてる間に過ぎてしまった。
生まれたオンナノコが、結婚できる年にまで育つなんて。
ああ平成よ、立派になったもんだ。
でも昭和はまだ伝説にはなってないね。
大正や明治は、何かと語るべき材料があるのにね。
昭和ときたら、第二次世界大戦と昭和歌謡くらいしかないよ。
昭和の文学って、いったい何だったろう。
まあボクの興味の行き先に問題があるのかもしれないし、ふたつもあれば充分な気もするし。
身近過ぎて、昭和の方が過小評価なのかも。
よくないなあ。
昭和の大事件か、他に何かあったかなあ。
三億円事件か、学生運動か。
そうだ、ボクが生まれてる。
知識としてすらどうでもいい。
道端にホームレスのおっちゃんがパンツ一枚で寝てる。
それもパンツの中に手を突っ込んで、ボリボリと掻きながら寝てる。
いやあ、痒いものはしょうがないのかもしれないけどさ。
もう少しわきまえようよ。
それともそっちの世界にいる為には、そこでわきまえたりとかしてはいけないの?
わきまえなければわきまえないだけ偉いのかな。
マメに水浴びとかするようなヒトは、バカにされてたりする。
それはありそうだな。
ボクとしては、それくらいはやってて欲しいところだが。
だって臭いんだもの。
何というか、実に動物の臭いだよね。
ブンタも夏になるとこんな臭いするよ。
洗ってやらないとならないのだ。
おーい、なぜいやがる。
繰り返すけど、ブンタと同じ臭いだよ。
ブンタは許すけど、おっちゃんは許されないなあ。
犬と一緒にするなって?
犬と一緒にされるなよ。
実際にカラダに問題があって働けないってヒトはどれくらいいるんだろうなあ。
だってみんな元気そうに見えるよ。
カラダの問題よりもココロの問題なんじゃないの。
それにしては、拾ってきたものの売店ではみんな楽しそうに働いてるよなあ。
人生はおカネじゃない、を実行していると言えばそれなりに聞こえがいい。
ボクはそれなりには人生はお金だと思っているから、ちょっとコンプレックス持つかも。
おカネのない人生なんて!
それを楽しんだ結果があれならボクはイヤだ!
まあみんながみんなそうなわけではないだろう。
ホントにやむを得ずあの立場に陥ってしまったヒトもいるんだろう。
けどそんなヒトは道端でパンツいっちょで寝ないと思う。
ボクはどうしても、「BIG ISSUE」を売っているヒトの方に好感を覚える。
楽しそうなのは圧倒的に前者なだけに、ボクがあの立場になった時に自信が持てない。
みんな! オラに勇気を!
社会を放棄して、結局新しい社会を作ってしまっているあれが理解できないんだよなあ。
腹ボテになってるおばちゃんはよく見るんだけど、赤ん坊を見たコトは一度もないし。
あれ見てると、できちゃった結婚するヒトの方がよっぽどマシに思えるよ。
たとえ一年で別れて、結果虐待死させるコトになったとしても。
ボクの両親がそうだったとしたら、ボクは一生両親のカオなんか見たくない。
どれだけ稼いだとしたって、一文たりとも渡したくない。
まあオヤのない子の気持ちはボクにはわからないね。
でも探し当てたジブンの両親がそんなトコでのうのうと生きてたら、ボクならイヤだな。
こんな嫌悪感も、いずれは“若いなあ”のヒトコトでやり過ごせる日が来るのだろうか。
つか30過ぎて“若いなあ”とか言われないっていい加減に気付けバカ。
タクシーの運転手さんが、タクシー内の全面禁煙を求めているらしい。
気持ちはわからなくもないけど、それは正直、どうだろうと思う。
ボクはたまたま非喫煙者だけど、吸うとしたらタクシー内では吸いたいだろうな。
運転手さんに対する気遣いの問題なんではないの?
窓くらい開けて吸おうよ。
もちろん逆だってあるよね。
チェーンスモーカーの運転するタクシーにボクが当たってしまったら、それは不幸だよ。
吸わないでくれとは、多分言えないんだろうなー。
何でそんな当然の主張をできないんだろう。
クルマを単純に移動手段としてだけ考えれば、禁煙は至極当然なコトなんだな。
でもボクらはクルマをそうは捉えてない。
むしろ部屋を借りている感覚があるよね。
遊覧船の個室とか、そんな感じかなあ。
例えばバイクで旅をするのとクルマでするのとは、全然違うって言うじゃない。
それは多分、ジブンのクルマはジブンの部屋の延長だからだと思うのだ。
だからどこだってごはん食べるし、寝るし、カーセックスだってしちゃう。
バイクのヒトはバイクの上でやらないでしょ?
なんてアクロバティックな。
その流れでいくと、クルマの中は喫煙可の場所として認識されてるよね。
タクシーは言わば、ホテルの部屋に当たるのかな。
まだまだ室内完全禁煙のホテルってないと思うんだ。
ホテルのヒトはファブリーズを、どれだけ力強いと思っているコトか。
一日でどれくらい消費するんだろう。
以前やっぱり非喫煙者のおばちゃんが言ってたコトが印象にのこってる。
旅館とか泊まっても煙草の臭いの染み付き具合によっては部屋を変えてもらうそうだ。
実際そこまで気にしてるとはとても思えなかった。
だって付き合う男に喫煙者フツーにいたからね。
あれはポーズが多分に含まれていると思う。
いやまあ、それが悪いとは思えないけどさ。
喫煙者に風当たりの強いイマ、主張するべきところはするべきだと思うの。
非喫煙者も、きちんと住み分けを考えるべきだと思う。
煙草を吸う・吸わないで友達になれるかどうかなんてさみしいね。
しょうがないよ、一緒にいられないんだもの。
ボクなんかはまだ、煙は平気な方だけどね。
それでもひと吸い何日とかの寿命換算計ができたらしみじみ考えるよな。
生命削ってまでこいつと遊ぶ意味って何だろうなと思うんだ。
友達ですら、そう思う。
そりゃあタクシーの運転手さん的にはそう思うよな。
知りもしない客の煙を小一時間吸わされて、それでも何にも言わないなんて。
安全も兼ねて運転席と客席を区切ればいいんじゃないの?
ジブンの部屋なんだ、好きなようにカスタマイズしてもいいのに。
ああでも、ペットと麻雀は禁止というコトで。
大友克洋について少し。
ボクは高校生の頃からの、漫画家・大友克洋のファンだった。
「童夢」や「AKIRA」を筆頭に、いくつもの作品を読みあさった。
中でもいちばん好きだったのは、やっぱり「AKIRA」だった。
イマでもたまに読み返す。
あれが劇場用アニメーションになったのは、1988年。
宮崎駿が「となりのトトロ」を発表した年だ。
「オネアミスの翼」を山賀博之が発表したのは1987年。
そりゃあもう、作家性の強い大掛かりなアニメがどんどん出てた時期だったのだ。
しかも本人がメガホンを取ったので、ボクは、そりゃあ期待してたよ。
予告も良かったし、劇場へいそいそと足を運んだ。
結果はまあ、その、正直期待外れだったなあ。
あれ以降、何度か観る機会もあったけど、何度観てもおもしろくない。
やっぱり劇場用長編アニメを初めて撮るのに、素材に選ぶようなものじゃなかったんだ。
あの原作を2時間強に収めようってのが、そもそもムリだったんだ。
でも誰かにそれができるとするなら、それは大友克洋本人であるべきだろうとは思う。
そのうちに撮り直す日が来るかもしれないね。
「MEMORIES」に収められた「大砲の街」はすごかった。
「AKIRA」からこっち、どれだけ勉強したんだろうって感じだった。
ただ「MEMORIES」全体で考えると、製作者という意識の方が強いのか。
だってあの世界にどんな物語が躍るのかと考えたらそれだけでよだれが!
世界に物語を持ち込むのが面倒だったのかと思ったんだ。
だってほら、「AKIRA」の後だから。
もう気付いているだろうけど、「スチームボーイ」を観た。
始まってしばらくは、どうもヤバいなあ、とか思ってた。
けど、ハナシが進むに連れて、ボクはのめり込んでた。
こりゃあすごい。
すごいすごい。
うわぁー。
何がすごいって、まずジャストサイズな物語がすごい。
必要なものは全て描かれて、不要な部分は全て削られて。
「AKIRA」の反省点だったんだと思うよ。
終わってみて90分くらいかと思ったら、2時間以上あったもの。
それとやっぱり「大砲の街」での収穫だろうけど、アニメとしてすごい。
そして何より、映画としてすごく正しい。
詳細に触れるのは避けるけど、たくさんのヒトに観てもらいたいな。
そうすれば次作が早くできるかもしれない。
やっとこさ、大友克洋がまともな映画を撮ったという感じ。
奇しくも今年は、宮崎駿の「ハウルの動く城」も公開される。
ライバル心を剥き出しにした大友克洋の挑戦はどう評価されるのか。
ちなみにボクは宮崎駿ならラピュタが好き。
ここから先は自己検閲でひとつ。
定食屋さんでごはんを食べてたら、30くらいのサラリーマンが語ってた。
ふたりで飲みながら、切々とジブンの部内の立ち場について語ってる。
課長がどうした、係長がどうした、何とかさんがどうした。
どうも語ってる相手は、その部署のヒトではないみたい。
でも、よく知ってはいて、客観的に見られるヒトなのかな。
ちょっと目上っぽかったけども、まあグチるにはいい相手だ。
本人は結局のところ、ジブンはこんなにも偉いヒトたちを慕っているのに、と語ってた。
部内のコトを考えて、という風を装ってはいるんだけど、相手にはバレバレだと思うよ。
挙げ句の果てには、課長のシゴトを引き継いだとかで何とかさんに付いて言及してた。
その引き継いだおシゴトのとても大事な日に、オヤの具合が、と言って休んだそうだ。
それでそのヒトにすごく落胆したんだって!
ボクならオヤの具合が悪いのにおシゴトに出てくる人に落胆するけどな。
相手もさすがに、それはしょうがないよ、って言ってたけど聞いちゃいない。
たかがサラリーマンが、オヤの命とシゴトとを天秤にかけるべきなのか?
“たかが”ってコトはないかも知れないけどさ、だっていなくても何とかなったんだし。
誰が欠けても何とかなるようにしておくって、とても大切なコトだと思うけどどうなの。
いったい君にはそれができるのかい?
ジブンの代わりはいないって、ほとんどのヒトにとってはそんな威張れるコトじゃない。
だって要するに、後進を育てられていないってコトだから。
単発なら、バックアップ・システムを確保できてないってコトだから。
よっぽどずば抜けているヒトならしょうがないけどね。
でもほとんどは勘違い、ジブンを過大評価してるんだよ。
その根拠のない自信は、コドモの持つそれと同じだよ。
未来は広がっているような気がするね。
でも実際、君の部署の君の未来はそんなには広がってない。
しかしよく定食屋であそこまで語れるなあ。
ビール飲んでるみたいだけど、いったいあれは何本目なんだ?
まだ19:30だし、そんなには飲んでないと思うけどな。
あ、相手トイレに行った。
ボクのごはんもやっときた。
うまうま。
食べてると、トイレから戻ってきた相手に、もうちょっと語っておひらきになった。
当然だろうなあとは思ってたけど、語ってた方が払っでふたりで出てった。
にせんちょっとって!?
うわあびっくり。
まあ飲みもせずにあれだけ語れるってのは、よっぽど溜まってるんだろうな。
あれで飲んでたら、いったいどうなるのか知りたい。
一応たがを外さないように気を付けてたんだろうなあ。
さあ、ボクもそろそろごちそうさま。
がらがらっ、あっさっき語ってた人が戻ってきた。
「すいません、さっきの勘定なんですけど領収書もらうの忘れちゃって。」
お前なあ。
突然高野豆腐が食べたくなったので買ってきた。
こういうのは“おふくろの味”とか言われて重宝される類いのものだね。
ボクの実家でも、実によく登場する。
ボクも大好きな一品。
コドモの頃はそんなに好きでもなかったな。
もちろん嫌いでもなかったけど、言ってしまえばどうでもよかった。
でもそういうのが案外、おふくろの味たりうるのかも知れないね。
どこにでもある、誰にでも作れる、それでいて柔らかい。
不思議なコトに堅いものがおふくろの味であった試しがない。
ボクの周りだけかも知れない。
ちなみにボクは高野豆腐を作ったコトがない。
ニッキ付けたらビール飲むので、それのつまみにするつもり。
不味くたって誰かが死ぬわけじゃないし、そもそもだしの付いてるヤツ買ったんだし。
あれを不味く作るのって、実はとても難しいんじゃないか。
と、ジブンの不安を治めようとしてみる。
どう考えてもボクのこの理論が間違っているとは思えないんだ。
なのにどうしてこんなに不安なの?
ウチの高野豆腐には、溶き卵がかかってた。
で、グリーンピースかなんかが乗ってた。
いつもそれだったけど、何だ結構手間かかってるなあ。
しまったそんな用意してない。
これではウチの味にならない。
最初っからそんな高望みはしてないよー。
まずは高野豆腐を作るだけでいいのだ。
まあこれだったら高野豆腐って呼んでもいいかなって、そうボクが思えればいい。
全てはそれからだ。
あとウチの味っていうと、とろろ汁とか。
お味噌汁を使って延ばすのだ。
世間的なパーセンテージはわからないけど、あれも色々あるんでしょ。
ポタージュスープとかで延ばす地方もあるかも知れないよ。
あれだって要は長芋を摺り下ろして、出汁で延ばすだけでしょ?
誰にだってできるだろそんなもん。
いやだやりたくない。
そんなイマ発したばかりのコトバを否定しかねない行動は取りたくない。
別にこれが二大我が家の味というわけではないのだけど、何となく選んでみた。
夏に帰ったら、作ってもらおう。
多分高野豆腐は黙ってても出てくるから、とろろを作ってもらおう。
うん、何だか食べたくなってきた。
さあ高野豆腐作ろう。
うまくできてもわけてあげないよ。
そんなありえない。
高野豆腐は予想以上にあっさり、それもおいしくできてしまってびっくり。
ものすごくフツーにうまかった。
これだけ簡単だったら、また作ってみようかなって気にもなるなあ。
つまんないくらいにあっさりだ。
インスタントの技術も向上したもんだね。
ボクは缶詰とレトルトとラーメンしか使わないからなあ。
しかしあれがあそこまでインスタントだとは思わなかった。
すごいすごい。
ごはんを作るヒトの強い味方だ。
でも凍り豆腐ってのはもともとあんなもんか。
別にあえてインスタントに仕立て上げたわけじゃないか。
そうかそうか、いや失敬。
煮汁の粉が分量分付いてただけだな。
考えてみれば溶き卵だって、最後にたらし込めばいいわけだ。
グリーンピースだって、テキトーに放り込んどけばいいわけだな。
何だか母の魔法が溶けて行くようだよ。
料理ってこれだから嫌い。
世界が魔法に満ちていたあの時代には、もう戻れないの?
助けてハリー!
ボクの生活の中でも、料理はまだ魔法に満ちている。
何か味が足りない気がしても、何をすればいいのかわからないし。
みりんを舐めたコトもないし片栗粉を舐めたコトもない。
味なんか知らなくたって、何となく使うコトもある。
結果にどう作用しているのか、いまいちよくわかってはいないのだ。
さすがに片栗粉の効能はわかってるけどな。
まあさすがにいつまでも料理ごときに魔法を求めても仕方がないコトはわかってる。
特に母の料理なんて、作っている時に隣に立っておけばいくらでも知るコトができる。
料理をできるヒトの何割かは、そうやって覚えてきたんでしょ。
そうやって“おふくろの味”を受け継いでいくのだ。
そして新しい家族の影響なんかも受けつつ、家庭の味になっていくのだな。
決して時間が止まるコトなんてない。
時間は残酷にも、世界をどんどんとむき出しにしていってしまう。
いいじゃないかカレーはカレーでしかないよ。
スパイスの種類なんか知りたくもない。
食べておいしーいって、もうそれですませられないんだから人生って残酷。
ボクもそれなりには世界に向き合ったような気がしてたけど、まだまだだったなあ。
今度はもうちょっとだけ、ちゃんと目を開けてみよう。
また見えてなかったものが見えてくるから、そこから好きなものを探す。
汚いものは、見ないようにする。
ああもう鏡が見られない。
ウチにいても目が開けられない。
やっぱりジブンの目の届くとこくらいは、何とかせにゃあならんかね。
めんどくさい。