あー、昨日たくさん飲んだので今日は調子が出なかったなあ。
時間はあったんだけど、決まりゴトをこなしただけで終わってしまった。
もうちょっとできるコトあったよなー。
あーあ、もったいないコトしちゃった。
そういうアイディアは、たいてい終わってから浮かぶんだ。
何でそれをさっき思い付かないかなあ。
そうすれば実行できたのに。
イマ思い付いたってもうダメだよ。
こういう、必死になって考えてる時にはダメで、ってのはどうなんだろう。
実は“イマ思い付いちゃうとやらなきゃいけないから”思い付かないだけじゃないかな。
後から思い付く分には、あーあって言っとけばすむもんね。
そうか、めんどくさいが故の自己防衛機能なんだ。
ヒトとしてどうなんだとかも思うけど、きっと正常な反応。
まあアイディアが出ないのはそればっかりでもないだろうけどね。
ジブンの中にあるもののはずなのに、全然外には出てこない。
きっとアイディアは恥ずかしがり屋さんなんだな。
もじもじしてばっかりで、むりやり引きずり出されないとヒトの前には現れないんだ。
で、忘れた頃にひょいっとカオを見せるのを捕まえる。
きゃっ。
そんな隠れキャラなアイディアが捕まるのは、あまり当てにしない方がいいね。
やっぱり普段からきちんとメモるなりしながら、籠に入れて目に付く場所にぶら下げる。
出してー、ここから出してー。
あたしが何をしたっていうのー。
弁護士を呼んでー。
まあそんな自己主張はしないと思うけどね、恥ずかしがり屋さんだから。
でもそこにつけ込んで監禁するなんて、まるで気の弱さにつけ込む痴漢みたいじゃないか。
ひどいなあ、ホントありえないなあ。
しかもいざ必要になった時には新鮮さが失われて腐臭が漂っているという。
アイディアの辛いとこはやっぱりそこだなあ。
10年前ならすごいアイディアだったものが、イマならカスでしかなかったり。
逆ももちろんあるだろう。
一度はダメでも捨ててしまうのは待った方がいいというコトか。
そうやって籠に囲まれて死んでいけばいいんだ。
ボクはホントにすごいアイディアなら、そこから始めるコトができると思う。
だから、必要な時、とかはあまり関係ないと思うのだ。
ヒトが普段切実に必要とするのは、そんなすごいアイディアじゃないけどね。
もっとささやかで確実なアイディアを、みんな欲しているのだ。
ボクらはそういう面に於いて、ホント怠慢だと思う。
世界がひっくり返るようなアイディアを素直に喜べるヒトになりたいな。
人生を捧げてもいいと思えるアイディアに巡り会いたい。
思い付いたらとりあえず籠に入れて。
そろそろ冷やし中華が出揃った。
まだボクは食べてないけど、どこのラーメン屋さんにも“始めました”って貼ってある。
もっと暑くなれば、食べるコトもあるだろう。
まだまだボクは、熱いラーメンを食べるのだ。
あせあせ。
冷やし中華も好きなんだけど、ちょっと高いのがなー。
同じくらい食べたいと、どうしても安い方にいっちゃうよ。
しかも冷やしは当たり外れ大きいし。
最後にトマト残るしなー。
そもそもなぜ麺にトマトなんだ。
他の細切りになってる連中と比べて、あの態度のでかさは何なんだ。
ヒトのカラダに例えると、イボみたいな存在じゃないか。
納得いかない。
トマトのない冷やし中華なんて!ってヒトはいるのかしら。
パスタにトマト、ってのはソースだもんね。
トマトを切っただけのヤツを添えるだなんて、そんなコトはイタリア人が許さない。
会ったコトないけど、そう決めた。
冷やしといえば、あとはそばかうどんだね。
おそばは年中あるからいいよね。
ボクは春先に食べるのが好きだな。
空気の匂いが変わっていくのを感じながら、おそばをたぐるのだ。
夏といえば、逆にスタミナ料理なんてのもある。
ボクは夏でも熱いものを平気で食べるので、あんまり縁のない世界だ。
土用の日に合わせてウナギ食べるくらいかな。
土用がなんなのかは、実はよくわかってないんだけど、スーパーに並ぶからつい。
白焼きにお醤油っていうのも好きだけど、うなぎ!っていう感じがするのはうな丼。
うな重じゃダメだし、蒲焼きだけ出されても対処に困るよ。
ビールには、合うのだろうか。
そういえば丼もの含め、ごはんはいつでも温かいね。
冷やしごはんは、おむすびかお寿司くらいなものじゃない。
お店で食べるごはんが、夏だからっつって冷たいなんてあり得ないね。
もちろんトマトが乗ってるコトもない。
その一点だけでも、ごはん支持には充分な理由だな。
冷やし中華も年中出せば、もっと値段が安くなると思う。
そして年中出せば、トマトが余計なんだってコトがわかると思う。
淘汰のタイミングを、ヤツにくれてやれ。
毎年毎年、開始だけ宣言して終了を宣言しないのもヤツを甘やかす一因だな。
きちんと“冷やし中華終わります”“終わりました”を出すべきだと思う。
そうすれば、ボクも駆け込みで最後に食べるかもしれない。
夏の終わりと、ひとかけらの取り残されたトマト。
なんかほのかに情緒的な風景だ。
いやー待ち時間の多いおシゴトは疲れるわー。
何ゴトにも効率って大事だと思う。
最小時間に最小の手間で最大の効果を上げるのが、ボクにとってのよいシゴトだ。
あー、今日はいいシゴトしたなーって日は、やっぱりシアワセ。
でも、それはあくまでもおシゴトのハナシ。
いい休日は、また違う定義で語られるべきだろう。
ボクの私生活は、いわゆる効率とはずいぶん離れた場所にあるみたいだ。
洗濯も掃除もせずに、カップ麺とビールとお昼寝でイチニチが終わってもいい。
ダラダラしたいなー、って日にダラダラするのが、ボクのお休みだ。
さて、ヒトとしてはこれ、どうなのか。
そう、ヒトとしては決して正しくはないね。
お休みだからといって、決して目覚ましをかけようとしないこの態度はどうなのか。
かけてた時期もあったんだよ。
ふと思い付いて、やってみてたのだ。
あれは非常にうまくいってた。
9:00〜10:00の間には起き出し、洗濯してお布団を干し、部屋を掃除したりする。
そんで昼過ぎには外に出て、昼食を済ませて映画とか観る。
電車の混まない17:00過ぎには家に帰ってきて、スーパーで買ったもので晩酌する。
もちろん洗ったお風呂に入る。
ふかふかのお布団で寝る。
非常にうまくいっていた。
でもヤメてしまったのだ。
本人はすごく満足はしてたんだけど、どこかにやっぱり物足りなさがあったんだと思う。
きちんとしていては、決して味わえない満足があるんだ。
ホームレスが楽しそうにしているのは、そういうコトかもしれないね。
いやしかし、それは決して知ってはいけない快楽なのではないか?
今日も、特段やるコトはないのだけれど、いなきゃいけないおシゴトだった。
結局ボクは、かなりの時間寝てた。
横にこそならなかったけど、イスで船を漕いでいた。
物の例えが先行してるなあ。
ボクは本物の船を漕いだコトはないぞ。
しかしイスの船はもうかなり漕いだ。
そろそろ韓国くらいなら着くんじゃないだろうか。
だんだんと私生活とおシゴトの区別がなくなっているような気がする。
しかも、おシゴトが私生活に侵食されている。
これはいかんなあ。
引き戻す作業が必要だろうか。
そうか、またそろそろお休みに目覚ましをかけてみようか。
しかしそれではお休みがおシゴトに侵食されてしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。
立たない方にだけ、何か与えとくか。
まあしょうがないね、そろそろ年だし。
コドモ向けのショーってものがある。
ボクは学生の頃ヌイグルマーだったので、そういうものには色々と関わってきた。
でも、ここ10年くらいはほとんどやってない。
おシゴトでやるには、ちょっとツラいなあと思ったのだ。
バブルはじけてその手のおシゴトが減ってた時期だったし。
イマでも決して回復したわけじゃないし。
だから忘れてたんだ。
コドモがどんなに真剣にステージを観てるかってコトを。
先日付いたおシゴトは、正にヒーローショーだった。
ちょっと違うのは、前半に出演者含めた裏話のコーナーがあったコト。
ボクらは、こんなハナシをコドモに聞かせてどうしようっていうんだと思ってた。
でも、コドモにはそんなコト関係ないんだよ。
ショーが始まれば、ライダーの中身はあのヒトだと信じて疑わない。
真剣に応援の声を出し、時には泣いたりもしちゃうのだ。
考えてみれば、ボクだって志村けんに後ろ後ろって思ってた。
それはそれは真剣に思ってた。
その場にいたら、叫んでたかもしれない。
想像しづらいけどなあ。
単純にコドモはそういうものだ、と言ってしまうのは簡単だ。
じゃあ、どうして“そういうもの”でなくなってしまう日が来てしまうんだ。
そうじゃないんだ、コドモを騙すのは、オトナの本気なのだよ。
コドモだけじゃないね、信じられるのはいつだって、全身全霊で吐いたウソだ。
コドモをコドモで居させてやれないのは、オトナの怠慢に他ならない!
コドモ騙し、ってのは“簡単”だと思ってない?
確かにその一瞬は簡単かもしれないけど、30分なり騙し続けるのは結構大変だよ。
しかもそれとオトナの生活を、同時に行うんだから。
その辺のサラリーマンより、よっぽど真剣にやってるよ。
コドモ繋ぎ止められないようなオトナには、オトナとしての価値を認めないんだ。
あーなんてボクの両親は偉大だったコトだろうか。
まだ生きてるけどさ。
ホントに、ヒトの知恵とスキルだけで何だってできるんだよ。
そりゃあおカネも、人数も、完璧な段取りも、“ある方が”いいに決まってる。
でも、それがなくても泣き言なんか誰も言わないよ。
その中で、いかにコドモたちを騙すかに総力を注ぎ込むんだ。
ヒトのシゴトっぷりを観て感動するなんてそうあるコトじゃないけどさあ。
あの時にはホントに感動したなあ。
見習わねば!とか思ったもんな。
騙されたはずのコドモの笑顔とか、ホント大切だと思う。
ボクはもう志村が狙われていても、後ろ後ろとか思わないだろうけれども。
でも現地で見て誰も叫ばなかったなら、後ろ後ろと叫ぼうと思う。
コドモにお手本を示すのはいつだってオトナのおシゴトだろう。
志村ーっ後ろ後ろーっ!
うわあボクが観られてる。
水戸黄門の持ってる印籠は、普段は何に使ってるんだろう。
週に一回は使用されてるけれど、つまりそれは週に六日は使用されてないというコトだ。
あとはしまいっ放しかい?
いざって時に、無かったりはしないのかい?
あれはもともとは薬入れだと聞くね。
もちろんご隠居さんもあんな年だし、それなりに常備薬もあるだろう。
長旅なんだから、予備も含めるとかなりな量になると思う。
ジブンで持ってなくていいのかなあ。
いざって時に、持ってる方を探さなきゃいけない。
うかうか用も足せないなあ。
だからってジブンで持ってると、悪いのに見せる時にもジブンで出さなきゃいけないし。
それはさすがに威厳が保てないよなあ。
じゃあこそっと助角に渡して、ってのもつまんない。
そんな作為は求めてない。
そもそも薬が必要な発作が起こるなんてのは、主に興奮した時だろう。
助角に印籠スタンバイさせてる時とか、すごい興奮してそうじゃない?
心筋梗塞とかで、きゅっと逝ってしまわないのかな。
さすがにそんな年じゃないか。
予想では50前後かな、そんな年だなやっぱり。
危険なお年頃だよ。
ああ、きっと薬の予備と一緒に印籠の予備も持ってるな。
そうだよね、週に一回は確実に使うんだもんね。
壊れてその辺の道具屋で買ってくるってわけにいかないんだから。
助角の荷物の中に、多分四つか五つくらい入ってる。
そうしたら当然ご隠居も持ってるな。
そっか、そうだよな、そんなところに抜かりがあるわけがない。
ヘタしたらうっかり八兵衛まで持ってるよ。
あ、でも多分彼の印籠には御紋は入ってないな。
そう考えればひとつの疑問に答えが与えられる。
印籠が突き出される時に音がしないんだよね。
薬とかが入ってるんだとすると、カラカラ音がしそうじゃない。
効果音にごまかされてるだけかとも思ってたんだけど。
きっとあれの中身はからっぽだな。
別に印籠でなくたっていいじゃないか。
どこで拾ったのかわかりゃしない。
じゃああの印籠は、基本的には“見せる”専用というコトでよろしいか。
使い終わったらスポンジかなんかで包んでしまわれるのだ。
いつも綺麗な理由もそれでわかった。
中はきっとくり抜かれてなんかなくて、蓋も飾りだろう。
そもそも印籠ではないのだ。
じゃあいったいあれはなんなのか。
ぶつけたら痛いじゃないか。
サボテンは話しかけるとよく育つっていうよね。
あれは、内容は何でもいいのかな。
アロエリーナみたいに、色んなコトを聞かされてもいいのかなあ。
火傷する恋はイヤなの?
ふーん。
すごく偉いヒトの部屋にサボテンがあったとして、彼らは話しかけるだろうか。
国家機密とかをペラペラと喋って、すっきりしたりするのだろうか。
そのサボテンと、例えばボクの部屋にあったとしても同じようには育たないだろ。
ボクはそんなにたいしたコト話さないよな。
それはここ読んでるヒトはよく知ってる。
王様付きの床屋さんもサボテンを持ってれば、穴を掘らずに済んだだろうか。
それとも穴も育つかな。
さらに深くなるのが成長なのか、それとも埋まっていくのが成長なのか。
穴的には深くなる方だろうなやっぱり。
“穴”をマイナスイメージで捉えるのはやめる。
例えばぬいぐるみなら、なでたり動かしたりと話しかける以外にもコミュニケーションの方法がある。
でもサボテンにそれをやると痛いしなあ。
まあ痛くなくても植物とスキンシップを図るヒトはいないよな。
きっと話しかけても答えが返ってこないのがいいんだろうな。
別に返事も解決策も求めてなくて、せいぜい頷いてくれればいい。
オジギソウとかあるから。
悪口をいうヒトはいるかなあ。
例えば奥さんにだったら悪口とか言うかもしれないけど、植物に悪口言ったってなあ。
余裕がそうさせるのなら、ジブンの精神状態にもよさそうだ。
せいぜいグチくらいでやめておく。
できればいつだって笑い話をしていたい。
何かに似てるな?と思ったら、ニッキに対するボクの姿勢だった。
ニッキと違うのは、何言ったって反応がないところかな。
いやまあ、ニッキ付けてても反応たいしてないけどさ。
サボテンよりははるかによく返ってくるよ。
そんな比較って。
反応はないけどその代わり、同じコトばっかり言ってても何も言わない。
昨日と同じ内容のハナシをして、ジブンの見解が180°違ってもいい。
誰かが不愉快になるかもしれないとかも考えなくてもいい。
言ってる途中で寝ちゃってもいいよ。
ちもろんサボテンを育てる為に話しかけるのであれば、内容には気を使うべきだろう。
秘密を聞かされ続けたサボテンがどう育つのか、ある意味ちょっと知りたいな。
とげを抜くにはどんなハナシを聞かせればいいのかとか、研究が進んでいてもいい。
ボクの無駄話を聞かされ続けたサボテンなら、いったいどう育っていくのだろうか。
知りたいような、知りたくないような。
ところで聞きますけど、みなさん育ってますか。
窓を開け放って、パジャマの下にTシャツで寝てた。
朝になったら、パジャマの下を脱いでた。
ちなみにこれは、夏場の就寝スタイルだ。
パンツも穿かずに、ぶらぶらする。
おおフリーダム。
そうか、そんな季節だね。
織姫と彦星はイマ頃は、年に一度のデートの最中かしら。
ボクらも年に一度、短冊に願い事を書くよ。
これは多分、ジブンの中の“いちばん”を確認する日なんだな。
いちばん叶えたいコト、それだけを書くのだ。
誰も叶えてあげるなんて言ってない。
ジブンで叶える為に確認する。
今年も半分が過ぎて、残りの日々の目標がみんなあるだろう。
それを書けばいいんじゃないかなあ。
ボクは何を書こうかな。
やっぱダイエットかなあ。
今日冷蔵庫を漁っていたら、奥の奥からシーチキンの缶詰が出てきた。
おおちょうどいいつまみになるがよいとか思ったら、賞味期限が2003.3とかしてあった。
確か以前にもそんなコトが、とか思ってふと去年のを読み返したらそこでも賞味期限を気にしてる。
何だそんな季節なのか。
それともそんな運命の日なのか。
ああこれぞニッキの醍醐味。
同じテーマで書いてるからには、毎年何か新しいコトをとか思うんだけどねえ。
そうさなあ、七夕というからには、流しそうめんかな。
あれは、流しそうめん業界の陰謀でしょ?
そんな業界があるとしてのハナシだけど。
きっと流しそうめん業界って、そうめん業界とは仲悪いんだろうな。
そうめんを流すというコトに関しての是非が、イマでも常に問われ続けているのだ。
ボクはどちらかというと、流さない派かなあ。
でっかいたらいか何かに泳がせておけばいいじゃん。
それで充分、季節感は出ると思うけどな。
そうめん食べたいなあ。
夏っぽく雰囲気出して、ネギと一緒にすすり込みたい。
そばはたぐるって言うけど、そうめんは言わないね。
単に太さの問題だろうか。
季節感のハナシをするなら、一向にらしくない天気に何とか言うべきでは。
去年は冷夏に電力不足、今年は雨不足で水不足か?
いったい来年は、何が不足するのやら。
それを短冊に書くべきか。
「愛が足りません、もっと世界に愛を。」
叶えられる願いにしておきましょう。
例えば「桃太郎」が歴史的事実だと考える。
そして現在、鬼の末裔がどこかの場所で暮らしていて、桃太郎の残虐さを伝えている。
その中のひとりが、その桃太郎を伝説に忠実に映画化しようと考えた。
平和に暮らしていた鬼の村は、突然現れた桃太郎としもべたちによって地獄と化す。
キジによって目をえぐられたり、猿によって女が強姦されたりする。
犬にいたっては、かみ殺して喰ったりもする。
桃太郎はそれを見ながらにやにやと笑う。
当然桃太郎は日本人だ。
復帰してきた窪塚とかいいかもしれない。
アウトサイダーを気取りがちなヒトによく似合うと思うよ。
別に他意はなくて、ホントにそう思ってる。
ただひたすら桃太郎の残虐行為が続くそんな映画を、日本人は黙って見過ごすだろうか。
ボクらだってあの物語の中で桃太郎が何をやったのか、全く知らないわけじゃない。
物語の中では触れられていないから、ただ単に想像が追い付いていないだけだ。
そんな感じの映画、「パッション」を観た。
キリストの処刑(つまり、十字架に張り付けにされるアレ)を忠実に描いている。
忠実というのがどういう意味かというと、ただひたすらに痛い。
ムチで打たれて肉が裂け、イバラの冠をアタマにねじ込まれる。
ヒトはここまで残虐になれるんだと、ひとつひとつの行為を克明に記録していく。
まあ犯罪を描くならこれくらいはすべきだろうけども反発も大きいだろう。
実際にその通りの反発が、アメリカでは巻き起こったらしい。
どうなんだろうね。
例えばこれを、完全なるフィクションとして楽しむコトも可能だと思うのだ。
ただ、そうしてしまうと残酷さだけが残ってラストの意味なんかわからない。
ういうボクだって、あのラストの意味なんて物語として知らなければわからないだろ。
正直ボクはあそこはどうでもいいんだ。
キリストの受難が事実だったのかどうかなんてどうでもいい。
ただ、あの処刑シーンは実際に行われていたコトらしい。
あれを耐え抜いてこそ復活するコトが許されるのなら、ボクにはできないだろう。
とてもじゃないけど耐えられない。
多分見届けるコトすらもできないと思う。
宗教が絡むから、ボクを含めた無宗教派閥からはマイナスイメージで受け止められる。
でもそれを差し引いて余りある、力作だと思う。
ヒトが神を騙るコトについてはまた色々とあるのだけど、それはまた別のハナシ。
触れる時には中途半端では済まされない部分だから。
まあ物語としては誰でも知ってるので、後半だけでもいいんじゃないかな。
ユダの下りとかも結構見応えあったけどな。
うわあコドモこええとか考えてた。
それはそれとして今日は暑かったよねー。
その中で映画館まで出かけて、やっとこさ涼しくて柔らかいイスに座り込んで。
前半結構寝てたのは、ボクとキミだけの秘密だ!
ああ気持ち良かったありがとう神様。
だいたいおシゴトの最中にお腹が空いて、外に買い出しに行ったり食べに行ったりする。
しかしここまで内と外の温度差が激しいと、何食べようかとか思っててもダメだねぇ。
もう、外出た瞬間にうんざりしちゃう。
よくこの中でラーメンとか食べられるなあ。
まあボクも、外出るまではそう思ってたけどさ。
しかしこう暑くなると、逆に体を動かしたくなるもんで、ジョギるのも気持ちがよい。
何がいいって、おもしろいように汗が出てくるのがおもしろい。
それだけでもないけれど、ここから先は説明しづらいなぁ。
バスケとか鬼ごっことかやりたいなー。
汗だくでラーメン食べるとかあんまりやりたくない。
やってもいいけど、いや確かにやりたい時もあるけど。
今日はやりたくなかったのー。
鬼ごっこもかくれんぼもずいぶんやったけど、もう残りの生涯でやるコトはないのかな。
そう考えると何か名残惜しいな。
ドッジボールももうやらない?
よくあんな野蛮な競技が毎日毎日学び舎にて行われてたもんだ。
それも男女入り交じり、みんなで楽しんでたなんて信じられない。
イマ男女混合でドッジボールやったら、別の意味でおもしろいだろうな。
ここぞとばかりに嫌いな上司にぶつけてみたり、好きな女の子に張り付いてみたり。
うまいやつがチームをまとめたり、ボールを廻すようになっちゃうとヤだなあ。
そんなのドッジじゃないよ。
とりあえず枠の中にいる人を全員枠外に叩き出すまで勝負は続く。
そこに効率とか作戦とかを持込むな。
監督もコーチもチームリーダーもいらないんだ。
みんな平等で、みんなにチャンスがある。
あれはイマよりも何と言うか、人生がシンプルだった頃の楽しみだったのかなあ。
ボクの人生はあの頃にくらべると、ずいぶんと絡まってどんづまってきてるよなあ。
これでも極力シンプルにしてきたつもりなんだよ?
それでも捨てられないものが、どんどん周りに纏わりついてしまうんだ。
いくらカラダを揺すっても、全然落ちやしない。
でもいいよね、国会の決定事項とかドッジで決めたって。
どうせまともに議決取りゃしないんだからさ。
ストや欠席裁判よりは、よっぽどまともな決定権だと思うよ。
チカラの限り戦ってよ!
逃げるなよ!
いいよ国家間の争いも全部ドッジで。
国民総参加でドッジ。
北朝鮮ともアメリカとも戦うよ。
連合軍なんてありえないよ。
終わったら汗だくで、敵も味方も関係なく笑おうよ。
ボールが原子爆弾だなんて、気付かないフリをして。
好きなあの娘にテロリズム!
命が電池に例えられるコトがよくある。
日本でなら、古くは蝋燭に例えられたりしてた。
限りがあって一定の速度で徐々に減っていくものだという意味だと思ってもらえばいい。
米びつの米とかと違うのは、あれは食べなきゃ減らないからな。
たくさん電池を使えばわかるけど、やっぱりNG品ってのは紛れてる。
七〜八時間保つはずのものが、一時間保たなかったりするのだ。
腐ったみかんとは違って、隣のヤツには何の影響も及ぼしてないのがありがたい。
おシゴトで使うものだから、そういうヤツにはとりあえず悪態をつく。
捨てる頃には冷静になってるので、できるだけご苦労様と思いながら捨てる。
ちょくちょく忘れる。
ボクはヒトの命はホントにそういうものだと思っている。
“やるべきコト”とかそういう部分とはまるで違う場所で、電池の寿命は決まっている。
否応無しにすり減って、時間がどれだけ必要でも不良品だったりする。
神様の意志なんて、そこには決して介在しない。
よくキリスト教なんかでいう、“神のなんとか”っていうのはウソだ。
そんなコトまで気にしてるわけがないよ。
落語で、ジブンの命の蝋燭を、知らずにヒトのと交換しちゃうハナシがあった。
そういう抜け道もあるのだ。
ヒトの電池と交換できればいいのにね。
そうすれば、コドモが死にそうな時にはドナー登録してあるヒトから電池をもらう。
自殺とかもったいないから、しちゃいけないよね。
死刑囚とかも、電池を入れ替えてから殺しちゃう。
犯罪者の刑罰の度合いも、電池の入れ替えでやっちゃう。
三年の実刑なら、三年分寿命の短い電池と入れ替えて済ませちゃう。
でもそれじゃあ更正の機会が失われちゃうかな。
でもどうして死刑囚ってあっさり殺しちゃうんだろうね。
人体実験に卸しちゃえばいいのにとかよく思う。
希望をとってもいいよね。
それをやるコトで遺族補償が違ってくるとかいえばやるかもしれない。
どうせ殺しちゃうのにさ、思いっきり恨まれようという気概はないのかね。
ボクにはないよ。
「スパイダーマン2」の予告には「運命さえも、敵なのか」ってキャッチが出てくる。
運命ってのは、敵と相場が決まってるんだけどな。
そもそもジブンの運命を知ってるヒトなんているのかい。
思い通りにいかなくて、初めて思い知るんじゃないの。
電池の優劣と、ヒトの優劣とは全然関係がないんだよ。
しかも電池の寿命は、ジブンでは決められないんだ。
みんながみんな平均寿命まで生きるわけじゃないんだよ。
いつ死んでもいいように生きていきたいよね。
そこにこそ、ヒトの価値があると思う。
少なくともこのままではボクの価値はないも同然だ。
ここまで保ったからには電池の問題じゃなさそうだし。
誰か梅雨を探してきてよ。
絶対その辺で迷子になってるから。
知らないぞ、月明けてからひょっこり出てきてもー。
免許証の更新連絡ハガキがきた。
前回は更新を忘れちゃって、免許センターまで行ったんだ。
それで、ゴールドじゃなくなった。
身分証明書だからどうでもいいか。
とか思ったら、ボクこのハナシここに書いてるな。
え? というコトは、あれから三年も経ったのか。
信じられないよ、あれでしょう、三ヶ月の間違いじゃないの。
何だったら三週間でもいいよ。
三日でも。
ちなみに前回の更新からこっち、ボクが運転した回数は多分片手で数えられる。
実家に帰った時にしか乗らない上に、実家でのボクは大抵飲んでるから。
運転手はきみだ、車掌もきみだ。
ボクは着いたら起こしてね。
今度の帰省では、ちょっと運転してみようかな。
どこか近所の名所に、クルマでお出かけしてみようか。
行ったら行ったで、戻ってこられなさそうな気もするな。
ナビの使い方も知らないんだもの。
向こうのともだちには、クルマで通勤してるくせにゴールドとかいうのもいる。
まあフツーに乗ってりゃ減らないもんだしな。
生活の段取りさえ出来上がってしまえば、そうそうずれ込みはしないもんだ。
そろそろ年齢的にもクルマくらい持ちたい気はするけど、全然必要としてない。
どう考えても東京じゃ、電車の方が便利。
時間は読み易いし、変なヒトいて楽しいし。
何と言っても乗り捨てOKだしな。
そうなんだよなあ。
ドラゴンボールに出てきたカプセルカーが早く実用化されないかなあ。
スイッチひとつで家やクルマが小指の先くらいのサイズになる。
そうすればウチにも出先にも駐車場がいらないし、盗難やいたづらの心配もない。
世の中で駐車場を営んでいるヒトは、商売替えを余儀なくされるだろうな。
特に青空駐車場は、真っ先にマンションかアパートになる。
ひょっとしたらそのままで土管とか置いてくれるかも。
でも青空が町から消えるとさみしいね。
見通しが悪いし、道路以外に踏み込める場所がないって何か不安じゃない?
ムダのない町作りは、町から余裕を奪う気がする。
ヒトがまずムダでできてるんだから、落ち着かない気がするのも当たり前か。
町を進化させる前に、ヒトが進化しないとダメだねえ。
えーもうちょっと、もうちょっと待って。
せめてボクが死ぬまでは、ってああ世界はそれの積み重ね。
選挙も終わった。
投票した?
まままままままさか又吉に入れたヒトはいないよねー。
まーさーかーなー。
本人はきっと大まじめだと思うんだけどね。
何度も何度も繰り返して、立候補し続けてるんだから。
それなりに支持者もいるみたいだ。
もう少し組織だってくれば、もっと位置づけのしやすいキャラになるかなあ。
でもそうなったら、結構危険な状態かもしれない。
あのメッセージが本気だとすると、まちがいなく何か起こるよ。
誰か彼が首相になった世界とかシミュレートしてくれないかなあ。
立候補とか、ボクにはできないなあ。
要するにみんな、「日本を俺に私に任せなさい」って言ってるんでしょ?
そこまで大風呂敷でなくても、支持者の夢を私が叶えますって言ってるのだ。
すごいなー。
魔法使いみたいだね。
信じるものは救われると、その論理でいけば宗教にも近い。
過去にも宗教指導者が政治家になろうとした例はある。
そういう意味の立ち位置なら、公明党もビミョーだね。
それはそれとして、オールスターの真っ最中だ。
これのファンと選手の関係も、政治家とそんなに違わないかな。
立候補こそししてないけども、期待と活躍が比例すると素晴らしい。
今回で言うと、新庄のハッスルっぷりとか見てて清々しい。
“オレがやらないと!”っていう気概が伝わってくるよ。
ホントに今年で近鉄のユニフォームはみられなくなるのかなあ。
オリックスもロッテも、いったいどうなってしまうの。
この話題に関連して先日ある巨人ファンと会話してた。
彼にはどうも、巨人だけは大丈夫、と思っているふしが見受けられる。
それは別のヒトでも感じられていて、この傲慢さはいったい何だろうと思ってた。
きっとあれだね、ファンはオーナーに似るんだね。
そう考えれば納得がいくよ。
信じるものは、やがて救われるだろう。
今回いちばん割を喰っているのは古田だろうか。
言ってみれば当事者ではないのに、むりやり板挟みにされてる。
“選手無視”を大仰に訴えるのは、その気になれば日本球界を離れられるヒトの方がいい。
それもできれば身内の方がいいんじゃない。
上原か、高橋由あたりはどうよ?
西武の松阪も捨て難いな。
みんな、もっと吠えてもいいのにね。
ジブンの会社、ジブンの業界のコトでしょ。
これもやっぱり、なんだかんだ言って信じているというコトなのかなあ。
ボクが有権者なら、ナベツネには入れないけどな。
“オレがやらんとな!”っていう気概だけはびんびんに伝わってくるのだが。
なんか梅雨明けたってハナシなんだけど、物足りないなあ。
もっと降ってくれてもよかったのに。
夕立ちとかあったらしいけど、ことごとくおシゴトにやられて見られなかったんだ。
別に見たからどうだって気もするけど、ちょっとは梅雨気分を味わえたかもしれない。
ってコトは、本格的に夏が来たと認定されたのね。
またチューブの季節が来たのか。
それとももうオレンジレンジに取って替わられたか。
いやそんなコトはないね!
多分。
音楽が風景を感じさせるっていうのは、結局刷り込みに近いものなのだろう。
以前は中国というと必ず流れるメロディーがあった。
それがイマや十二楽坊に取って替わられた。
イマのコドモは彼らを聴いて中国を感じるんだろうな。
しかたないね、時代の流れというヤツだ。
どっちかっていうとこっちの方が正しい気もするし。
お芝居をやってた頃に、バックに曲を流したりしてた。
著作権は完全無視だったので、あまり大きな声では言えないけども色々かけた。
最後に鳴らしたのはブルーハーツの「月の爆撃機」だった。
イマでも聴くと、あのラストシーンが目に浮かぶよ。
手がかりになるのは、薄い月明かり。
当たり前だけど、好きなミュージシャンの好きな曲を使う。
その曲を鳴らす為にシーンを作っていくなんてコトもした。
そんなだから、そのヒトの曲の中でも使った曲には特別な思い入れがイマでもある。
あーれかーらー十年もー。
こーの先十年もー。
いやまあ、この曲を使った覚えはないわけだが。
多分この思い入れは一生抜けないと思う。
いくら十二楽坊が流行ったって、ボクの中の中国はあれじゃない。
イマとなっては幻の中国。
日本ならちょんまげ結ってそうなくらい時代錯誤だけど、それがボクの中国。
多分現実の中国に住んだとしても変わらないと思う。
そもそもが現実の中国じゃないのだし。
百近いじじいになってもブルーハーツを聴くかどうかはわからない。
でも、聴いたならきっとボクはあのシーンを思い出すだろう。
あまつさえ想い出話まで始めてしまうかもしれない。
それは避けたい。
始めるとキリがなさそうだから。
ほら、ハナシの長い年寄りってヤじゃない?
いやでもハナシの長いのは年齢関係なくヤだね。
気はつけてるつもりなんだけど、たまにやってしまいそうになる。
気付いた瞬間に自己嫌悪に陥ってしまう。
いくら想い出が美しくても、それはボクだけのものだ。
ヒトから見たらゴミだなんて、決して気付かないコトにする。
そう言えばハードディスクのMP3プレーヤーを買ってしばらく経つ。
持ち歩いているけれど、すごく便利。
ウチの棚をそのまま、というわけにはさすがにいかない。
それでもかなりな枚数を持ち歩けるのだ。
ちなみにイマ150枚分入ってて、15Gちょっと。
入れたのは最近よく聴いてるヤツと、時々つい聴きたくなるいわゆる定番もの。
定番っつったって、ボク内での定番だから、他のヒトとはまた違うと思うけどね。
まだ全然終わってないけど、いちおー絞りながら入れてるからえーと頑張る。
こうやってジブン内の定番を洗い直してると、割とオーソドックスなメニューだ。
ビートルズやストーンズの辺りからを中心に、よく聴くアルバムを入れていく。
それ以前はさすがに少ない、つか趣味狭いなー。
いわゆるロックしかない。
オケものやジャズは、まあウチで聴ければいいや。
ちなみにボクがロックと言う時には、ポップもヒップホップも含んでます。
ボクが好きになる音楽には、すべからくロックと名付けるコトにしているのだ。
だからキャンディーズのベストとか入ってるけど、あれもロック。
小泉今日子も、ロッキー・ホラー・ショーもロック。
もちろんウタダもロック。
もちろんこれはヒトに強制するジャンルじゃない。
ボクが便宜上付けているだけで、ボクの中にはジャンルは別にない。
その内にクラシックが好きになったら、それにロックと名付けよう。
いつか音楽というコトバで全てのジャンルが示されるようになればいいな。
ピストルズもモーツァルトも、全てが同じ土俵の上だ。
そんな感じで結構急ピッチで放り込み続けてきたけど、そろそろ一段落。
あとは聴きたくなったものをその都度入れていけばいいかなあ。
その都度減らしていくコトも重要だろうな。
容量には限りがあるし、聴かないものを持ち歩いてもしかたがない。
そもそも聴かないと思えるようなものは入れてないけどね。
外で聴きたくなるかどうかはまた別問題だし。
多分ボクん家が全部燃えたら、こんな感じで買い直していくんだろうなあ。
意外ともう、一枚も買わないかもな。
全部借り物で済ませちゃう、本も、CDも、ビデオも。
どうせ消えてしまうのだ。
で、MP3は便利は便利なんだけど圧倒的に不便な点がひとつある。
曲間を強制的に開けてしまうのだ。
ライヴ盤が好きなので、これはいちいちストレスが溜まる。
だからといってその為にいちいち編集し直すのも面倒だしな。
曲名も表示されなくなるし。
実際音だってMDと比べればよくはない。
ボクは何か大切なものをMDウォークマンに置いてきてしまった気がしている。
それは多分、選んだコトに対する責任とか、ある種のあきらめとか。
ああ、きっとこれは中学生のキモチ。
ドラえもんの道具で何がいちばん欲しいか。
ボクならいちばん欲しいのはやっぱりどこでもドアかなあ。
タケコプターもいいけど、あれはバッテリーだからなあ。
切れたらどうやって充電すればいいのやら。
でもどこでもドアはちょっとビミョーな道具だね。
“移動”を完全に切り捨てちゃうからね。
ボクもそうだけど、みんな移動を楽しもうとムカシから色んな知恵を絞ってきたのに。
純粋に移動を楽しむコトだってできるはずなのだ。
通勤・通学時間の長いヒトだと、移動時間を読書や暗記に当てたりする。
それはそれで有効な使い道だと思う。
特に社会人で家庭持ちだと、他にゆっくり読書に充てられる時間なんてないだろう。
念願のマイホームを遠めに建てて、ゆっくり読書に勤しもうと思ったのに、台無しだよ。
ジブンで運転するヒトは、移動好きだよねえ。
クルマよりむしろ、バイクのヒトの方がその傾向は強いね。
とはいえクルマだと少なからず、“搬送”の要素が付いて回る。
純粋に移動を楽しむならやはり、シンプルにいかなければならないだろう。
歩きとか。
巡礼なんかはもう、移動そのものが目的だねえ。
三蔵法師にどこでもドアを与えたら、修行になんかならないね。
ボクらにとっても修行の時間なんじゃないのかな。
色んなコトをじっくり考える時間なのでは。
ボクはいつだって長い移動を嫌って、近い場所に住居を定めてきた。
学生の頃は徒歩圏内だったし、イマだって30分ちょいで着く。
毎日往復四時間も移動に費やすなんて絶対にイヤだと思ってる。
でもそれは、あさはかな考えなのかもしれない。
悟りを開く為には、そんな時間を長く持った方がいいのかもしれない。
つかそもそも悟りなんか開きたくはないわけだが。
悟りって何なんだろうな、って改めて考えるとまたわけが分からなくなる。
いつだってもがきながら生きていきたい。
でも悟りを開いたら開いたで、また高次元の悩みとかあるんだろうな。
その悩みには、収入は付いて来るのだろうか。
それ大事。
よく言うのは、“家に帰るまでが遠足です”ってヤツね。
付け加えれば、準備から後片付けまで含めて遠足だね。
考えてみれば遠足の移動時間は楽しかったよ。
旅行だって同じだよね。
まあどこでもドアが実現しても、交通業界がストップをかけるだろう。
ボクたちの手元に来るのは、もっとずっと後だろう。
時間経過も、また旅のひとつ。
どこでもドアがなくても、楽しめるはずだよ。
歩く端から後ろの道は崩れて戻れなくなっていくけれども。
うわあ落ち着かなーい。