いよいよ本格的に梅雨かしらと思ったら、ここんとこ晴れてるな。
むしむししなくていいんだけど、これはちょっとものたりない。
せっかく覚悟決めてるんだから、もっと降ってもいいのにね。
次に洗濯してからね。
雨が降ると、読書が進むねえ。
それ用の本はいくらか確保済みなのだ。
ページをめくってもらうのを待っている本たち。
まあもうちょっと待て。
ところで「ページ」って「頁」に変換される。
それは別にいいんだけど、どうしてだろう。
書籍の編纂法は、別に欧米から伝わったわけじゃないだろうに。
最初は何て呼んでたんだ。
ページを日本語に訳すと何なんだ。
英語に押しつぶされてしまった日本語があるよ。
かわいそうに。
それで思い出すのは、カンガルーのハナシ。
オーストラリアで初めてカンガルーを見た白人が、現地民に名前を訊いた。
彼は、それに対して「カンガルー」と答えたそうな。
だからその動物は、以後カンガルーと呼ばれるようになったのだ。
でも実は、彼は“知らない”という現地語を喋ったに過ぎなかったのだ。
要するに、何という名前の動物かを知らなかったと。
というコトは、現地でのその動物の呼び名はカンガルーではなかったというコトだ。
あんな目だつ動物に名前が無いなんて、考えられないよ。
だから、訊いた現地民が知らなかっただけで、名前はきっと、ちゃんとあったのだ。
知らないなら、誰か知ってるヒトに訊けばいいのに、きっとやる気がなかったんだな。
正式名は、そんな無知と無気力によって闇に葬られた。
ああなんてひどいハナシだろう。
似たようなハナシとしてなら、インディアンのハナシもある。
でもこっちは、そもそも名前はなかったわけだから、まあいい。
そこをインドと思ったから現地民をインディアンと呼んだ。
はた迷惑なのは、インドのヒトだ。
だって日本では、インド人とインディアンは違うんだからね。
そこがインドでないとわかった時点で、違う呼称に切り替えてやればよかったのに。
きっとあとに引けなくなっちゃったんだろうなあ、強情なんだから全く。
まあアメリカ大陸の発見プロセスなんて、まさにその性格がたどった偶然の道のり。
死んでて当たり前なコロンブス。
いや、確かに卵は立ったけどさあ。
この卵、どうやって食べるのよ?
見えなくなった名前は、どこに行ったんだろう。
きっとどこにも行ってないんだろう。
カンガルーにだって、きっと古の記憶が残っているよ。
残ってないなら、カンガルー小学校の教科書に載せてもらおう。
その前に、“カンガルー”小学校て。
マックグランはきっともう食べない。
ゴージャス気分で食べるなら、ビッグマックを食べよう。
味としてなしなわけではないけれど、確かにそれなりにうまいけれど。
でも君たちの言い分を預けるには、ちょっと脆弱な感じがするよ。
そもそもドナルドはドナルドらしくしていればいいのだと、ボクは思う。
いやむしろ、ドナルドらしくしていて欲しいと願うのだ。
では、ドナルドらしさとは何なのか。
はて?
基本的には“安っぽさ”ではないかと思う。
安っぽいものにだけ許された、瞬間の輝きがドナルドだ。
冷えてもうまいものなんて、求めてないのだよ。
ドナルドポテトを温め直して食べようなんて、それは神への冒涜だよ。
冷えたそれはもうドナルドではないし、温め直しても決してドナルドは戻ってこないのだ。
カタチを変えたおいしさなんてモノは、ドナルドに限ってはありはしない。
潔くて、いいと思うんだけどなあ。
本人はそれが気に入らないのだろうかなあ。
ヘタに押し進めてポテトの味を変えたりしてくれるなよ。
二度と行かないゾ。
じゃあ、どんな新作が望ましいのか。
個人的には比較対照できるのがいいなあ。
今回のマックグランでも、バンズとパティと両方変えたから訳が分からないのだ。
いつものバンズに挟んだあのパティを食べてみたいな。
あるいはいつものパティを挟んだあのバンズを食べてみたい。
これは新作の希望とはちょっと違うけど、まあでも延長線上だなあ。
そこから探っていくという手もあるんじゃないの。
ジブンで作るなんて、誰もしないんだからさ。
でもドナルドの店員って、ちょっと凝ったコト頼むとすぐにヘマするんだよな。
その辺も、ドナルドっぽさと言えるなあ。
夕食の買い出しで、何度涙を飲んだコトか。
わざわざもう一回行くのヤだしなあ。
ポテトの塩をもうちょっと利かせてくれって頼んだら、包んで持たされたコトがあった。
そうじゃないだろう、そこは明かしてはいけない部分だろう。
ドナルダーとして、過ごしやすい時代が来るといいな。
でもそんな時代が来てしまったら、ボクはドナルダーを廃業するような気がするな。
ハンバーガーが完全食になるような、そんな時代。
いったい何が入ってるんだ。
マックグランが、そんな時代への第一歩だとするならば、ボクは精一杯邪魔してやるぞ。
具体的に言うと、もう食べないぞ。
それだけだぞ。
うんでももう一回ぐらい食べるかもな。
今度はフツーのハンバーガーも一緒に買ってこよう。
年を取るってのは、恐いコトだよ。
人生が、ただ単にどん詰まってるだけのチキンランだってコトを思い知らされるんだ。
どれだけ走ったって、何もないんだよ。
でも、走るのをやめるわけにはいかないんだ。
行き着くところがどこだとしても、いずれはそこに辿り着く。
目は開いてないクセに、決して迷わない道のり。
何かひとつ知るたびに、またひとつ恐がりになるよ。
ボクはいったい、何をやってきたんだろうね。
灯りをひとつ、そしてまたひとつ、道が照らされるたびに、絶望に捕われる。
人生なんて年金もらいながらゆっくり考えればいいやと思ってた。
それを思えば、思ってたよりずいぶん早くに考えるコトになったなあ。
大学出た頃にはもう考えてたなあ。
なんかねえ、「あれ?」って感じだった。
薄々気付いてはいたけど、もしかして、そう?
それからもうずいぶん経ったけど、基本的にはそれを裏付ける日々だった。
もっともそれは当たり前で、ボクがそれを望んだんだ。
望んだってのは違うかな。
変えるコトを恐れただけだ。
変えたってよかったかも。
変えればよかったかもね。
イマが悪いなんて思わない。
でも、決していいとは思えない。
誰だって、コドモの頃に思い描いた未来との違いを抱えてるはずだ。
及第点を与えられるだけの人生を思い描いたヒトなんて、どこにもいないだろ。
赤点すれすれで、何とか踏んばってるだけの未来なんて、ボクにはなかったよ。
ジブンをジブンのチカラで食べさせているのだけが、夢見た正しいオトナ像だ。
それだけは何とか死守。
どこまでも行けたはずのジブンに、そんなチカラはなかったね。
何だってできたはずのジブンに、そんなチカラはなかったね。
何を根拠に買いかぶっていたんだろうね。
理想なんてなかったのに、どこにでも行けると高をくくって。
その欠落が、いずれ踏み締めるべきロイター板になるとも知らずに。
さみしくはない。
けど、楽しくもない。
刹那が永遠に続く世界で、ボクはどこまで行けるだろう。
正直言って苦しいよ。
スピードに付いていけてないんだ。
それでも行くしかないんだよね。
景気良くぶつかるしかないならそうするよ。
あきらめるコトが覚悟なら、もう振り返らない。
明日はどうせくるんだから、できるだけいい明日に来てもらいたいね。
魔法は溶けたけど、未来が溶けたわけじゃない。
溶けカスを集めたら、何かひとつくらい魔法がでっち上げられるから。
スポーツには、審判がいる。
スポーツだけではなく、ルールのある場所にはすべからく審判がいる。
必要だからいるのだし、ボクにも時にはその役回りが回ってくるコトもある。
それはとても重圧を伴うおシゴトだ。
例えばそれがやり直しが利くならいい。
でも、人生やり直しができるなんて、あまりない。
時間は過ぎて、前に進めてないのがわかる。
あの時のあの審判は、ホントに正しかったのか?
そう思うヒトは、結構いっぱいいると思う。
逆に、分不相応な結果が出てしまったヒトもいるだろう。
どっちみち、審判が必要だというなら、そこはボーダーライン上。
そんなに気にするコトじゃないはずなんだけどね。
努力が報われて欲しいのは、誰だって同じだなあ。
スポーツの審判なんかを見ても、最近どんどんやりづらくなってる。
それは、カメラがいっぱいあるからだ。
下した判断が正しかったのかそうでないのか、調べればほとんどの場合はわかるだろう。
それが審判世界のレベルアップに繋がっているというコトもあるだろう。
でも逆に、審判に対する信頼度が下がってないかい?
誰だって、スローモーションで見ればわかるんじゃないのかい?
“ホントはどうだったのか”なんて、そんなに重要なコトなのか。
例えば水島新司は、自身の作品中で何度も「審判は公平だ」と書き続けてきた。
中には“下手でも”公平だという書き方もあった。
それは、やり直しは利かないんだってコトだと思う。
カメラで見直したら違ったからって、それがいったいなんなんだ。
ゴーゴー! ぶっとばせ!
ボクらは預けた。
彼らはそれを受け取った。
ならボクらは信じるべきだ。
納得いくいかないは別にして。
信じるべきだとはいうものの、まあファンは勝手なもんだから。
同じ判断でも、それぞれのファンからすれば全然見え方が違うからなあ。
だからと言って、みんな好き放題言い過ぎだよ。
審判に代打はないんだよ。
むしろ行司の方が威厳があるよね。
あの格好と、軍配のせいかなあ。
勝負のレベルによって行司もレベルアップするというシステムもいいな。
あれくらいの威厳とミステリアスな雰囲気が、審判には必要なんじゃないかなあ。
あの格好で、野球のグラウンドや、バスケットのコートをちょろちょろする。
目がいくなあ。
もちろん試合中、声は出し続ける。
あ、のこった、のこった〜。
いやもう、そこは残らなくてもいいから。
今年初めて、外出た瞬間に暑っ!とか思ったなー。
暑いだけじゃなくて、ずいぶんと蒸してた。
台風来てるんだ、当たり前だけどね。
やあやあウエルカム。
ホント、こんな時は屋内でおシゴトってのがいちばんだな。
外は不快指数満点だよ。
不快指数なんてよく見えない、わからないものだけどこういう時には便利なコトバだ。
多分今日あたりじゃあ、温度的にも湿度的にもたいしたコトはなかったと思うよ。
でもほら、今年初めてのご陽気だから。
ちょっとは大げさに感じてしまうじゃない。
初物は東の方を向いて、笑いながらいただくんだよ。
おシゴトが終わって、気付くと汗だく。
さすがにこうなると屋内でも関係ないなー。
ちょっと力仕事しただけでこれだもの。
不快指数が上がってる。
不快指数にはきちんと計算式がある。
その基になる温度とか湿度とかは、絶対的な事実として示される。
しかしそこから結果として導きだされる数字に“不快”という文字があるのはどうなの。
どれくらい不快かなんて、ヒトによって違うんじゃないの。
ボクは割と暑いの平気だけれど、世の中暑いのに弱いヒトはいっぱいいる。
湿度に強いヒトと弱いヒトもいる。
当然不快指数を示されても、そうかい?ってなっちゃうだろ。
最初にこの名前を決めたヒトは、よっぽどイヤだったんだろうなあ。
俺がこんなにイヤなんだから、世界がイヤに違いない!って思ったのかな。
そんなコトないのになあ、ひとりよがりなヤツめ。
不快指数が高ければ高いほど、ハッピーなヤツってのもいたりするんだろうな。
ひとりいると、便利かもなあ。
みんながげんなりしてる横で、ひとりだけ元気なのね。
つられて周りも元気になるか、それとも余計にげんなりして逃げ出すか。
少なくとも、夏のがまん大会の商品はいただきだ。
猫舌だったりしてな。
使えねー。
台風だってまさか、そんなコト思われてるとか考えてないだろうなあ。
ああいう天災に、一度はなってみたいよね。
で、どれだけのものを倒せるか競争するの。
その年の台風アワードにノミネートされるくらいにはがんばるよ。
とりあえず、五重塔くらいは倒しておこうかなあ。
ポイント高そうだし。
でも台風って、常に不快指数高い中でいなきゃいけないよね。
それはちょっとかんべんだなあ。
だったらむしろ寒い方へ行きたいなあ。
そうだペンギンに会いに行こう。
ああ辿り着けないままに寿命がー。
先日テレビを見てたら、嵐のマツジュンが女の子たちに責められてた。
どうも彼を男子代表にして、女子の疑問をぶつけているらしい。
ジャニーズが男子代表ってのはどうなんだろう。
世の中、彼らよりルックスに不自由してるヒトの方が圧倒的に多いのだが。
関係ないけど、キムタクのCMで「これが現実だ」とかほざくやつあるよね。
キムタクであるってだけで、現実離れしてるよな。
まあそれはどうでもいい。
つまりカップルの場合、男に女友達がいるのはよくて、女に男友達がいるのはよくないのはなぜだ、と。
しかもそれに反論すると、「俺は男だから」って言われるんだと。
ボクは別にそんなことは思わないけど、確かによく聞くよね。
おかしなハナシだよ。
で、彼がどんな答えを返すのかと思って見てたら、ただおたおたするだけで終わった。
何だよー、何とか言えよー。
それともあれがマツジュンのマツジュンたる所以なのかしら。
あれ見てみんなきゃーかわいーって言ってるのかな。
じゃあしょうがないね。
しかたがないので何の義理もないが、ボクが代理で考えてみよう。
ボクがどうかというのはさておいて、一般的にステロタイプな思考回路を探る。
そういうヒトは、“フツー”とか“みんな”とかの説明が多い。
ヤなタイプだ。
さてこのケース、ボクが思うに、ポイントは男性の生理だと思う。
男は夢見がちな生き物だというのは、この場でも何度か触れてきた。
女性の方で、それに泣かされたコトがある人もいるだろう。
その生理として、男性は女性に対して夢を見ている。
女性は家事・化粧・ムダ毛の処理をこなし、人前ではおならをしない。
男性はそれを“男性の為”だと思っている。
ホントはどうなのかなんて誰も知らないけどさ、あれはジブンの為なんじゃないかなあ。
まあとにかく、そう思い込んでいるわけだ。
その辺りが、男だからの「だから」に繋がっている男尊女卑思考なのかなあ。
で、もちろん恋愛・セックスに関しても、男は女性に対して夢を見ている。
端的に言うと、女性から男性は誘わないと思っている。
だからこそ男性は女性を誘わなければならない、とか思ってるのかは定かではないが。
もちろんこれこそそんなわけはないし、普段きちんと見てないのかなとか疑う。
女の子の誘わせ方が上手いのかもしれない。
彼女を男性のいる飲み会に出席させたがらない男は、別に彼女を信頼していないわけではないのだ。
ただ、他の出席者のコトは男女とも信用していない。
女というものは受け身であるからして、誘われて連れていかれたり、ビル陰で襲われたりしたらどうなるのか。
男なら、かわいい女の子がいたとしても、こちらから誘わなければ何も起こらない。
そう思ってるんじゃないかなあ。
単に、俺は喰うけどお前は喰うなって言ってるだけだったら、別れればいいじゃない。
根っこにあるのはひとりじめしたいという欲望なのか。
まあ女性に対して夢を見ているコトには間違いがない。
かわいいもんだと思って許してやっておくれでないか。
いやむしろ、赦してやっておくれでないか。
世界の情勢がどう変わっても、コドモを産めるのは女性だけだ。
子育ては手伝えても、腹の中にいる間はどうしようもない。
で、その間は男性が女性+αを守る為に働くわけだ。
そこは変わらない。
もしかしたら22世紀くらいには何とかなるかも知れない。
多分生きてないから、どうでもいいや。
許すにせよ許さないにせよ、テキトーにごまかして遊べばいいじゃない。
しょうがないじゃない、そんなのに惚れちゃったんだから。
相手がマツジュンだったら、外になんか出ないくせにー。
いやあ台風一過でさわやかな陽気だったなあ。
こんなお休みは久しぶりだった気がする。
さあやるぞー。
昼頃起きて買い物。
洗濯機のカビ取り剤とエアコンフィルターのクリーナー。
次の休みにはやろうと、結構ずっと思ってた。
でももうタイムリミットだ。
古いエアコンなので、カバーが外れないんだよなー。
しょうがないので上からしゅーしゅーと吹き付ける。
ポタポタ垂れてくるのを拭きながら、結局ひと缶全部使った。
さあいつでもこい。
天気がいいので洗濯機の掃除は後回しにして、たまってた洗濯物を片付ける。
山が切り崩れていくのは爽快だけれど、遭難して行方のわからないものを探すのは大変。
パンツが一枚足りないぞー。
中古屋でCDも買ってきたので、ごきげんで作業は進む。
マリア・マッキーの新作が、聞いたコトないインディーズ・レーベルから出てる。
何やってんだ、マリア・マッキーだぞ。
ボク的には、エイミー・マンよりもマリア・マッキーだ。
まあこの辺は誰にもわかってもらえないだろうからスルーするけどさ。
とりあえずごきげんなコトだけわかってもらえればいいんだ。
洗濯物の山は消え去り、冬物の山を畳み倒して袋に詰め、Tシャツの袋が発見された。
ボク去年Tシャツ詰めた覚えがないんだけどなあ。
どうりでTシャツが少ないと思ってたんだよ。
こんなトコにあったのか。
同時にいくつか寝巻き用Tシャツを捨てる。
そして普段着のTシャツを、パジャマ用に認定する。
穴空きは、いねがー?
ああいたいた。
きみ決定。
とりあえず長そでは全部なくなったので、天気はその辺の空気を読むように。
そしてボクは本格的に運動を始めるように。
わかった?
うー。
とりあえずひとっ走りしてこようか。
ちょっとビール飲んじゃったけど、それも流してまた一から飲み直そう。
晩ごはん用に、枝豆買ってきたんだよ。
どう茹でるんだか、調査中。
コンビニで茹だったの買った方が効率いいような気がする。
しかしそれは。
あーぐだぐだ言うの面倒くさい。
ごきげんに茹でてごきげんにつまむからそれでいいやー。
メガネが壊れた。
レンズが片っぽ割れたのだ。
フレームレスを使っているので、当然バラバラになった。
おやおや。
発見の朝だったので、あるのかどうかも覚えてない予備を探す気にはなれなかった。
ボクは何もかけずにおシゴトに向かい、合間に修理に出してきた。
今日は一日、目を凝らしながらおシゴトだ。
おシゴトは何とかなるのだ。
でも、今週末に、おシゴトに絡む展示会があるのだ。
間に合わせでひとつお手軽なヤツ、作ろうかなあ。
朝行って、夕方に受け取れるとかあったよなあ。
うむー。
日常生活には支障ないのだよなー。
あるとすれば、PC画面くらいなもんだよな。
支障はないけど、裸眼は不安だなあ。
ダテメガネでもかけるとしようかな。
コンタクトは怖いし、早く視力を上げる薬が開発されればいいのに。
いや、実はもう出来てるんだろうなあ。
きっと眼科医とメガネ屋の団体が圧力をかけているに違いないよ。
とりあえずメガネ屋はつぶれないよう必死だな。
しょうがないよ、最初からその薬ができるまでのつなぎみたいな商売じゃないか。
あとはメガネ同好会が署名とか集めるかも。
会員がその薬に手を出したら裏切り者呼ばわりされてしまう。
でもボクは、メガネ好きだな。
視力が上がったら、ダテを各種取り揃えて日々過ごすなあ。
帽子みたいなもんだと思えばいい。
バリヤーも兼ねてるかも知れない。
で、そのバリヤーを今回失ったのは、寝てる間である。
酔っぱらって眠る時に、メガネをかけているのに気付いたボクは、右手で外した。
そこまではいいのだが、どうも持ったまま手を元の場所に戻してしまったらしいのだ。
腰の辺りで砕けてたよ。
いやもう、マジごめん。
まあその、みんなにボクが与えられる教訓がひとつでもあるとしたら、それがこれだ。
いくらメガネが好きでも、メガネと添い寝はするもんじゃない。
愛が裏目に出るってコトもあるってコトだ。
おお締めだけ見るとすごくオトナっぽいな。
ちなみに結局予備は発見されてない。
探し物をするのにメガネが欲しいなあ。
ああこっちは教訓というとちょっと違うなあ。
必要なものは、必要な時には見つからないものなんだ。
わかったかい?
はーい。
まだメガネは見つからない。
なかったのかもしれないね。
このまま一週間乗り切るか、それとも作るかはまだ決めてない。
一応、値段のリサーチだけはしてきたけど。
おととい茹でた枝豆は、ちょっと塩が足りなかったと思う。
もそっと入れればよかったけど、それでも熱々のはおいしかったよ。
冷たいのが不味いわけじゃないけど、久しぶりに食べるそれはやっぱりうまい。
気分の問題だね。
ちなみに普段コンビニで買うヤツが230円くらい。
今回茹でたのは、量としては倍くらいあったけど、値段も倍くらいあった。
この辺はビミョー。
ボクの手数料は値段に含まれてないからね。
いやまあ、たいした腕じゃないからたいした値段じゃないし、いいんだけどね。
その辺は、機会があれば一度は問いつめてみたい。
ところでみんな枝豆ってどうやって食べてるのかな。
口元まで持ってってからプチってやるの?
それとも、プチっとやって、中身を確認してから口元に運ぶの?
あまり意識はしてないと思うけど、考えてみる価値があるかも知れない。
そんなコトがあった。
もぐもぐとやっててある時、むにっと出てきた豆の緑の隣に白いのがある。
何だい?と思ってよく見るとちっちゃいいも虫だった。
おお、ちっちゃい、とか思いながら避けて捨てる。
まあこんなんで異物混入とかいうコトもないだろ。
そもそも異物なのかこれは。
もちろん異物なのだろうけども、そもそもの権利としてはヒトより先に持ってるはずだ。
食べてもいいんだよ、でも、収穫される前に逃げておいてな。
カエルの実験みたいに、水から茹でるかお湯から茹でるかの違いくらいしかない。
あれも悪趣味な実験だよなー。
もっとも捨てるだけで済まないヒトもいるんだろうなあ。
同じ鍋で茹でられたなんて我慢出来ない!とかなるヒトがきっといる。
普段何食ってるんだろう。
しかし普段口元でプチっとやってるヒトは、気付かずに食べちゃってるんだろうなあ。
かくいうボクも、今まで何匹ものちっちゃいいも虫を食べてきたに違いないよ。
これからは悩むところだなあ。
意識的に口元で開封するか、確実にチェックするか。
そんで昨日もコンビニで枝豆を買って帰ってみた。
でも、気付くとなくなってた。
結局ボク的にはどっちでもいいみたいだ。
さやの中身が全部いも虫でない限りは。
さすがにそれは。
何であってもひとりでやるのはつまらないというコトがある。
例えばボクなら、カラオケにひとりで行かない理由がそれだ。
つまんないよね、誰かが反応してくれないとね。
いや別に、反応するほどの芸を見せるわけではないけどさ。
そういうコトを打破するのには拍手がいいと聞いた。
ひとりでも、何かやる毎に拍手するのだそうな。
ごちそうさまで拍手、新聞読み終えて拍手。
めんどくさいと思える時ほど景気良くやるのだそうな。
生活にメリハリができるとも言ってたな。
どこまでホントやら。
このハナシを聞いたのが今日の午後三時。
ほほう、と思ったボクは今日一日やってみようと考えた。
別に誰かが損をするわけでなし、とりあえずトイレでも行って大きいの出して叩くかな。
がんばって出すんだから、それくらいはごほうびに。
でも忘れてた。
イマ、もう夜になってニッキ付けてるけど、ここまで一度も拍手してない。
そうだ、ニッキ付け終わったら拍手しよう。
忘れないようにしないと。
でもホント、拍手とか普段しないよね。
ここ数日を思い返しても、何かに拍手したという記憶がない。
こんなんじゃいけないよ。
もっと感情は素直に表に出していかないと、ロボになってしまう。
そんなんじゃドラ以下だよ。
“ドラ以下”って響きはいいな。
内容はよくないけどな。
でもドラ以上って、フツーでも難しいよ。
それに素直になったから、誰にも何にも拍手を送ってなかったのかもしれないじゃない。
それをそんな安売りしていいのか。
ちょっと待て、今日のコンセプトはいったい何だった。
つか今日は別にドラどうでもいいから。
頑張ると言えば、結局間に合わせのメガネは作らないコトに決めた。
今週いっぱいは“メガネのありがたみを思い知る”為の期間に設定したのだ。
ない状態での日常生活やおシゴトは慣れてきたけど、PCがやっぱりつらい。
ニッキとかいつもより明らかにつらい。
なかば意地で付けてるようなもんだなこりゃ。
画面に向かう時間を減らすのに、ノートに下地を書いたりしてそれはそれで新鮮な気分。
今度それをスキャナで読み込んでみようかな。
きちんと清書してからなら考えるけど、そもそもウチにはスキャナがない。
きみに読ませる腕もない。
ないないづくし、ないづくし。
せめてひとつくらいは何かないかなー。
あっこれだ。
ぱちぱちぱちぱちー。
駅のホームで2〜3歳くらいの男の子が泣いていた。
隣にお母さんらしきヒトがいて、からかうようにこう言っていた。
「ほうら、お兄ちゃんは泣いたりしないのよ〜」
男の子は、「僕、赤ちゃんじゃないもおん」と言いながら泣いてた。
ほらほら、周りでみんながちらちら見て、笑ってるよ?
ボクよりも若いお母さんは、楽しそうにベビーカーを押しながら笑ってた。
どうやら弟か妹かが入ってるみたいだ。
しばらく様子をうかがってみると、どうやら原因はお菓子のようだ。
どうやらあのお母さんの持ってる袋には、コーヒーゼリーとプリンが入ってる。
細切れのハナシを統合すると、男の子はどうもそのコーヒーゼリーが食べたいらしい。
お母さんは、帰ったら食べようねって言ってた。
ところが男の子は待ちきれないと。
イマ、食べたいんだと。
年の割に渋いものを好む割にはせっかちなコトを言うわけだ。
「がまんができないのは赤ちゃんだけよ〜」
どうやら涙の引き金はこの辺りだったらしい。
いやあそんなコトはないんだけども、まあここは黙っとく。
オトナになると我慢しなくてもよくなるからね。
よくなる、というか、我慢しない為の方策を覚えるのだ。
おカネであったり、人脈であったり、恥ずかしいと感じない能力であったり。
結果、それらのどれもが失われた時に、まだフツーに我慢できるヒトはとても少ない。
少年よ、イマはまだ鍛錬の時期だ。
いい師匠を持ったじゃないか。
あの男の子がオトナだったら、例えばベンチかどっかで食べてるな。
あの時にベンチで食べてるヒトがいなくてよかったなあ。
ボクだってあの瞬間に立ち食いとかしてたら、オトナとしての示しがつかないよな。
それかお母さんが、ボクに失格者の烙印を押すだろう。
お母さん、もしかしたら当たってるのかもしれないけど、理由は多分立ち食いじゃない。
立ち食いは泥棒の始まりとか、そんなコト言わないでしょ?
ウソなら吐いたコトあるから、きっと原因はそっちだよ。
いやもう、ホントすいません。
親子はボクとは違う車両に乗り込んだので、そこから先はわからない。
でも、多分帰ってから出るコーヒーゼリーとジュースかなんで、男の子は笑うだろう。
お父さんに「僕がまんしたんだよ!」とか自慢するかもしれない。
ええハナシや。
で、素朴な疑問。
コーヒーゼリーに合わせる飲み物は何なんだろう。
少なくともコーヒーじゃないよね。
何を合わせるべきなの?
それとも飲み物と一緒に摂るのは邪道なの?
非常に悩ましい問題だ。
あの男の子はいったい何と合わせたんだろう。
よもやブランデーをくるくるといやそれこそ早いからまあ待て少年。
「クラスの人に『手を出して』と言ってみました。
右手を出した人は全員右利き、左手を出した人は全員左利き。
両手を出した人は、全員血液型がB型でした。」
唐突だけど、上は「女子中学生の小さな大発見」という本からの抜粋。
ボクはこう見えて(どう見えて?)割と血液型信者なので、ここには爆笑させられた。
別に何型はこうでしょ?と決めつけるつもりはないけどさ。
実際、一緒に働いているヒトのカオを思い浮かべても、何型か知らないヒト結構いるし。
ただ、ヒトのカラダに流すオイルが四種類あるならば、それぞれに特性があって当然だろう。
そういう前提があるので、共通項があって当たり前だと思うのだ。
多分ヒトが集団生活を行う上で、うまい具合に役割分担できるようになっているのだな。
人数の割合も含めて、いちばんいいバランスなのではないだろうか。
例えば“株式会社佐藤”という会社があったとして、佐藤さんしか採用しないとしたらどうだろうか。
倫理的には問題あるけど、社内的には別に問題ないだろ。
ファーストネームで呼び合う社内風景が愉快。
佐藤を名乗れるのは社長だけだ。
社長が吉田だったら楽しいのにな。
でもこれが“株式会社A型”だったらどうだろう。
同じように倫理的な問題はあり、その上で社内的にも問題がありそうだ。
予想では、ちょっとギスギスしてそうな。
思い過ごしかしら。
別にA型だからというコトではなくて、BでもOでもABでも同じ。
A型に恨みなんかないよ。
ホントだよ。
あるとすればむしろB型。
一度ホームレスの血液型調査をやってみたいなあ。
どっかに偏ってる気がするんだよなー。
家を捨てられるヒトと捨てられないヒト、その間にあるのはいったい何だ。
ボクの印象を具体的に例えれば、アリとキリギリスならアリはA型、キリギリスはB型。
キリギリスにはAB型もいるだろうけど、ABキリギリスは多分アリには泣きつかない。
ミョーなところで誇り高いのだ。
まあ具体例をずらずら並べるのはやめるけど、やっばり性格に影響を与えていると思う。
ちなみにボクの育った家庭にはAとOしかいなかった。
その中でもいろんな性格があって、これが同じA型かとイマでも思う。
でもそのおかげで、A型に対しては耐性ができているように思う。
イマでも割と、A型は制御しやすいのだ。
でもそうやって性格に影響を与えているのに、血液型に対する評価はいちじるしく低い。
コドモの頃に憧れたとしても、珍しいという理由だけでAB型。
例えばアーティストに多いからといって、B型に憧れてもいいのにな。
ちなみにボクはO型なので誰か憧れて下さいいややっぱり憧れなくてもいいや。
ハリーポッター新作観たよ!
監督変わるとやっぱタッチ違うなあ。
前二作観てないと、全然わからないという切り捨て加減がある意味いさぎよい。
今日直ったメガネを引き取って、そのまま劇場直行。
おお、ボクの世界がまた帰ってきたよ!
道具を使ってやっと手に入る世界に何の意味があるのかという気もするけどまあそれは。
おかえりなさい。
さすがに公開三日目とはいえ、平日の昼間。
ガラガラとはいかなくてもひとりだし、フツーに席はある。
席を確保して、トイレに行って、準備完了、いつでもこい。
ちなみにできるだけ事前情報は入れないようにしてた。
もちろん公式サイトも見てないし、事前にパンフレットを読むなんてもってのほか。
たまにいるけどさ、どうして観る直前にわざわざパンフ見るのよ?
その神経がわからない。
ボクは原作も読んでないのだ。
それはまあ、ジブンでもどうなんだとか思うけど、読むと映画観る楽しみがなあ。
ハードカバーが嫌いなのもあるよな。
文庫になったらきちんと読みます。
約束だ。
まだ公開されたばかりだしあまり詳細には触れないけども、ボクはおもしろかったよ。
きっともう一回観にいくよ。
ホントはもう一回観てから帰ろうかなとも思ったんだけど、それは思いとどまった。
今度また、色々考えてからもう一回観るのだ。
監督の前作「天国の口、終りの楽園」ももう一度観ておこうかな。
タッチはあれと同じだった。
前二作を正しく引き継いではいるんだけど、やっぱりちょっと違う。
観てる時も思ったけど、上映時間が二十分くらい短いんだ。
そこにはいつもなら、ストーリーに関係ない部分が入っていると思う。
学校生活であったり、ハリーたちのキャラクターを深める何か。
でも、今回は物語を追いかけるだけで終わった。
ちょっとハリーかわいそう過ぎないかい?
もうちょっと幸せなシーンとかあってもいいんじゃないかなあ。
まあ物語のテーマ上、しょうがないのかもしれないけどさ。
どうもハーマイオニーだけが先にオトナになってしまっている気がする。
でも、ボクらのあの頃だって、圧倒的にオンナノコの方がオトナだった。
というか、男子がガキだったんだよ。
ロンはまったくそのまんまだな。
とてもおもしろかったけど同時に、三人にかけられた魔法は溶け始めているとも思う。
このメンバーであと何作作るのか、あるいは作れるのか。
来るべき幕引きと、それぞれの旅立ちを見届けたい。
まあ原作のリリースペースから考えても、最終作までは絶対ムリだろうけどさ。
うわあだいなし。
なんとかボーが出たよ!
去年よりも明らかに少ないけど、これは計算外のおカネだからまあいいよね。
早速使ってきたよ。
まずは無駄遣いからだ。
さんざんっぱら迷ったけど、結局mp3プレイヤーはiRiverの40Gに決めた。
ただし新しい機種じゃなくて、ひとつ前の機種ね。
だってカラーになっただけなんだもの。
ウォークマンとして使うのに、カラーもヘチマも関係ないじゃない。
そう思っているので、この先外れないようにとりあえず願っておく。
なむー。
使い勝手については、しばらく経たないとよく分からないと思うので待ち。
そもそもこういうのを使うのが初めてなんだからよく分からない。
比較とか、冗談じゃないね。
結果MDウォークマンに戻るという可能性も0じゃあないしな。
引き続いてメガネ購入。
無くした時、さすがに疲れたので、予備のメガネをひとつ用意しておくコトにした。
度数は同じで作るから、普段から取り替えながら生活するコトもできるなあ。
あっ、だったら全然違うタイプのを作っておけばよかった。
おんなじようなヤツ、作っちゃったよー。
まあいいや、変えたのがばれないコトが第一条件なんだから。
いやまあ、ばれてもいいんだけどさ、気にされるのもイヤじゃない?
そのままタワーレコードに突入。
今回のお目当ては、第三舞台のボックス・セット。
扱いがないってどういうコトだよー。
ああ、専門店にしか卸してない、あとはオフィシャルサイトで通販か。
いいよ、じゃあ専門店で買うから。
ちぇっ、せっかくダブルポイントキャンペーンのうちに買おうと思ったのに。
あとは今度のお休みに喪服を作りにいって、今回のボー祭りはお終い。
喪服はいちばん安いヤツじゃなくて、二番目に安いヤツね。
さあいつでも来い。
いや、冬服で作ったからできれば寒い時期に来て。
いやまあ、来ないに越したコトはないんだけどさ。
そうはいってもこういうのはいずれは来るものだからねえ。
できれば一度は使いたいし。
いやーできれば生涯ネクタイなんか締めたくないなあ。
なんでみんなあんなもん毎日嬉々として締められるのかなあ。
もっと自由に生きようよ。
わざわざ締め付けるコトないじゃない。
ブリーフ派の言い分はだいたい、動かなくて落ち着く、だ。
それがエスカレートするとビキニになる。
そのハナシを聞いてるこっちが落ち着かないよ。
何ともボクがふんどしに行き着くコトはないだろうというのが残念だと思えるくらいに落ち着かないのに。
毎年この日になると思うんだけど、今年も半分終わったなあ。
ボクは何か、この間に成し遂げたのかなあ。
残りの半年で、何か成し遂げるのかなあ。
どうもよくないねぇ。
昼間にウォーターボーイズの再放送をやってて、おシゴトの合間にちょっと観た。
でもつまんなくて、すぐチャンネル廻しちゃった。
一応あれは劇場版の続きなんだよな。
うむー、一度はきちんと観てみるべきだろうか。
あんまし惹かれないなー。
そもそも劇場版の続きをドラマでやるなんて、昔は考えられなかったなあ。
ドラマのスペシャルが劇場にかかるくらいならあったけど、逆はなかった。
映画がソフトとして、どれだけ家庭に入り込んだかというコトだと思う。
これがいいコトなのかそれともそうでないのか、判断の迷うところだなあ。
音楽ソフトとはワケが違うよ。
本来映画は、映画館で観るために作られているんだから。
コドモの頃に映画館で観た、という思い入れとビデオで観た思い入れはちょっと違う。
作品は作品単体で語られるべきだけれど、観る状況にも左右される。
コドモの頃の、つまりヒトの歴史の一部としての映画っていうものがあるわけだ。
例えば今のコドモが「E.T.」をどれだけ好きでも、ボクにとってのそれとはわけが違う。
負けないぞー。
勘違いされたくはないので言うけど、ボクは映像ソフトの普及はいいコトだと思ってる。
時代時代の名作を、いつでも観られる味わえるというのは素敵なコトだ。
ただ、それによっかかりすぎてはいないかな。
あくまでも二次使用であって、それは100%じゃないぞ。
地方でも、例えば公民館なんかでも、名作劇場みたいな上映会があってもいいのにな。
フィルムに触れ合える機会がもっとあるべきだとは思うけど、そうでなくてもいい。
実際に同じコトをやろうとするなら、DVD使ってビデオプロジェクターって方が安上がりだろう。
手間だって、ソフトと機材と場所さえあればいいわけだ。
権利関係だけはちゃんとクリアしてね。
要は真っ暗い中で、みんなで同じ映画を観るというタイミングなわけだ。
ソフトの利点のひとつは、自分のタイミングにあわせられるというコトだ。
ただしその利点は同時に、集中して作品に接するテンションを奪うコトが多い。
来るべき時間の前にトイレに行って、始まったら二時間ノンストップ。
そんな時間を自宅で確保するって、意外と大変よ?
やってる?
そんな数少ないチャンスをきちんとクリアするだけで、思い入れ度はグンと上がる。
あの暗闇というのは、どうしてヒトの想い出にこうまで作用するのだろう。
たかだか昼間からマイナスしただけのくせに、どうして。
ボクらを恐怖に陥れるコトもあるのに、どうして。
色々と考えない方が、きっと人生はうまくいく。
暗闇は素敵なもんだ、そう考えて生きていく方がいいんだとボクは思う。