3/16

ヒトには、何と言うか、やらなきゃいけないコトがあるのだ。
こういう時にはこうせねばならない、というような“美学”と言ってもいいかな。
例えば女性が泣いていたら、ハンカチを、いやさはんけちーふを差し出さねばなるまい。
女性の泪には、白いはんけちーふが似合う。
さめざめと、美しく泣いてね。
鳴くんじゃなくてね。

多分みんな、そういったコトを色々と逃した経験がある。
ボクだって数限りなく逃してきたよ。
枕を濡らした夜もあったさ。
主にビールをこぼしたり。

ベランダに干しておいたおふとんが風で飛ばされたコトがある。
それに気付いたのは、もう飛ばされて落下したあとだった。
イマでもジブンに問いかけるんだ。
もしもボクが落ちるのを目の当たりにしてたら、「ふとんがふっ飛んだ!」ときちんと言えただろうか。
だじゃれとバカにするコトなかれ。
長い人生にそのシチュエーションがどれだけあるか。
いざその時に、あなたは適切なヒトコトを発信するコトができますか?
隣家が塀を作った時に、黙って見過ごしたらもう二度とそのチャンスは来ないんだ。
人生はまだまだ続くのに、ずっと後悔しながら生きるなんて悲しすぎるよ。

以前にもここに書いた気がするけど、死ぬ時には何か謎めいたヒトコトを残したい。
お通夜の肴になるようなヒトコトを残したいね。
お通夜だけじゃない、法事の度に語り種になるようなミステリー。
子孫 が小説にしてしまうような謎がいい。

もちろんあらかじめ考えておかないとね。
戦国武将の辞世の句だって、あらかじめ用意されてたって言うじゃない。
ヘタすりゃ家臣とかが作ってる。
で、採用された句を詠んだ家臣は、秘密を守る為に葬られたのだ。
きっと辞世の句なんて詠ませてもらえない状況で殺された。
きっとそんなヒトたちは、ジブンのも用意してあったと思う。
惜しいコトを。

そういう、一生に一度のチャンスを逃してしまっていいはずがない。
産まれた時に何もできなかったコトが悔やまれる。
ああ、未来を見通すコトができたなら!

実際にそれができたら、ネタを仕込むよりももっと先にやるコトがいくらもあると思う。
多分ネタからいちばん遠い生活面で使いまくる。
とりあえず体には気をつけよう。
手遅れになる前に、病院へ行こう。
ガンの告知をされる日には、ちゃんと「がーん!」って言う腹づもりをしてから行く。

3/17

ジブンの持つ不要品を、赤の他人が欲しいと言ったらどうするか。
なぜそんな、赤の他人に、という気分になると思う。
使ってない、とかならまだしも普段から“なくても全然かまわないけど使用中”な品。
なんか難しいコト言ってますか。

直接来られたら、きっと断る。
調子に乗られて、あれもこれも!とか言われるとヤだから。
ただ、ここにそういったコトを調整する組織が絡んでたらどうだろう。
余ってるものを連絡すると、屈強でムキムキしたヒトがふたりでやってくる。
ちょっと豪快に、ものを持ち上げて去っていく。
まるで突然ガバチョのように。(懐かし過ぎて扱いに困るな)

しかしそうするとムキムキが嫌いなヒトは、これに応募ができないね。
ものが惜しいわけではないけれど、それを欲しがっているヒトに悪いとは思うけど。
だってしょうがないじゃない!
ウチにあんなムキムキしたのが入り込むなんて虫酸が走るわ!
みょみょみょみょみょー。(←虫酸の走る音)

これは責められるコトではない。
むしろその組織が、いくつかパターンを揃えればよいのだ。
きょうび引っ越しだってレディースパックがくるのにね。
ああもう、女だってムキムキはお断りなのよ!
はいはい。

でもこのヒトはきっと、罪悪感を持ってる。
ああ私がここまでムキムキに嫌悪感を持っていなければ、とか思ってる。
そんなコト感じなくてもいいんだよ。
きみは悪くない、ちょっと感受性が豊かなだけさ。
合わせるべきは、きみでなく、世界の方。
大切なのは、世界を憂う、その気持ち。

だからといって家に入れずに持っていってもらうのは面倒。
玄関を開けずに、気付かないうちに持っていってくれればいいのにね。
もちろんムキムキ抜きでね。
しかしそれができれば泥棒も容易。

おカネの絡まない、単なる嫌悪でもいい。
誰もそのヒトを笑うコトなんてできない。
献血車の前を通り過ぎる時のボクを笑うなんて誰にもできない。
注射針を使わずに抜くコトができるなら、牛乳瓶二本でも三本でもくれてやるのに。
肉1ポンドはくれてやるが、血は一滴たりとも流すでないぞ。

しかしそれができれば道ゆくヒトからちょっとずつ抜くコトも可能。
狙われやすいヒトももちろんいて、時には抜き過ぎて死んでしまったりも。
そして新たな都市伝説が生まれる。
おぎゃー。

3/18

ああ、春だねえ。
卒業の季節だね。
街中で袴のオンナノコが見られるのはイマだけだもんね。
これが終わると、夏の浴衣まで“和”が見られなくなる。
ちゃんと見とこうよ。

忙しかったりもする季節なのだ。
世間がどれくらい忙しい季節なのかは、個人サイトの更新の止まり具合を見れば分かる。
ホント、忙しいヒトは半端なく忙しいよね。
ボクなんてヒマなもんだ。

卒業といえばもちろん卒業式。
先日ボクも専門学校のに付いたっけ。
袴のオンナノコと、黒いツーピースの女性が一緒に歩いていたのだ。
てっきり親子かと思って目で追ってたら、ふたりとも卒業生の席に着いた。
先入観で見てしまってホントすいません。

しかし卒業はいい。
あんな新鮮な気分でジブンの生活をリセットできる機会なんて、そうはないよね。
きっとボクにはもうないだろうな。
ボクがリセットする時、きっとそこにあるのは絶望と焦燥だ。
それとも試してみたら違うだろうか。
いやー、試したくないなあ。

むしろイマまでのジブンから卒業したいな。
何というか、一皮剥けた、いい男になりたい。
タフで、優しい男になって、未来に羽ばたきたい。
飛べ! 羽ばたけ! ジャーンプ!
ヒトは誰でも飛べるはずだ。

だってムカシ、せんせーからそう聞いてんもん。
飛ぶのんなんか、恐ないもん!
なんでボクは、すぐ落ちてしまうん?

ついでに言うと、羽ばたく準備も花盛り。
就職活動も季節だね。
真剣に未来に駆け抜ける為に、選んだり選ばれたりまるで恋愛みたいだね。
いい恋愛してる? あるいはした?
行き当たりばったりにやると、あとで苦労するよ?
生き証人が、ここにいる。

働くのは簡単なコトではないけれど、働くコトを卒業したくはない。
生きるコトも楽ではないし、そっちも卒業したくないな。
見知らぬ港町に記憶をなくしてひとりたたずむボクとかうわー憧れる。
そしたら記憶喪失ニッキとか付けます。
気付いたらそっとしといて下さい。

3/19

好きな数字とか嫌いな数字とか、誰にでもあると思う。
年号の語呂合わせとか、何かしら覚えているだろう。
ラッキーナンバーは五桁です、なんてヒトもいるかもしれないね。

ムカシから、数字に霊力が宿っているかのように話すヒトがいる。
日本では四が、キリスト教圏内では13がよく知られている。
ダミアンのは666、銀河鉄道は999。
ダミアンが逆立ちしたらどうなるんだろう。

13がキリスト教的に縁起が悪いのはわかる。
しかし、日本の“四は死に通じる”ってのは納得がいかないなあ。
三は惨、五は誤、六は碌、七は質に通じるよ。
テキトーなコト言ってんじゃないよう。
四がかわいそうじゃないかよう。
よんと呼んでやればそれで済むじゃないかー。

誰にだって好きな数字や嫌いな数字くらいあるだろう。
そんな個人の好き嫌いに意味をくっつけて発表したのだ。
確かに早い者勝ちなのかもしれないけれど、ボクなら四をそんな目に遭わせない!
他の誰だって、そんな目に遭っていいはずがない。
どうしてもといわれれば、うーん、六とか?
いやいや、別に恨みは何も。

だいたいどんな数字だって、語呂合わせができるだろう。
世間の電話番号の覚え方を見ていればよく分かるね。
語呂合わせから番号が出てこないコトもしばしば。
それじゃ、本末転倒だよと、真剣に考えた日もあった。

例えば今日は三月十九日で319だ。
それじゃ今日は“ブ”の付かないサイクの日にしよう。
えーとそれは美男美女の日というコトでよろしいか。
ボクの日じゃないらしいから、どうでもいい。

いい意味を与えられた数字だっていっぱいある。
七なんて、その典型だろう。
何だよラッキーって。
プレッシャーかけるなよ。

八とかもすごいね。
日本では末広がり、西洋では∞、無限大を表すマークになる。
まあちょっと転んでるけどな。
そう、転んで初めて意味を成す場合もあるというコトだな。
意味のないコトなんか何ひとつないのさ。
だるまな感じの、決して転ばない8じゃあ困るんだ。
何の意味もないよ!

3/20

いつも見ているものを、全然知らなかったと思う瞬間がある。
よく遊んだり話したりしてるヒトに限って、意外な行動に出た時に面喰らう。
表面しか見てなかったと思うのに加え、裏側を勝手な想像で補填してたコトに気付くのだ。
悪いコトではないけれど、作り上げた像はいつでも訂正できるようにしておかなきゃ。
どこまで行っても誰もがミステリアス。

例えば夜と朝、ヒトは天井を見上げる。
その裏側を実際に見たコトのあるヒトがどれだけいるだろうか。
ちなみにボクは、一人暮らしを始めてからは見たコトがない。
一軒は洋間だったから、見ようにも見られなかったのだけどね。
そこ以外は、見ようと思えば見られたはずだ。
見ないいちばんの理由はやっぱり面倒臭さか。

天井に裏がある、と知ったのはまだまだコドモの頃だ。
寝ていると、天井の向こうからぱたぱたと音がしたのだ。
家族は、ネズミが運動会をしているのだと言った。
何だかほのぼのしながら眠りについたっけ。
もっとマシな場所はあっただろうにな。

“夜は墓場で運動会”というフレーズがこの前だったのか後だったのかは覚えがない。
たまに“夜は酒場で運動会”なヒトいるよね。
ボクはそれに参加したコトはないけれど、たまにさぼって寝てたりしたっけ。
よくない、まったくよくない。

天井裏で行われていたのが実際なんだったのかはわからない。
しかし、あれを運動会と考えてはいけない理由はどこにもない。
どたどた具合から考えて、文化祭ではないと思うんだな。
三者面談でもないと思う。
期末試験では、もっとない。

トムとジェリーのジェリーの家は天井裏じゃなかったよね。
確かいつも、壁に穴を空けて(時には扉を付けて)中に住んでた。
西洋の家の壁は、いったいどうなっているのだろう。
日本に来てたら、いったいどんな家を作っただろう。
郷に入りては郷に従えというし、天井裏に住んだかしら。

どう考えても普段住んでる家より広いよね。
そして当然個室じゃないよ。
プライバシーが!とか言い出すかもな。
仕切りのカーテンを引いてみたり、それぞれのブロックを区切ってみたりした。

それでも結局トムを懐かしく感じたジェリーはアメリカに帰ってしまう。
名残を惜しんだ日本の仲間と、最後に運動会を行ったのだ。
そうか、それがあの時の。
あの日、そんなコトがあの裏側で行われていたんだなあ。
仲良くケンカしな。

3/21

ムカシ「めぞん一刻」を描いてた頃の高橋留美子が言ってたコトが印象に残っている。
ファンレターで、“最後まで描いてくれないと死にます”というような内容があった。
それをうけて彼女は、「命を賭けるのは作り手だけでいいんだ」と言ったのだ。
つづけて確か、「読み手は気楽に詠み捨ててくれればいい」とも言った。
ただ、その辺りはうろ覚えなのでテキトーに流してもらえるとありがたい。

作品はボクらの後からやってきて、簡単にボクらを追い抜いていく。
年齢は関係なく、残された作品だけが彼らを語る。
残されたボクらは、作品を通してボクらを語る。
そうできるヒトが多ければ多いほど、普遍性のある作品なのだと思う。

万人に受け入れられる作品なんてどこにもない。
そんなコトはみんなわかってるんだ。
だけどみんな、できるだけたくさんのヒトたちに受け入れてもらおうとする。
もしくは、限られたヒトたちと深く深く繋がろうとする。
どっちがいいとかじゃないけど、そこが中途半端だと困るのは確か。
ジブンだけ好きでもしょうがないからね。
人に薦める時に、ちょっとでも迷わなくていいように。
振り切れてる方が勧めやすいよね。

もちろん作品に上下なんてない。
気に入る人数が多いか少ないかだけで語られるべきでも、それは上下とは違う。
いったん世に放ってしまったら、本人のチカラの入り具合すら関係ない。
いかに力作であろうとも、何の気なしに放った一作にあっけなく抜かされてしまう。
無情なもんだね。

それはおシゴトでも同じで、考えずにちょろっとやってしまったコトが誉められたりする。
それに比べて、考えに考え抜いたコトが全然評価されなかったりする。
だからといって考えるコトがムダだとは思わないけれども。
どうも世界の無情さを身にしみて味わっている気分にさせられているのだ。
失敗してるワケではないのだから、そんなに無情でもないのだけどね。

ただ、何が作品なのかという議論はあるだろう。
ボクがイマ書いているコレだって、れっきとした“作品”である。
作品でもないもの、ヒトに読ませらんないよ。
読んでもらいたいと思って、書いてるんだ。
誰かがこれを読んで何と言おうと、それは甘んじて受ける。
時には戦う。
かもしれない。
戦わないかも。

もちろんこれを作品とか言うのはボクだけでいい。
あーまたバカが何かほざいてらあ、とか思いながら読んでもらえればいいのだ。
それこそ本望、それこそ大望。
テキトーに流しつつ、気付くと何か残ってる、っていうのが理想だ。
ああもう、ボクの風呂敷はまだ広げられるというのに何ひとつ包むものが。

3/22

長さんが死んだねえ。
入院してたのとか、全然知らなかったよ。
多分伏せられてたんだな。

ボクのコドモ時代はドリフで出来てた。
いやまあ、それだけじゃなかったけど、歌番組以外でちゃんと観てたのはドリフだけだ。
ひょうきん族に浮気するコトもなく、最後までドリフに殉じた。
おもしろかったよな。
DVD、やっぱり買おうかな。
でも観て笑えなかったらヤだしなあ。
思い出は美しいままにしておくべきか。

たまにドリフの大爆笑とかやってたけど、たいして笑えなくなってたんだよなー。
“一丸となって”という感じが全然なかったのも問題だったなあ。
だったらまだ、カトケンの方がおもしろかった。
見ながらフツーに笑ってた。

それでも考えてみれば、長さんはずっとコメディアンだった。
役者として活躍の場が増えても、バカ兄弟や雷様をやったのだ。
きちんと笑えてたのがまたすごい。
だってイマたけしがコマネチやっても笑えないじゃない。
やる、という姿勢だけが評価されて結果については誰も触れない。
それってどうなのか。

最近CMで志村けんと高木ブーの競演が見られた。
そんなものが見られるとは、正直思ってなかったからびっくりした。
それに続いてドリフのDVDのハナシがあったから、ちょっと復活を期待した。
実際にハナシがあったのかなかったのか、それは知らないけれど。

クレイジーキャッツの復活がなくなり、ドリフの復活がなくなり、次はいったい誰だい?
欽ちゃんか、それとも上岡龍太郎か。
はたまた意表を突いてピンク・レディーか。
どんどんボクを育てたヒトたちが消えていく。
ボクは代わりになれるのか?
準備はまだできてない。
できる気配もない。

仮装大賞の司会は誰になるだろうな。
せめてあれくらいならボクでもこなせるだろうかな。
香取慎吾と争ってみるべきか。
実技試験は、欽ちゃん走りだ。

つかこなせるってだけじゃどうしようもない。
香取慎吾に勝てるわけがない。
考えてみれば別にやりたくもない。

だめだこりゃ。

3/23

雑誌に載ってた気がするのだけれど、お台場には3m80cmのガチャガチャがあるそうな。
中身はいったい何だろうね。
ガチャガチャであるからにはコインだろうから、そんなに高いものではないだろう。
確かに十万円金貨とかあったけど、いくらなんでもそれは。

“実物大”とか安易だよね。
イマならデカレンジャーとかかな?
知らないんだけど、デカレンジャーの実寸はもっとでかいのかなあ。
レンジャーなんだからでかさは売りにしてないと思うけどなにせ“デカ”だし。

大きい、例えばぬいぐるみでもいいけど、欲しいのと違うのが出たらどうするんだろうね。
ぬいぐるみなら500円玉で二枚くらいが妥当かな。
船の舵みたいなヤツを廻すのだろうか。
それは廻してみたい。
ああ廻してみたいとも。

例えばフジテレビのアナウンサーが中に入ってて、出てきたヒトと握手ができる。
これならいいとこ500円だろう、誰が出てくるのかわからないし。
つか、誰か握手したいヒトなんているかな?
平井理央がホントに入社したらしたいなあ。
軽部真一の蝶ネクタイを引っ張ってもみたいけど、こっちは500円じゃ高いし。

例えば握手会がモー娘。だったら15分の1でしょう。
5,000円でお目当てと握手できますよ、ってのがあったらそっちへ行くんじゃないかなあ。
あくまでも一回500円との比較論でのハナシね。
ボクなんてイマや半分以上名前とカオが合致しないからね。
そんな状態で握手してもらうのも失礼なコトだし。

あの記事はホントのハナシだったのかなあ。
そもそもホントに読んだのかなあ。
それとも幻かしら。
有効な使い道が見つからないよ。
単純に中身が多いだけのガチャガチャとか言わないよね?
天下のフジテレビ、そんな下らないオチはつけないよね?
マジ勘弁。

大きいものでいくなら、家具とかどうだろうな。
新居に入れる家具をひとつひとつ、ガチャガチャで引き当てていく。
定価の3分の1くらいなら、やるヒトいないかなあ。
まず嫁さんからして、引き当ててたりしてな。
そうなるともちろんコドモもだね。

ガチャガチャ神、運任せの神様。
全ては神の思し召し。
でも転がり落ちてきたものが無傷である確率はすごく低い。
やっぱ信じない方が。

3/24

予算がー!
とかわめいてみても年度末の数字は変わらないなあ。
数字って非情だね。
そしてだからこそ数字とかおカネとかって信用できるよね。
味方の時は味方、でも裏切る時には明快に裏切る。
デジタルの元祖と言ってもいい。

味方と思っていたのに裏切った、とかもあるらしいね。
ボクのレヴェルだと、そんな高度な付き合いをしてないからよくわからないや。
お子さまだからかなあ。
それともバカにされてるのかしら。
そもそも相手にされてないのかしら。
困ったね。

おシゴトだから年間予算とか立てるけど、実生活でその手の作業はやったコトがない。
家計簿も付けたコトがないし、収入を割り振りしてみたコトもない。
おかげでいまだに、月にいくら飲んでいるのかを知らずにいる。
まあ人生には知らないほうが幸せなコトがあるって言うし。
知ったからって量が変わるとも思えない。

不思議なコトに500缶×4のビールはすぐなくなる気がするのに、一升瓶だといつまでもあるような気がする。
すぐなくなって、結構ショックを受けるよ。
新しい焼酎を開けて翌朝に半分になっているのに気づくと、残りは割と大事に飲む。
これって意外とポイントかもね。

一本の焼酎を買ったら、それをいつまでもたせるかを考える。
ビールと平行してなら、10日はもたせたいな。
だったら一日に飲んでいい量は180mlだ。
それってもしかして一杯か?
いや、いやいやいやそれはいくらなんでも。

だったら二杯にして5日か?
ちょっと押さえて一週間?
一週間もたないのか、とか今ごろ気づいてるやつ。
そもそも飲めば減るものなのだから。

しかし予算は達成する為にある。
達成できない予算計画には何の意味もない。
消耗品枠は余裕を持って対処しなければ。
ああ、年度末だし予算は使い切らないとな。

ぐびぐびぐび。
永遠に終わらないかに見える工事現場を見る思いでぐび。
予算が尽きるのが先か、ボクのリストラが先か。

3/25

よくタレントさんが、映画だの舞台だののプレミアを観に行ってワイドショーに出てる。
「マトリックス・リローディッド」のワールドプレミアにはウタダも来てた。
やっぱりコメントをして、それが電波に乗っかってた。
まあウタダ的にはそれで映っても映らなくても関係ないだろうけどさ。

でもタレントさん的にはそこで映るのと映らないのとでは全然違うヒトが絶対いる。
それも登場回数の多いヒトが絶対いる。
例えば叶姉妹とか。
たかだか劇場へ来るのに、何だあの不必要なゴージャスは。

まあああやってイメージを積み重ねているのだ。
プレミアを観るのも、100%おシゴトだろう。
ホントにプライベートで観に行く時にゴージャスだったら、ある意味では尊敬する。
残りの意味ではバカだと思う。
多分叶姉妹的には本望だと思う。

テレビに映ってる、そういう時のタレントさんって、出し物絶対に褒めてる。
ホントにおもしろいと思っているのかどうなのか。
テレビに映る為に褒めてんじゃないの。
けなしてるコメントなんて放送されないもんね。
少なくともボクは見たコトない。

でもタレントさんにだって好みがあるよなー。
おもしろくもないのに“おもしろかった!”って言うのはイヤだろうなあ。
しかもそれを積み重ねて、結局何だっていいのかよ!とかジブンで突っ込んだりもする。
しかしそれもシゴト、恨むならジブンを恨むがよい。
それともつまらない時はけなしたりしてる?
テレビで見かける倍はプレミアに出席してるってコトか。
すごいなー。

とはいえ、ボクだって大抵の“どうだった?”にはいい方向で答える。
よっぽどひどけりゃ別だけど、観てもらわないとハナシにならないから。
できるだけ観に行ってもらえるように、興味を引く話し方で好奇心をあおる。
ジブンの評価をストレートに口にせずに興味を引けたらしめたものだ。
おもしろかったらこんな苦労しなくて済むのにな。

結局あんなものは、現場で目撃しないと何も始まらないんだ。
お芝居だって、映画だって、ビデオで観たって真価は伝わりはしないんだ。
どうやって“そこに来てもらうか”はみんなが悩んでいる問題。
それに貢献できるのなら、つまらないものを絶賛するのも、やぶさかではないのかも。
そうだよな、芸能界の一員だものな。
隆盛の為に、一肌ぐらい脱ぐよな。
次の一肌は、ジブンの為に脱ぐ。

そうして考えると、意外と芸能界は一丸となってやってってるなあ。
ちょっと叶姉妹を見直したりして。

3/26

テレビショッピングを見てたら、ミルミキサーが出てきた。
要するに、何だって粉末にしてしまうすごいヤツだ。
コーヒーを挽く、お茶を挽く、その他挽けるものは何だって挽いちゃう。
洗うのが面倒くさそうだね。

しかしあの“お茶っ葉を挽く”というのはどうなんだろうか。
お茶っ葉って、ホントに全部栄養なの?
フツーに入れてる分には全然表面化しないような、悪いヤツが潜んでたりはしないのかい?
ちょっと気になる。
摂取しない方がいい部分があるような気がするんだけどなあ。

つかお茶っ葉を粉にしちゃったら茶柱が立たないじゃないか。
断言してもいいよ、絶対に立たない。
それか、柱を二・三本除けといてから挽いて、後から足す?
スープのクルトンみたいだね。
風情がないよ、風情が。

ホントに、秘密ってワケじゃなくても、隠されてるコトはたくさんありそうな気がする。
いいコトばっかり聞いてスーパーへ走るのは楽しいだろうけどさ。
いっぱいある食材にはそれぞれいいところがある、という風には考えられないのだろうか。
取り上げてもらえない食材がかわいそうだ。

しかし取り上げてもらえないのにはそれなりの理由があるのだろう。
絵が地味だとか、ポリフェノールが含まれてないとか。
何かとポリフェノールは含まれてるからねえ。
たろすけポリフェノールは含まれてないのかな。

含まれてたら食べられちゃう。
食人族に串刺しにされちゃうよ。
おいしく食べてくれるかなあ。
火を通しただけで食べられちゃうのは不満だなあ。
活け造りよりマシかあ。

しかし懐かしい食人族。
イマでもどこかにいるかなあ。
世界はまだまだ広いかなあ。
ピラミッドならいくつ建てられるくらい広い?
冒険はまだまだ続けられますか?
未知のポリフェノールはまだまだきっと見つかる。
柱だって、きっと立つ。

ボクが死んだら粉末になって、余さず食べてもらいたいと思う。
そうすればボクはあなたの中で、また生き続ける。
きっとあなたはドナルドポテトを好きになるだろう。
きっとあなたはビールが好きになるだろう。
きっと音楽を聴く時のボリュームが大きくなるだろう。
ポリフェノールの効能よりデメリットの方がでかい。

3/27

久しぶりにt.A.T.u.を聴き返しているんだけど、あれはやっぱいいな。
すごいかっちょよいよ。
例えば同じような扱いをされた、例えばシャンプーであったりミー&マイであったり。
そんなのと比べても、ここには圧倒的なクオリティーがある。
パラパラ言ってた、死んだおじさん誰だっけ?
少なくともそんなコトにはならないと思うよ。

まあ二枚目を同じ布陣で作ってもどうなるかなんてわからないけどね。
少なくともボクは、リード・シングル聴いてから判断するな。
期待はしてると思うよ。
忘れた頃でなければね。

東京ドームのライヴも観たかったんだけどねー。
さすがにあの値段払って観る気にはならなかったなあ。
ガラガラだったらしいから、きっと行けばダフ屋が投げ売ってたんじゃないか。
そんな気がする今日この頃。

別にボクは、ホントに彼女らがレズだろうがそうでなかろうがどうでもいい。
もうあれだけのブームを巻き起こすコトは、ボクはないと思う。
ただ単純に、有効なポップ・デュオとして機能し続けてくれればいいのだけれど。
テクノ系の、例えばケミカル・ブラザーズとかのボーカルに起用されてもおもしろそう。
その頃にはきっと、t.A.T.u.としての起用はないと思うけどな。
歌だけなら、片っぽだけでいいんだ。

一発屋は、どうして一発屋になってしまうのかな。
ジブンたちで曲作りをしているならまだしも、他人が作ってるのにどうして。
本人たちの問題もあるだろうけど、これはむしろブレーンの問題じゃないか。
きちんとここまで届けてくれよ。
あぐらかいてるんじゃないの?

求心力を失ったのか、それともそうでないのか。
それは同じだけのチカラを入れてみないとわからないよね。
出しただけでプッシュされるなんてのは、都合のいい思い上がりに過ぎないよ。
実績を積まない限り、そんな世界はどこにもないんだ。

とはいえ、裏方がいくらチカラを入れてもダメな時はダメなのだ。
売れてしまったものの悲劇とでも言うべきだろうか。
そうなったらしょうがないね。
細々とロシアだけでやっていくしかない。
日本でくらいは、その音源がリリースされるだろう。
ボクらの耳に届くかどうかは別として。

つか公式サイト見たら、既に去年の夏にリリースされてんの。
しかも企画ものでリミックス盤も同時発売ときてる。
なんだなんだ。

3/28

昨日t.A.T.u.について書いてたら、ドタキャン騒動も思い出した。
ボクは普段、イベントスタッフなどというおシゴトをしているので、結構身近な話題だ。
一応解説しておくと、本番直前に出演を取り止めるコトね。
知らないヒトはいないだろうけど、いちおーね。

通常はまず、出演依頼〜契約書〜出演という順序。
契約書から出演までの間に、違約金が含まれる契約書とそうでないものがある。
出る方にも通常プラスに働くコトだから、キャンセルはよっぽどのコトだ。
もっといいスケジュールでもあれば可能性はあるけど、それは信用を損なう行為だし。
まああまりないと言っていい。

以前プロ野球選手の秋山が講演に呼ばれて地方に出向いたコトがある。
そしたらそこの歓迎の垂れ幕には、数学者の秋山の名前があった。
依頼者から仲介者の段階で、意思の疎通が図れていなかったんだな。
幸いなコトにこの野球選手の方の秋山は、快く間違いを許して講演を行ったそうだ。
よかったなあいいヒトで。
ホントよかった。
全然ヒトゴトじゃないよ。

まあボクは運営系にはあまりタッチをしないので、ドタキャンは別にどうでもいい。
逆に現場がなくなったのにギャラは出てラッキー!ってなもんでね。
準備をしたなら本番あって欲しいけどね。
大変なのはボクじゃない。

ボクらにとってホントにたちの悪いのは遅刻。
ホント裏方表方の遅刻も困ったもんだが、立ち方の遅刻だけはどうしようもない。
その場で対策を練り、スケジュールを切り直し、打ち合わせもそこそこに始めてしまう。
早く来ーい、早く来ーい。

時間は何よりも貴重だから、できるコトから始めてしまう。
おいしいところは後廻し、主催者挨拶とかのどうでもいいところを長めにやっちゃったり。
でも最終的に間に合わなくてキャンセルされたりするコトももちろんあるのだ。
いたたまれないよまったく。

基本的にはお客さんの来る来ないと、立ち方の来る来ないにはタッチしてない。
だからこそ、ボクの手の届かないところだからこそうまくいってて欲しいんだけどな。
満員の客席大好き。
ボクのギャラには何の関係のない部分だけど大好き。
みんなが満足した顔で会場を後にしてくれたら、それがボクのギャラだよ。
ウソです。
パーフェクト・ウソ。

ドタキャンされてうれしいヒトなんてそうはいない。
イメージ・プロモーションの成功の代わりに、大きなものを失ったt.A.T.u.。
ボクだって舞台裏にはいたくない。
まあ実際はギャラによるワケだが。

3/29

この世とあの世の境目には、三途の川が流れている。
らしいね。
ボク見たコトないけどね。

ちょっと調べてみたら、死んだら七回の裁判を受けるのだそうだ。
で、一回目の会場と二回目の会場との間に流れているのが三途の川らしい。
というコトは、三途の川を渡るまでには、既に一度は裁判を受けてるわけだな。
ちょっとイメージ違うなあ。

だいたい死線を彷徨ってから生還するヒトは三途の川とか言い出す気がする。
川の向こうで誰かが手を振っただの、来るなというジェスチャーをしただの。
おかしいじゃないかい?
どうして受けた裁判については触れないんだ。
どうして秘密にするんだよ。
守秘義務か?

境目に三途の川が、というコトは第一の裁判所は“この世”にあるんだな。
当然賽の河原もこの世だな。
鬼が出てきて塔を倒すのがこの世なら、現世にもきっと鬼はいるな。
それは何だかわかる気がする。

三途の川は、一回目の裁判の結果に応じた方法で渡る。
船は裁判とは関係がなく、単に六文を支払えば乗せてくれる。
イマならいくらになるのかな。
ユーロは受け取ってくれるのかな。
ボクが死んだら、各国のおカネをお棺に入れてもらおう。
もちろんこども銀行も。

三途の川はそんな具合に、“渡る”対象として考えられている。
でも、そもそも三途の川はどこから来て、そしてどこへ行くのだろう。
水質検査とかはされてないのだろうか。
おさかなは住んでないのかな。
疑問は膨らむばかりだ。

しかし調査をしようにも、船は渡し船しかない。
いやしかし、渡し船はどこから来た?
裁判関係なく料金を取っているのなら、まぎれもなく商売だろう。
ジャックして、川下りといこうか。
人質と一緒に、どこかに出るまでまっすぐ行こう。
ふたつに別れたら流れの速い方へ進め。
裁判官は、秩序を乱したボクを決して許さない。

しかしいちばんありそうなのは、いつの間にやら元の場所。
上流を探っても結果はきっと同じ。
地球に優しい循環式リサイクルだ。
魂がそうなんだから、云わんや水をや。

3/30

ウタダのシングル・コレクション買ってきたんだけど、あんまりおもしろくない。
擦り切れるほど聴き込んだ音ばっかりなんだもの。
リマスタリングって言っても、並べた時に違和感ないようにした程度でしょ。
こういうのは難しいよなー。

ボクは基本的には、オリジナルで聴きたいヒトなのだ。
だからベスト出るよ!って言われてもほほう!とは別に思わない。
特に今回の場合は、正に予想通りの品だったし。
ここまで単に並べただけだと、逆に壮観。
一曲たりとも聴いたコトのない音って入ってないもんな。

食指の動くベストっていうとやっぱり、
・アルバムに入ってない曲がたくさん入っている。
・新曲が入っている。
・ライヴが入ってる。
・ヴァージョン違いが入ってる。
こんな感じだろうか。

最近は初回限定で二枚組のベストが増えた。
ボクの買ったのはU2とかBLUR、日本ならグルーヴァーズとか。
迷ったあげくに買わなかったのもあったなあ。
初回限定って、中古に出回らないから困るよな。
その二枚目の特典ディスクだけ売りやがれ。

とはいえ、まるまる一枚分のライヴ盤はやっぱり魅力。
ベストを買う、というよりもその二枚目を買うつもりで買って来た。
ドナルドポテトが食べたい時に、セットを買うようなものかなあ。
その方が、結果的に割安なのだ。
その代わりにメインはあまり楽しまれてないよな。
まさにこんな感じ。

何のつもりでみんなベストなんて買うの?
古いミュージシャンならわかるけどさ、現在進行形ならオリジナルを聴けばいいじゃない。
その頃はテレビや有線で聴けるから別にいいのかな。
ちょっと忘れてきた頃にまとめて出るから、そういや好きだったなこの曲、とか言うの。
それはそれで、健全だなあ。
ちょっとうらやましい。

予想では今回のベストより、ウタダを収録してる尾崎豊のトリビュートのが聴くだろうな。
どれも結構力作で、聴きごたえがある。
ウタダ以外ならまず、橘いずみと斉藤和義が印象に残る。
175RはむしろPOTSHOTみたいだし、岡村靖幸や大森洋平の景気良さは久しぶりじゃない?
よっぽどベストより聴く甲斐があるよ。

さんざんな言い様だけど、こうなるコトはわかってて発売日に買って来た。
だって、ほら、やっぱ、ねえ。

3/31

ジブンがジブンでなくなった瞬間なんてのがあると思う。
例えば“キレた”時とか、そうでなくても寝てる時のジブンに責任は持てない。
でも、ジブンってそんなに確かなものかな。
もっとあやふやなものじゃないかな。

極端なハナシ、“キレた”時のジブンがホントのジブンとも言えなくもない。
一生懸命に自己制御していても、それは偽りの人格でしかない。
酔っぱらって口にしてしまった不用意なヒトコトとか、なかったかい?
それが、ホントのジブンじゃないかな。

そう考えれば、ボクたちは社会生活を営む上で意識的にジブンを作っている。
根拠をどこに置くかで作り方は変わってくるだろう。
そう考えると、やっぱりうまいヒトとへたなヒトといるねえ。
生き方の器用不器用とは、ちょっと違う気がするかな。
すぐに崩れてしまうのが、へただというコトでいいかな。
ちょっとトラブルに見舞われただけで、ジブンを見失ってしまったり。

というか、そもそもジブンって何だろう。
おなかの空いてる時とふくれてる時とでは同じジブンかね。
これが違うヒトっていっぱいいると思うんだけど、だとしたら何て頻繁なスイッチング。
眠い時とそうでない時とかね。
いつも眠いヒトがそうでなくなった時には、いったい何が起こるのか。

信じていたものが違ったと、気付いてしまった時に方向転換させるのは難しい。
根拠という根っこがあっけなく抜けてしまったら困るね。
次が無事に見つかるといいけど、それまでは根無し草として漂うしかない。
その状態がホントのボクだなんて悲しいけれど。
ああとても悲しいけれど、間違っていたなら仕方がないね。

気付かないフリをし続けるコトなんてできない。
たとえその方が楽だとしても、いつだってやり直すコトは可能だから。
安心して眠るといい。
だいじょぶ、ボクだけはボクのコトを見捨てない。
死ぬ時は一緒だよ。
どんなボクでも、ボクはボクだ。

どんなボクを作るかはボクが決めるコトだけど、もう選択肢は限られてる。
その中でできるコトをきちんと見据えて、新しいボクを作っていきたい。
そもそもボクって何なのか、それすらもイマはわからないけれど。
それでもかろうじて培ってきたものがある、それを足がかりにしていきたい。
少なくとも寝てる時の方がごきげんな気がする。

ボクを作るのはボクと、それに周辺の環境。
一度ジブンをリセットして、ひとりでどこかでやり直してみたい。
おふとんから出て、眠気を振り払って、歩き出そう。
不機嫌なボクが、ホントのボクかもしれないから。

 

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