寒いなー。
一日屋内シゴトだったので、雪を見逃しちゃったよ。
もう降らないかなあ。
昨日書き忘れてしまったのだけれど、閏年だったねそういえば。
四年に一回、オリンピック並みだよ。
しかも日曜日なのは28年ぶりだったんだってね。
貴重な貴重な、2/29のにちようび、みんな堪能した?
ダーリン、ラムネを買ってきてね。
さて、昨日の続きみたいな感じになるけれど、ヒトが最初に聴く音楽は胎教音楽?
というコトは、クラシックかな?
両親ともにそんな習慣ないくせに、胎教にいいっつってむりやりそんなの聴く。
産まれたらそれまでと同じようにスマップとか聴いてる。
赤ん坊が、世界のギャップに戸惑うとは思わないのかなあ。
それが元でグレ始めるとは思わないのか。
それが最初に感じる違和感。
産まれる場所を、間違えてしまったのではないか?
たまに書くけど、ボクはカラオケ好きなのね。
で、ロック好きなのね。
でも、ふと気付くと童謡とか、コドモの頃に耳馴染んだ曲を口ずさんでるの。
ぴこっとさんが、ぴこっとさんが、やってくる〜♪
誰だぴこっとさん。
やはりこれは刷り込みだと思う。
だから大きくなってからふと口ずさんでも、恥ずかしくないものを聞かせておくべきだ。
恥ずかしくなくて、ちょっとはメジャーなものね。
ぴこっとさん誰も知らないから。
ボクの場合アニソンが抜けてるので、童謡なり雑誌とかに付いてたソノシートなりが中心か。
父親が、ギターをつま弾きながら石原裕次郎とか歌ってたな。
その辺もちょっと残ってる。
夜のヒットスタジオとベストテン世代なもんで。
ミュージックフェアーは日本のBBCだと思うんだけどな。
あれっぽく、ミュージックフェアーでやった演奏をまとめたCDとか出ないかな。
チェッカーズのやったカバー曲とか秀逸だったけどなー。
まあそんなコトはさておいても、やっぱりテレビの影響とかでかい。
歌謡曲がテレビから消えて早幾年、すっかりふと思い出して口ずさめる歌がなくなった。
だって10年経って、ファンじゃなかったヒトがリップスライムやラルクを口ずさめるかな?
そう考えると、やっぱり紅白で回数歌われている歌って偉大。
想像するに、ボクのココロの中には堆く積み上げられた山がある。
指で掘ってたら、真っ赤に錆びてもう何だかわからない歌がいっぱい出てくるのだ。
どこのどいつが埋めたやら。
アカデミー賞の結果が発表された。
結果はまあご存じの通り「ロード・オブ・ザ・リング」の圧勝だった。
ただし役者賞は別で、影もカタチもなかったな。
まあそういう映画じゃないしな。
渡辺謙は残念だったね。
でもしょうがないね、ボクだってホントに取るとは思ってなかったし。
次に繋がっただけでも良しとしようよ。
バットマンの悪役が日本人って、そのシチュエーションだけでもドキドキする。
総合的にはボクの予想は当たってたなあ。
予想外だったのは主演女優賞だな。
シャーリーズ・セロンって、そんないい女優さんかね。
うまくシャロン・ストーンの後釜に座ったヒト、っていう認識はそろそろ改めなきゃ。
「コール」とか観ておくべきだったかな。
この際ビデオでもいいかな。
ただ、この“当たってた”のはあまり喜ぶコトじゃない。
要するに抜けてるのが少なかったってだけだ。
これしかないんじゃないの?という審査はあまりおもしろくない。
もっともっとおもしろい映画をボクらに!
いやまあアカデミーに絡まない映画でおもしろいのはいっぱいあるんだけどさ。
賞ごとにタイプが違うのは当たり前としても、アカデミーの敷居は不当に高い気がする。
賞レースはこれだけじゃないぞ。
個人的にはカンヌの持ち上げられ方もどうかと思うけど。
つまり、カンヌ好きが“レベルの高い”映画好きみたいな言い方をたまに聞くのだ。
アカデミー賞は、ただのハリウッドの商業主義のお祭りなんだって。
おまえの目はふしあなだ。
映画なりの、いわゆる“作品”の素晴らしいのは個人対作品という構図が可能なところ。
どれだけ雑音が多くても、対峙する時は作品とふたりきりだ。
そこでしか真価は量れないのだ。
つまり、どれだけのヒトが観ていようが関係ない。
どれだけのおカネがかけられていようが関係ない。
その作品に、おまえはどういう評価を下すのか?
おまえが出すその答えは、おまえを剥き出しにする。
つまりボクが出す評価は、ボクを剥き出しているワケだ。
何かしょっちゅう、あれはどうだとかこれはどうだとか言ってる気がするな。
もう剥き出し尽くして、剥くとこ残ってないんじゃないの?
これ以上、どこ剥こうってのさ。
うわあその塩水はもしかして第二段階。
ひな祭りなので、いつもようにビールで始めるのではなく、酎ハイで始めてみた。
ちょっとでも甘いお酒を、と思ったのであって、この努力は認められるべきではないかな?
でも一本だけだから、もうホントにカタチだけだ。
つかほら、オトコノコだからホントは関係ないし。
ね?
とはいえ、正確に言うと、白酒の味を覚えてない。
どうも甘かったような気がするのだけどな。
甘酒とは違うよね?
要するに濁り酒の甘いヤツ、という認識は正しいのだろうか。
間違ってても当座は困らないのでどうでもいいか。
ボクだってもうビールになってるし。
おひなさまは早くしまわないと婚期が遅れるらしいねえ。
そもそも適齢期自体がどんどん後ろにずれてきているのはおひなさま関係あるかな。
以前はクリスマスケーキとか言われて、25過ぎたら残り物みたいに言われたものだけど。
イマそんなコト言ってたら、マジぶっとばされかねない。
ていうか、その年頃なら、もっともっとしたいコトあるよね。
恋愛後回しでも全然おかしくないと思うよ。
だいたいお内裏様とお雛様って、絶対恋愛結婚じゃないよね。
もう、お式の当日までカオなんか知らなかった可能性だってあるよ。
カオは知ってたにしても、嫌も応もなかったのは間違いないだろう。
ホントに幸せなの?
ある意味では織姫と彦星みたいなもんだから、一年に一回くらい我慢するかなって感じか。
お互いね。
ただ、織姫と彦星と違うのは、飾る側の気分ひとつで長くもなり短くもなるコトだ。
やっぱりイヤだから、長く飾るヒトにはそんな呪いをかけるんじゃないの?
仮面夫婦の、気の合う一瞬なのだ。
あながち統計を取ってみれば当たってるかもしれない。
いや、違うかもしれない。
ちょっとでも、ちょっとでも長く一緒に居たいから、長く独身で居てもらいたいのかも。
たまに気が向いてとっとと片付けられてしまった日にはがっくりだ。
でもまあ、そのドキドキ感もいいんじゃないの?
来年はきっと。
実は官女の誰かと太鼓の誰かが恋愛関係にあるのかも知れないなあ。
しかもそれは不倫なのかも知れないよ。
燃え上がる、一年に一度の逢瀬!
ひそかにあの集団を牛耳る、陰の実力者!
最近は場所を取らない簡易版があって、お内裏様とお雛様だけだったりするね。
うるさいのがいなくて、これはこれで長く外にいてもいいかしら。
あーのびのび。
実家におばあちゃんがいる、というハナシは以前した気がする。
実は彼女は、ホントの祖母ではない。
正確には父の伯母に当たるのだ。
父の父の兄の妻、それが彼女。
父の両親が死んだあと、父を引き取って戸籍に入れたのだ。
彼らにはコドモがなく、父には両親がなくなったから。
育てる、というほどコドモではなかったようだけれど、それでもヒトのコドモ。
彼女には、どんなに気詰まりだったコトだろうか。
ボクらは、そんなコトは知らなかった。
それを知ったのはいつだったか。
多分高校生くらいだろう、親元を離れてからじゃなかった気がする。
もう何年も前におじいちゃんは亡くなった。
ふたりで住んでいた家に、ひとりになった。
父がジブンの家、つまりボクの実家に呼んで一緒に暮らそうとしても断ったそうだ。
気持ちは分かるよ、環境まで変えたくはなかっただろうから。
慣れ親しんだ場所で、最後を迎えたかったんだろう。
どうせ150mくらいしか離れてないんだし。
ここ5年くらいは、ボケが進行してた。
父や親戚のカオを忘れたり、じいさんが生きてるかのようなコトを言い出したり。
徘徊癖が出なかったのはよかったな。
てくてく歩くのには不自由なかったのに。
それでもボクのコトは覚えてた。
ボクを見て判別つかなくても、ボクのコトは覚えてた。
年に二回の帰省、それぞれ一度か二度ずつの訪問。
その度におばあちゃんはボクに「もう、卒業はしたんか?」と訊いた。
おばあちゃん、ボクもう30過ぎたんやで、と言うとおばあちゃんはいつも驚いた。
父に訊くと、時々父にも同じ質問が出たらしい。
ボクはどうしているのかと。
ボクはここにいて、おばあちゃんを気にかけるコトなんてほとんどない。
でもおばあちゃんは、時々ボクのコトを思い出していたんだね。
ごめんね、あなたがボクを愛してくれたほど、ボクはあなたを愛してませんでした。
ホントにごめんなさい。
あなたが逝ってしまったと聞いても、何だか実感が湧きません。
何だかずっと生きてるような気がしてました。
考えてみれば95だったんだよね。
おじいちゃんには、会えましたか?
何十年かしたら、また会いに行きます。
その時にはまた、卒業は、と。
明日から実家に帰るわけだが、ヒコーキ代高いなあ。
今月は締めてかからねば。
ちょうどいいや、食費減らそ。
考えてみれば就職してからというもの、休みになると実家に帰ってた。
おばあちゃんのカオを見るためという側面は確かにあった。
もちろんそれだけではなかったけど、もういつ死ぬか分からないからという理由で。
そうしてみるとそんな状態でかれこれ10年はひょいひょいと生きてたんだ。
たいしたもんだね。
これでいちいち帰らなくても良くなるのかしら。
次に危ないのはブンタだな。
あと5年はもつだろうけど、保証の限りじゃない。
犬は、というかペットは確実にヒトよりも先に死ぬから。
覚悟はしておかなくちゃ。
しかしこれで、両親の負担は軽くなるな。
遊ぶにしても、もう少しフットワークが軽くなる。
それなりに負担になってた部分は確かにあって、それがなくなるのはいいことだ。
95なんだから、大往生じゃないか。
祝杯あげてもいいくらいだよ。
寂しくなるだろうけど。
きっと向こうでも似たような会話が交わされている。
そこにいないボクのコトバではなく、ずっと傍にいたヒトのコトバとして交わされている。
ボクは決して仲間には入れないだろう。
疎外感を味わいながら、それでもおばあちゃんを探してその場をやりすごす。
みんなの中のおばあちゃんはみんな違う姿だろう。
その中でも、多分ボクの中の姿がひときわ違って見えるだろう。
ホントの姿とはかけはなれた、ボクのおばあちゃん。
でもヒトがヒトの姿を思い浮かべている時はフツーずれてる。
こうやって言っているボクの姿だって、ヒトによってみんな違うよね。
世の中にはウタダって言うとボクを思い浮かべるヒトがいるのだ。
ウソじゃ無いろん。
そんな修羅場はもうたくさんだ。
ボクはボクのあるべき姿でヒトに思い浮かべてもらいたいな。
でもそんなコトはムリだとわかっている。
そもそもホントのコトなんか誰も知らないんだ。
おばあちゃんのホントの姿だって、いったい誰が知ってたのやら。
少なくともボクは知らないな。
ボクのホントの姿を誰も知らなくたって不思議じゃないよな。
少しずつ見せていこう、おばあちゃんの姿を探すように、ボクの姿を。
年をとる前に。
たでーまー。
おばあちゃんは旦那をもう、かれこれ15年くらい前に無くしている。
こちらも病気や事故ではなく、朝起きたら死んでいたそうだ。
よくおばあちゃんが言ってたのだけど、亡くなる前の日、おじいちゃんは背中が痛いと言ったそうだ。
それでおばあちゃんが背中を押してあげたところ、すごく気持ちよかったらしい。
その翌日に起きてこなかった時、まぁよくあの時おっくうがらずに押したものだと。
よくそう言って、おじいさんを懐かしがっていた。
最後の頼みを聞いてあげられたコトが、とてもうれしかったのだろう。
このハナシは、何度も聞かされた。
そんなおばあちゃんも、全く病気をしていない。
まるで眠っているかのような死に顔。
骨もとてもきれいだった。
家族も何だかさばさばしたカオをしている。
これは予想以上に大往生だったかと、死に方を尋ねてみた。
ヘルパーのヒトが、ちょっと疲れているようだと伝えてきたのが午後。
父親が夕食まで様子を見に行ったところ、どうも確かに“しんど”がっている。
“疲れていて色々と億劫である”状態だと思えばいいかな。
ニュアンスがうまく伝わらない。
ちなみに前日、お医者さんの往診日で注射を打ってもらったばかり。
食欲もなく、寝てもいられず、ああでもないこうでもないと楽な姿勢を探し続ける。
それを見守る両親、この時点で午後九時頃。
もう目も開いてなかったらしい。
だんだんと具体的に肩が重くなってきたのか、肩揉みを希望。
それで肩を揉む父親。
さらに喉が渇いたと言い、母親が水を飲ませる。
もうジブンではコップを持てないので、口元まで持って行って流し込む。
ひとくち、ふたくち飲んですごくうれしがったらしい。
そのまま横になり、二、三十分後には息をしてなかったらしい。
父親に手を握られたまま、おばあちゃんは旅立った。
言っちゃ何だが、こんないい死に方があるかね。
うらやましいくらいだよ。
で、式場でのボクと姉との会話。
「何やったらあんな死に方できるんかなあ?」
○○(←姉の名前)ちゃん、ボクらもう何やっても無理やで。
「えーもうマイナス?」
もう破産寸前違う?
「△△(←ボク)、その時貸してくれん?」
そういう了見のヒトはそもそもダメだと思う。
今回のこぼれ話。
喪服は実家で借りるコトにして、靴と靴下、それにカッターシャツだけ準備する。
ところがウチに置いてある中に白いのがない。
しょうがないので空港からの道すがら、どこかに寄ってもらうコトにする。
じゃあ靴と靴下だけでも。
靴下を出し、靴を袋に入れておく。
空港に行く道すがら、靴を忘れてきたコトに気付く。
ありゃー、どうしようかなあ、余ってるかなあ、靴。
で、帰って着替えてたら、実は靴下も違うのを履いてた。
結局ジブンで準備したのはカッターだけか。
まあいいや、何とかはなったから。
今度のボーナスは喪服買お。
お葬式の読経中、ふと御供物に目がいった。
味ポンがあるなあ、ちょうど切らしてたんだよなあ。
そんなコト考えてたらとなりの姉がボクに言った。
「あの味ポン欲しいわー。」
読経中に姉弟ふたりして味ポンのとりこ。
とりあえず一本ずつというコトでね。
カレーおいしかった。
残ったの冷凍してもらって、持って来た。
姪どもは揃って風邪ひきさん。
八度だの九度だのと落ち着かないなあ。
その中でなぜか二号だけが元気、しかし実はそいつがいちばん熱が高かったという。
なぜだーどうなってるんだー。
父親と買い出しに出た時に、道沿いにできている新しい本・DVDショップに目がいく。
「最近はあんな、外から中が見えんように囲てしまうのが流行りなんか?」
とーちゃん、あれはアダルトショップだよ。
うどんおいしかった。
おつゆを冷凍してやろうかと言われたけど、さすがにそれは断った。
骨を埋める段になって、壺ごと入れるのかそれとも出して骨だけ入れるのかでひと悶着。
どっちでもいいんですけど雪が降ってて寒いよー。
そのせいか長引かずに骨だけ入れるコトに決定。
ところがもともと埋まってる骨壺まで掘り出しはじめた。
まあ待てその骨はいったい誰だ。
おじいちゃんだといいなあとか思いながら見てたっけ。
多分違うけど。
田舎に帰る前に付けかけてたニッキを書こうと思う。
こんなコト書いてたら訃報が来たのだから笑えない。
ボクはまだ、わき毛を剃っている。
伸ばすならそろそろタイムリミットじゃないかなあと思ってもいる。
でも何だか、ヒゲ剃りとセットになってしまっているのだ。
お風呂で剃るのがいけないのかしらん。
ちなみにおシゴトの時には更衣室で着替えるのだけれども、まだ誰も気付いてない。
意外とヒトのコトは誰も気にしてないもんだね。
相手がボクだからというのもあるのかもしれないね。
気付いているのに流されているというパターンは、できれば避けたい。
ボクのように、お風呂でヒゲを剃るヒトはどれくらいの割でいるんだろう。
それともボク以外はみんな、朝、洗面所で剃ってるの?
ボク、朝の方が忘れるなあ。
ぼんやりしてるのだなー、寝坊もするしなー。
どうしてみんな、朝のジブンにそこまで信頼がおけるんだろう。
で、ふと思い付いて二、三日剃らずにいてみた。
そうこうしているうちに、ビミョーに(多分5ミリとかか)生えてきた。
ニンニキニキニキニンニキニキニキ。
いやーあれは恥ずかしいな!
何とも淫媚だね!
オンナノコが、どうしてむだ毛の処理を怠っているのを見せたがらないのかが分かったよ。
冬の間は、みんなあんなもの隠し持って生活してるんだねえ。
きっとそれが理由で最後の一線越えられなかった日もあるんだろうなあ。
ああ、なんてドラマティック。
油断が人生に潤いを与えるよ。
ああ、だから“油断”には“油”が含まれているのか。
ぬたぬた。
いやでも、ホントあれは恥ずかしい。
例えば髪に寝癖が付いている、とかの恥ずかしさとは違う恥ずかしさ。
もっともっと、ある意味ではセクシャルなものだ。
バイオレットでNo.1な、脇の下。
だから伸ばすとしたら、そこを越えていかないとならない。
その背徳感と背中合わせに日々を過ごしていかねばならない。
どれくらいだろう、一ヶ月くらいかな?
できるかな?
しかしあの感覚を日々味わっているのなら、よっぽど日々やった方がいい気も。
まあオンナノコは脇だけじゃないからねー。
ボクだって足のむだ毛までやれとか言われたらとてもじゃないけど。
むずむず。
BSE対策その後。
吉野家の豚丼うまーい。
ホント、真打ち登場って感じだよ。
今回の値下げ期間で、ちょっとでも世間に認知されるといいね。
ボクもまた食べに行こうかな。
ただ、その間、他のメニューを出さないってどうなの。
イマまでやってきたコトを、全部切り捨てるの。
そうじゃないでしょ、あれ全部あってこそのイマの吉野家でしょ。
まだ角煮きのこ丼食べてないのに!
正直、松屋が牛丼復活させたって、何の意味もない。
定食の牛シリーズが復活すれば全然違うけどなあ。
だったらランプ亭のいさぎよさを見習おうよ。
とっとと「うちはアメリカ産でもオーストラリア産でも大差ありません」って言おうよ。
いやまあ、実際には言ってないわけだが。
だってそういうコトでしょ?
どうも成功例が少なくて困るよね。
ドナルドのフィッシュディッパーもダメだったし。
あれはまんま、フィレオフィッシュの中身だよ。
そもそもフィレオフィッシュがたいして好きじゃないボクにあの味はどうかと。
あーあ、ドナルドのサイドメニューはそうそう外れがなかったのになあ。
それにどうも日常に入り込んできた鳥インフルエンザ。
その辺を飛んでるカラスがそもそも罹患してるなんて、かなりなショック。
お薬を作って、その辺に撒くべきじゃないかな。
それか片っ端から撃ち殺すべきじゃない?
野鳥の命はニワトリの命より重いとか、そんなコト言わないよね?
あの残酷さを、今度はどう発揮してくれるのか。
ケンタは全然新メニューとかは開発してないのかしら。
フライドポークは、開発されてないのかしら。
骨付きの豚肉・・・?
食べたあとに捨てちゃうのもったいないね。
でもこのままいくとやっぱり、ケンタ行くヒトも減るんだろうな。
そもそもかかるとどうなるのか、誰も知らないんだもんね。
空騒ぎだったらどうするのかな。
まあたまにはいい薬か。
ところでうちの洗濯機裏でまたハトが卵を温めている。
でも最近、もしかすると闘病生活を送っているのかもしれないと思いはじめた。
早く元気になるんだよ。
7つのオンナノコを殺した26才の男の部屋から色々と出てきた。
中でも幼女系の雑誌80冊が目を引く。
リアルタイム購入なら、隔月誌二誌として6年半かかる。
つまり10代からの、筋金入りの幼女派だ。
さらに15年もさかのぼっておけば年上好きで納まったのに。
その内に、その手の本を買うところを見られただけで部屋を追い出される時代が来るかも。
あの手この手で実行するという妄想だけが育っていったのだろうな。
ふと、その妄想の中のシチュエーションが、現実として目の前に現れてしまったのだ。
区別ができなくなってしまったのだろうな。
これは例えば“フツーのエロ本80冊を持つ青年の隣に住むOL”というのとはまるで違う。
ひとつはやはり、7つのコドモがどんな面に於いても社会的弱者であるというコトだ。
でもそれは一側面に過ぎないと思う。
もっと大きいのは“恋愛にはなりえない”というコトではないだろうか。
どんなにエロ本を眺めてたって、登場人物と恋愛ができるかどうかはでかいと思う。
ああ、ああ、そんなにかわいそうなヒトを見るような目でボクを見るな。
恋愛って、圧倒的強者と圧倒的弱者の間に育まれるものではないだろう。
分かりきった力関係をさらなるパワーで刻み込む、それは単に陵辱にすぎない。
幼女=従順/純真/素直/可愛い/か弱い、そんなキーワードに惹かれているだけではないか。
きっとこれにさらにイコールで“ジブンには逆らわない”が成り立つ。
A=B=C、脳内にて定理を証明する為の補完計画が発動、どうしてか、成立してしまう。
意識的に再現できるなら、カルチャー教室で自信の持ち方講座くらい開けるだろうに。
集まってくるおばさまだったら、別にアパートに引っ張り込んでもよかったのにさ。
それともそんなじゃ立たないか。
だって単純に考えれば、幼女に立つっておかしいよ。
何の為に立ってるの、いったい。
まだまだコドモできないよ。
それでもいいのかもしれないけど、愛し“合えない”のならその立ってるのは愛じゃない。
歪んでしまった存在そのものだ。
傷つける為に堅くなるのか?
叩くくらいは何とかなるか。
そんなスライム二・三匹で買える程度の武器で殺せる相手を殺して満足か。
何かもっと、役に立つ立ち方はないのか。
お前はこまわり君にも劣る、って、ああ、ああ、比べるなんてこまわり君に失礼だ。
不満があるならやかんをぶら下げてから言え。
それができないなら洗濯物でもぶら下げてろ。
乾いた洗濯物を使ってくれるヒトを探して一生を終えるがいい。
それがイヤなら、売りに出せ。
た〜けや〜、さ〜おだけ〜。
これはこれで犯罪。
オトナになっても日々これ制服なヒトはいっぱいいる。
でも、オトナになってまで制服を改造してるヒトはあまりいないと思う。
アクセサリーを付けてみたり、ワンポイント程度に留まっているのがほとんどだろう。
学生の頃とは違うよね。
なぜだろう。
中高の頃は、結構制服って嫌われ者じゃなかった?
ボクだって制服のある/なしで選べていればない方を選んだだろう。
すぐになれたけどね。
改造するほど“制服”という存在に愛情も持ってなかったな。
帰って慌ててぬぎ捨てるというコトもなかった。
要するに無関心でいられたのだ。
確か当時は、個性を覆い隠すカバーのように見えていたのだ。
いざそのカバーを掛けられてしまった時点で、内側だからか気にならなくなった。
でも、実際にはそんなコトじゃなかったんだ。
身に付けるコトで覆い隠される個性なんて、そんなもの個性じゃない。
ホントの個性なら、そのカバーの下からでもにじみ出てくるものだ。
多分、みんなそれに気付いたか。
それとも覆い隠されるコトに安心を覚えたか。
そんな制服を、記号として愛するヒトも少なくはない。
学らんラブなヒトもいるコトだろう。
“女子高生である”というだけで三割増魅力的に見えるというヒトもいる。
どれも否定されるべきコトではない。
眺めて楽しんだり、合意の上で楽しむのなら全然問題ないだろう。
多少のおカネがかかってもいいよね。
需要と供給が、市場の原理。
どんなに制服が好きでも、その中身がジブンと同じヒトであるコトを忘れてはならない。
制服を着たコトのないヒトなんてあんまりいないだろう。
その時に周りのその制服に萌えたかい?
ボクは高校の時の女子の制服は、別にどうでもよかったぞ。
ただまあ、これはイマでもさしてどうでもいいんだけど。
それは恋じゃない、夢を見ているだけだ。
夢を現実世界に持ち込んじゃいけない。
この現実世界には、おカネで夢を見られる場所があるんだ。
素敵なコトじゃないか。
以上、昨日分のフォロー。
ちょっと言い過ぎたと思っているので。
姪どもの隣には住まないで欲しいなあと思うけど、それはただのわがままだよね。
せめてエロ本は守りたいもんだ。
ただいまプロ野球絶賛オープン中。
決して試合としておもしろいものではないけれど、オープン戦前提で見ればそれなりに。
試合そのものよりも、それに対しての監督や評論家のコメントの方がおもしろいな。
言い訳とか怒りとか、シーズン中より露骨に出るから。
とはいえ、最近はオープン戦の話題より、長嶋監督の話題の方が多い。
いったいアミールはどうしてしまったというのか。
役に立たなかったのかい?
ドームができる前は、野球やサッカーといえば屋外のスポーツだった。
ドーム以降、めっきり雨中決戦が観られなくなったね。
甲子園が生命線だ。
西武球場みたいに改造されないコトを祈る。
とはいえ、サッカーボールなら雨でも見えるのに、野球のボールは見えないね。
白くなければ見えるかな?
見えればもっと雨に強いスポーツになるかなあ。
ちょっと中止早すぎるよね。
もっとそこにドラマを!
プロ野球はちょっと興行として成熟し過ぎたな。
ムダを省くコトだけを目的に動くから、雨というドラマを犠牲にしちゃうんだ。
そりゃあ興行中止はなくなるだろうけどさ。
一回、確か東京ドームで台風で為に球団自体が到着しなかったコトがあったっけ。
球場のスタンバイが万全でも、こればっかりはどうしようも。
そうやってスケジュール消化を優先するのはやっぱり興行的には当たり前のコトだよね。
高校野球だけは、スケジュール消化を優先して欲しくないね。
もっと余裕があってもいいよ。
一夏かけてやったっていい、その分もっとドラマが産まれるよ。
とはいえ、ドームはドームでいいよね。
ビヤガーデンとビヤホールの違いみたいなもんかなあ。
天気が良ければビヤガーデンだよね。
でも、晴れてたとしても肌寒かったり、逆に暑過ぎても屋外はヤだな。
そうか、こういうヒトの為にドームが。
天気いいし、お日様の下で野球でも観ながらビールでも飲むかー、とかいいね。
そんな風にいつでも観られればいいのにな。
逆に、暑いしドームで野球観ながらビールでも飲むかー、とかもいいな。
もっとおつまみが充実すればいいのにね。
あと、トイレが近くにあればもっといい。
席を外す時にはちょっと試合止めといてね。
こうなると野球どうでもいいんだな。
いいや、ウチで中継つけてネットしながら飲むから。
本屋に行くと、新しいのも古いのも、読んでない本がいっぱいあってうれしくなるね。
読みたくなる本ばかりじゃないけど、“読んでない”っていうだけでわくわくする。
これはちなみにCD屋も同じね。
読むのは主にフィクション。
ノンフィクションは対象への興味から資料として読むので、どうも好きと言うのがはばかられる。
別にいいんだけどねー。
で、よくミステリなんかにシリーズものがある。
ボクはあまり、ミステリというジャンル自体には愛着がないのだけども読むのは好き。
キャラが好きになれれば、ハナシがつまらなくてもいいからね。
いや、そりゃまあおもしろい方がいいけどさ。
そんなの当たり前なんだけどさ。
時々、読んでない作家の本を薦められる時に、シリーズものの中の一冊を渡される。
10冊くらい出ているうちの、五冊目、とかそんな感じの。
それってどうなの?
佳境に入った見知らぬパーティーに、あなたはひとりで潜り込めるの?
ちょっとそれはつらいなあ。
もちろん本人には悪気はない。
一生懸命に、ボクに読ませる為にどれがいいか選んでくれたのだ。
ボクにはそこでそんなコト言えないから、おとなしくそれを読むよ。
最近はそうなったら、自費で内緒で一冊目を手に入れるコトにしている。
キャラクターの成り立ちをいちばんよく知るコトができるのは、やっぱり一冊目だろう。
どうせ気に入ってシリーズ読み直したら、最初に読んだ途中のヤツは読み返すんだし。
わざわざボクにそんな選んでまで薦めるんだから、おもしろいに違いないよ。
本に支払う、というよりは薦めてくれるヒトの心意気に支払うおカネだな。
同じようにCDを薦める場合なら、そんなコト気にしないのにね。
過去の実績は過去の実績で取っておいて、このCDに対する評価はこのCDだけで下す。
どんなビッグアーティストの新作でも、どんな新人でも一枚のCDの重みは同じだ。
ボクが音楽雑誌のインタヴュー記事とか読むのはこの温度差を埋める為なのかなあ。
多分みんな、純粋に物語の完成度を楽しんでいるんだよな。
ヒトそれぞれ、楽しみ方はあるけどさ。
やっぱし登場人物に対する理解は深い方が楽しめると思うんだ。
だって読んでも二回か三回じゃない。
音楽は、それこそ百回二百回聴くからね。
本はそんなには読めないけれど、おもしろいのはいっぱいあるね。
おもしろい一冊を、より楽しむ為の百冊があってもいいじゃない。
そんな価値のある一冊に巡り会えるコトがあるだけでも、おもしろきかな人生。
例え見つからなくても、探し続けるコトのできる本屋があるだけでもありがたい。
時にはフランス書院なんかに目を奪われたりしてごめんひとりにしてまた明日。