今回のカゼは、ボクの30分の1くらいしか生きてないヤツからもらった。
よっぽど油断してたらしく、ものすごいダメージだ。
ああ、ボクの美声が戻ってこないよ・・・
まあ美声はどうでもいいとして、コミュニケーションに不全を来すのは困りもの。
おシゴト優先で新年を迎えたかったのに、何でお布団優先になっているのか。
それはそれで気持ちがいいのだけどねむにゃ。
ちなみにカゼの元凶は姪三号のカゼ、熱39度、ちょう元気。
それにしても部屋にボクの両親含めその姪三号を抱いた連中が元気だったのに。
どうして新参者というコトでお声をいただけなかったボクだけにそんなものを?
おかしいなあ、攻撃受けたかなあ。
貢ぎ物も出したのになあ。
とりあえず今日も寝る。
ビール飲んでから。
違った、薬飲んでから。
チーズ食べてから飲む。
で、そのあとチーズかじりながらビール飲むのだ。
結局飲む。
ああ忙しい。
先日DVDで映画借りて観てたら、予告編が付いてた。
日本で放送されたのかされてないのか、字幕は付いてなかった。
本編を観たあとに観たのでだいたい分かったけどひでえ予告編だなおい。
予告編はもちろん、本編を観てもらうために作成するものだ。
おカネを借りてもらうために案内するので、結果的に街金かアコ○かは問題ではない。
中にはひっどい映画にうま〜く誘導されてしまうケースも多々ある。
ギャンブルと思えば、それはそれでいいんだ。
むしろその予告を作ったヒトの映画が観てみたいとか思うけどね。
予告編の監督は表に出ないねえ。
予告編のタイプにはいくつかパターンがある。
・忠実にダイジェストを狙うもの。
これだと物語が把握できて、観た気分になってしまう可能性がある。
・キーポイントになるシーンだけ錯綜させてつなげるもの。
決め台詞を用意しなければならず、その台詞が本編で違う効果を産むと困る。
・本編の世界を別途解釈して、拡大縮尺してみせる。
本編が地味な場合、いちばん効果を上げる。
代表は「娼婦ヴェロニカ」「スパイ・ゾルゲ」なんかで、個人的にいちばん好きなタイプ。
予告と本編はまるで印象が違うのに、結果同じところに行き着こうとする意識がある。
編集者としてのプライドと、作品に対する愛情があるよ。
別の作品としても楽しめるように、そんな気持ちでひとつ。
・とにかくよくわからないのをなんとかして観にきてもらおう。
編集者はホントにその映画を理解しようとしてない。
監督とディスカッションもしてない。
でも作らなきゃいけないからこんな感じでど〜おぅ?
うわあいちばんイヤなタイプ。
でも多分世界でいちばん多い予告はこれだ。
そして今回観た予告もこれだった。
本編では影もカタチもない軽い曲がかかって、そしておもしろく編集して繋ぐ。
つうかこの予告で映画館に足を運んだヤツの顔が知りたい。
どうせたいしていないだろ。
うそです。
見せにこなくていいですぅうわあー向こうの角のところまで列が延びてるー。
なんてビミョーな長さ。
シゴト場の名前が変わるとやらで、昨日から機材に貼ってあるシールを剥がしている。
それはもうせっせせっせと剥がしているのだ。
なぜって、終わらないからね。
集中してやらないと、すぐに飽きちゃうからね。
でもこれに関しては、カゼがプラスに働いたかもしれない。
ただ何も考えずに、黙々と単純作業をこなしていける。
ぼんやりしてても関係ないもんな。
時間が経てば、その分進んでいるよ!
うれしーい。
でも、手先はぼろぼろだ。
爪がシールに負ける日が来るなんて、そりゃあ“約束の日”も来ようというもの。
まさに多勢に無勢。
10人いたって、戦闘に参加してるのはたかだか3〜4人なんだから。
いや、そりゃあ役割分担ありますしねぇ。
もしもヒトの爪として生まれてくるのなら、どの指がいいかなあ。
とりあえず足の指はヤだなあ。
何かかぶせられてるの息苦しそうだし、臭そうだし。
やっぱ手でしょ、爪界の花形は。
いちばん活躍の機会が多いのは、やっぱり人さし指だろうか。
でも、あんまりこき使われるのもヤだなあ。
むしろ中指の方が楽そうだなあ。
でもいちばん長いから、いちばん衝突しそうなポジションだ。
できればみんなと仲良くしたいなあ。
じゃあ親指?
親指いいね! 頼もしいね!
うまくすれば「親指ハリー・ポッター」に出られるよね!
え? あれは腹だけ?
がーん。
小指じゃ耳掻くか鼻ほじるかくらいしかおシゴトないだろうし、そうなると薬指か。
しかし薬指の爪って、何かに使うかな?
だったら小指の爪の方がいいかな?
いやしかし、穴専門は・・・
ヤな職名だなあ。
それでも深爪されるよりマシだろうに。
さあ活躍、と思ったその日が“約束の日”だ。
ぱちーん。
きゅっ。
お店でラーメン食べてたら、となりに20代なかばくらいのカップルが座った。
男性が大盛りとチャーハン、女性が普通サイズを頼んだ。
チャーハンは、ふたりで食べるのかな?
ところが先に来たチャーハンに、女性は手を出さない。
そうかー、この兄ちゃんいっぱい食べるなあ、と思ってたらラーメンがふたつ来た。
そしたらなぜか、女性がラーメンをふたつとも持ってった。
あれ? 同じラーメンのはずなのにな?
タイプ別に味付けでもするんだろうか。
すごいカスタマイズが見られるかもしれないぞ。
ドキドキ。
そしたらその男性用からネギとメンマを女性用に移し始めた。
いやまあ待ちなさい、そこにはネギとメンマとチャーシューしかないのだ。
それだけ除けたらチャーシューだけになっちゃうよ。
あ、その箸はもしかして、あ、やっぱりチャーシューへ。
今度は女性用から男性用への旅立ちだ。
結果、男性用はチャーシューが四枚乗ってるだけの大盛りラーメンに。
女性用はネギとメンマが多めに乗ってるラーメンになった。
そうなるとこの男性、チャーハンとチャーシューのみ麺大盛りだけを食べるコトになるぞ。
いやいいけどさ、ボクの胃じゃないし。
でも、それでいいの?
ちなみにそこまでコトバのやり取りはさほどなかった。
そのコトから考えると、もうすっかり出来上がってるカップルだと思う。
いつもそうなんだろうね。
男性もそれが分かってるからネギ抜きとか頼まないんだもんね。
阿吽の呼吸というヤツで、何にも言わずに受け取って全部食べたもんな。
すげえ、あっちゅー間。
でもこのふたり多分、結婚はしてないと思う。
もししてるんなら、旦那の食事があれってどうなの。
もう少し考えるでしょ、いくらなんでも。
甘やかすだけが、愛じゃないだろう。
愛ってなんだい。
自由ってなんだい。
俺は思うように生きているかい。
しかしあそこのチャーシューを、よく四枚も食べられるなあ。
以前、チャーシュー要らないからその分ネギを入れてくれと言って断られたコトがある。
思うようなラーメンも食べられやしない。
おカネで買える自由なんて要らない!
じゃあネギ追加で。
「100円になります。」
せちがらいのう。
カゼのおかげで正月ボケとかみじんもなかったよ。
もう少しボケときたかったなあ。
年に一度のコトじゃあないか。
実家にいると、普段よりよくテレビを観る。
もちろんこの年末年始も観た。
レコ大も紅白も、おまけにサップ対曙も観た。
お正月は走ってるのばっかり観てた。
ヒトはなぜ走るのか。
で、当然のように観るともなくバラエティー観てる。
何ひとつ印象には残ってないんだけど、隠し芸かなんかでモー。が全員でクロス引いてるのは覚えてる。
吉澤、絶対女子高とか行ってたらバレンタインにチョコもらってるタイプだよなー。
そんなコト思いながら観てた。
そしたらこう、普段いないタレントさんがやたらと目に付く。
普段より出演者が多いから、出番の回ってきたヒトたちだ。
一生懸命に明るくふるまっているのを見ていると、何だか悲しくなるね。
悪いオトコに、騙されてないかい?
「いいの、あの人にとってあたしが何番目かなんて分かってるわ。
でもそれでもいいの。
あの人が周りを見渡して誰もいない事に気付いた時に傍にいてあげたいの。
彼のためなら、何にだってなるわ。」
実際はもっとシビアに、このチャンスをモノにしようと頑張ってるんだろう。
それでもカメラが行かないもの、お茶の間には伝わってこないよ。
ほら、キミの想いは伝わらない。
今日も彼は、新しいヒトと遊んでる。
彼と付き合いたいヒトなんてごまんといるっていうのにさ。
それでもキミには、彼しかいないっていうのかい?
ああそうなのだろう。
彼を忘れるのは、恋を忘れるのと同じコトさ。
恋以外に生きる道を見つけない限り、彼なしでは幸せにはなれない。
彼がキミだけを選ぶ可能性は限りなく低いのに、その可能性を捨てられない。
見てる方は無責任に“かわいそう”とか言えるのにね。
恋愛相談なんて、ヒトの方が正しいコトを言うもんだね。
正しい道が進むべき道とは限らないもんさ。
そもそも知ったコトじゃないし。
そろそろ今年の目標も出揃ったコトだと思う。
色々とあって、それはボクなんかがどうこう言えるものじゃない。
ヒトそれぞれ、色々あるだろう。
あなたの目標は何ですか?
考えてみれば、ボクも色々な目標を立ててきた。
叶ったものもむあれば、叶わなかったものもある。
そこはそれ、いろいろあったさ。
ひみつー。
まあだいたい年頭の目標なんてばかばかしいに決まってる。
そこに向かってどれだけ努力できるかがヒトの実力のみせどころじゃないか。
いやいや、おおよそ実力見せてないなあ。
たまには見せてやらねばな。
ちなみに今年の目標は、去年挫折したダイエット。
今度こそ憧れの68kgに到達するのだ。
するのだったらするのだよ。
がむばるよ。
しかしそれはそうとしてカゼが治らない。
いつまで待てば治るのだろう。
いやただ待ってたって治らないけどさ。
知ってるよそんなコト。
カゼが治ったら始めようと思っているのだけれど、全然治らない。
何だろういったい。
ホントにカゼなのか。
インフルエンザとかエイズとかじゃないのか。
エイズはないか。
エイズもどこから移るかわからないからなあ。
銭湯とかでも移るとか言うねえ。
軽くだったら移ってもいいかなあ。
いやあそれはどうか。
やっぱいやだ。
これは年頭の希望だな。
今年もエイズにかかりませんように。
エイズだけじゃないけどさ。
銭湯では気をつけよう。
ワープロが生産中止になってたらしい。
ソフトじゃなくて、ワープロ専用機のコトね。
イマの二十歳前後なら、かろうじて覚えてるだろう。
タイプライターから進化した奴らのコトを、覚えていてやって欲しいんだ。
初めてウチにヤツがやって来たのは中一とかその辺だったと思う。
カタチは折り畳みの前面だけみたいな感じで、当時は二行しか画面に出なかった。
その二行も、最後までは出なかったんだ。
フォントも一種類しかなかったし、サイズも選べなかった。
その代わりに外字の製作が楽だったっけ。
次はもう、テレビかと見まごうようなでっかいモニターの付いたマシーンだった。
これはボクは、ほとんど使わなかったな。
もうワープロというものに飽きてきてたんだ。
ワープロ使うより、ジブンで手書きした方が早かったし、何よりもない字が多かった気が。
どうだったかな?
三台目はもう大学に入ってからだった。
というか、もう三年の時だったかな?
これはジブンの専用機という意味では初号機だった。
OASYSの親指シフト。
これは使ったなあ。
当時はまだパソコンが家にあるなんてほとんどなかった時代。
またお芝居の台本をいちばん活発に書いてた頃だから、それで使ってた。
授業のレポートは手書きだった。
卒論はワープロ打ちで、手書きで清書した。
字がうまいんじゃなくて、一生残るものだからなんとなく。
あれは疲れた。
ところが卒業して就職して、そろそろ世間はパソコン時代。
それに呼応してノートを一冊買ったものの、それはもちろんJISキーポード。
慣れるのにえらく時間がかかった覚えがある。
しかもその間、ウチで文章を書かなかったもんだから、親指シフトは遠い記憶の彼方だ。
気付くともう、ワープロといえばOASYSとかよりも一太郎とかワードとかいう時代だった。
インターネットの普及もあって、どんどんワープロ専用機に高いカネを払うヒトは減った。
付いていこうと頑張ったものの、結局白旗が掲げられたというコトか。
ワープロいいのに。
絶対フリーズしないよ?
ただただジブンのじじいっぷりを露呈してしまっているような気が。
そろそろセンター試験みたい。
ボクには縁のない試験だったけど、勉強中心に高校生活を送れば、ひとつのクライマックスだろう。
ちなみにボクの頃はセンター試験という名前じゃなかった気がする。
ボクには無関係なのでまあうろ覚えなのだが共通一次とかそんな。
もちろんボクの眼中にその試験がなかったというよりは、もちろん逆。
アタマ悪かったんだもの、国公立なんて冗談じゃないよ。
アタマというよりはまあ、勉強に対するやる気がなかったのが問題だったか。
よく大学に、しかも現役で入れたもんだ。
受験は水物というのは、ホントですよ皆様!
みんなこの期におよんで、色々と直前対策とかやってるんだろうなあ。
予備校も腕の見せ所なんだろうなあ。
そういえばカードめくってる高校生、年明けてからも見たっけか。
いやあ高校生らしい姿じゃないか。
そうと思えばテレビを付ければ高校サッカーの決勝戦だった。
これもまた、同じ高校生かあ。
え? プロとやってるヤツがいる?
マジすか?
ボクの頃には考えられなかったなあ。
Jリーグがなかったとかいう理由だけではなくて、高校生にそんな。
野球だってドラフトの声が出るまでは、所詮甲子園どまりですよ。
当時PLは阪神に勝つだろうとか言われたけど、実現は当たり前のようにしなかったよ。
だって高校生じゃん。
高校生にはそんなスポットライトは不釣り合いなんじゃないの?
それを浴びていい高校生は、アイドルだけだったんじゃないの?
これはオトナのうぬぼれだろうか。
それともただのワガママだろうか。
こうあって欲しいという、夢の中の世界。
オトナのメンツにかけて、高校生にでかいツラはさせないぜ!という気概はどこへ。
オトナのプライドは、いったいどこへ。
そのプライドを捨ててしまったから、狩られてしまったりするんじゃないの。
30過ぎにでかい顔をしてるヒマがあったら、もっと10代にでかい顔をしてみせろよ!
えーと。
どこかの30過ぎが怒られたみたいですよ。
昨日年号とか言っててふと思い出したコトがある。
例えば時代劇とかで、クレジットなりナレーションなりで“寛永元年”とか入るじゃない。
あれはイマとなっては雰囲気でしかないね。
誰もそこから時代背景を想像出来ないもんね。
でも本来、あれはできてしかるべきだと思うのだ。
これが“寛永元年”だからみんな分からないのかも知れない。
でも、見始めた冒頭のクレジットが“昭和二十年八月六日”だったらどうだろう。
このクレジットを出しておきながら原子爆弾のハナシじゃないなんて誰も思わない。
このクレジットから始まるラブコメがあったら、是非観てみたい。
それだけ冒頭のクレジットやナレーションは重要なもののはずなのだ。
でも基礎知識がなさ過ぎて、聞き流すコトしかできないでいる。
あるいはその病は、作り手にも及んでいるのかも知れない。
気分で付けてたりもするかも。
しかしこれが西暦だと雰囲気でないね。
さっきのだって“昭和二十年”と“1945年”じゃあ大違いだね。
世界史の一部として憶えるならしょうがないけど、やっぱり“昭和”を先に思い浮かべて欲しいなあ。
もう昭和は歴史の一部でしかないのかなあ。
平成生まれが闊歩するよう。
時代劇ならむしろ西暦の方が、“いつ”という当たりはつけやすいだろう。
でも、やはりそれではダメなのだ。
特に昔であればあるほど、天皇交代に付随して事件いっぱい起きてるし。
というか、その辺り以外は歴史に残ってないだけか。
将来は動物園のパンダ並になるなんて、誰が想像しただろうか。
ダメだダメだ言ってる割に、もちろんボクだって出てきやしない。
しかしちょっとそんな気分になっている。
受験生に混じって、まるで戦時中の学生のように元号を暗記してみるか。
それと歴史小説とを組み合わせれば何とかなるような気がする。
なぜかナポレオンとかが混じってたりしてもおもしろいかも。
異世界の歴史じゃないんだ、親近感を得られるかもしれないな。
ちょんまげナポレオン。
まあ西暦か元号かもそうだけれど、やっぱりその国の重要な年号くらいはなー。
物語の前提になる部分だから、やっぱり知っといて損はないよなあ。
“前提”について無知すぎるよやっぱし。
キリスト教支配下において、“何日目”って言うとそれは聖書の創世記の引用ですよ。
そういうのも、意外と知られてない。
やっぱり有名なところくらいは知っておくべきなんだろうなあ。
ピュアージャパニーズとしてはプアージャパニーズにならないように。
うまく言ったつもりになる前に“寛永元年”っていつだか調べてから出直してきます。
そもそも寛永があるのかどうかから。
イベントスペースの掃除は、大抵朝のお客さんのいない(あるいは薄い)時間帯だ。
当然トイレも同じ時間帯。
トイレがいくつもあれば、その都度清掃中の札を出して他のトイレに誘導する。
でも一か所しかないと、なかなかそういうわけにもいかない。
みんな漏らしちゃうからね。
そうなると一日の終わりまで掃除は入らなくなる。
ほとんどのヒトはきれいに使ってくれるのだけれど、中には違う使い方をするヒトもいる。
たまに身障者用トイレからなぜかカップルで出てきたりするのだ。
おにいさんもうちょっと場所を選んでくれるとうれしいなあ。
それか男子トイレでやってくれるとおどろくなあ。
で、ボクらも時に同じトイレを使う。
簡単なコト、例えばゴミなら拾うし、水漏れなら塞ぐ。
言ってみればジブン家みたいなものだから。
そんな風に、ボクらは時にトイレの世話までするワケだ。
でも、その中でひとつ納得出来ないコトがあるんだ。
トイレットペーパーの有る無しってのは、トイレにとっては死活問題だ。
だって水の流れないトイレと紙のないトイレなら、水の流れないトイレ入るでしょ?
両方ないのはそれはもうトイレじゃない何かと呼んで差し支えないだろう。
トイレのフリをしている何か。
何者だ!
フツーは掃除するヒトが、きちんと一日分+αのペーパーを置いていくのだ。
だからロールからなくなれば、それを使えばいいのだ。
“ない”という心配はせずに、安心してトイレに赴く。
でも、一日も半ばを過ぎてから行くと、大抵ロールには紙がない。
そのかわりに、予備の紙が減っている。
みんなトイレの中で何してるの?
そんなに忙しいの?
ヒマでしょ、座ってるだけなんだから。
ロールにはめ込むくらい、ジブンでやろうよ。
最近芯が水に溶けるヤツがある。
あれおもしろいのだよ。
水に放り込むと、じぶじぶじぶ・・・と溶けていく。
そんな芯もそのまま残っている。
もったいない。
ぽーん、ぼちゃっ。
じぶじぶじぶ・・・
うふうふふー。
誰も知らない貴族の娯楽。
中島みゆきの「夜会」を観てきた。
フツーのコンサートではなく、お芝居の台詞の大部分を歌にしました的な作品。
結構伝えるの難しいな。
とりあえず本人はハンドマイク持ってお芝居をする。
役者としてすごくいいヒトが出てるわけでもない。
目立つのは三代目魚武かな。
前半終わってもしかしてと思って調べに行ったら、やっぱりそうだった。
詩はキライじゃないけどさあ、別に芝居はどうでもいいや。
あの存在のゴーマンさがちょっと引っかかるんだよなー。
彼には彼の生き方があって、確かに憧れはするけれどきっとボクは選ばない生き方だ。
ちなみに“調べに行った”のはパンフレットを買いに行ったのだ。
2,800円とか書いてあるお札が、ボクに結界を張った。
高いよパンフレット! 1,500円くらいかと思ってたよ!
うむーあなどれない。
とりあえずすごい生演奏と、流麗なスタッフ・ワークには感心させられた。
何よりもかによりも、本人の歌がすごかった。
役どころが地味なだけに、見た目うんぬんはあまりなかったけど、歌いだすとさすがー。
ハナシ自体は、すこぶるどうでもいい。
かっちりとした物語というよりも、歌詞をそのままドラマにしたようなあやふやさ。
そのあやふやさは、ドラマが歌のじゃまをしないように、という配慮だと思う。
主役はあくまでも歌なのだ。
コンサート以外に歌を聴かせる形式はないだろうか、というコンセプトだろうと思う。
うん、まあ成功してたと思うよ。
多分もう行かないけどな。
ともだちが譲ってくれたチケット、15,000円。
ここで観なきゃ生涯観ないだろうと思って行ってきた。
多分これより高いチケットは見たコトがないよ。
例えば生演奏は、別にテープでもいいじゃないか。
どうせ床下なんだし、アドリブとかその場での曲目変更とかないんだから。
そうすれば四桁にはなるんじゃないの。
ダメかなあ。
いやいいんだよ15,000円が例えば20,000円だって満席にはなるんだろうから。
2,800円のパンフを買えない貧乏心理の持ち主はお呼びでない?
こりゃまた、失礼。
でも思った。
今度ツアーが発表されたら、チケット争奪戦にチャレンジしてみよう。
もう一度、あの歌声を生で聴きたい。
うん、それは生演奏でね。
でも希望はpriceless。
いや観られるなら払いますけれども!