広末も結婚するねえ。
ウタダの時と違って驚くほどジブンが平静な辺り、やっぱりたいしてファンじゃなかったんだと実感。
今回の結婚は、ホントワイドショー的にはおいしい結婚だったんじゃないのかな。
発表の仕方といい、妊娠といい、突っ込みどころは満載だ。
また見てる方はテキトーなコトをテキトーに言うし。
しかし今回痛感したんだけど、世間的には彼女はまだアイドルなのね。
ボクはもう、それこそとっくの昔にそうではなくなったと思ってた。
イメージ論があそこまで聞かれるとは、予想外だったなあ。
例えばウチの事務所でもおばちゃんが。
「もう広末も終わりだねー。」
そうですか?
「だってイメージわるいじゃん? そもそも最近テレビ出てなかったし。」
いやまあ待て。
最近テレビで見ないのはずっと舞台をやってたからだろ。
つか芝居二本連続の主役なんて、連ドラでメイン張るよりよっぽどいいおシゴトだよ。
そもそもタレントじゃないんだから、バラエティーまで含めて語るのはいかがなものか。
女優・広末の価値は、こんなコトでは揺らがないんじゃないの。
まあつか芝居のスケジュールを知ってて妊娠したコトは責められてしかるべきだな。
ちょっとあれは、使う側としちゃあきつい。
替え効かないからね。
ちなみに上の「いやまあ待て」は実際には「はあ」と発声されている。
全然説明して分かってもらおうという気はないのだ。
言ってもムダだ、というのは確かにあるが、結果は広末自身が叩き出すと思うから。
ボクらは待ってるだけでいいさ。
アイドルだった頃の記憶は、本人的にはどうなんだろう。
十年後とかに「MajiでKoiする五秒前」(タイトル調べたよ!)とか歌うのかなあ。
一時期のいい思い出と割り切っていそうな気がする。
懐メロ番組で歌ったりはさすがにしないだろうと思う。
天地真理みたいになってたら泣く。
歌を歌わなくなったあたりから女優一本に腹を括ったように見えてた。
歌わなくなった理由がそれなのかどうかは分からない。
ただ単に、イメージ的にヤバくなってきたからやめたのかも。
それは結構可能性ありだなあ。
歌手・広末は正直どうでもいいが、女優・広末にまだ期待がある。
このまま家庭に納まってしまうようなヒトではないだろうから、もう一波乱あるだろう。
目指せ第二の大竹しのぶ。
ほらテキトーなコトテキトーに言ってる。
「ブルース・オールマイティー」を観た。
ジブンの人生に毒づいていたら、神様から役目を振られてしまった男の話。
途中色々とやりながら、ハッピーエンド目指してひた走る。
何でもできたって、何にもできない。
具体的に言うと、一日署長になったらホントにおシゴトをさせられた感じ。
グラビアアイドルとかがいきなり署長になっても、きっと何にもできないだろう。
いやきっとボクでもできないよ。
アイドルのせいじゃないね。
一日働いて、残業とかしたりして、いくらお給金がもらえるだろうか。
水着で働く分、グラビアアイドルの方が多そうだ。
いやまあ確かに専門技能職だしな。
もしもボクが同じように神様になったら何をしようか。
いちばんのお得意さんであるはずの、庶民の願いは無視しそうな気がするな。
それよりもやらなきゃいけないコトがある、とか偉そうなコト言って。
むしろ政治家の仕事に近いコトをやりそうだ。
いまならイラクへ行って街の整備とかテロリズムの排除とかやる。
多分神様的には、ヒトにやらせようとあえて手を出さなかった部分。
やっちゃってよい? やっちゃってよい?
だってボクはヒトなんだもの。
政治の腐敗だって正しちゃうよ?
ジブンのコトに思いがいくのは、多分最後の日だろうな。
その時にやりかけのおシゴトがあるかどうかで変わってくるだろうけど、ひとつくらいは。
何をジブンにしてあげようかな。
少なくともお金じゃないね。
使ったらなくなるようなもの、もらったってしかたがない。
ふたつめは、お金にするけどね。
もちろんたくさんのね!
もう七〜八年も前のコトだろうか。
いとこの子供に貯金箱を買って帰ったコトがあったのだ。
当時もう中学に入学する頃だった長女に、ボクは言った。
いいかい、人間はね、最後の最後はお金じゃない。
でも、そのギリギリのところまではお金なんだ。
きょとんとした顔をしてたっけ。
当たり前だよ、いきなりそんなコト言われたら。
すまないなあ、ダメな親戚筋で。
かけらも思ってないくせにそんなコトを言う。
「東京ゴッドファーザーズ」を観ようと思ってチケットショップでチケットを買った。
三時の回を観ようと思って買ったのに、ちょっと用事を済ませていたら遅れてしまった。
仕方がない、二時間どこかで時間をつぶそうかな。
そんで五時前に映画館に着いたら、なぜか「キルビル」なの。
あれ?と思ったらその時間でタイトルが変わるんだ。
うーわー、もうキルビルはいいよう。
ど、どうしようかなあ。
結局そこにきたオンナノコに買ってもらった。
そのヒトに1,000円で買いませんか、って言ったら、映画ってフツーいくらなんですか、とか返された。
ああ、そんなヒトも観にくるんだなあキルビル。
ビデオになったらじゃなくて、きちんと映画館で観ようと思ってもらえるのは嬉しいなあ。
もっとみんな映画館へ行こうよ。
で、結局「ラストサムライ」を観たのだ。
アメリカ人が侍を通して、日本人を知っていく物語だ。
おそらく撮影でも、トムやスタッフは、徐々に日本を知っていったと思う。
それぐらい説得力のある日本だった。
噂には聞いてたけど、渡辺謙ホントいいなあ。
何がいいって、いつもと全然変わらないところがいい。
例えばNHKの大河ドラマとかと、何も変わらない。
英語喋るくらいだな。
彼にしてみれば、あの手の役は何度もやってきているのだからお手の物だろう。
例えば最近なら、「T.R.Y.」がそんな役だったように思う。
それくらいいつも通り。
松井がメジャーで活躍するのと同じで、通用するコトは分かってたんだ。
単にそれが証明されたに過ぎない。
でも謙好きとしてはうれしいなあ。
日本人としても、すかっとするなあ。
真田広之もよかったなあ。
あれだけテンション高い真田広之って、実は日本映画だとほとんどないんだよな。
周辺の侍役に、結構古株が揃っているので、珍しく彼が若造に見えるよ。
小雪の役もよかったな。
いつも通りのテンションで、すごく安心できた。
クレジットの「KOYUKI」がちょっと戦メリの「TAKESHI」を彷佛とさせたなあ。
色物とか、きわものとかのイメージを「ラストサムライ」に持ってるヒト多いと思う。
かくいうボクもそうだった。
でもそのイメージは、すぐに覆されるだろう。
むしろ時代劇好きにこそ観てもらいたいなあ。
このハナシ、明日も続きます。
両親がこっちに遊びに来てる。
それで付き合って浅草とか行ってきたのだ。
夕方にはホテルに引き上げてきて、さあどうするか。
「映画でも観よか。」
あ、昨日「ラストサムライ」観た。おもしろかったわー。
「おお、それええなあ。」
観る?
「お前もう観たんやろ?」
別にええよ、も一回観ても。
で、また「ラストサムライ」観てきた。
二回観てもやっぱりおもしろい。
まあ細かいとこ突っ込むとキリがないのでやめるとして。
「スパイ・ゾルゲ」や「いちげんさん」を海外映画として撮るとこんなになるだろうか。
視点になりきれない日本作品とはあきらかに違うよなあ。
海外映画に出た日本人で記憶に残っているのはふたりいる。
「ブラック・レイン」の松田優作と「メジャー・リーグ2」の石橋貴明。
このふたりはテンションで周囲を圧倒してた。
松田優作は多分、持てるもの全部ぶつけた結果だと思うけど、石橋貴明は違う。
日本での彼を知ってると、いまいち物足りない気分が残る映像だった。
もっとやってもよかったのに、とか思うけど、それでもあれだけかっさらったんだし。
「キルビル」の栗山千明もよかったけどなあ。
そもそもタランティーノって向こうでどれくらい観られてるんだろう。
それにまあ、その場をかっさらうほどよかったわけじゃないな。
タラちゃんって小粒好きだよね。
いい悪いじゃないけどさ。
年が明けたらキルビル効果か、「パルプ・フィクション」がまた劇場にかかる。
残念ながら二本立ての二本目はもちろん「キルビル」だ。
チカラが残ってたらまたキルビってもいい。
残ってなかったら容赦なく帰る。
多分観る。
日本人が向こうで色物として扱われているのと同じように、日本でも外人は色物だ。
作品としして、そういった飛び道具があると便利なのは理解する。
気付かずに使ってる場合もあるし、一概に責めるわけにはいかないだろう。
笑い者にするつもりないと、「ブッシュマン」撮らないと思うよ。
何だってきっと、どこかで誰かが笑い者になってるんだな。
いやあ映画ってホントにいいものですね。(むりやりだなあ)
ヤヴァい、そろそろ年賀状が。
ただ今回は、出さなきゃいけないお仕事の関係者から三枚も喪中のハガキが来てる。
ますます出さなきゃ、という意識が薄れてきている。
マズいなあ、無理矢理にでも年賀状買ってきちゃうかなあ。
ところで“葉書”という名前。
実に趣き深い名前だよね。
もうすでにそこにドラマが見えかくれしているよ。
なぜ葉っぱだったのか。
何の葉っぱだったのか。
青々としているのか、枯れているのか、果てしなくイメージは広がるよ。
朝いちばん、何かの葉っぱに垂れた雫を集めて墨を摺る。
その墨で恋文をしたためると、恋が叶う。
何かで見たおまじないなのだけれど、何の葉っぱか分からないだけで台なしだよ。
間違えておしりふいちゃったりしそうだよ。
いや、これは困った。
困ってはいるけれど、これが素敵な話だということは揺るがないだろ。
朝露には、何か特別なチカラが潜んでいるのだ。
現代では露なだけに、飲用には向かないと思うけど、墨くらいは今でも摺れる。
願いを込めて、硯に向かう。
指にたこを作りながら、墨を吐く。
ちょっと違う。
ぼくはこの年になってもラブレターを書いたことはない。
この先、もし書くことがあったならせめて手書きにしようと思う。
想いの丈を便せんに、ひと文字ひと文字刻み込むのだ。
下書きもなしに書き始めて、何枚も何枚も便せんを無駄にする。
便せん丸ごと無駄にしたっていいのだ。
想いを残さないための、有意義な失敗だもの。
さあ、想いを乗せて、飛んでいけ!
バサバサっ。
す、すいません、重すぎて飛べませんっ。
うむう、それなら直接紙ヒコーキにして、
うわあよけいに飛ばない。
なら笹の船で・・・
というか現実逃避はやめて年賀状を。
今日観たお芝居の場面設定がアメリカの警察留置所だったのだ。
一緒に観に行ったヒトに後で感想を聞いたら、何だか引っかかる点があったと言う。
何だろうと思ったら、留置所の扉は外に開くものなのだと。
押すチカラの方が強いから、看守のいる方に開くものなのだと。
ああ、そういえば逆だったなあ。
全然考えてなかったよ。
言われてみればそうだねえ。
しかもこう、常識かと思ってたとまで言ったのだ。
しかしそう言ってる本人は、ポットからお湯を注ぐのに頭のポッチを押さずに蓋を取って注いでた。
いろんな常識があるもんだなあ。
何だか違和感のある常識、というかルールみたいなものってあるよね。
例えば店屋物のお椀は返却時に洗って返してはいけない、とかね。
諸説紛々あるのだろうけど、全部食べましたよ、という結果表示という意味らしい。
洗ってある方がうれしいと思うんだけどなあ。
戻ってからは軽くすすぐだけでいいわけでしょ?
最近ぶっそうだから、そういうところで信用しちゃいけないのかなあ。
何というか、さみしいハナシだね。
あともうひとつ思い出した。
例えば旅館で、給仕をしてもらいながらご飯を食べていたとしよう。
おかわりをお願いする時にお茶碗の中ってどういう状態?
ひとくちぶんくらいのご飯をお茶碗に残してお願いするのだそうな。
全部食べちゃうのは、ごちそうさまの合図なんだって!
ボクはこれ知った時、びっくりしたよ。
コドモの頃に、お母さんにおかわりをお願いする時って、どうだった?
ボクは全部きれいにしてからお茶碗を差し出してたよ。
ちなみにごちそうさまでお茶碗にごはんつぶをいっぱい残すヒトはどうかと思います。
キミの食べたごはんつぶと、その残されているそれの間にいったい何があるというのか。
いったい彼らが、どんな大罪を犯したというのか。
いや彼らにたとえ罪があったとして、キミは何の権利で裁こうというのか。
全く以て信じられないよ。
ボクはジブンの手からお茶碗を離す時には、常に空っぽであるようにと心掛けているのだ。
だってそこに残された連中がドキドキするじゃないか。
え?俺喰ってもらえないのもしかして!?とか思ってたらヤじゃないか。
もしかしてそう思わせた方がおいしくなるのかな。
ふてくされて不味くなるヤツとかいそうだな。
ヒトと同じなんだ。
これも誰も気付いてない常識。
みんなが忘れ去ったイマでも常識くんたちは細々と、そしてなおかつ細々と生き延びている。
もしかするとさらに細々と生きていたりもするかもしれない。
だんだんと、マニアのコトを常識人と呼ぶ日が来るのかもしれない。
そしてそんな日が来るのならその時にはもう死んでいたい。
天国からヒトゴトのように楽しむのだ。
うーんこれはむしろ定説。
ゴミを庭なりで燃やしている光景を見たコトはあるだろうか。
ドラム缶とか、まあ小さいなら一斗缶とかにゴミと薪をいれて燃やすのだ。
ジブン家のゴミで、出てくるものはまあ燃やす。
燃えるゴミならね。
ウチでも昔からやってた。
でっかいドラム缶に、どんどん入れていく。
その頃は燃える燃えないの区別なんかなかったから、どんどん何でも入れていくのだ。
お菓子の袋が、溶けていく。
でろーん。
コドモの頃は色々と燃やしたけど、イマのコドモはひっそりとゴミの日に出すのだろうか。
親の目を盗んで、ゴミの日に早起きして捨てる。
ビニール袋のチェックをされないように祈りながら、ひっそりと捨てるのだ。
早く、早く取りにきて!
気になるけどここにはいたくないんだよう。
親の目から隠す方法なんてのも、以前は随分あったけどイマはどうなのだろう。
親の態度にもよるよなあ。
“ウチの子に限って”とか言うヒトは決していなくならないんだろうし。
だいたいあれは、コドモの方だってそう思ってるからな。
あの根拠のない自信は、いったいどこから出てきてたんだろう。
失敗して、初めてジブンが万能でないコトを知るのだ。
挫折がヒトを大きくする。
そして同時にずるくする。
火が全てを隠してくれる気がしてた。
燃やし尽くして、何もかも0に戻してくれるものだと思ってた。
でも、結構残るんだよね。
あとから灰をかき回すと、意外と残ってて驚く。
時間にもよるんだろうけどね。
隠しても隠しきれないコトがあると知るのもその時だ。
灰の中からまた引っ張りだして、再度処理する。
コドモだけで燃やすと怒られるので、別の方法で何とか。
やってたのは覚えてるけど、何を隠してたのかは覚えてないなあ。
まあコドモの一大事は、イマとなってはどうでもいいコトだろうし。
いやそれがコドモのココロを忘れないと言うコトではないか。
ああ思い出さなきゃ。
エロ本の類いは、こっちに出てくる時に全部燃やしてきたのだ。
それも砂浜まで運んで燃やしてきた。
最後には砂をかけて、埋めてきたよ。
エチケットだよね。
やってるコトは、犬が砂をかけるのと変わらないけどな!
庭でゴミを燃やすという行為は、ボクにとって唯一の“焚火”だった。
焚火といっても、そこで例えばお芋を焼いたとかそんなコトはなかった。
単にゴミを焼くドラム缶の周りでうろちょろしながら遊ぶだけ。
年末のイベントだったから、当然冬真っ盛り。
焚火に当たって、色々と焼べたりして遊んでた。
お菓子の袋なんかも、当時は燃えないゴミじゃなかったし。
どんどんどんどん縮んで溶けていくんだ。
イマ思い出してみると、確かに楽しかった。
夏のキャンプファイヤーより楽しかったかもしれない。
そもそも学校の大人数でやるイベントってどうも苦手だったんだよなあ。
みんなが楽しそうにしてればしてるほど、醒めてくるジブンがいたんだ。
同時に雰囲気を崩さないように、テキトーに楽しんでるフリをするジブンもいた。
ホントに楽しいのかどうなのか、でも周りが楽しそうなのは嬉しかったなあ。
じゃあきっと楽しかったんだな。
そんなビミョーな楽しさと違って、真冬の空の下で燃え盛る炎を眺めるのは楽しかった。
傍には父がいて、犬がいて、時々は母や姉も出てきて。
何をするわけでもなく、ボクらは笑ってた。
ジブンの部屋のゴミなんかを燃やすでもなく、大掃除をするでもなく。
そもそも当時はジブンの部屋なんかなかったかな。
そういえば、もう焚火はできないらしいね。
落ち葉も燃えるゴミになっちゃうんだってね。
落ち葉を掃き集めているヒトは、フツーに掃除をしている感覚とは違うだろうに。
それをゴミだとは思ってないだろうに、結果としてはゴミ扱い。
あの頃のボクらの喜びに水を差すない。
そうやって火の周りをくるくると回ってる記憶があるのだ。
もうその庭には離れが建ってて、そんなコトをできるスペースはなくなった。
まあこの年になってイマさら焚火でもないし!
ないし!(ないし!)
ないし!(ないし!)
うーんできないと思うとこれがまたさらに。
で、何でくるくる回ってたのかと言うと、煙がボクの方に来るのだよ。
どっちに行ってもボクの方にだんだんと方向修正をしてくる。
だからその都度ボクも移動して、火の周りをくるくると。
父は一か所に留まっていたから、多分ボクを狙っていたのだと思う。
あるいはボクのところに来たかったのか。
何だ言ってくれればよかったのに。
でも、できれば相手はヒトがいいんだけどな。
昨日のニッキがあまりに計画と違う方に行ったので、ちょっとやり直してみた。
でも昨日のがいいような気がするなあおかしいなあ。
計画的な人生にまで水を差されたような気が。
ここしばらく、コカコーラの500mlペットボトルに「ファインディング・ニモ」ストラップが付いてたのだ。
ニモ好きとしては、これは集めねば!とか思っていそいそとコーラを飲んでたのだ。
でもあっという間に店頭から消えたのだようわー早い。
半分も集まってないよう。
これのいいのは、いわゆるボトルキャップなどとは違って、中身が見えてたコト。
同じのが数種類あっても、きちんと吟味してかわいい方を持って来られる。
そのかわり、“何がでるかな〜?”という楽しみはないね。
どっちもどっちだな。
でも今回みたいにひとつひとつ見て買いたい場合もあるしなあ。
手を付けたのはドリーから。
とぼけたドリーと、喜びドリー。
そのあとサメに行こうかなあって、ブルースがどこにもいないよう。
どこだどこだ。
ここに落とし穴があったのだ。
コンビニでのコーラはせいぜい二列で、ダイエットコーラを含めて四列。
奥の方まで、10本としても、合計は単純計算で40本。
確認するためには、全部を床の上に出さねばならない。
ごめんムリ。
それができるヒトが、コンプリートできるヒトなんだろうなあ。
しかしヒトとしてどうなのか。
主役はどっちなのか。
はたしてそのコーラは飲むのか。
ヒトにあげたりしてないかい?
なくなったのはダイエットコーラの方が先だったから、これはきっとジブンで飲むというコトだと思う。
種類で分けられている様子はなかったから、普段敬遠しているヒトにしてみればそうだろ。
フツーのコーラに付いているのを、付いてないダイエットに差して持って行くヒトもいた。
まあいいけどさ。
まあいいけどさー。
気付くと店頭から消えかけてて、慌ててニモを探して買った。
こういうものは本体に付けておかずにレジで一括管理する方がいいと思う。
純粋にコーラが飲みたいヒトは、いらないと言えばいい。
じっくり吟味したいヒトは、その全部の中からじっくり選べばよいのである。
ただし難点は、レジに持って行くまでおまけの有無がわからないコトだ。
被ってるのしかなかったとしても、それはあきらめるしかない。
返品はやはり景品エチケットに反する行為だろうと思う。
違ったといってがっかりするのは、それはそれで失礼だとは思うのだがそれはそれで。
昨日はニッキをアップして、巡回に入るまでクリスマスイブのコトを忘れてた。
なんだなんだ、そんな重要な(ネタとして)コトを忘れるなんて。
ニモのコトなんか書いてる場合じゃなかったな。
とはいえまだ今日もクリスマスなわけで。
街はまだまだクリスマスムードだったわけで。
今日のベストアクトは、地下街とはいえTシャツで働くハーゲンダッツのお姉さん。
上半身はTシャツ一枚なのに、頭にはサンタ帽なのだ。
寒そうだよう。
あれに比べれば外とは言え、フル装備のケンタの方がまだマシかも。
いやでも、意外とアイスクリームショップって重労働なのかな?
汗とかだくだくにかいて、その汗がアイスのケースの中に落っこちたりするのかも。
いやその娘のファンなら買い逃せないアイスだろうけど、衛生的にはどうなのさ。
ああ別にそんな言いがかりをつけるつもりなんかなかった。
言ってみればハーゲンダッツだってどうでもいいんだ。
ここにどうでもよくない文章なんてひとつもないな。
うむう。
ちょっとはクリスマスっぽいコトを書こうかと思う。
サンタさんって男性のハズなのに、この時期、男性のサンタの方に違和感を覚えるのはどうなんだ。
いやもう、そんなハナシはいいやな。
もういい。
取引先の、ボクより10くらい上の男性が離婚調停中というハナシを今日聞いた。
家を出てひとり暮らしを始めて一ヶ月、まだまだ何も揃ってないらしい。
そうでなくても忙しい時期で、半分くらいしか帰ってないそうだ。
うわあそりゃ不憫。
いったい何があったんだろうと思ってたら、向こうから話しだした。
「若い頃はさ、色々とうるさいわけよ結婚の条件にね。
でもそれが年を取る事で、絶対条件が減っていくんだな。
こことこことここさえクリアできてれば、あとはまあ、我慢できるだろう、みたいにさ。
でもねえ、いざ始めてみるとそれが我慢出来ないコトだって初めてわかるんだよ。
それはもうお互いにそうだったんだよね。
お互い生きてるしさ、感情もあるわけじゃん。
何とかしようと思ってもうまくいかないんだよねー。」
はー。
もともとまるで結婚願望ないのに、まわりで結婚についていいハナシをまるで聞かない。
これはまた、そのコレクションに加わるハナシかなあ。
「でもねえたろちゃん、結婚ってやっぱいいもんだと思うよー。」
うわあギリギリで踏み止まった。
とうとうボクにも忘年会がきた。
たいして楽しい会ではなかったけど、それでもこれは忘れるための第一歩。
でも、忘れたのかな?
寝て起きたら忘れてるかな。
飲んでる間のコトだけ忘れてたりしてな。
うわあありそう。
今年のコトと、あと去年の最後の忘年会以降の数日分。
明日以降はまた持ち越して、来年の忘年会で忘れよう。
できれば31日に忘れて、スッキリと新年を迎えたいところだけど、
31日の飲みって「今年は何があったか」を思い出すための飲みになっちゃうからなあ。
忘年会の正しい話題って何だろうなあ。
忘れられなくなるような話題は、やっぱりよくないのだろうなあ。
いやむしろ色々と思い出して、供養した上でスッキリと新年を、という考え方もある。
でもそれは忘れるという行為とは違う。
“忘れる”という冷酷無比で残酷で無慈悲な行為は、そんな作為の上には成り立たない。
もっともっと、ピュアでイノセントなものだ。
ノット・ギルティー。
記憶すべきコトを忘れずにいられるヒトと、そうでないヒト。
どうでもいいコトも忘れられないヒトと忘れちゃうヒト。
単純に記憶容量の差だろうか。
選別方法が違ってる気がする。
全く違うフィルターがかかってる。
どこのシャンクショップでかったのやら。
整理とか、もっと効率的にできればいいのにね。
ファイルを作って、索引を付ける。
不要なものは、忘年会でゴミ箱行き。
アルコールを摂取すると、セーブ機能がエラーを起こす率が高いよ。
症状はメジャーなのに、アップデートは全くされてないなあ。
買わなきゃいけないんだったら、いくらまで出そうかな。
もっともっと、ファニーでファジーな人生を送るために、ボクらは忘れる。
一年積み上げてきた記憶の小石を崩す、そんな鬼に自らがなる。
天まで届けとばかりに積み上げた小石、未練もきっとございましょうが。
もう一度来年も積み上げてみよう。
そんな拷問あったよね。
ああなんてマゾヒスティックな人生か。
夕べ降ってた雨は、夜更け過ぎに雪へと変わったようだ。
東京では、初雪かな?
あまり道路には残ってなかったけれど、まあ屋根の上くらいは真っ白で。
死ぬまでに一度は雪国に住んでみたいなあ。
日々雪かきに忙殺されてうんざりしてみたい。
多分これを読む北国の人はこの文章にうんざりしてると思う。
雪国の冬を甘く見るな!とか言われちゃいそうだ。
別にそんなつもりはないけどさ。
きっと肉体労働者のように筋肉がついていくだろうな。
その筋肉にはボクが“雪筋”と名付けよう。
真冬に雪の中で、Tシャツで立ち働く筋骨流々の男。
湯気たってたりして。
雪国でもやっぱりホワイトクリスマスとか言うのだろうか。
初雪にうっとりしたりする風習はまだ残ってるだろうか。
残ってるというか、そもそも最初からあったのかなかったのか。
むしろうんざりする風習なら残っていそうだ。
そもそも風習て。
もしも住んだとすると、やっぱりボクも初雪でわくわくしたりしなくなるだろうか。
ひと冬過ごして、考え方はどれくらい変わるかな。
ひと冬もたなかったりしてな。
まあそうすると初雪にうんざりしなくて済むから、それはそれでいいか。
いいんだ根性なしでも。
ボクは何をかくそうスキーもしたことがない。
色々とめんどくさそう>やってみたいなあという形でずっときているのだ。
誰かにむりやり引っぱり出されないとやらないだろうなあ。
まあボクがスキーやったことなくても誰も困らないからな。
困るとしたら誰だろうか。
ボクのともだちがスキー教室を開くことになって、講師が足りない時に困るかな。
それがいつだか教えておいてもらえれば、それまでに何とかしよう。
問題はボクのともだちには誰ひとりそんな予定がないというコトだ。
ほらやっぱり誰も困らない。
しかし実際に雪国に暮らすコトになったら困るだろう。
誰が、ってまずボク自身が困るだろう。
かんじきの方が簡単そうだね。
みずぐもに似てるから、将来忍者になった時に応用が利くよ。
よしそっちから始めよう。
そうなると雪国の忍者は勘弁してほしい。
忍者になったら雪国に住んでみたいなあなんて口走らないから。
そもそもみずぐもなんかいらないだろ凍ってるんだから。
ああ今度はスケートか。
がんばる。
先日書いたキックボードなんだけど、昨日乗ってる外人さんを見た。
おおさすが外人、恥ずかしいとかないんだなあとか思った。
恥ずかしいにはふたつあって、ひとつは流行の問題。
もうひとつは、そこが帰宅ラッシュの地下道だったコト。
こらこら、器用に進むんじゃないよああー見えなくなっちゃった。
向こうにはそういうモラルはないのかね。
日本にだって減っているとは言え、まだまだ残っていると思うのに。
日本人がしないコトを、わざわざするその自己主張はなんだ。
“日本で外人であるコト”に優越感感じてるの?
日本のモラルとかマジウゼー!とか思ってる?
いつでも捨てられる国だと思って、テキトーに扱われたんじゃあこっちが不愉快だ。
これはまんま地方出身者にも当てはまる。
東京に住むつもりもないくせに、東京に腰掛けている。
住んでるくせに東京は住むところじゃないとか言うのね。
もういい出てっていいむしろ出ていけ東京から。
ボクが死にたいくらいに憧れた東京のバカやろうから出ていけ。
さあイマすぐに。
そういうボクだって、ここに骨を埋めるのかと言われるとビミョーなところ。
骨を埋める場所すら見つけられない。
ここにボクの居場所を見つけられるのかどうかすらわからない。
居場所は作るものだけど、それは分かっているのだけど。
キックボードがイマ居場所を見つけられるだろうか。
しかしヤツは一度は居場所を作ったのだ。
それを手放してしまったのは、やはりヤツの責任。
流行り廃りの、魅力の問題。
ボクの責任じゃない。
ボクの責任じゃないのだが、ヤツに乗り切れなかったボクとしてはちょっと責任を感じている。
大会に出場するところまで行けなかったのがなんとも心残りだ。
どんな名前のワザが繰り広げられるんだろう。
“ミーハースクランブルジャ〜ンプ!”とかあるだろうか。
うわあマスターしたいそれ。
地方大会はあるのだろうか。
田舎に隠居したあとにでもいいですかねえ。
あれ意外と難しいからなあとかイマ言ってる時点でダメですな分かってますごめんよう。
さて、今日でシゴト納めだった。
今年もひたすら働いて、イベントをクリアした日々だった。
おカネを稼いでいるんじゃない。
いいイベントを世界に提供したいだけなんだ。
おカネはあとから着いてくるさ。
そうありたいもんだね。
“より稼ぐためには”を考えながらおシゴトをしたくはないのだ。
もちろん“おカネを稼ぐため”を否定はしないけど、それは目標じゃないね。
ハピネスは、おカネの側にはない。
でも、決しておカネのないところにはない。
いやあ人生って、ホントにおもしろいものですね。
シゴト納めとともに、明日から実家に帰る。
生活圏を移す、という考えはもうない。
ちょっとした旅の延長に過ぎない。
宿はただだけどな。
食費もただだけどな。
しかも旅先に友達いるけどな。
それ全然旅先じゃねえよ。
まあそう言うな。
今年を思い返せば、何かと見失いがちな一年だったように思う。
それでも続けるコトが何かを生むと信じて、ボクは日々書き続けてきたのだ。
ちょっとでも書くコトにつまらなさを感じたら、すぐに書くのをやめるつもりだった。
でも書くのは毎日楽しかったなあ。
みんな、楽しかったかなぁ〜?
いや楽しくなかったヒトはもう読んでないから。
ああそうかー。
その中でボクたちは、いったいどこまで飛ぶコトが許されているのだろう。
どこまで羽ばたけば、ストップがかかるのだろう。
そこまで羽ばたけた一年ではなかったけれど、それでもまあそれなりに楽しかった。
また一年、新しい年が始まる。
古い年を消化しないままに新しい年をボクらは手に入れる。
確実におなかを壊しそうな気がするよ。
壊さない強靭なおなかを手にするのが先か、おなかを壊さない知恵を手に入れるのが先か。
イマのまま壊し続ける可能性がいちばん高い。
それでいいんだ。
来年もこのままいくよ。
よろしく。