12/1

名前を付けるというのは、すごい自己顕示だと思う。
例えばボクの本名はまあ、“たろすけ”というハンドルから想像してもらえばよい。
そこからたろすけと、ジブンで名付けたわけだ。
それを考えると、ボクはボクをたろすけにしたかったんだろうなあと思う。

ちなみにジブンに名付ける以外にも、ジブンの作成物に名付ける場合もある。
代表格はやっぱりコドモだろう。
ボクらに身近なところではサイト名がそうだ。
“こう見て欲しい”という想いが込められているのだ。
えっと、込めたっけな?

やたらとむつかしい名前を付けるヒトもいる。
やたらと横文字にしたがるヒトもいる。
サイト名だけじゃなく、小説脚本曲絵画などなどなど。
ジブンの作り出したものには名前を付ける権利がある。
どう見られたいかを、知らせる権利があるんだ。

コドモの名前が、健一健二健三だったりするヒトもいるね。
どうなんだろうねえあれは。
個別の人間なんだよという権利を剥奪した命名法だと思うのに。
だったらまだ騎士と書いてナイト君の方がいいんじゃないかなあ。
これを笑いとばせるようになるまでは修行が続く。

そうやってジブンの作り上げたものにぞんざいな名前を付けられるなんて信じられない。
でも、タイトルまで気が回らないヒトたちがいるのも事実。
民間の公募で行われる絵画展とか見ると、いかにも間に合わせのタイトルとかある。
今日見たのは、民族衣装を着たふたりの女性の絵。
どれどれ、タイトルは、と思うと「民族衣装を着たふたりの女性」。
あのな。

逆に思い入れたっぷりの名前もあった。
なんだかよくわからない抽象には「未来の扉」と書いてあった。
他にもあったけど忘れちゃったな。
メモってくればよかった。

そういえば前述の「騎士(ないと)」みたいに語呂合わせな名前も最近増えた。
「宇宙」と書いて「そら」と読むなんてのはありがちなパターン。
そうやってコドモにいらぬ負担をかけるのはいかがなものかなあ。

思い入れをそのまま乗っけるのがベストとは限らない。
きちんと本当の姿を伝える名前を付けないといけないんだ。
等身大で生きていくのに、邪魔にならないそんな名前。

ところで最近某名簿で見た名前「空陸海」、ちなみに小学生の男の子。
正解は、明日ね。
商品ないからね。

12/2

昨日書いた「民族衣装を着たふたりの女性」だけど、一晩経つと何がいけないのか分からなくなった。
いいじゃないか「民族衣装を着たふたりの女性」でも。
だいたい絵画にまでもドラマを求めてしまうのは、ボクらの悪いクセだよ。
そこに民族衣装を着たふたりの女性がいる、それだけでいいじゃないか。
あのタイトルには、作者のそんな意志が込められていたのではないだろうか。
アンチテーゼ。

ところで昨日のクイズの名前。
「空陸海」くんという名前はどういう意志で以て付けたのだろう。
おそらくは一か所に縛られるコトのないヒトに育つように、と願ったのだろう。
でも、だったら宇宙(そら)の方がいいんじゃないかなあ。
願ってる方が、地球に縛られてしまってるよ。

可能性としては、父親が自衛隊員とかね。
うんうん、きっとジブンの職務に誇りを持っているんだろうなあ。
お父さん、ダイジョーブ?
イラクに行くんじゃないの?

ボクが高校を卒業する頃は、自衛隊には全然戦う可能性がなかった。
だから数人は絶対に自衛隊に行ってた。
ほとんどが数年で退社、いや退隊してたと風の便りに聞いた。
誰か残ってるのかな。
やめてしまえばいいのにな。
空陸海くんが、ひとりぼっちになっちゃうよ!

ドラマティックさを求めるなら、父と母は自衛隊内恋愛なのだ。
身籠ったあと、父は病気で死んでしまった。
そしてコドモに、父の愛した自衛隊にちなんだ名前を付けたのだ。
ああそして母は、そして母はイラクへ行ってしまう・・・!

おおよそリアリティーがないなあ。
このリアリティーのなさが問題なんだよなあ。
ヒトはヒトとして死んでいくのに、ボクの中ではフィクションの登場人物なみの扱いだよ。
こめんよ、空陸海くん。
キミのお母さんの仇は、ジブンで取って下さい。

ちなみに先日死んだイラクの参事官の奥さん。
ネットでイラク日記を付けていたのが何か親近感。
read me!とか登録してたらおもしろかったのにね。
そうすればもう少しリアリティーあったかも。

そろそろクイズの答の時間です。
音読好きの方にはご迷惑をおかけしました。
正解は「くりか」君です。
えーと、男の子?

12/3

ボクらはみんな、おシゴトと私生活の両面を持って生きている。
例えばボクはこのサイトをおシゴトとしてではなく、私生活を利用して運営してるわけだ。
この境界線は、ヒトによって太さが違う。
ついでに位置まで違うコトもある。

携帯電話の普及は、飛躍的に私生活におシゴトを染み込ませた。
ボクなどは割と平気で休日に携帯を置いたまま出かけたりする。
でもそれは、ボクが命に関わるおシゴトをしてないからだろう。
ボクが捕まらなかったせいで誰かがしぬとか言われたら、きっとちゃんと持つよ。
そしてFOMAなんか使わない。

最近派出所じゃなくて、駐在所が見直されているらしい。
つまり、交番におまわりさん一家が住み込んでいるわけだな。
職場は確かに近いし、遅刻はきっと減るだろう。
でもこの場合の遅刻って何だ。

確かにおシゴトと私生活をパッキリと分けるなんてのは、サラリーマン的発想だと思う。
サラリーマン以前は、職住隣接は当たり前だったろうし。
夜中に助けを求められてなんぼ、という考え方もあったと思う。
おシゴトと言うよりも、その土地の中での役割を全うするという考え方だ。
パズルのピースにきちんとなるコトが当たり前だったのだ。

職住隣接でなくなってしまったコトと、土地への愛着が薄らいだコトは関係あるだろうか。
ならこの方法は、かなり有効なやり方かもしれない。
人材さえ見つかれば、かなり効果を上げてもいるらしい。
ただし、すごく忙しいそうだ。
好きでないとやってられないだろうなあ。
ボクじゃあ、ムリだろうなあ。

何がイヤってね、昼間は別にいいのだよ。
どれだけ忙しくったって、どれだけ休みがなくたって、それなりに何とかなる。
ただし夜に、思う存分酔っぱらえないのはこまりものだね。
ドロボーが、ボクが飲みはじめるのを見計らってシゴトにかかったら困るじゃない。
きっとよたよたしながら追いかけて、翌日何も憶えてない。

例えばそれがお医者さんだったとして、緊急呼び出しで手術。
そんなナチュラルに麻酔のかかった状態で手術なんかできるものか。
手術したコトすら憶えてないよ。

駐在所ももっと数が増えればいいんだろうけどな。
そうすれば酔っ払いは勘弁してもらえる。
駐在所に飛び込んで、酒臭い顔を見てあきらめる。
回れ右。

あ゛? 何だよ、お前、ヒ〜トの顔見て逃げんなよ、あ? 何? ドロボー?
あー、まーかしとけ、このおーれサマにまーかせなさーい。

12/4

記録、それはいつもはかない。
ほのかにあのメロディーが聞こえてきそうなコトバだが、その意味はふたつある。
ひとつは、出しても出してもすぐに越えられてしまうという意味。
もうひとつは、“公式”でない記録のコトだ。
本人と測定者だけが知っている、決して認められるコトのない記録。

例えば体育の授業で測ったのは公式にはならないのだろうな。
体育の授業でそんな大層な記録が出るわけがないという向きもあろうけどさ。
それを言ったらハナシが前に進まない。
まあ別にいつだって前に進んだりはしていないワケだが。

だいたい前に進んでいると見せかけてあっちに曲がりこっちに曲がり時にはムーンウォークなどもし。
気付くと最初よりも後ろに立ってたなんてコトもざらじやないか。
ほらそんなコトを言ってるこのセンテンスが既に!
このまま進める?
それもよし。

記録ですがね。
公式と非公式の差を埋めるためにはどうすればよいのだろう。
不特定多数の観客を入れ、テレビカメラに密着させ、その上で映像に収めればよいのかな。
それとも協会なりを通さないと、どうあっても認められないのだろうか。
それでもそこまでやれば世間の記憶には残るよな。

記録より記憶。
いいコトバだね。
絶好の負け惜しみだよ。
ていうかこの場合、そもそも勝てる勝負をなぜしないのかが分からない。

そんな記録は宙に浮いてしまって、忘れようにも忘れられずに残っていく。
決して認められるコトもなく、決して誉められるコトもない。
疑いのまなざしを受けながら、記録という事件が一人歩きしていく。
そしてそのうちにやってくる、“あのヒトはイマ”。

「古い思い出話をしてよおじいちゃん!」
忘れちまったよそんなコトは。
「どうして? 忘れたかったの?」
いやあ、忘れようとかできるもんじゃねえな。
ただ単に、墓に送り損ねてただけさ。
「記録のお墓?」
記録に墓なんかねえよー。
俺が死ぬ時に、その辺に浮いてんの全部かき集めて俺の墓に連れていくさ。
「おじいちゃんのお墓って、ボクも入るんでしょう?」
そうか、余計なもん入れとけねえなあ・・・

ああ、はかないなあ。

12/5

例えば旅に、ひとりで出てみよう。
どこに行ってもひとり。
電車に乗っても、食事をしても。
ひとり。

そんな時は自然とヒトとの関わりを持ってしまう。
そんな時でも知らないヒトとは接するコトができない。
旅のきっかけとそのシチュエーションにもよるけれど、だいたいはどちらかに寄るだろう。
では、これが日常なら?

普段外でひとりで食事ができるヒトとできないヒト。
相席が平気なヒトとイヤなヒト。
一緒にいても、別に話さなくてもいいんだ。
空気のように、流してしまえばいい。

電車なら窓に沿った席よりもボックス席の方が相席っぽい。
となりより、前の方が相席っぽい。
となりならむしろそれは愛席と呼んでもいい。
どっか行け。
ああ、ボクがかぁ。

多分これはヒトとの距離の取り方の問題なのだと思う。
ボクは別に、誰か知らないヒトと唐突にテーブル囲んでご飯食べても平気。
お互いヒトコトも口にするコトなく、いやそれどころかいるのかいないのかも気にしない。
それでいて、相手の存在を忘れるコトは決してない。
目の前のお醤油に手を伸ばすタイミングすら、自然に外していられるのだ。

これ何かに似てるな、と思ったらアダルトコーナーでの人間模様だった。
多分オンナノコの大部分は、足を踏み入れたコトがないであろう場所だ。
と夢見がちな発言をしたところで説明する。
よく聞けガールズ。

フツーの時間帯なら、例えばレンタルビデオ屋のアダルトコーナーひとりぼっちはない。
たいがいはそこにはすでに先客がいて、ジブンの後からもヒトがやってくるのだ。
しかし、しかしだ諸君、そこにはジブン以外他の誰も存在していないのだ。
ボクらはそういうコトにしているのだ。
まさにマインドコントロール。

無視するコトとは違うし、周囲の動きには常に気を配る。
あのヒトがボクの物色している棚を見たがっている、そう思えばさりげなく場所を空ける。
だってそうしないと、接触事故が起こるかもしれないじゃない。
常に周囲に気を配り目的達成の道筋を確保し、その上でジブンの目的もクリアするのだ。
人間社会に於ける人生にはものすごく必要なものだと思うがどうか。

しかしそんな場所で人間関係について学んだなんてヒトはどこでも学ぶコトができるのだなあ。
そう思うとすごいなあと言うかとうちゃん情けなくて涙が出てくらあえぐえぐ。

12/6

ちょっと昨日の後半を掘り下げてみる。

決してそこにいる他人と触れあわず、触れあわないようにと、気を使う。
おもしろいコトにそこには、情報交換というものが存在しない。
みんなそれなりに好きなヒトが集まってるんだから、ちょっとくらいあってもいいはずだ。
でも、決して行われないだろう。

「いやあ私、先日コレ見ましたけれど、どうも私には・・・」
「ほほう、ではやめておきましょう。いかがですか、コレなどは。」
「あ! それはよかったですよー。思わず延長してしまいましたよ。」
「しかしあれですなー、DVDになって画質は上がりましたなあ。」
「そうですねえ、きっと古くなっても全然問題ないでしょう。」
「でもコピー出来なくなりましたからねえ・・・」
「そうですねぇ・・・」

だんだんしみじみしてきたな。
モノの評価を交換するのは、はずれを引かないいいやり方だと思う。
特に趣味の似てる友人が見つかれば、現地でああでもないこうでもないと過ごせるだろう。
そしたらそこに混じるヒトがいずれは現れるだろう。
顔を合わせてやあどうも。
最近のヒットは、どれですかな?
じゃあ私はこっちを借りますから、あなたはあちらを。
今度感想をお聞かせ下さい。

まあまずやらないな。
理由はいくつもあるけれど、やっぱりまずは背徳感が必要な遊戯だから。
もうひとつ、AVとは言えども、お気に入りのオンナノコを他人に見られたくないから。
いや、バカなコト言ってるのは理解してるから。
その冷たい視線をちょっと温めてくれないかな。

あくまでもボクの場合だけど、お気に入りであればあるほど早く引退して欲しいのだ。
ああもうそれ以上深いとこ行かなくていいから!
ああもうそろそろそんな世界から足を洗って幸せになって欲しい。
殴られても文句言えないくらいちょう余計なお世話。

本人たちにもそれなりな覚悟があってやってるコトだろうに。
抜けられない事情もあるだろうに。
その事情をクリアしてやるつもりもないくせに、何勝手なコト考えてんだろうね全く。
いいじゃないか思うくらいは。

あくまでもボク的にはそんな理由。
かなあ。
ココロの暗部に踏み込めばもっと色々あるのかもね。
そういうアンケートなら現地でも取ってみたい。

ボクなら絶対答えない。

12/7

西洋の楽器が日本に入ってきたのは、基本的には明治に入ってからだと思う。
それ以前には、出島にあるのがちらほらと見られてたくらいで、一般人まではまだまだ。
代官が大名にカステーラを持っていってた時代だな。
カステラ食べたいな。
下に諭吉が敷いてあるヤツね。

それがギターだのバイオリンだのピアノだの。
当時の、例えば鹿鳴館なんかでは大活躍だったに違いない。
いったいいくらくらいしたんだろう。
やっぱりたくさん売れたのは軍需景気の頃だろうか。

そうだよなあ、
きっと料亭の玄関で燃やすより、有意義だよな。
たったひとりのばかのために、その時代の金持ちは全員そうだったような印象を受ける。
それってすごく不本意だろうに。

例えばごく少数の汚ギャルのために、その世代にそういう印象を持たれる。
大部分は違うのにね。
そりゃあ不本意でしょ?

当時の楽器のイメージといえば、パーティーの余興ぐらいしか思いつかないな。
「ウチの娘に、何か一曲弾かせましょう。おーい!」
とかいって、娘が出てきてかわいらしく挨拶してから一曲。
ようするに、娘を引き取らせたい相手に対するアピールだな。
演奏を聴かせたかったわけじゃない。

ちなみにこれは洋ものに限らない。
現代なら、和服でお琴、というのが効果的か?
そんな高い楽器、というので敬遠されてしまいそうだなあ。
ああ、それを許容できる男でないと、ウチの娘はやれん!というコトか。
いやあせちがらい。

ちなみに和楽器というとなかなか主役にはならない。
踊りや歌舞伎などのバックがほとんどで、そんな奥ゆかしさもちょっと日本っぽいな。
邦楽のコンサートホールがほとんどないコトからも、それはわかる。
ちょっとした豆知識でした。へぇーへぇー。

その頃におカネをふんだんに使って楽器を買ったから、高い値段で落ち着いちゃったんじゃないか。
そう思えるほどに、楽器の値段というのは高い。
弘法筆を選ばずというコトバは、あの世界にはないようだ。
でも弘法だってそこに二本あればきっと吟味してから使ったと思う。
どーちーらーにーしーよーおーかーなー。
てーんーのーかーみーさーまーのーいーうーとーおーりー。

あ、弘法は選んでない。

12/8

そろそろちまたでは忘年会とかいう行事が執り行われているらしい。
早くないか?
マジ早くないか?
まだ三週間以上あるのに、もう忘れちゃうのかよ!

ボクが幹事をやるシゴト場の忘年会もそろそろ第一次の締め切りだ。
正直めんどくさくてやってらんねーよ!なのだがまあそこはそれ。
一年の感謝を、何となく表すいい機会であるからして。
ほら、あんまり普段感謝を告げるコトなんかないからねえ。
いつもすいませんねえ、が関の山だ。

て言うか、そもそもなぜ忘れるの?
そんなに忘れたいの?
ハードディスクの初期化と同じ?
ちゃんと必要な書類のバックアップ取ってる?
その中にバグの原因があったりして。

でも“忘れたいの?”と訊かれれば、ちょっとためらうなあ。
忘れたいコトがある一方で、忘れたくないコトもたくさんある。
積み上げてきた思い出は等価値のはずなのに、ここでボクらは値段を付けてしまう。
ジブンに都合のいい人生を求めて。
そんなものどこにもありはしないのに。

壁はいずれ越えなきゃいけないものなのに、遠回りをしてまた同じ壁にぶつかる。
万里の長城ばりに、長い長〜い壁のヤツめ!
そしてまた、ビミョーに越えられそうな気がする壁のヤツめ!
ぷんぷん。

そんなコトも全て忘れてしまおうというのか。
ていうか、忘れるコトにどんなメリットが。
忘年会なんて名付けたのはいったい誰だ出てこい。
ああどうも初めまして。
いやあそんな文句なんてありませんよははははー。

今年は久しぶりに忘れちゃいけないコトがあった気がしている。
でも、忘れてしまいたい気もちょっとする。
だってそうすればまた一から始められるじゃない。
いつだって新鮮じゃない。
積み上げていくものの大事さを忘れた発言ではあるものの、これは一面の真実。
ないがしろにしてはいけないねえ。

だから何が言いたいのかというと、忘“年”会という名前のアバウトさだ。
みんなそれぞれ忘れたいコトはあるだろうけど、それを“年”というヒトコトで済ませる。
大掃除で取っておくものと捨てるものの選抜にぶち切れて全部捨ててしまうみたいなね。
結局日々の暮らしっぷりがいちばん大切だというコトででも忘年会はあるんだけどねー。

12/9

年を取るコトに恐怖を感じているヒトは多いと思う。
ちなみにボクもそのひとり。
年を重ねるコトによって起きる不都合ばかりが目に付いて困る。
ああ、ぼけたらどうしよう!

その反対に、早く年を取りたい、とか言うヒトもいる。
そんなヒトたちは、年を取るコトをポジティブに捉えるコトが出来ているのだろう。
いや確かによさそうなこともあるけどさ。
あまりよくないコトの方が多そうだよ。

時間は誰にでも平等だけど、成長していくのは身体だけじゃない。
身体と心の両方が成長していかなくちゃいけないのに、時間が成長させるのは身体だけだ。
ボクの身体はもう老い始めている。

努力しなくても年はとれるのに、努力しなくちゃ成長はできない。
不公平だよ。
せめてセットにならないかなあ。
生きる上で努力すればするほど、長く若くいられるように。
努力しないヒトは、どんどん老いていくように。

うーん、“努力しない”イコール悪ではないよなあ。
でも死にたいと言いながら生きているヒトの命よりも、生きたいと言っているヒトの命の方が大事だろう。
だって命の気にもなってみようよ。
「せっかく命なのに、なんでこのヒトはいつも死にたがってるんだ?」と悲しんでいるよ。

ボクは生まれてよかったなと思う。
いちばん尊敬するヒトに両親をあげるのもやぶさかではない。
何がすごいって、このボクを作ったんだからね!
それだけでノーベル賞取ったっていいよ。
ノーベルたろすけ賞。

それでも老いていくのは恐いんだ。
死ぬコトも恐いけど、ホントに恐いのはそれじゃない。
いちばん恐いのは、自由の利かない状態で生き長らえてしまうコトだ。
生きているコトすらもわからないボクがそこにいる。
はたしてボクなのかどうかもわからない。
もしかしたらただ、ボク“だった”存在がそこにあるだけの状態。
やってられない。

そういったコトをあきらめるための成長なのか。
悟りを開くために、ボクらは成長していこうとするのか。

成長が止まってはや幾年。
老いだけが進行していくよ。
お〜い、待てよ〜。

12/10

オンとオフで服装が違うヒトは多い。
当たり前だと思う。
気分も違えば、状況も違う。
おシゴトの日にはスーツ、なんてヒトもたくさんいるコトだろう。

ボクは全然違わない。
だいたい現地で着替えるので、朝着る服はいつも同じ。
いやもちろん、同じ服なわけではないけど、気分はいつも似たようなものだ。
シゴト着に着替える時にはそれなりにオンモード入るよな。

これってある種つまらない。
メリハリがないよなあ。
もう少し、服のバリエーションがあれば人生がカラフルになるかもしれない。
ならないかもしれないけれど、まあしょうがないね。
また違うコトを試せばいいさ。

だんだんジブンの意志で買って着ているのか、たろすけ制服として着ているのかわからなくなっている。
出来上がったジブンの好みとか見た目との釣り合いとかに縛られて、はみ出せなくなっている。
それがいいコトなのか悪いコトなのか、ボクにはわからない。

そもそもいいとか悪いとかそんな下らない決定は超越したコトなのか。
そんな些末なコトに囚われて長い人生渡っていくのは悲しすぎる。
年を取るにつれ、そんなジブンで引いたはずのラインを引き直すのがおっくうになる。
もう年のハナシはいいだろ。

とにかく日々の同じような格好に気付いたボクは、ちょっとブルーになったのだ。
だったら違う格好を試せばいいのだけど、そんなつもりもない辺りがまた悲しいなあ。
だって似合わないのがジブンで分かる格好なんてできないじゃないか!
と、そう思ったのが二週間くらい前。

ちょうどその頃、靴下の入れ替え時だったのだ。
いつもボクは、三足とか四足とかで千円のやつをまとめて買ってきてはきつぶす。
ちなみにそれは全部、白。
靴下は白だろう!という、頑強な思い込み(好み)による判断でそうなっていた。

ところが最近古い衣類の発掘をしていたら、学生時代のもらいものの靴下がいくつか。
なんで残っているのかというと、色々とカラフルだったから使われなかったのだ。
何だか不憫に思えたので、一通り履こうと思って出して使うコトにした。
日々、カラフルな靴下。
どれにしようかな。

ここのところ、ちょっと朝の着替えが楽しくなっている。
我ながら随分と単純なコトだとは思うのだが、そうなものはしょうがない。
しかしおシゴトの最中にピンクの靴下を見てギョッとするのはどうにかならんものか。

12/11

クリスマスまであと二週間。
やっとクリスマスセールやクリスマスソングが現実味を帯びてきた。
日本のクリスマスに本来の意味なんか残ってないけれど、それはそれでもいいよねえ?
キリストの誕生日とボクの誕生日と、どっちが大切だと思ってるんだ。

それが例えばボクでなくとも、生きている人間の誕生日の方が大切だと思うがな。
そんなに大切なら、永久欠番にでもすればいいさ。
十二月二十五日生まれは、自動的に二十六日生まれで届けられてしまう。
ひどい時には、殺される。
うわあひどすぎる。

それでも予言に絡めて、その時期に産まれた条件に合うコドモを殺して回った王様もいた。
キリストの再来が真実味を帯びて語られる時、必ず暗殺部隊が派遣される。
どこからともなく。

そんなリスクを背負うなら、改めて新天地で一からやり直してもいい。
イマならイラクで教えを説けばいい。
命を惜しむ彼ではないだろう。

ボクはまだまだ命が惜しい。
ボクがやり残したコトで、世界の大勢に影響のあるコトなんて何ひとつないのに、それでもボクは命が惜しい。
生にしがみつくこのボクを見て、あなたは笑うだろうか。
それとも蔑むだろうかね。

ボクはジブンの誕生日に、それを口実に騒いでもらえるなら是非お願いしたい。
その時にボクのコトなんか思い出さなくてもいいよ。
ボクはそんなコト気にせずに、楽しめないヒトに目を向ける。
何が気に入らないんだ。

見える場所に名札をぶら下げる、そんな趣味はない。
そんないい場所には、もっと大切なものをぶら下げる。
キミが道に迷わないように、どこまでも明るい提灯を下げようか。
それとも雨宿りのできる傘を下げようか。
その下で、ボクはキミを待つよ。
あの、クリスマスツリーの下で。

実際のところ、クリスマスツリーの下なんかで待ち合わせをしても会えそうにないね。
きっと人波をかき分けるのでせいいっぱいだな。
チューブ・ライディング!
あっぷあっぷ。

しかしクリスマスとかって社会人には敷居が高いよなあ。
仕事してなかった年の方が珍しいよなあ、もちろん今年もシゴトだし。
まあいい何か景気のいい現場にでも立ち会ってみんなの嬉しそうな顔をって事務所番かよ!
つまーんなーい。

12/12

先日見た夢のハナシ。

コドモの頃からのともだちが、ボクのところにカボチャを持ってきてくれた。
おそらく直径で40〜50cmはあるだろうでっかいカボチャ。
彼はそれをボクの部屋の台所にダンと置いて、「動かしちゃダメだよ」と言ったのだ。

はあ、と思いながらそのカボチャに目をやると、目鼻が付いている。
“付いてるね”と言うと彼は「うん。」とフツーに返して立ち去った。
しかもよく見るとこの目鼻、上下逆だよ。
よっこらせ。

・・・あ、動かすなって言ってたっけ。

ここで目覚めたのだ。
ドラマはここからだろうに、まだ何も起こってないのに目覚めたのだ。
目覚ましも鳴ってないし、物音のひとつもしてないのに目覚めたのだ。
さては続きもの、コマーシャルの時間かと思ってトイレに行って改めて眠る。
カボチャ影もカタチもなかったよー。
ちょう納得いかなーい!

続きが思い浮かばなかったのだろうか。
このもんもんとした気分を晴らすために、何人かにこのハナシをしてみた。
相手もそれなりにもんもんとしてくれてたみたいだけど、ボクのもんもんは一向に晴れる気配がない。
仕方がないので続きを考えてみよう。

ちょっと細かく思い出してみると、目鼻じゃなくて目とクチだけだった。
それも、ハロウィンみたいなくり抜きではなくて、フツーに付いてた。
あれに似てる、つげ義春の描く目玉。
“なるほどポキン”とか言いそうだったかもしれない。

しかしつげカボチャだったのだとすると、ますます何も起こりそうにない。
河原で並べて売られてたりしたのかもしれない。
しかしそれは割とフツーの光景。

ともかくハロウィンはイメージから外した方がいいだろう。
あとメジャーなカボチャといえば、シンデレラの馬車だな。
キラーカボチャというのもありだ。
トマトと違ってずいぶん堅いし。

くり抜いて戦車にでもしてみようか。
堅いから、どこまでも突き抜けていける。
引っくり返されると、手も足も出ない。
そもそもあるのかどうかも分からない。

どっちがいい?

12/13

街中をローラースケートで闊歩するヒトを見た。
多分大学生くらいの男の子で、わりと薄着。
がんばれ若者よ。

しかし靴に車輪がついたヤツが普及してからめっきり見なかったのにな。
最近はもうあれも見なくなってたなあ。
スケボーはまだたまに見られるかな。
キックボードは言わずもがな。
あれだけ一世を風靡したのに、あっという間にセピア。
あっけないものだなあ。

そもそも足に直接車輪を付けてどうこうという思想はどこから産まれたんだろう。
忍者が使ってる水の上を歩く道具、確か水グモとかいうヤツって思想的には似てるかな。
格好だけか似てるのは。
忍者は足跡を残さないようにするから、車輪の跡なんてとんでもないんだ。
早さよりも優先させなければいけないコトが確かにある。

そういう意味では車輪というヤツはホント役にはたたない。
やはりヒトには後ろを振り返る時間が必要なのだと思う。
もちろんこれは人類と言い換えてもいい。
個人の集まりが集団なのだなあ。

集団が全員でキックボードに乗ってたら恐いね。
あれだけ流行ったのにキックボードの大会とか聞いたコトがないのはなぜ?
名前の付いたワザとかあってもよさそうなもんなのに。
それともキックボードは日本だけの商品だろうか。
あり得る。

スケボーといえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。
過去へ戻ったマイコーがコドモの持ってた手押し車を奪って上部を剥がす。
あの手押し車こそはキックボードの原型だったような気がするな。
あれはそもそも何だったのか。
ホントにキックボードだった?
バリッと剥いだ跡には釘はなかったのか?
うわあイマさらながら気になるぞ。

しかし当時あのスケボーには憧れたなあ。
通学に使ってクルマの後ろに掴まりたいなあとか思ったもんだ。
しかしボクの町ならあんなおされなトラックじゃなくてただの軽トラだな。
あれボクそんなコトよりもウチの田舎でスケボーを見たコトないよ?
うわあほのかにショック。

流行ってないローラースケートを使って街を闊歩するのは、ちょっと恥ずかしいよね。
流行ってるスケボーを買って練習するのと同じように恥ずかしかったかな。
はたして何が彼をそうさせたのか。
罰ゲームじゃないコトを願う。

12/14

何ゴトにも確率というものがある。
例えば朝、何度食パンをくわえて角を曲がればかわいいオンナノコとぶつかるのか。
そしてその中でも、さらに何人のオンナノコにぶつかれば恋が芽生えるのか。
百万回か二百万回かは知らないけれど、純粋なゼロってことはないだろう。
死ぬまでに一回でもうまくいけば報われるかなあ。

タイミングを測る、というのはその確率を少しでも上げようとする行動。
作為的と言われそうだが、単純に努力として捉えるコトもできる。
毎朝毎朝女の子とぶつかってれば、そりゃあ確率は上がるだろう。
しかもかわいいコだけを選んで当たっていれば、さらに確率上がるだろ。
同じコに何度も当たってしまう可能性もあり。
むしろそれは狙いだったりする可能性もあり。
だったらフツーに告白しようよ。

このシミュレーションは“運命の出会い”を求めている人のためにあるのだ。
人に紹介してもらったり、ねるとんパーティーに出たり、そういうのがイヤな人の為にやってるのだ。
狙った獲物があるのなら、とっとと舞い降りろ。
そこに運命を持込むな。

考えてみれば、毎日やれば一年で365人。
だれかひとりくらいは運命感じてくれたっていいじゃない。
ただ、同じ場所じゃできないからなあ。
全国行脚の旅に出なくちゃ。
オレには日本は狭すぎるぜ!
何十年やってるんだ。

確率をあげるのはいいけど、上手くやらないとばれちゃうね。
確かにイカサマではないにしろ、与える印象は決して良くはない。
「あなた、私の前に何人とぶつかってきたの? ふぅーん、はぁーん。」
ブルブルブルブル。

将来は「プロジェクトX」で取り上げられるだろう。
小金沢君みたいなもんで、常に食パンはかかさない。
銘柄はこだわらないが、くわえるだけだから薄切りが好き。
いつでも走り出す準備はできている。

多分運命の出会いを果たした後も、なかなかそのクセは抜けないのだ。
気付くと食パンを持った手が、そして足がぴくぴくしている。
そもそも食べないくせに食パンを持ってないと落ち着かない。
タパコみたいにくわえては家を出ようとして止められる日々。
番組ではそんな日々も丹念に描かれていく。

放送されるのは多分、ずっと先のコトだろう。
奥さんと死に別れたりした頃かな。
ああ旅はまだ終わらない。

12/15

恐れや怒りなどから、カラダが変質してしまうキャラがある。
最近の有名どころでいけば、「ハルク」がそうだ。
観てないので、詳細に踏み込むのはやめる。

つまり精神のコントロールがままならずに、ヒトに影響を及ぼしてしまう。
ココロの平静を保つコトによって、かろうじてヒトとしてのジブンをキープできる。
変身してしまうのは極端としても、別にこれはフツーだね。
誰だってジブンを解放するのは恐いんだ。

“キレ”てしまうのを自慢げに語るヒトとかいるよね。
「俺ぁ、怒らせっと何すっか、テメエでも分かんねぇからよお!」
そりゃあ、怒らせると泣きながら脱ぎだしたりするコトもあるとか言われれば納得する。
方向性はひとつのクセに、偉そうに言うな。

平静を失うと、“何か”に変身するとかおもしろいかな。
TPOへの考慮は、もちろん抜きだ。
渋谷で軍団に囲まれて、いきなりC−3POに変身したりする。
おもちゃ屋さんに売り飛ばされそうになったりする。
もちろん持ち物は全部取られちゃう。

でもまあC−3POだし構わないだろうと思うと、軍団がいなくなると同時にもとに戻る。
それであわわ、とあわてるとまた“何か”に変身する。
以下繰り返し。

平常心が大切なのだと、剣豪なんかよりよっぽど思い知らされていると思う。
武道含めて格闘技にかなり向いているのではないだろうか。
最初はそりゃあ大変だろうけど、その試練はまた必要な試練だから。
そうしてどんどん強くなる。
オリンピックに出たりする。

そして決勝戦でプレッシャーについに負ける。
やたらと凶暴なヤツへの変身。
ああこれがC−3POであったなら。
相手も審査員もここまで残忍な殺され方をせずに済んだだろうに。

もう二度と公式戦には出られないだろう。
そのプレッシャーをどう克服したにせよ、もはや世界が認めない。
この試練は、ちょっと酷なんじゃないか神様?
目標も立ち位置も全てを無くして、それでも修行を続けられると?

獣人伝説なんて世界中にあるんだから、どれかひとつくらいはホントでもいい。
日本の鬼だって、昔はフツーに村を作って暮らしてたんだ。
ちょっとキレてヒトを襲う回数が多かっただけで、ヒトから逆襲されてしまう。
しょうがないとはいえ、桃太郎がやっつけた鬼は、ホントにその鬼だったのか?
気付かないままに罪のない鬼たちを一方的に言いがかりをつけてやっつけたのでは?
まあ考えてみりゃあの犬猿雉こそが本物の獣人だし。
ヒトに戻ったトコが出てないだけで。

 

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