今朝、朝ご飯を買いにコンビニに行ったの。
そしたらレジのヒトが、えーと、あと肉まんでしたっけ?って言ったの。
ボクはジュースとサンドイッチを出しただけで、何にも言ってないのに。
いったいその肉まんはどこから?
その一件があったので、帰りに肉まん買おうとコンビニに立ち寄った。
とりあえずビールー、ビールー。
で、レジで肉まんひとつ。
歩きながら食べようっと。
つって袋の中ごそごそやるとミョーに肉まんの袋がでかい。
ん?と思って中に手を入れるとふたつ入ってる。
ありゃ?
ふたつって言ったっけ?
言ってないよなあ。
レシートはレジに捨ててきたので、どうも払ったのか払ってないのかはっきりしない。
まあこっちもどうせ酔っ払いだし、意外とひとつと言うつもりでふたつと言ったのかもしれない。
そんなところで欲望が!
おとなしくしてろよ!
だからしょうがなく(しょうがなく!)帰りながらふたつもぐもぐと食べた。
コンビニの肉まん、おいしくなったよなあもぐもぐ。
あちち。
10年くらい前の、つまりコンビニ肉まんが出始めた頃って目新しさ以外に売りがなかった。
味ばっかり濃くって、たいしてうまいもんじゃなかった。
それでも冬になると、なぜか買っちゃってるんだよなあ。
当時はお弁当に付けて買ったりしてたよな。
たくさん食べてたなあ。
ああ、だから太ったのか。
考えてみると当時って、みんなむちゃくちゃ食べてたなあ。
お弁当買いに行ったヤツが戻ってくるとカップ麺(しかもスーパーカップ)にお湯入れたのを持ってるんだ。
で、その上でフツーのお弁当も持ってる。
たくさん食べるのがステータスな時代だったんだなあ。
ただしそれで体型が変わらなければのハナシな。
そんで、晩ご飯が肉まんひとつだったわけじゃなく、もうひとつパンを買ってあった。
それはこのままあしたの朝ご飯にスライドさせようと思う。
こらっ、手を伸ばすなっ!
お店でカレーを食べようと、カウンターに座った。
となりに座ってたヒトのハンバーグカレーが、そこへ来た。
ハンバーグとルー、両方にどばっとソースをかけて、すごい勢いで食べはじめる。
お腹空いてたのかな。
すぐにジブンのも来て、福神漬を乗っけて食べはじめる。
もぐもぐ、カレーうまいなあもぐもぐ。
あ、となりが食べ終わった。
手を延ばしてる。
つまようじ? それともナプキン?
なぜか彼は福神漬の入れ物を手に。
何すんの?と思ったら、彼はそれをおもむろにお皿に掻き出した。
しかもいっぱい出したよ。
な、何すんの?
あ、食べだしたーっ!
冷静に考えるとまあ、そりゃ食べるだろう。
そんなに驚くべきコトではないのかもしれない。
食べねえもの出さねえよ!とか言われちゃうのかもしれない。
でも、それってそうやって食べるものなの?
あ、サラダ代わり?
赤いのと茶色いのとらっきょがあったけど、赤いのだけ出してもしゃもしゃ食べてた。
だから多分、いつもやってるんだと思う。
いつぞや吉野家で紅ショウガ山盛りにして食べるヒトとか見たけど、おんなじ?
いやでも、いちおーあれはご飯の上だったしなあ。
つまみにするならともかく、単体でわさわさ食べないよなあ。
ちなみにつまみにしてるヒトも見たコトある。
おしんこのお皿の上に紅ショウガを入れて、つまみながら日本酒飲んでた。
すぐに追い出されちゃうだろうに、それでもよかったんだね。
ダンディー美学だ。
ちなみにボクは、色合いとしてないと寂しい、という程度に食べる。
どちらも決して単体では食べない。
たいしてうまいものでもないし。
それにしても今日の彼はいつもああなのだろうか。
カレーの脇に添えるのではなく、福神漬単体を楽しむ主義なのだ。
誰に迷惑がかかるわけじゃなし、好きにしてくれればいい。
ちょっと塩分多いかもな。
気をつけてね。
気付くとボクのお皿の上の福神漬もいつもより多かった。
いや、ボクの主義はそんなところには。
どうも最近いろんなものを発掘してるのだ。
先日などは、ブンタの生後一ヶ月くらいの写真を見つけた。
お、幼い。
そしてラブリー。
ヤツは北海道生まれなのだ。
そんな片鱗は一度も見せたコトないけどな。
わざわざ海を渡ってやってきたのだ。
姉の友人からもらい受けられたブンタ。
そんなブンタの、渡航前の写真には1994と記されている。
そうか、もうそんなになるか。
だんだんと老いてくるのも当たり前か。
もう、40〜50くらいかな?
なんだまた定年前だ。
はたらけー。
寿命が延びるにつれて、人生が間延びしていくような気がしている。
実際はきっとそんなコトはなくて、気の持ちようひとつなのに違いない。
間延びした人生の、何が悪いのかという考え方もできる。
愛玩動物なら、長生きこそが正義。
いくらでも間延びしていいのに。
本犬は、どう考えているのだろう。
ミイラにしてまで身近に置いておこうとは思えない。
死んだら安らかに眠らせてやりたいな。
剥製にして床の間に飾られるのがうれしいヤツもいるだろうな。
事前にアンケートとか取れればいいのに。
でも、そういうのはあまり正直には答えてもらえそうにないね。
ビミョーに奥ゆかしい。
何だ、ブンタのくせに。
そうやって思い返すと、ブンタがウチに来たのはボクがイマのシゴトを始めた頃だ。
長いはずだよ、そうして見れば。
実家に帰った時にしか会わないし、それもたいして長い期間じゃないし。
短い気がするのは、きっとそのせいだな。
散歩だって、数えるほどしか連れていってやってない。
たまに脱走したってハナシも聞くんだけど、どこかでコドモを作ってないだろうか。
あんな黒い顔が出てきたら、一発で分かると思うんだが。
でも、そんなハナシは聞いたコトがない。
たまたま?
北の方って子だくさんなイメージあるんだけどなあ。
そんな片鱗、発揮しなくて幸いだった。
ひとりもいないのはさみしいけれども。
そろそろ年賀状のコトを考える時期かな。
実際に動くのは多分一ヶ月後くらいだけど、計画くらいは練らねばなるまい。
来年の干支は申だから、猿に関するネタをひとつ。
でも、猿とか言われてもサルゲッチュくらいしかキャラクターが思い付かない。
日光の猿の暴れっぷりが印象に残っているので、いいイメージもあまりない。
ど、どうしようかな。
“出さない”という選択肢は、できれば避けたいなあ。
いっそあの猿軍団のように、暴れまくる年にするぜ!という宣言もありか。
問題は実際にはそんなつもりがあまりないコトだな。
面倒くさいのキラーイ。
できればまったりと平穏無事に暮らしていきたいなあ。
でも猿にはそんなイメージが持てない。
どうしてくれようかなあ。
何かほのぼのした猿・・・
そうか、次郎君!
そうだよ、次郎君がいたじゃないか。
いや、次郎君だって内実はどんなに殺気だった猿生を送ってきたか知れやしないけど。
どんなに激しい競争の中で生き残ってきたのか、そんな苦労も知らずにボクはっ。
まるで芽を出せとハサミで脅された柿のタネのように、次郎君は保健所に脅えて生きてきたに違いない。
ああそうに違いがないともさ。
考えてみれば競争のない人生なんてありえない。
生まれてきたコトそのものが、競争に勝利した証なのだ。
そして競争に参加できたコトが、幸運の証。
ボクらにはみな、幸運の女神と勝利の女神がついている。
ああ、ああ、奪い合うのはやめてくれないか。
なんて罪なオトコだろう。
こうしてボクらは同時に罪を背負い込んでしまう。
何も許されるコトなく、何も手に入れるコト叶わず、どこに向かうコトも許されない。
何もかもを手に入れてしまったボクらは、何もかもを失うまで許されはしない。
それが神の思想。
ちなみに女性に付いてるのは同性愛者の女神か、それか神様。
男性にももちろん、同性愛者の神様が付いていたりする。
それが、この世でのボクらの性癖を決定する。
幸運の女神と勝利の神様なんて組み合わせになれば、バイセクシャルの出来上がりである。
ボクのは多分、両方女神様だったと思うよ。
ネコとタチの区分まで考えなくてもよろしい。
そんなボクらが、猿に何を教えるというのかね。
? ああ、ゲイ・・・
昨日のオチが気に入らない。
でも、しょうがない。
あんなんでも、二時間以上うんうん言ってたのだ。
ビールを飲んでうんうん言い、お風呂に浸かってうんうん言い、寝巻きに着替えながらうんうん言った。
それでもあれよりマシなオチが思い浮かばなかったんだ!
大っキライだ青い空なんて!
うわあああんっ。
こうやって日々つけてても、ジブンで満足できる日なんてほとんどない。
チカラが入ってたり、出来が良かったりしても読み手に関係ないのは以前のアンケートが証明してる。
どうしようか考えた時期もあったけど、それはもう過ぎた。
ああ青春の日々よ。
もちろん日々、何かしら考えて書いているのだけど、どうにもよくないね。
“バカの考え、休むに似たり”って言うからね。
“休みにニタリ”だとちょっといやらしいな。
ああ、こうやって思い付いたコトを思い付いたままに言っちゃうから全然進歩しないんだ。
しかも次郎君はもう死んでたよ。
跡目争いのゴタゴタで死んだのかな。
きっとイマも熾烈な争いが繰り広げられている。
トゥシューズに画鋲入れられたりしてる。
有力候補のところにお土産屋のお菓子が届けられたりしている。
おぬしも猿よのお、ほっほっほっ。
ますますほのぼのからは遠ざかってしまったな。
このまま年の瀬が押し迫ってきてしまうのか。
どうしよう年賀状。
“出さない”っていう選択肢も一応あるようなないような。
ええそんなのは捨ててしまえ。
寒いなあ。
とか暖房をかけてない室内でTシャツとパンツでニッキ付けながらつぶやく。
外は十度だって。
そろそろ部屋着がいるかなあ。
シゴト場の役立たずは、もうストーブ出したって言ってたよ。
ちょっと早すぎやしませんかまだ秋ですよもう。
しかしながらコンビニからはもう冬物語が消えている。
何だ、もう春か。
ちょっと早すぎやしませんかまだ秋ですよもう。
まだ秋ですよもう。
秋なのに年賀状なんてどうでもいいよ!
イベントスタッフなどというおシゴトをしていると、よくお弁当をもらう。
それはもう、ひとつ3,000円とかするようなヤツから、手作りのおにぎりまでさまざまだ。
好意のものだから、基本的には何だってありがたくいただくんだけどね。
ニコッと笑って受け取るのだ。
ところがTPOをわきまえないというか何というか。
たまにおいおいと言いたくなるお弁当をもらう。
むちゃくちゃ忙しくてご飯食べるヒマなんかないよーって時に、豪勢なお重をいただく。
誰のせいで忙しいと思っているのか、分かっているのかいないのか。
結局食べられないままに、お重を回収に来られたりすると何というかえーい勝手にせい。
忙しいヒトには忙しいヒト用のお弁当があろうがなあ。
で、また両極端なもので、片方にはものすごくお上品なお弁当がある。
ご飯が三色くらいちょっとずつあって、当然入れ物が16分割とかされてるの。
ある程度の量はあるはずなんだけど、全然食べた気がしないのね。
何考えてるんだろう。
コドモに「好きなお弁当箱買っていらっしゃい」と買ってこさせたらあれだったとか。
きっと母は泣くぞ。
そしてそんなコドモの将来が危ぶまれるぞ。
“シェフを呼べ!”とかきっと言う。
もうひとつはどんぶり系だな。
牛丼カツ丼に天丼なんかが多いんだ。
汁気の多いものは時間を置くとまずいので、中華丼や親子丼やカレーはあまりない。
うな丼は別の理由で、ない。
おいしいうな丼食べたいなあ。
あとはまあ、オーソドックスにフツーのお弁当が多いかな。
コンビニなんかにあるようなヤツで、デパートなんかで売ってるヤツ。
その辺がやっぱり、いちばん安心して食べられるのだ。
ただし、この辺がいちばん落とし穴も多かったりする。
それはバランスの問題である。
今日もらったお弁当もそうだった。
一見フツーの幕の内っぽく見えたのに、食べはじめて気付いた。
野菜が全く入ってない。
お漬け物がささやかに添えられているのと、ポテトサラダがこれもささやかに添えられている。
野菜はこれだけかな?と思ったら、コロッケの下にレタスが一枚敷かれてた。
えーとこれも勘定するんですか。
思い出すと、海老フライ・コロッケ・サイコロステーキ二ケ・揚げたウィンナー・卵焼き。
それにグラタンを模したもの。
食べ終わって胸焼けがしたのはひさしぶりだ。
なら食べなきゃいいじゃないかというのは正論だけれど、それはボクの選択肢にはない。
16個マス目があったら、全部埋めたいタイプ。
例えそれが全部白飯だったとしても。
今日のお弁当は松茸ご飯でした。
ああおいしかった。
キノコのシーズンのはずだけど、あんまり食べてないなあ。
松茸とか、イマってどれくらいするんだろう。
笠が開いたら、安くなるのかな?
そもそも笠の開いた松茸がお店に並んでいるのを見たコトがない。
パンの耳とは違うもんな。
それとも笠の開いたのは、最初っから採ってこないのかな?
そっちの方が可能性高いか。
そうだよね、網にかかるワケじゃないんだし。
しかし笠が開くのは、松茸に取っては成長のはずなのになあ。
ジブンの成長を、そうやってあっさりと否定されてしまっているのだな。
オトナになってしまった子役には一切魅力がなくなります、って断言されているようなものだ。
なんて失礼なハナシだろう。
でも野菜全般的にそう?
にんじんとかの根菜類って、目的は葉っぱの成長だものねえ。
そのために栄養を溜め込んでいたのに、どうして溜めたところで抜いちゃうのさあーれー。
ひどい。
ボクらはそうやって、大根にもゴボウにもあまつさえジャガイモにも不義理をして生きているのだなあ。
まだキュウリとかトマトとか、あーいうのを食べる方が義理が立っている気がするな。
どっちでも結局食べるのに義理も不義理もこの際。
そんなコト考えてたら、結局何も食べられないし。
ヒトは霞のみにて生きるにあらず、とはよく言ったものだ。
霞のみにて生きられるようになれば、ボクは仙人と呼んでもらえるだろう。
何かいいコトあるのかなあ。
あんまり楽しくなさそうだよ。
専任の仙人が千人から選任されて、先任はおろされた。
ほらやっぱり楽しくなさそうだ。
仙人の村とかあったって、何も起こらないし。
だったらイマのまんまでも、ねえ。
そこで気付いた。
仙人になる直前の状態が、占い師とかの“何かを見るコトができる”ヒトビトなのでは。
ああ、ヒトはヒトまでも刈り取ってしまう。
昨日の、“食べる”コトの考察にもうひとつ。
義理・不義理を考えた時にいちばん正当なのは、動物と正々堂々と闘って勝つコトではないだろうか。
一対一、ボクが負けたら食べられてしまうという覚悟で挑む。
リスクがボクらを平等にするのだ。
行くぞ!
最近ある町で、猪が暴れているというニュースを見た。
集団で走り回るそれは、まるで「もののけ姫」のワンシーンみたいだった。
で、猟友会などに退治の依頼があるそうだ。
さあ、腕が鳴るぜ!とか、絶対ワクワクしながら出動してるな。
でもこの場合、依頼主は別にいるわけだから、獲物はハンターのものではないな。
町役場とかが、持ち主になるのかな。
役場と言うか、依頼担当者とその周辺は、その獲物をどうしたんだろう。
まさか単に燃えるゴミに出しゃしないだろうなもったいない。
せめてちゃんと埋葬するなり剥製にして小学校に寄付するなりしよう。
もちろんベストは食べるコトだけれど。
ボタン鍋か紅葉狩りがてらのバーベキューだな。
そこをまた襲われたりして。
しとめたのは一頭じゃないだろうから、そりゃもうたらふく食べられる。
関係者の一族郎党全員が、腹を満たすコトができるだろう。
イメージはギャートルズのマンモス。
“あの肉”が食べられるかも!
例えばボクがひとりで歩いていて猪に襲われたとしよう。
ボクがその猪をやっつけるコトに成功したら、その猪はもらっていいのだろうか。
持って帰って、捌いてもいいものだろうか。
いや分かってる、ジブンじゃできないのでお肉屋さんに持ち込んでもいいものだろうか。
折半でもいいよな、いや、できれば7−3で。
料亭に持ち込んでみたりする。
闘いの末に友情が芽生えたら、飼ってもいい?
何食べるんだ、猪って。
ペットショップにイノシシフードが置いてあるのは見たコトがない。
注文取寄せになるのかな、商品として存在はしてるのかな。
まあいいや、いざとなったらボクのご飯を半分こする。
名前はジョリーにしよう。
飼いはじめたら、芸を仕込もう。
マスターしたら、ジブリ美術館にもののけ姫アトラクションで雇ってもらう。
亥年には、年賀状デザインを独占だ。
肖像権とか、色々と勉強しなきゃ。
マネージャーになろうかな。
当然二代目のコトも考えなければならない。
また町に降りてきたら、対決しよう。
友情が芽生えなかったら、ジョリーとボクとで半分こ。
性教育を憶えているだろうか。
ボクはオトコノコなので当然、女子とは隔離されて体育をやったりしてた。
保健は、つまらない授業だったなあ。
というより、あれは先生がつまらなかったのだろうなあ。
当然あそこには密室があったわけだ。
女子だけで、いったい何を教わってきたの。
訊くに訊けない、純情なボクら。
興味だけは、津々だ。
先日出産シーンのビデオを観た。
しかも編集なしの、もろヴァージョンだ。
女性のあそこがもろに映った瞬間、ホームビデオの画質の暗さも手伝って裏ビデオを見ている気になった。
でもそこからはすぐに、アタマが見えだした。
うわあ、あれもしかして、と思ったら次に手が出てきた。
その手が空を掻いて、外に出ようともがいたのだ。
ボクはイマまで、コドモは母親が“出す”ものだと思っていた。
だからこそその予備演習として、女性は便秘がちなのだとか思ってた。
でも、あれは違うね。
コドモが出てくる手伝いをするだけなのだ。
まあそんなコトは犬でも馬でも同じで、ヒトだけ違うなんてコトの方がおかしいんだ。
でも、ドラマなんかでの出産シーンは、母親の苦しむ姿しか映らないじゃないか。
で、出し終わると赤ちゃんの鳴き声が聞こえてくる。
赤ちゃんが出ようとしてる姿が全く映されないじゃないか。
いやもうそりゃ、当たり前なんだけどさ。
ある意味で神々しさを感じる映像だった。
それに付随してきたコメントもよかった。
「こうやって女性は悟り(だったかな)に近い体験をするのです。」
「先生、男性はどうすればよいのでしょうか。」
「男性は滝に打たれればよいのです。」
ああ、そうなのか。
出産に立ち会って、そのあと奥さんとできなくなったなんてハナシも聞く。
グロテスクに見えたとか、諸説紛々ある・
でも、ボクは思うんだ。
あれは入れるための穴ではないのだと、出てくるための穴なのだと思い知らされたからではあるまいか。
種をまくコトの、真実の重みに負けてしまったのに違いない。
滝に打たれて、出直してこい。
寒くなってきたなあ。
そうだね、もう十一月も佳境。
冬支度を始めなきゃ。
ビールも冬物語をぐび。
ぷはー。
衣替えも何となくすんで、気付くと衣服は冬仕様。
フリースも準備されて、ジージャンはいつまで着られるやら。
もういい年なんだから、コートの一枚もとか思わないでもないけれど。
だって全然魅力的に思えないもの着られないよ。
それに、持ってるかと問われれば確か、持ってたと思うよ多分どこかに。
この部屋のミステリーゾーンのどれかを探せば出てくるだろう。
この冬が終わったら、本格的に衣服を処分しようと思う。
着なかった服は、どんどん捨てたりあげたりしてみよう。
量によってはフリーマーケットとか考えてもいいなあ。
誰かと一緒にやれれば、ずいぶん楽になるよなあ。
あれで生計立ててるヒトもいるって言うよねえ。
まあさすがにフリマだけじゃないんだろうけどさ。
無店舗販売には違いないだろう。
最近ネット販売とかもはやってる。
携帯で買い物ができるとも聞く。
売り手には手軽なコトの方が良くても、買い手にはある種の面倒臭さが必要じゃないの?
いっぱい買っちゃわないのかなあ。
ボクはネットで買い物をしない。
だいたい酔っぱらいながらだから、恐いので縛りを作ってある。
いらないものまでいっぱい買いそうだ。
よくないよきっと。
カード破産とかが、また流行る。
その点フリーマーケットはいいねえ。
わざわざ調べて、その場所まで行って、ジブンで歩いて物色して、現金で支払って、担いで持って帰る。
ヒトと話さないと買えないっていうのが時代を逆行してるよね。
ヘタすりゃ物々交換が成立しそうなのがまた。
さすがに冬の間は寒いので遠慮したい。
春になれば、一日外にいられるようになるだろう。
それまでにコートとか発掘されても、さすがに売っちゃうのはまずいかな。
そもそも春はまだまだ先だし。
寒いからあとでお湯沸かして焼酎飲もうと思ってたのに、お風呂入ったらやっぱりビール。
冬ももう少し先だ。
昨日お風呂に浸かりながらラジオを聞いていた。
「バイク便のヒトは、みんな頭がぺたっとしているような気がします。気のせい?」という内容の投稿があった。
その場はDJの「当たり前だろヘルメット被ってるんだから。」で流された。
でも、これは意外と奥の深い問題ではないのかなあ。
言い換えれば「保母さんはいつだってズボンを穿いている」気がするわけだな。
「漫画家の指にはいつだってペンだこがある」気がするわけだよ。
「アイドルってみんなかわいい」気がするわけだ。
当たり前なんだ。
そのシゴトとは確実にセットになっているものなわけだから。
かわいくないアイドルなんか存在しないし、スカートを穿いた保母さんは休日だろう。
喪服を着たお医者さんに診察されたくはないでしょう?
これはちょっと違うか。
おもしろいのは、上に挙げた条件全部、単体ではその職業とは繋がらないコトだ。
アタマのぺったりしたヒトを見て、バイク便は連想しない。
かわいいオンナノコを見て、アイドルは連想しない。
ズボンを穿いた女性を見て保母さんを連想するなんてもってのほかだろう。
それがまかり通るなら、世界の女性のほとんどは保母さんに一度ならずなっている。
とはいえボクも、歌舞伎町を歩くオンナノコはみんな風俗嬢の可能性があるとか考える。
ちょっと遊びにきただけのヒトもいっぱいいるはずなのに。
でもこれだって逆は成り立たない。
風俗嬢は歌舞伎町にだけいるわけじゃない。
だからって巣鴨を歩いているオンナノコを見て風俗嬢とは考えないなあ。
密集率ではそんなに差はないとも聞くけれど、不思議だ。
知識の薄さや興味の薄さからきている無知ではない。
そういうよりも、これはむしろ想像力のなさから来ているのだ。
ちょっと考えれば分かるコトを、考えずに放置してしまう。
結果だけを溜め込んで、それを世界の症例としていく。
ジブン以外の他者に対しての想像力がここまで発揮されないと、そりゃ痛みも分からないか。
簡単にヒトを傷つけてしまうのは、それが原因か。
多分、“土地”に対する執着が減って以降の現象だと思うけどな。
どうだろうな。
ホントボクも、想像力を鍛え直そうと思う。
とりあえず風俗街のある場所なら、オンナノコはみんな風俗嬢の可能性かあるというコトで。
というか風俗街のない町なんてどこにあるんだよう。
“街”が無くたって、ジブン一人でだって商売はできるじゃないか。
もう、誰も信じられない。
20年くらい前かな、コドモの頃は、外食が珍しかった。
母親の作る食事は好きだったけど、それでもレストランとかで食べる時はドキドキした。
嫌いなものが入ってないかどうかのドキドキじゃないよ。
あ、いや、それもちょっとあったか。
もちろんコンビニなんかなかったし、スーパーにもお弁当なんかなかった。
憶えてないだけかもしれないけれど、お惣菜で揚げ物が並んでたのがせいぜいだった気がする。
コドモが食堂でご飯を食べる理由がないし、カップメンの類いは親の許可が必要だった。
数年でその許可は取らなくてもよくなったけど。
考えてみると、きちんとした三度三度の食事を欠かさずに作ってくれてたんだなあ。
イマさらのように尊敬しちゃうなあ。
ボクにはとてもじゃないけど母親になるコトはできないや。
理由は他にもあるだろ。
高校に上がった頃には、スーパーにもお弁当があったと思う。
“お弁当屋さん”というのも出来てたなあ。
でも、その頃のボクのおカネは、本代とCD代とできれいに消えてた。
外で食べなくっても、ウチに帰ればご飯はあったのだ。
だからまだまだ外食は珍しかった。
購買で食べ物を買ったコトはないし、学食で食べたのも文化祭の時に一回あったきり。
考えてみれば惜しいコトをしたな。
思い出をひとつ、作り損ねた。
それが大学に入り、ひとり暮らしをするようになってから状況が一変した。
なかったコンビニがいくらもあって、自炊そっちのけでお弁当ばっかり食べてた。
ドキドキしながらこんびにでお弁当を選んでたんだ。
うわあそうだったそうだった、イマやありえないドキドキだ。
それでも外食については、まだあの頃の記憶が残ってる。
初めて入るお店では、多少なりともドキドキしてキョロキョロしてたりする。
よく行く店とか、あったよね。
最近行った?
オトナになったら行きつけのお店とかできるのかなあとか思ってた。
“いつもの”で通じるお店がボクにもできるだろうと。
でももう、行きつけとか言ったって年に何回行くか知れたもんじゃない。
お店が常連認定試験を実施したら、受験資格さえ手にできないだろう。
先日も忘年会の会場資料を集めながら、ここ、いつ来たっけとか思ったら前回の忘年会だった。
悲しすぎる。
とはいえ、イマや手料理食べる時の方がよっぽどドキドキするんだね。
時代は遠くになりにけり、ってか学生時代すら遠いコトにまたドキドキ。
ボクが煙草をやめてずいぶんたつ。
もともとそんなに本数多くはなかった。
と言うか、本数が増えてきたのでやめたのだ。
しばらくはもらい煙草でしのいだっけ。
当時吸喫ってたのは、フィリップ・モリスかキャメル。
マイルドセブンやセブンスターとかじゃなかったな。
多分みんなが喫っているのはイヤだとか考えたんだと思う。
ハイライトとかピースはおじさんくさくてイヤだったし。
まあ最初の煙草なんて、味て選ぶものじゃないよね。
携帯電話が普及してから、煙草をポケットに入れるヒトが減った。
バイブ機能なんかの都合上、やはりポケットには携帯を入れたいのだ。
あとは財布とか、定期入れとか、ティッシュにハンカチ、おせんにキャラメル。
結果としてシガレットケースのバリエーションが増えた。
いいなあと思うのも結構ある。
必要はないけどさ。
マルボロのように、ケースがハードとソフトの2パターン出てるのがある。
あれは結構こだわりのポイントみたいだね。
コンビニなんかで店員に尋ねられると、即座に返事が返ってる。
理由は何だろう?
ハードの理由は想像つくよ。
中身が見えやすいし、つぶれないし、立つし。
逆にソフトの利点は見えづらいな。
これは単純に固いのがヤなヒトが、選ぶのかなあ。
どうなのそのへん?
「んー、ソフトだとですね、残ってた時にうれしいんですよ。」
ははーあ! そうきたか。
「残ってるか残ってないか、ドキドキしながら探せるじゃないですか。」
なるほどねー。
もうこれは美学と言えそうだ。
次元という名の美学と言えそうだ。
わざとちょっと曲がったのを喫ってみたりするのだな。
ちなみにライターの火を長〜くするのは優作美学。
まだあるだろうけど、めんどくさいから探さない。
「じやあ、○○さん(←ボクのコト)は、どうしてハードだったんですか?」
えー、そりゃあさあ、いろんなトコに突っ込むんだから丈夫な方が。
「え? 何でです?」
そりゃあもちろん。
親の目から隠すのに。
なんだかんだでもうすぐ十二月。
もう幾つ寝ると、お正月。
お正月にしか会わない近所の親戚とかいるよね。
コドモはコドモでまとめられて、オトナはオトナで、酒を飲む。
そんな時の遊びと言えば、やはりカルタとか。
双六とか人生ゲームでもいいけど、お正月っぽさでいくと完璧にかるたの勝ち。
もちろん坊主めくりも含む。
同時期に百人一首の大会とかがテレビ中継されるコトがある。
振袖で着飾った女性たちが、鬼気迫る表情で札をニラみ、手を飛ばす。
そんなキレイなのにどうしてと思うが、要するにユニフォームだから着てるだけか。
そうだよね、ジーパンの選手とか見たコトないもんな。
きっとルール違反なのだ。
この夏に流行った、ファッション浴衣みたいな振袖はまだ見ない。
多分この正月にも見ないだろう。
もし出てきたら、審議にかけるべきだ。
いや、それはそれでかわいいか?
きっと手の動きやすさを優先させてデザインするだろうから、かわいさは後回しだ。
それじゃダメだろう。
百人一首で和歌に興味を持ったヒトはいると思う。
百人一首で和歌に興味を失ったヒトもいると思う。
コドモの遊びに風雅はいらないのだから、そりゃあフツーのかるたの方がいいだろう。
だって分かりやすいもん。
百人一首を改めて作るなら、例えば“作家−作品”とか“ミュージシャン−曲”とかか。
はて、その「I Love You」は誰のだね?
みんな出してるよそのタイトル。
結構ありな気がしてきた。
百人一首覚えるよりも絶対楽だよ。
一からじゃないし。
和歌好きだって、歌人に好きなのとキライなのとあるだろう。
それでも百人一首ができるなら、好きじゃない作家だって代表作くらいは覚えられるよ。
で、やっぱりそれの大会は、振袖のオンナノコたちが険しい顔をして取り合うんだ。
よく取っ組み合いにならないもんだなあ。
もちろん毎年リニューアルされる。
足していけば枚数がどんどん増える。
千枚くらいあるかるた。
そんなコトを言いながらも、かるた遊びは坊主めくりしか憶えてない。
坊主を見るだけでおもしろかったのだ。
坊主に髪をかぶせた方がおもしろくなったのは、オトナになったからだろうか。
おシゴト中、関係者の中に20歳前後のオンナノコと40歳前後の女性のふたり組がいた。
似てたので親子かなあとか思ってたら、オンナノコの方が席を外した。
ボクと女性のふたりになったので、声をかけてみた。
ご姉妹ですか?(まあ一応)
「そうなんです。」(ええっ!)
ちなみにお子さんは。(妹より上とか)
「いないんですよー。欲しかったんですけど。」(よかった明るくて)
妹さんが、ちょうど子育ての練習台になったんじゃないですか?(おしめとか)
「練習どころか、本番みたいでしたねえ。」(親代わり?)
あらら、じゃあ進路の相談なんかも。(おカネの計算とかもしたのかしら)
「授業参観も行きましたよ。」(が、学校?)
マジすか!(マジすか!)
ボクは末っ子なので、誰かの世話をしたという記憶はついぞない。
世話はされてきたけれど、そんな極端に離れてるワケではないし。
三つずつ違うというのは、逆にある程度の距離を保つ距離なのではないかなあ。
ボクの授業参観や三者面談に姉が出てきたという記憶はない。
もちろんボクが姉のに出たという記憶もない。
ある意味では出てみたかったな。
周囲のリアクションを楽しみにして。
授業参観の記憶はほとんどない。
見られてどうこうという部分は、特に憶えてない。
何かやらかしたから、記憶から抹殺されたのか?
いやあ、そんなコトがあったら忘れられないと思うよ。
多分。
下準備の記憶ならあるなあ。
教室までパイプイスを人数分運んで、ずらっと並べていくのだ。
あれ? ボクは今日もパイプイスを並べてたぞ?
まあいい、気にしないよ成長のコトは。
で、当時のボクは、そのズラッと並べたパイプイスの下をトンネルに見立ててくぐって遊んでたのだ。
イマじゃあもうとてもじゃないけどできないなあ。
ああ、これもいわゆる成長だな。
これだけかなあもしかして。
いやいや。
しかしホントに授業参観って記憶にないなあ。
ああそういえば、父親がきた時にクラスのオンナノコが言ってたっけ。
「○○君のお父さん、かっこええなあ。」って確かに言ってたよ。
似てる似てると言われ続けてたけど、何か将来に希望が出てきた。
ああ、ボクがロリだったなら。