とりあえず今日もTシャツで行ってきた。
もうTシャツ一丁のヒトは見かけないなあ。
明日からどうしようかなあ。
確かに肌寒い瞬間もあるし。
そもそもなぜ意地になっているんだったかな?
強情張る時って、大抵はその強情自体が目的になっちゃっておかしくなる。
当初は何か理由やきっかけがあって、その手段としてちょっと試してみるものだ。
それがすぐに後に引けなくなって、気付けばなぜ強情に言い張っているのかが分からない。
コドモがよく、悪さの証拠を突き付けられて、それでも強情張り続けている。
ヒトコト、ごめんなさいというコトができれば全て解決するのはコドモにも分かる。
でも、それができないんだな。
ジブンの張った強情にケツを捲らせるコトがどうしてもできない。
殺すなら殺せ!
決して降参なんかしないぞ!
まあ降参のうまいコドモなんてかわいくも何ともないか。
少なくともボクは、降参のやり方を知らなかったわけじゃない。
単に、「降参=負け」という図式を「降参しない=負けじゃない」と解釈していただけだ。
いま気付いたけど、それは「認めない=潔白」という罪状認否のようだ。
犯罪者の論理はここからきているのか。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだなあ。
謝るコトはイマでも苦手。
でも、相手の気持ちが想像できるようになったから、謝らないわけにはいかないコトもある。
負けるが勝ちとかいうコトバもある。
ジブンを騙すには便利なコトバだなあと思う。
張った意地に対して、ちょっとは責任を持ちたいなとも思う。
ジブン以外の誰に取っても不要で邪魔なものだから、ボクだけでも責任を取って。
いつでも取り出せるように、きちんと中に仕舞い込むんだ。
磨きをかけて、飾っておけ。
今度こそ張り通す。
降参しなくていいように、ボクらはオトナになったのだから。
もしかしてそれはTシャツのハナシか・・・?
あ、暖かいといいなあ。
最近めっきりだらけている。
ミスはあまりしてないけど、明日できるコトは今日やる気がしない。
その結果として、まず家賃を振り込んでない。
明日こそは。
でも家賃なんて正直どうでもいい。
督促されてからだっていいんだし。
別におカネがなくて払ってないわけじゃないから。
でもまあ明日こそは。
ところが問題が起こった。
先日ぴあでチケットを取ったのだ。
確か三日までだったよなー、とか思ってのたのたしてた。
ところがついさっき、メモ見たら二日とか書いてあんの。
しゃー!
時計を見ると21:50、近所のサンクスまで走る走る。
記入して提出、そして処理。
現金の持ち合わせがないのでカードを出した。
「カードはご使用頂けないんですが」
マジ!?
何とかなんないの?
引換証をひったくってATMの置いてある7-11まで走る走る。
そこでもぴあの扱いがあったのでレッツチャレーンジ!
「期限が切れています。」
やっぱりー?
やばい、どうしよう。
これボクのチケットじゃないのにー!
明日の朝、流れてきたボクのチケットを再ゲット出来なかったら親に謝るしかない。
楽しみにしてるだろうに、ごめんようこんな怠慢な息子でよう。
頑張って何とかするよー。
即日完売の森光子を取れたっていうだけでも奇跡なのに、それを無駄にしてしまった。
もうダメかなー。
それにしてもサンクスめ。
ジブンの怠慢を棚に上げて鍵をかけてから恨んでやる。
もう行かないとか言いたいが、立地条件考えるとなかなかそういうわけにも。
チケット取れました。(iдi)A
うああホッとした。
しかし今回はマジであきれた。
何というか、フツーやらないだろ、そんなコト。
しかも調べてみたら、最終日の引き取り九時までだからサンクス全然関係ないし。
ボクの爆走がムダになっただけで。
10:00に押えて10:30には手元にチケットがあった。
多分、ボクが流したチケットそのまんまだと思う。
七列目中央寄りとかとかって、すごいいい席じゃん。
それともこれは流したからこそ手に入った席?
はいそこ、いいように考えない。
過去それなりにチケット取ってきたけど、流したコトなんて一度たりともない。
ちょっとおカネがなくて、給料日まで待っててもらったコトならある。
でもそれは、最初っから計画のうちだったし。
チケット取れてひと安心したので、スーパーによって買い物をした。
しばらく切らせてたネギを買った。
あとお豆腐とー、ポテチー、それにー、って朝から飲む気満々ですか。
もうちょっと待てよ、やるコトあるだろうよ。
洗濯ひとしきりして、お布団も干して、正しい休日を演出する。
ちょっと自堕落なジブンに喝を入れようと、暗くなるまでは飲まないコトにする。
いつまで守られるコトやら。
で、やっとこ刻みたてのネギとともに冷や奴などいただいてる。
ビールうまいなあ。
ちなみに家賃も入れてきた。
家賃を入れたら、やたらと無駄遣いをした気になったので、髪は切りにいかなかった。
よく考えると、その考え方は完全に間違ってる。
まあいいやー、次の休みに行けば。
こっちは期限は別にないからね。
いや、見た目の限界はすでに。
そろそろTシャツは限界かなあ。
いい加減秋めいてきて、夏休みの宿題の提出もそろそろ終わった頃だろう。
提出されない宿題に関して突っ込むのも、そろそろやめる頃だろう。
今年もよく頑張りました。
夏休みの宿題を七月中に片付けるヒトと、八月中に片付けるヒトと、
九月中に片付けるヒトと、結局片付けないヒト。
これですでに人生が見えてくるような気がする。
誰か研究したヒトはいないのかな。
しまったなあ、コドモの頃に統計取っとけばよかった。
忘れちゃったよ。
というか、思い付かなかったよ。
いちばん成功するのはどのタイプだろうな。
やっぱり八月中かなあ。
七月は、八月をどう使うかでまたタイプ別に分けられそうだし。
八月はいちばん規則正しいよね。
公務員タイプだろうか。
成功するかどうかはさておき、大物になるのは結局提出しないヒトだ。
小学生にして、無法者状態。
小泉とか、どうだっただろうな。
意外と価値のある調査かもしれないなあ。
でもこれで世間の大物がほとんど“提出してない派”だったとしたら学校が困る。
教育ママの言い分も変わる。
「あなた何宿題なんかやってるの! 無視しなさいそんなもの!」
学校は学校で、宿題をカモフラージュ化し、いかに勉強させるかに腐心するようになった。
それは八月派と、提出しない派の争いだ。
七月派はもっと具体的な目標を見定めるタイプ。
やりたいコトをきっちりと見つけて、そこに向かう時間を確保するのだ。
職人さんとか、多いんじゃなかろうか。
九月派はまわりの圧力に屈しちゃうタイプだな。
まわりの圧力と、ジブンの中途半端な良心に屈しちゃう。
いちばん中途半端な人生を送りそうだ。
あっボクか。
「同情するならカネをくれ!」とはいう台詞があった。
これは、まだ安達祐実がギリギリ安達祐実であろうとした頃の台詞だ。
もうすでにコドモではないにも関わらず、コドモを刻み込もうとするイタ〜イ作品だった。
別にそれは、今日のところはどうでもいい。
“同情する”コトなら誰でもできる。
ただし、的外れなコトも多い。
上記の台詞にも顕著なように、“同情される”コトは何の結果ももたらさないのだ。
逆に言うと、何の結果ももたらさないからこそ、安心して同情できるのだ。
対象を檻の外から眺める、動物園のように。
飼育員の苦労や存在は、無視される。
同情する毎に100円支払うシステムが一般化すれば、みんなそうそう同情を口にしなくなると思う。
同情するヒトもその対象も、その方がいいと思う。
いわゆる乞食のシステムだが、おカネを入れるところがない場合はどうしようかな?
だからと言って、実際に同情を形にすると的外れな場合が多い。
飼育係が一時の同情心に流されて、動物を放ったりはしないだろう。
でもヒトは、その場の空気に流されて、ジブンの役目を見失っちゃうコトがあるね。
例えばデパートのレジ。
レジスターがコーナーにひとつしかない場合、常にレジスターのところにひとりいる。
そしてまわりがどれだけ忙しくしていても、そこから離れるコトはない。
確かに見ていて「手伝ってあげればいいのに」と思う気持ちは分からなくもない。
でも、あれがシゴトなのだ。
ヘタに手伝ってレジが滞るようなコトになったら、その方がまわりは迷惑する。
きっと本人だって、そこにジレンマを持っている。
特に客から丸見えな場合は。
そんな縁の下の力持ち。
上がどれだけばたついてたって、出て来られちゃあ土台が崩壊しちゃうよ。
それじゃ元も子もない。
“役立たず”なのはジブンに振られた“役”を理解していないから。
“まずジブンのやるべきコト”を忘れて、その場の空気に流されちゃうからだ。
腹立たしいのは、何だか流された結果として満足げなカオをしているコトだ。
誰がお前に役を振ってると思ってるんだーっ。
あっグチだ。
ウチの玄関には木刀が置いてある。
護身用という名目が一応あるが、時々取り出して握ってみたりする。
特に意味もなく。
コドモの頃に剣道を習っていた関係で持ってたものを、そのまま持ってきたのだ。
チャンバラの稽古するのに使ってた。
ちょっと重いんだけど、まあしょうがないね。
こっちは袋に入って、立てかけられてる。
で、もう一本ある。
普段すぐ手に取ったりできるようにしてるのはそっちの方。
体育会系だった友人にもらったものだが、別に剣道部じゃなかった。
なんでこんなもん持ってんの? と訊いたところ、
「襲撃された時のために。」
とあっさり答えられちょっとびびった。
時々夜中に、後輩が酔った勢いなどでアパートのドアをだむだむやったりするのだそうだ。
で、木刀携えて扉をあけてすごむと。
「おう、どうした?」
恐えー。
そのシチュエーションが、もうまるで異世界の出来事のようだ。
平穏無事な学生生活送ってきたからなー。
夜中にピンポン鳴ったら、もうそれは泊めてくれって合図でしかなかったよなー。
そこで木刀持って出てても誰も逃げなかっただろうし。
実際にその友人の家に遊びに行ったコトもあるけど、現場に居合わせたコトはない。
後学のために、一度くらい立ち会ってもよかったな。
よかったなというか、立ち会ってみたかった。
そんなシーン、なかなか観られないよな。
もちろん彼らは、「失礼しましたっ!」とか何とか言って逃げ去るのだそうだ。
やったコトあるの?
「俺はない。でも、気持ちは分かる。」
あーそうだろねー。
ボクには多分、一生分からないや。
でも、そんな木刀だからこそ、このポジションに置いてあるのだ。
その修羅場体験をボクのために発揮してほしい。
肝心のボクが怖じけずいていそうだからして。
古い友人と飲んだ。
彼女は役者志望だったはずなのだが、いつのまにやら文筆家である。
人生何があるか分からない。
考えてみると、ボクも役者さんになろうと思って上京してきたのだ。
でもボクの場合は、“役者さんになりたい”よりも“舞台が作りたい”が強かったようだ。
いつのまにやら役者さんになりたい、という気分はなくなってた。
単なる憧れとしてならイマでもあるけどね。
もうその為に努力する時間は作れないや。
上京してから、もう14年経ったのだ。
いったいボクは、何をしてたんだろう。
何を手に入れ、何を捨ててきた?
何を積み上げて、何を崩してきた?
とてもじゃないけど分からないや。
確かなのは、それでもジブンひとりくらいは食わせられているというコト。
それだけでも、まあ、たいしたもんだよね。
もごもご。
夢をあきらめ、やりたくもないシゴトでお茶を濁し、日々にひたすら追われている。
夢を捨てられずに、売れもしないのにしがみついているヒトだってたくさんいる。
時にボクらは、彼らのコトを蔑んでしまいがちだけど、それは羨ましさの裏返しだ。
ボクが捨ててしまったもの、彼らはまだ持っている。
やれやれ、とてもじゃないけどあの頃のボクには顔向けができない。
言い訳はいくらでもできるけど、すればするほど自己嫌悪してしまうだろう。
どうなればいいのか、どうすればいいのか、さっぱり道が見えないよ。
おカネの代わりに、霧の中に迷い込んでしまったみたいだ。
歩いても歩いても、どこにいるのかわからない。
きっとそれでも歩き続けるよりしょうがないんだろうな。
持てるアンテナの全てを使って、どこまでも歩き続ける。
どこに行き着くのかなんて、誰にも分からない。
それでもやらないよりマシだろう。
それくらいしか、有効な言い訳が思い付かないよ。
死ぬ時に、18のボクが待っててくれたら、そして笑ってくれたら。
そうしたらボクは安らかに死んでいける気がする。
まあおおよそあんなナマイキなだけの小僧には会いたくないわけだが。
こっちから自己嫌悪してしまいそうだな。
まったく。
ボクが最後に病院に行ったのは、まだ学生の頃だったと記憶している。
それ以降は、せいぜい風邪ぐらいしかひいていないし、それも売薬で済ませてきた。
だからめっきり、白衣の天使ともごぶさたである。
たまに飛行機に乗ると、スチュワーデスさんがとても凛々しく見える。
こっちがビクビクしている分、よけいに魅力的なのだな。
乗りながら眺めると、スチュワーデス好きの気持ちもよくわかる。
合コンで人気な理由は、いまいちよくわからないのだが。
看護婦さんと保母さんは、どうも面倒見がよさそうなイメージがある。
絶対そんなコトないと思うのだが、仕事のイメージがそのままプライベートに反映されがちだ。
いいですかー、シゴトはシゴト、恋愛は恋愛、私生活は私生活。
簡単に線は引けない、つなげない。
それはそれとして、たまには入院してかわいい看護婦さんに世話されたいなあ。
でも、その為には体に不調を来さないといけないなあ。
うーん、交通事故とかどうだろう。
もちろん100%向こう持ちで、後遺症はなしだ。
ついでに保険金成金にもなる。
実際はすごく忙しくて、ボクの想像するような入院生活なんてないだろう。
かわいい看護婦さんの目が血走ってたりしてたらどうしよう。
医療事故を、ボクに起こされたらどうしよう。
ましてやかわいくない看護婦さんに当たったら・・・!?
いやいや、よもやボクが入院するというのにかわいくない看護婦さんが来るなんてコトは考えられない。
だけどそのかわいい看護婦さんはボクの入院によってまたひとつシゴトが増えるのだ。
ボクが彼女の負担になるだなんて。
耐えられない!
こうしてボクは健康体を保っていられるのであった。
まる。
でね。
あとたまにはコドモに戻ってかわいい保母さんに世話されたいなあと思ったり思わなかったり。
ばぶー。
各人、好きな武器ってあると思う。
何だっていいのだ、拳銃でも、スタンガンでも。
先日、木刀のハナシをしたが、ボクは剣が好きだな。
日本刀だけじゃなく、青龍刀みたいなのも好き。
切って切って切りまくれ。
変なものでいくと、トンファーとかも好き。
ブルース・リーが生きてた頃ヌンチャクが流行ったのだが、ボクはこっちのが好きだった。
単にあまのじゃくという説もある。
何だろう、あの無骨な感じがよかったのだろうか。
単に棒に取っ手が付いただけなんだよな。
でもそれを言えば、ヌンチャクだって棒を二本ひもでつないだだけだな。
どっちもどっちだ。
武器を持つシチュエーションへの憧れもある。
単にカバンの中にナイフをしまっておくだけでも、強くなった気がするね。
ホルスターを付けてスーツを着てみたくないヒトなんているだろうか。
杖をついているヒトで、仕込杖に憧れたコトのないヒトなんて。
仕込って色々といいと思うんだけどな。
コンビニのバーコードリーダーにスペツナズナイフとか仕込んであると、強盗が困るよ。
スカートのお尻の布が指紋採取できる布だったら、痴漢が困るね。
床の間の木彫りの熊がAIBO番犬バージョンだったら、空き巣が困る。
仕込杖のギャップはやっぱり恐いよね。
これが松葉杖だったらよけい恐い。
ボンドカーならぬボンド車椅子とかあるだろうな。
空も飛べる、大砲も付いてるターボ仕様。
高速も乗れる。
もちろん免許がいる。
殺しのライセンス。
あと、ひそかに憧れている武器がある。
クサリガマというヤツなのだが、これは仕込の思想からはほど遠い。
時代劇ならほぼ確実に、悪役の印といっていい。
一対一ならまだしも、複数を相手にする時はどうしたらいいんだろうなあと。
でも、あれをぶんぶんと振り回してみたいのだ。
色々言ったが、戦場へ出る時にはマシンガンと弾をいっぱい持っていきたい。
で、バッグの中にクサリガマを忍ばせておきたい。
きっと噂になるだろう、クサリガマ。
クサリガママスターと名乗ろうかな。
略してクサリガマスター。
スター!
せんせー、ここに変なヒトがー。
掃除してたら古い漫画が出てきて、ついでに時間泥棒も出てきた。
何だ何だ、コンビなのか、このふたりは。
で、その中で、未使用のビデオテープが20本近く出てきた。
もうボクには必要ないし、これどうしようかな。
誰かもらってくれるかな。
ちょうどHDD&DVDレコーダーを買う直前に録画したビデオテープも出てきた。
でもそれは、リピート放送だったので、もう録り直してしまった。
一度も観てもらえないままに捨てられてしまう。
一度しか使用されてない、ほとんど新品と言ってもいいテープなのに!
ボクはこいつを捨ててしまう。
以前、確か「恋のから騒ぎ」だったと思うのだけれど、中村俊介が出てた。
サッカーのじゃない方の中村ね。
彼は、「結婚するなら処女がいい」と言い放ったのだ。
要するに、何も知らない世間知らずがいいというハナシだった。
かわいそうなヤツだなあ、としみじみ思ったので憶えているのだ。
恋愛でよく、“色に染める”というようなコトを言う。
ボクはあれが好きじゃない。
結局あれは、“どちらが優位か”を決めるゲームのようなもんだ。
優位とか、優位じゃないとかどうでもいい。
ヒトとヒトじゃないか。
相手の経てきた人生を尊重する気がないのなら、そのヒトの人生に入り込まない方がいい。
ジブンの人生に固執するのなら、誰も入れなければいい。
そんなつまらない人生でいいなら。
処女は処女でいいけどさあ。
そこにこだわるのはどうなのさ。
そんな記号にこだわって、大事なものを見落としはしないかい?
それはそれとして、処女としてみたいなあとは確かに思う。
多分、童貞キラーなどというヒトも、そこの良さを愛しているのだと。
会ったコトないなあ、童貞キラー。
分からなかっただけかなあ。
ボクのところには来なかったよ、童貞キラー。
そんな童貞キラーにやられてしまって、二度と会えないまま死んでしまったら。
人生経験を積むチャンスも奪われてしまったら。
ああ、ビデオテープの悲劇。
Tシャツは挫折しました。
ついでに昼間は飲まないってのも挫折しました。
早い。
ウチで鍋をやろうとか言ってたので、ちょっときれいにしてみた。
でも鍋は、奉行のシゴトの都合により中止になった。
部屋がきれいになったからまあいいやとか思っている。
こんなコトでもないと、おおよそきれいにしようとか考えないだろうから。
よくいるのが、共有スペースはきれいなんだけど専有スペースはまったくってヒト。
例えば学校の掃除の時間はすごく熱心なのに、ジブンの部屋はむちゃくちゃだったり。
そんなヒトに限って、掃除をさぼるヒトを糾弾したりしてな。
わりと当たっていそうな気がする。
ボクはあまり、例えそれがどこであっても掃除は熱心じゃないなあ。
さすがにおシゴトでヒトの目に触れるところはきれいにするけど、それくらいだ。
突然ジブンが倒れても、後に付いたヒトがすぐに状況を把握できる、とか憧れだなあ。
おおよそほど遠い、今のジブン。
よくテレビで見る、片付けられないヒトたちの映像がある。
庭いっぱいにゴミが積み上げられていたり、コドモがいるのにリビングに足の踏み場がなかったり。
あそこまでいくと、ある意味では神業だなあ。
決して修得したくはないけどな。
でも部屋がモデルルームみたいにキープされてるヒトは、それはそれで神業。
こっちはちょっと修得してみたいかな。
ジブンちから、ジブンの匂いを消すワザだ。
何の得があるのかは、修得してから考える。
あまりおもしろくなさそうな気がする。
おもしろくなさそうな気がするのは多分、ナワバリ意識が薄れるからだろう。
ジブンの場所という“印”が薄れていくのと同時に、愛着も薄れていきそうな気がするのだ。
実際にどうなるかは分からないけど、ボクはそうイメージしている。
だからあまり気が進まない。
だからといって匂いが強すぎる部屋もこまりもの。
ちょっとは匂いを弱める努力は必要だろうなあ。
もう少しだけでいい、ほんのちょっとだけ。
あまりに明確な“印”を、ボクのこの手でこそぎ落とす。
とりあえずいらないマンガでも選んで売りに行ってくるとしようか。
ボクの匂いの染み付いた連中を、ちょっとでも減らしてみようと思う。
でもそれは匂いというよりもスペースの問題ではなかろうかなとか思ったり思わなかったり。
そろそろ衣替えの季節。
今回こそは、着ない服を処分していこうと思っている。
そんな思いが衣替えを送らせているコトは言うまでもない。
ボクのもったいない精神が、捨てさせてくれないのだ。
着ないだろう、こんな服!とか思っても、そのうち何かあるかも知れないとか考えてしまう。
何かあったらあった時!
今回は処分するの!
問題は処分方法なのだ。
ボクはフリーマーケットとか参加したコトがないのだが、あれはどれくらい売れるのだろう。
ひとりだとできないよね。
誰か一緒にやらないかなあ。
そうでなければ捨てる方向でいくしかないなあ。
他に選択肢を知らないだけなのだけど。
ガレージセールでもやろうかな。
休みにマンションの下で、レジャーシートを広げてみるか。
人通りの少なさは自慢できる通りなのだけど。
そもそも着ない服をなぜ買ってしまうのかね。
ま、買わないと分からないコトってあるからね。
こればっかりは、経験値がものを言うよ。
「やあこんにちは、経験値でーす。」
帰れ。
ジブンの着る服はジブンで買いはじめてかれこれ15年経つのに未だに失敗する。
中高生の、おカネに不自由してた頃に買ってないコトが響いているかなあ。
Tシャツ一枚でも失敗するコトあるからなあ。
凝った服なら言わずもがな。
ゆえにいつも同じような服を買ってしまう。
こんなコトじゃいけないよ。
もっと何と言うか、七色のカメレオンのように生きなきゃいけない!
目立たないようにするわけじゃないけどな。
でも目立つカメレオンって、語義矛盾してるなあ。
いいのさ、ヒトはそもそも矛盾した存在なのさ。
ハチのムサシは死んだのさ。
結局どうなるにもひとつひとつ経験値を積み重ねていくしかないのだな。
後悔しない処分の仕方にも必要だよな、きっと。
ねえ、ホントに帰っちゃったの?
習いゴトの季節だね。
芸術の秋。
読書の秋。
食欲の秋?
だんだんとおカネのかかる習いゴトはみんなやらなくなってきてる。
お手軽レジャー感覚でできるやつに人気が集中してる。
短期で結果が出るやつとかね。
習ってばばーんと発表会!とかってもう流行らないのかなあ。
日本舞踊とかさあ、フラメンコとかさあ。
その方がやる気が出ると思うんだけどな。
英会話みたいに、結果を解き放つ機会が日常にないやつはどうもやる気が出なさそうだ。
先入観かなあ。
資格を取るとかも流行ってるらしい。
講座を受講して、きちんと通えばそれだけでもらえたりする。
何に使うのかわからない資格をとってどうするのかね。
すでに取るコトが目的で、それを利用してのどうこうは考えられてないんだ。
それはそれでいいな。
車の免許も、考えてみると同じだね。
ボクだって、その資格はずっと使ってない。
証明用に使うのがせいぜい。
最初から、車を買う予定なんかなかったな。
まああれは、学生の頃のハナシだし。
でももっとこう、派手なやつを習ってほしいなあ。
ピアノとか、楽器もいい。
歌でもいいよ、カラオケとかオペラとかシャンソンとか。
いまさらそろばん習ってどうするの!
むしろ電卓を習うべきじゃないかな。
あの、無駄にいっぱいある機能を全部使いこなせるように。
何を習いたいかなあ。
犬への芸の仕込み方とか習いたいな。
目指せトップブリーダー。
ブリーダーとは違うのかな?
まあどうでもいいや、ブンタに今さら芸を仕込むコトもないだろ。
とにかく習いゴトなのだよ。
みんな習って、発表しようよ。
そしてボクにシゴトを!
深刻だなあ。
今度の休みには、必ず髪を切りに行こう。
面倒くさがったり、まだいいや、とか思わないようにする。
“思わないようにする”のはどうすればいいのか、誰か教えて。
それに比べれば、“考えないようにする”方が簡単だ。
いちいち振り払えばいいのだ。
まとわりついている考えを、ちぎっては投げちぎっては投げ。
そのうち疲れて考えはじめてしまう。
でも、“思わないようにする”のはむつかしい。
そう、それはとてもむつかしい。
思いつかれた思いつきは、決して消えるコトはないのだ。
その思いつきが、あなたにノーベル賞を取らせるかもしれない。
そういえば先日作業着を買いに行ったら、上着がディスプレイされてた。
押しの一着なのかなあ、とそれを見たら、“ノーベル賞の田中耕一氏モデル”と書いてあった。
ウソだ、絶対ウソだ。
本人にはいくらかでも支払われているのかなあ。
まあノーベル賞だし、作業着を買いに来るようなヒトには関係ないと思うけどな。
あっ思った。
こんなコト思うつもりじゃなかったのに。
で、その帰りに“ボクにもノーベル賞取れないかなあ”とか考えた。
何の分野だったら取れるかなあと一生懸命考えてみたけれど、さっぱり思い付かなかった。
ジブンの中に、何ひとつ抜けているものがないと思い知らされるのはちょっとつらいな。
おたくって、そういう意味では偉大なのかも。
ノーベル賞取れるかな?
基本的には、“思う”コトは止められないと規定してもかまわないだろう。
なら、思ったコトをどうやってちぎって投げるか。
ちぎったらふたつになって、余計に目に付いちゃうよ!
ポケットを叩いて、さらに倍。
倍率ドン! さらに倍!
うわあ囲まれた。
すでに面倒くさくなっている。
そもそも外に出る気がしないのだ。
最近の休みは、いつもそれに負けて家の中でごろごろごろ。
すでに髪を切れなさそうな予感がびしびしと。
その予感を止める方法はないものか。
よく人生を語りたがるヒトがいる。
おもにおじさんと呼ばれる人種だ。
お前もそうだとか言ったらぶちます。
ぶってぶってぶちまくります。
ぽかぽかぽか。
長い人生とか言っても、誰でも先の方が短くなってるかもしれないわけだ。
ボクはもう、あと倍生きたら60オーバーだ。
ドント・トラスト・オーバー・シックスティー。
いやいやいや、そんなコトは。
ムカシはオトナなんて!とか思ってたものだが。
で、人生を語るヒトがよくやるのが、何かを人生に例えるコト。
よく有名人のインタヴューなんかでも出てくるね。
「あなたにとって〜とは何ですか?」
ヒトコトで言えるような人生は誰も送ってないと思うが。
シゴトを人生に例えるのが王道だ。
ジブンのやってるおシゴトをジブンの人生に例えて悦に入る。
ああ、醜い。
そんなご立派な人生ですかな。
そんなご立派なおシゴトですかな。
ボクのシゴトだって、それこそ人生だってヒトに威張れるようなものじゃない。
なくたって誰も困らないなんて、そんなきれいごとは言わない。
コンビニに店員がいなかったら困るように、ボクのシゴトだって誰かのためにはなってる。
でもそのふたつは同じコトだ。
誰かが偉いわけじゃない。
誰かがダメなわけでもない。
人生の重みに差なんかあるかい。
何せヒトってやつは酒が入るとジブンas No.1になっちゃうんだからな。
酒が入ったヒトなんて、入ってないヒトよりも価値は下がってるはずなのにいい気なもんだ。
確かにシゴトは人生の重要なファクターなんだろうけど、いったいそれがどうしたと。
あんたからシゴトを取ったら、いったい何が残るんだ。
そう考えると、グルグル廻ってバターを残すってなかなかできるコトじゃないね。
最後にはそんな死に様を見せられる人生を歩みたいものだね。
やっぱりヒトではダメだろうか。