学校は、何をしに行くところだろう。
勉強?
そうじゃないよね。
思うに、学校で学べるいちばん大切なコトは集団生活だろう。
これは別に目新しい説ではない。
ボクらは実際に、そこで社会のミニチュアを形成していた。
そしてそれなりに社会生活を営んでいた。
敵を作り、味方を作り、ボクらは育った。
衝突するしかできなかった敵とは、だんだんとうまくやっていけるようになった。
ケンカしたっていいじゃない。
そこで愛と憎しみを区別するコトを覚えるのだ。
好きな子に、いじわるした覚えあるでしょ?
考えてみると、色んなコドモがいた。
先生は警察と看守を兼ねて、ボクらをヒトに近付けていった。
効率のよい育て方みたいなものがあって、それを追求するのが教育なのかな?
いい先生って、どんなんだろう。
大きくなるにつれて、“いい先生”の条件って変わる。
小学生の時って、教え方がうまいとかってよくわからない。
つまり、“よくわからない”というコトがよくわからないのだ。
好き嫌いは、そういったコトとは違う部分で決まる。
中学生になると担当教科ができてくるので、よくわからない先生はとりあえず好かれない。
でも、よく分かるからといっても好かれるわけじゃない。
非常にビミョーな時期だな。
高校生になると、さすがに教え方で選ばれるコトもあるだろう。
熱血先生の評価がまっぷたつになるのもこの時期かな。
でも、ボク自身はそれでいい先生と決めたコトはないなあ。
むしろ平等感のある先生の方がよかったな。
考えてみれば、それがいちばん重要だな。
えこひいきされた覚えはないので、あまりかわいい生徒ではなかったのだろうな。
でも、そうされなくて良かったと思う。
あれは多分、人間が腐るよ。
大罪だと思うよ。
別に逆恨みしてるわけじゃない。
でもイマはキミからえこひいきされたいな。
ボクもキミをえこひいきしたいのに。
無条件で味方できるヒトがいるって素敵だな。
誰がボクを。
テレビを見ていると、時々バラエティーなどで笑われているヒトがいる。
客を笑わせているのではなく、客に笑われている。
それでもいいのならいいのだけど。
それはあざ笑うと言ってもいい。
決してそのヒトにおカネを払うコトはないだろう。
無料番組だからこそ許されるキャラクターだ。
本人はそれを理解しているのかな。
日常生活でもあるよね。
相づちなんだか、流されてるんだかわからないヒトがいるよ。
空気読めよとか、言ってもそもそもその意味が分からない。
コドモの頃に“行間を読む”の意味が分からなかったタイプ。
困るのは意味が分からないコトに対して逆切れするタイプ。
「何も書いてないのに、読めるなんていう方がおかしい」とか言ったヤツもいたな。
それはそうかもしれないけれど、そもそもそういう意味じゃない。
お笑い芸人というのは、笑わせてなんぼだと思うのだ。
でも、笑われてなんぼのヒトが多すぎる。
だからアイドルの方が質の高い笑いを提供できるなんてコトになる。
まずジブンに視線をがっと持って来ないとダメなんだ。
そこからやっと勝負が始まる。
向かせるコトにさえ成功すれば、そこからは単純に実力勝負。
それでダメなら実力不足。
今回をしのぐのではなく、ステップアップを考えた直球勝負をしよう。
とりあえずとれる笑いは、それは嘲笑いだ。
ため息も一緒に聞こえる。
あいたたた。
あきらめなければチャンスは何度でも来るなんて、それはきれいごとかも知れない。
でも、分不相応なチャンスをものにしようなんて考えない方がいい。
何とかならなくてもそれはそれでいいじゃない。
沖田のアクセス数の推移の理由そのまんまな気がしてきたな。
あいたたたた。
近所にお医者さんがオープンするらしい。
内科と耳鼻咽喉科って書いてあった。
個人的には、耳鼻咽喉科の医者になりたいと志すヒトの気持ちがよくわからない。
まあまあ、そんなコトは個人の自由だな。
日本にはあまりないけれど、かかりつけ医という存在がある。
その家の病気については、隅から隅まで見る。
異常を発見したら、専門医に送り込む。
多分、異常の早期発見率は高いだろうな。
でももう、イマの日本では難しいかも。
三河屋さんですらかかりつけじゃない。
「御用はないですか?」とか訊こうものなら、「スーパーの安売りで済ませちゃった」とかね。
きっとそんな切ない会話が交わされてしまうよ。
でも、ぐずぐずはしなくなるだろうな。
「どうも調子が良くないんだけど、仕事が忙しいしなあ・・・」とかは言えなくなる。
帰ってきたところを見計らって現れて、その場で専門医の予約を取ってしまう。
専門知識でおどかされると、きっと説得力があるだろうし。
多分そういうの日本人は嫌うだろうな。
そういうヒトにこそ必要じゃないかと思うんだけどな。
でも確かに言われたくはない。
何ともないと思っている時間が長ければ長いほど、何気なく生きている時間が長い気がする。
命の大切さを思い知った上で生きるコトもいいだろう。
でもイマまでずっと、何となく生き続けてきているのに。
この先もごまかし続けて生きていけたらいいのに。
もうマジ甘えるなと言いたい。
ジブンを甘やかし続けて32年(とうとう先日32になったのだ)も過ごしてきたのだ。
もういいだろう。
もういいかな?
どうだろうな。
とにかくもう年も年なんだから、体の不調には真剣に取り合うべきだと思う。
勝手な判断で、さらに悪化させるコトだけは避けねばなるまい。
マメに医者にかかるのも、ひとつの予防と言える。
は、はっくしょん!
あーまたカゼか。
寝よ寝よ。
梅雨明け宣言を撤回するかもしれないって言われてもな。
しかも雰囲気に流されて勢いで宣言したと言われても。
もっと科学的なものだと思ってたよ。
ついにHDD&DVDレコーダーを買ったので、いそいそとセットアップしてみた。
ぶあっつい取説を読んでると、信じられないヒトコトがあった。
「HDD上で録画した番組を編集するコトはできません」
マジすかー。
それができないって、かなりなマイナスな気がする。
できないなんて考えてもみなかったので、お店でも特に確認しなかったんだよね。
いやあ落とし穴。
まあ、DVDに焼く時には編集できるらしいので、慣れればきっと気にならない。
・・・と、いいなあ・・・
とりあえず何かビデオテープをコピーしてみようかなと思って手を伸ばした。
そしたら裏の山に手が触れた。
最初がそれっていうのはいくらなんでも。
機械とはいえ、やっぱり“初めての”っていうのは思い出としてあるだろう。
それがエロ、しかも裏なんて「おいおい、ヤなヤツのとこに来ちゃったな」とか思われちゃう。
やるかもしれないけれどさ、やっぱり第一印象は大切にね。
それでヒトから借りっ放しになってた「ショウ・マスト・ゴー・オン」をコピーしてみた。
ほお、これで焼けるなら結構いいじゃん。
さあ、どんどん焼いてみよう。
じゅー。
ウチの省スペース化にこれで拍車をかける。
ビデオテープは、これで全部なくなるだろう。
雑誌も今度整理して、オークションにでも出すつもり。
色々と処分するぞー。
まずはジブンのお肉から。
それともジブンから?
とにかくしばらくは色々と楽しめそうだ。
主に懐かしいものを発見して楽しみそうだ。
それにしたってこの取説の厚さは。
駅のホームで、駅員さんの手元を見ると携帯を持ってた。
おいおい、携帯握ってシゴトすんじゃないよー。
そう思った次の瞬間、彼はそれを使ってアナウンスを始めた。
ごめん、ボクが悪かった。
それにしても似てた。
ホントは携帯兼ねてない?
いやあまさかなあ。
おシゴト中に携帯活かしてるヒトっているよね。
ボクは切っておくべきだと思うのだが、ヒトそれぞれ考え方があるのだろう。
個人的には、シゴト相手の携帯が鳴るとうっとうしくてしょうがないのだが。
何でみんな、シゴト中に私用の電話取れるの?
よく打ち合わせの最中に携帯を鳴らすヒトがいる。
ボクは、一度は納得するコトにしている。
このあと、切ってくれればいいんだ。
だいたいは切らないんだけどね。
携帯が普及してからというもの、電話に出なきゃいけないという風潮があるよね。
別にそんなコトないんだけどね。
電話に出なきゃいけないという法はないし、メールに返事をしなきゃいけないという法もない。
ヒトとしてどうかとは思うけれど、携帯を切れないヒトって縛られているような気がする。
打ち合わせ相手によっては、もう次から次へと鳴らしてくれるので全く進まない。
そんな時は、三分の一っくらいで終わるのに、集中してくれないかなあとか思ってる。
こっちにも次の予定があるんだがなあとか思いつつ時計を気にしたりするんだけど、気付いてもらえない。
あげくの果てには、「すいません、そろそろ次の予定が」とか来た日にゃあ。
正直絞め殺したい。
ボタンをひとつ押しておいてくれればすぐ終わったのに。
こっちも苛立っているので、投げやりに確認事項だけこなして、残りはチェックリストにして渡す。
どうせまた問い合わせてくるんでしょ?
わざわざ裂いたボクの時間を無駄にしたんだというコトを忘れるなよ。
携帯便利なんだけどねえー。
集中したい時に邪魔だよね。
“携帯”しているという部分がもう、強迫観念のように繋がらせておく。
使う予定がなくても、アンテナが立たない場所で落ち着かなかったりしてないかい?
待ち合わせとかでなければ、ボクはあまり気にしない。
普段なら、どうせ鳴らないのにさあ。
それはボクだけかぁ。
そろそろ花火大会もおしまいかな?
今年は実家でちろっと見ただけだ。
こっちの花火大会は、見に行ったコトがないな。
うるさい、さみしくない。
別に花火を見にいって恋人同士になってしまうヒトたちをうらやんでいるわけではない。
うらやんでいないのかと問われればそうとも言い切れないけれど、それは別にいい。
誘ったり誘われたり、ドキドキしたりドキドキされたり、一生懸命にオシャレして。
花火ひとつでそこまでドラマを生み出せてしまうのだ。
恋のチカラ、恐るべし。
以前遊園地でバイトしてた時は、夏になると毎週土曜に花火があがった。
ちょうど夕食休憩の時間なので、花火眺めながらごはん食べたっけ。
客が減るんだよな、みんな上と横を見るので忙しいから。
今年の花火大会で記憶に残っているニュースがふたつある。
どこだったか忘れたけど、雨天決行しようとした花火大会があった。
そしたら川が増水して、中州に花火師が取り残されてヘリコプターが出動した。
これは誰も死んでないし、笑い話だな。
その花火師にとっては勲章だろうし。
もうひとつは、確か花火師がひとり死んでる。
暴発か何かだったと思う。
火薬を扱う商売だから、ある意味覚悟はしてるんだろう。
でも、そういう問題でもないよな。
お祭りだから、ついはめをはずしてしまいがちだけれど裏方がはずしちゃいけないね。
ボクらが安心して酔えるのは、その間もちゃんと世界を守っていてくれるヒトがいるからなのに。
ウルトラマンだって、たまには世界を守るコトを放棄して酔っ払いたいだろうに。
“呼ばれた時には必ずしらふ”っていうのははっきり言ってありえないよ。
実家の方の、ボクが見た花火とは違う花火だけど、おもしろい、あるいはつまらないイベントがあった。
花火があがる前に、アナウンスでメッセージを読み上げてくれるのだ。
愛の告白でも、今年の目標でも、基本的には何でもあり。
実際は検閲されてるんだろうと思うけどね。
50文字で5,000円だったらしいよ。
誰が頼むんだいったい。
そして誰が読むんだ。
そのアナウンサーこそ、飲まないとやってられなさそうだ。
よく聞いてると、花火があがる前に小さく聞こえる。
「けっ」
今日TVで見たんだけれど、これね。
下のサンプルから入ってね。
・・・どうなのかね、これは。
爆笑するしかなかったよ。
現地へ行くのがお墓参りのルールだろう、とか思ったのだけど、別にそんなコトもないのかな?
そもそもお墓参りってなんだろうな。
そこに故人がいるから?
いるような気がするから?
なんて非科学的な。
そこにあるのは骨だけであって、魂は天にあるはずだ。
と、言うのがタテマエでしょう。
信じられない理由はどこにあるんだ。
お盆には家に帰ってくるんでしょ。
それともお墓に帰って来るの?
いや、お墓じゃなかったはずだな。
なら一年に一回は会ってるんじゃないか。
それだけ会ってれば別にお墓参りなんかしなくてもいいだろう。
年に一回、お墓じゃなくて家に帰って来るんなら、お墓がどうなっていようと関係ない。
じゃあお墓参りってなんだ。
法律上には霊は存在しないコトになっている。
でも、ボクらの中には確実に存在する。
多分ボクもなるだろう。
女風呂でもノゾキに行くか。
おい、そっち詰めろ。
押すな押すな。
結局気分の問題なんだよな。
自己満足と偽善。
そこが繋がっているような気がするんだ。
やっと脱ぎ捨てた重い鎧、忘れたいかもしれないのに。
ネットが故人と繋がっているような気がするヒトなら有効だろうか。
ブラウザを立ち上げるとそこには死んだおじさんやおばあちゃん。
すいません、これも身内バレに含まれますか。
閉鎖の危機です。
終わらない“何か”ってのを想像すると頭が痛い。
長生きを望んではいても、実際死なないとなるとハナシは違ってくる。
永遠に続くと知っていて永遠の愛は誓えない。
あり得ないコトだけれど、そんな風に思う。
キャラメルボックスの「ナツヤスミ語辞典」を観てきた。
泣いてきた。
多分もう一度観にいく。
二回見ると一万円近く飛ぶけれど、そんなコト、知ったコトか。
劇中に出てくる台詞。
「永遠に続くかも知れないなら、終わらせちゃいけない。」
終わりはいずれ訪れると、誰もが知っているから。
せめてジブンだけは続けていこうという意志を持て。
そんなコトバだ。
誰も本気で信じちゃいない。
それでも心の底のどこかで“ひょっとしたら”と思っている。
その“ひょっとしたら”を現実にするために、ボクらは走るんだ。
できるだけ長く、できるだけ遠くまで。
うまくいかせるために最善は尽くすし、天に願いもするけれど、結局は状況が許さなくなる。
それでも今日終わるか、それとも明日終わるのかはずいぶん違う。
それは終わらない“かもしれない”夏休み。
どこまで続くか、ではなくどこまで続けられるか。
道のりは果てしなく、停止信号はあっけない。
行けるものなら、どこまでも行くさ。
その時は、キミも一緒だよ。
いずれは道を分つとしても、できるだけ長く、できるだけ遠くへ。
ふたりで歩く道を、ボクら自身で選ぼう。
道がたくさんありすぎて、迷う前に立ち止まるコトもある。
それなら目を瞑ったままで歩き出そう。
どれだっていいし、どこだっていいさ。
間違えたなら、やり直せばいいんだ。
帰る場所は、いつでもキミのいるところだ。
・・・どこだ?
(キョロキョロ)
夕べついに、“窓開け放し”“腹の上のタオルケット”“扇風機廻しっ放し”の三連コンボを達成した。
八月前半は東京にいなかったからね。
やっと夏だよ!
残暑?
というコトで、何か夏っぽいイメージを膨らませてみた。
やっぱりアウトドアかな。
キャンプファイヤーとか。
花火もそうだな。
キャンプファイヤーってのもよくわからない風習だ。
冬場にやれば焚火なのに、夏にやるだけでキャンプファイヤー。
煮炊きに使うわけでもない、ゴミを燃やすわけでもない。
ある意味、究極の火遊びのひとつだ。
いちおー誰にも迷惑がかからない分、放火よりマシか。
誰かおねしょしてないか?
朝からさりげなく服のまま川に飛び込んだりしてなかったか?
キャンプ場の近所には住みたくないなあ。
特に学生の団体とか来るとイヤだろうなあ。
さりげなく混じって飲ませてもらったりして。
ご飯とかも食べさせてもらったりとかして。
ちょっと待て、そんな場所に住んでおきながら、まだイメージは一人暮らしなのか。
花火大会の会場近所なら、ヤでもその代わりに花火みられるのに。
キャンプファイヤーなんか、部外者が見たっておもしろくも何ともない。
草葉の陰に潜んでナニかやってるのを見る方が多分おもしろい。
外身は燃えないゴミですが、中身は燃えるゴミですよ。
キャンプファイヤーを囲みつつ盛り上がるのもあり。
そこから抜け出して盛り上がるのもあり。
それを覗いて盛り上がるのもあり。
それを想像しながら盛り上がるのもありかな。
こんな日は、クーラーの効いた室内でのんびりとする。
外は暑かろうにのう、ほっほっほっ。
でもシゴト中。
いや、だって野外でおシゴトってよりも100倍マシだと。
キャンプファイヤーの世話係とか、ちょうやりたくない。
夜中に草葉の陰に爆竹放り込むしか楽しみがないなんて!
ダルビッシュ君が投げ負けて、名実共に甲子園大会が終わりを告げてしばらく経った。
気付くとタイガースはその間のロードをえらいコト負け越している。
そうか、このロードというタイミングがあったなあ、そういえば。
だけど今回の件でつくづく思った。
ダルビッシュ君がダルビッシュでなかったら、こんなにも話題になってないはずなのだ。
まんぎょんぼん号がまんぎょんぼん号でなかったら、ニュースとしてここまで広がらなかっただろう。
口に登るコトが多い単語には、それなりの理由があるのだ。
発語の快感という秘密が、そこにはある。
コトバは時代時代で変化していくものだ。
なら「ピッチャー振りかぶって、投げたっ」が「ダルビッシュ」にならないのが不思議なくらいだ。
いや、来年辺りはなっているかしれない。
「科学する」のように、認められる日がきっと来る。
その日のために、ダルビッシュ。
ここまで言って来年東北高校が甲子園に出てなかったらがっかりだな。
どんなに努力してダルビッシュ君を打倒してきたのか知りもしないで、ボクはきっと罵倒する。
誰も悪くないのに。
悪いとしたら、罵倒した時点でボクなのに。
でもつまんないだろうなあ。
それとも来年になったらもう忘れてるかな。
来年になる頃には、もう少しだけマシな人間になっていたい。
ダルビッシュ君に負けないくらい、はさすがに無理としても、ちょっとだけでもいい。
とか言いながら、このニッキを読む限りではひとかけらも進歩してない。
二年間! 二年間!
どうなんだ、そりゃ。
ちょっとは発語の快感に踊らされずに、本質を見定めていく努力をすべきだなあ。
いや、まあ、そんなコトはわかってるんだけどさ。
それでも抗いきれない、ダルビッシュの魅力。
人物の魅力じゃないけどね。
なんてひどい。
来年もよろしく、ダルビッシュ君。
コドモの頃ボクは、永久欠番に憧れてた。
何もたいして一生懸命にやってた覚えはないのだけれど、こんなものには憧れてた。
でも、多分みんな憧れてたと思う。
でも不思議なコトに、あれはプロ野球だけの風習だ。
バスケでも、サッカーでも、欠番があるとかは聞いたコトがない。
アマチュアの間にはあるのかもしれないが、それはこの際無視する。
メジャーリーグにはあるのだろうか。
とはいえ、そのプロ野球の世界でもそうそう出るものではない。
例えば、このまま千年ほど日本のプロ野球界が続いたとする。
そうすると多分、若めの番号はなくなっているだろう。
みんなの背中をよく見ると、三桁四桁当たり前な世界。
語呂合わせとかもあり。
「パタリロ!」に出てくるタマネギ部隊みたいだね。
長嶋なりが、自分の欠番(つまり三番)を誰かに譲るコトはできるのだろうか。
あれは誰が管理してるんだろう。
各チームが独自にやっているのか?
それとも十二チームから派遣された連盟でやっているのだろうか。
長嶋なりが申請書を書いて名球会あたりに提出、審議を経て審査・面接。
で、認可が下りればその選手には晴れて三番が与えられる。
その選手の引退の時には三番はどうなるんだろう。
長嶋に返却されるのか、それともチームに返却されるのか。
長嶋は単純に“手放した”という認識でいいものなのか。
はなはだ判断に困るところではある。
ただ、冷静に考えれば、永久欠番は別に選手のものではない。
チームが引退した選手を称える意味で永久欠番にしているだけだ。
考えてみればそこまでの選手でもなかったなー、なんて取り消されてしまうコトだってないとは言えない。
不祥事とか起こしてしまうと、次の日には記者会見が行われて取り消しが発表される。
しかしそうすると全然“永久”じゃないね。
巨人が“第二の長嶋”として期待する人材には与えてもいいと思うんだけどなあ。
毎年毎年、その年のMVPに贈られる背番号三番、とかもいいじゃない。
あんな選手になりたくないってヒトもいるだろうけど、それは無視だな。
直木賞とかの文学賞と同じ扱いだ。
各チームにそれぞれの賞があり、チームによっては複数あるところも。
どのみちボクが手に入れられる永久欠番ではない。
それにイマとなっては、そんなもの欲しくも何ともない。
ごめん、ちょっと欲しい。
でも、それよりもボクはむしろ、キミの永久欠番になりたい。
先に逝くボクを見送るキミの、永久欠番になりたい。
代わりなんかいないんだと、そう言って欲しいんだ。
もしもキミがボクより前に逝ってしまったら、ボクはキミを永久欠番にする。
キミもボクを、そうしてくれるだろうか。
それとも次の幸せを探して、そして見つけてくれるだろうか。
キミさえ幸せならばどっちにしても複雑な気分だなあ。
芸能人に入れあげたコトがない。
イマ、それはどうだとか思ったヒトはあとで職員室か体育館裏まで行って下さい。
ボクは行きませんが、誰かいるかもしれません。
いたらそばまで行ってぴょんぴょん跳んでチャリンチャリン言わせて来い。
つまり世間でいう、グルーピーとか追っかけとかミーハーとか、そういうヤツ。
アイドルの親衛隊(!)を気取ったコトもなければ、バンドの追っかけをやったコトもない。
ダルビッシュ君をストーキングしてみようかな。
そんなヒマじゃないなあ。
ああいう、“いれあげる”コトができるのは時間がないとムリだ。
そうするとフルタイムのシゴトはまずできない。
ジャニーズマニアとか、どうやって食べてるんだろう。
やっぱ水商売かなあ。
学生の頃、「光GENJIへ」という本を読んだ。
文字にすると古さが際立つが、要するにフォーリーブスのメンバーの告発本だ。
ジャニーズマニアの先輩が「あれは全部ホントなんだよ」と言ってたのが思い出される。
それでもよかったんだな、あのヒトは。
で、その中に、性欲処理のハナシが出てきた。
事務所が後腐れのないヒトを用意して、ホテルに用意するらしい。
ファンだったり、商売だったり、それは色々。
そしてその都度をやり過ごしていたそうだ。
イマでもきっとあるだろうな。
ジャニーズに限ったコトじゃなくて。
オンナノコのアイドルはさすがにないだろうなあ。
その辺は、男女の生理の違いだろう。
単純に、ボクが夢を見ているだけかもしれない。
決して醒めない、長い夢を。
アイドルはトイレに行かないとか、そんな妄想を抱くヒトもかつてはいたらしい。
自殺したアイドルの後を追ったりとか。
でも、それはわからなくもないなあ。
誰かボクが死んだら後を追ってくれるかな?
でも、こっちはわからない。
マジそんな価値ないからお願いって誰も死ぬなんて言ってないしありえないしあーあ。
マジ秋なんすかね。
そろそろ夏休みも終了。
コドモたちは宿題にいそしんでいると思う。
少なくともボクはいそしんでたな。
ヤなコトは後回しにするタイプなのだ。
ぶきっちょなので、工作とかだいっ嫌いだった。
イマもぶきはぶきなんだけど、ものを作るのはキライじゃないな。
ちまちまやるの楽しい瞬間もあるよね。
だいたいやっつけシゴトなんだけど。
ドリル(!)とかやりながら巻末の答えとか写したりするの。
読書感想文はちゃんと書いた。
印象深いのは、リコーダーの練習録音。
夏休み中に三回録音して持っていくのだ。
もちろん一日で全部やったよ。
あればれてたのかなあ?
コドモってあさはかだね。
それともボクがあさはかなだけか。
今日おシゴトであるオーディションに付いたのだ。
コドモも受けていて、コメントがものすごくわざとらしい。
というか、あざとい。
絶対口先だけで言ってるなーみたいなね。
結果は見なかったので、その子が受かったのかどうかはわからない。
でも、ボクは受かってないコトを望んでいる。
あのあざとさを正しさとして、成長するなんてもってのほかだと思う。
コドモはあざとさをたしなめられて、一皮ずつ剥けていくものだろう。
ボクもそうだった。
騙したりごまかしたり、それが元で後に引けなくなったり。
オトナに頼らないと生きていけないジブンにジレンマがあった。
早くオトナになりたかった。
オトナになんか、なりたくなかった。
イマとなってはどうすればオトナなのかどうすればコドモなのか。
そもそもジブンがオトナなのかコドモなのかもう。
ものすごいむかついたんですよ。
カラオケ居酒屋で飲んでて、トイレに行ったの。
そしたらトイレの前で、多分サラリーマン系の集団がたむろってたの。
で、じゃまだからすいませんねとか言いながらトイレに入ったわけだ。
でも、出てくる時にもまだたむろってたの。
もちろんこっちは出なきゃいけない。
でも、まだたむろっててどける気配がない。
もうむかっときて、何にも言わずに押しのけて出たわけだ。
そしたら一人が言った。
「押しのけられたね。失礼なヤツだね。」
むかっ。
もー、どれだけボクがそこでジブンを押えたか。
ジブンを褒めてあげたいよ。
そのまま振り返って胸ぐら掴んでもよかったのに。
うあー、もうストレスだー!
「じゃまだ」ってはっきり言い放って、背中のひとつも蹴飛ばしとけばよかった。
それで喧嘩になったって、別にかまやしなかったのに。
なんで酔っ払い相手に遠慮しなきゃいけないんだろうな。
だいたい酔っ払いが一般人並みに自己主張するというのが間違ってる。
一般人様のおかげで酔っぱらっていられるというのを忘れちゃいけない。
気は大きくても、動きは小さく!
それでも席に戻ってビールを飲み、ブルーハーツとか歌うと何となくごきげん。
もう別に失礼なヤツでもいいや。
あの酔っ払いワールドでは、ボクは失礼なヤツ、それでいい。
今度会ったらまた失礼なヤツをやればいいんだろ。
だいじょうぶ、そうするよ。
ああよっぱらひ。
小さく小さくいきましょう。
何にもしないようにするから、放っといてね。
酔いが醒めたらがんばります。
寝てた。
今日書くコトは、あらかじめ決めてあった。
今日でこのサイトは、まる二年なのだ。
「雨の日も風の日も、へべれけの日も書き続けてきた」と書くつもりだった。
最後の最後にやってしまった。
らしいといえばらしい。
かな?
でも、気を取り直していこうと思う。
本日を持ちまして、当サイトは二周年を迎えました。
こんな駄文を、そんなに垂れ流し続けてきたのかと思うと、気が遠くなります。
ずっと読んで下さってる方、最近読みはじめた方、これを過去ログとして読んでいる方。
全ての閲覧者の方に、お礼などを申し上げます。
なぜって、言うだけならただだから。
こんなしんみりした挨拶のあとに続きがちなのは閉鎖の案内。
でも、今回はない。
当座予定はしていない。
しばらくは同じようにやっていくつもり。
一回飛ばしちゃったら、何か気が楽になった。
さあ飛ばすぞー。
二年の間には、読んでいたサイトがたくさんなくなった。
閉鎖したり、停止したり、形が変わったりした。
個人的にいちばん残念なのは、「ネムリヤ」の閉鎖だったかな。
言っても詮無いコトなのだけれど。
逆に、その間にまたおもしろいサイトに出会ったりもしてきた。
すぐになくなったり、すぐに追い抜かれたり、すぐに飽きたりしてきた。
リンクに足したとこもあれば、足さなかったところもある。
理由はたいしてない。
強いてあげれば“なんとなく”が、そうだ。
これは全てに共通する理由。
“なんとなく”今日もボクはニッキをつける。
モニターの向こうのあなたの顔を想像しながら。
あなたの笑顔に会いたくて、ボクはニッキを付けてきたんだ。
“なんとなく”やってっから続いたんだろうという思いと、だからダメなんだというツッコミと。