7/1

やっとちょっと部屋の掃除ができた。
でも、まだ扇風機が出せるようにはなってない。
いつ出せるかな。
そろそろ欲しいんだけどな。

最近ビデオを処分する為に見返しているというのは以前にも触れた。
近くに文庫本の詰まった箱もあり、古いのを引っ張り出して読んでいる。
「アンネの日記」を読み終わった。
また日記か。

アンネは日記帳に“キティー”と名付け、語りかける形で日記を付けている。
もとより文章は誰かに伝える為に紡ぐものだけれど、日記は誰に読ませるわけでもない。
でも、それではただの記録になってしまう。
意識的にでも無意識にでも、読み手は設定されている。
webならなおさらである。

ハッキリと言えば、読まれない文章や聞かれない言葉には一銭の価値もない。
ヒトが意志をカタチにする時、同時に伝えようとする意志が必要なのだ。
それがないとただのひとりごと。
どこにも行かない、何も変わらない。

別に何かを変えてやろうと思って書いてるわけではないけど、期待はしている。
ジブンが変わっていくコトを、読み手が変わっていくコトを。
ボクの文章で少しでも、人生に潤いができたらいいなと。
思い上がりだろうか。
ありえないだろうか。
そんなコトないよね。

梅雨はもうすぐ明けるだろう。
太陽が梅雨というマントを脱ぎすて、本領を発揮する日も近い。
お手柔らかにお願いします。

今年は泳ぎに行きたいな。
花火もしたいし、スイカも食べたい。
今日もスーパーで見たなあ。
毎年毎年、買う踏ん切りがつかないんだ。
めんどうくさそうで。

何と言っても目標はひとつ、まだ見ぬキミに出逢うコト。
ボクの人生に潤いをもたらして欲しいんだ。
一緒に泳ぎにいこう。
スイカも半分ずつ食べよう。

それだけなら犬でも飼うか。
望むコトはあまり変わらないから。
で、ジョリーとでも名付けよう。
潤いって、何だろうな。

7/2

家族だけの習慣というものがある。
多分誰にでも、どの家庭にでもある。
どことも違う、そこでだけ通用する常識。

“食”に関するコトがいちばん分かりやすいだろうか。
納豆に砂糖を入れたりするらしい。
麦茶に砂糖を入れたりするらしい。
砂糖ばっかしか。

最初にそれを知ったのは、小学校の、多分四、五年の頃だった。
夕べの晩ご飯のハナシをしていて、「カレーは夕食である」と言い切ったヤツがいたのだ。
「昼にはフツー食わない」と彼は言った。
ウチでは逆で、カレーが夜にメインで出るコトはほとんどなかったと記憶している。
カレーと言えば、昼ご飯だった。
最近のボクは昼も夜ものべつ幕無しにカレーだが。

ちなみにウチの実家のカレーには、タマネギの形が残ってなかった。
一般的にポピュラーなのは、半分溶かして残りを具にするやり方だろうか。
多分コドモに食べさせるというコトを意識していたのだと思う。
色々と工夫と苦労があったのだ。

ジャガイモを入れるかどうかでもかなり色々とありそうだ。
肉は何にするか、それともキノコにするか。
自炊してた頃には、魚肉ソーセージで作ったっけ。
ビンボーの知恵。

そういえばお弁当にカレーを持ってくるヤツとかいた。
ふたのできるコップにカレーが詰まってた。
あれってありなのかなあ。
レトルトそのまま持たせても一緒じゃないのかなあ。
それはさすがに言い過ぎか。

ちょっとうらやましかったのも事実。
でも、ボクはウチに食べに帰ってたから、あったかいカレーが食べられてた。
そういえば、近ければそういう選択肢があるのが当たり前だと思っていたのだけれど、
よそはそうでもなかったようだ。
どうしてだろう?
ウチはお昼に家族が全員カオを揃えてたよ。
みんなでNHKの連ドラとか見てた。

お昼の家族だんらん、これがウチの、いちばんの家庭のみの習慣だったかもしれない。
お弁当を作るのと、お昼ご飯をフツーに作るのと、どっちが楽だったのだろうか。
そういう理由だったとは思いたくないけれど、思い付いてしまったもの、しょうがないね。
思い出の暖かみが薄れた気がする。
もう考えない。
明日はカレーにしよう。

7/3

昨日のを付けながら、考えてたコトがひとつあった。
ボクの父は、ムカシから朝の大を扉を開け放してやる。
しかも新聞を読みながら長々とやる。
当時はイヤだったなあ。

でもこれはウチの常識ではない。
これが非常識だなんてコトには気付いてた。
というか、常識だとは思いたくなかった。

でも、イマとなってはめっきりボクも開けてする。
ただし、ひとりでジブンの家であるコトが条件。
誰かがいたらちゃんと閉めます。
周りがどう思うかは分かってる。
あの時のジブンを裏切るような真似は決してするまい。

当時のボクには、なぜ父が開け放ってするのかが分からなかった。
臭いがこもったり、暗かったりするのがイヤなのかな、とか思ってた。
言っとくけど、換気扇も電気も、明かり取り窓も付いてるよ。
ボクが、開けてするなんて冗談じゃないと思ってただけに、全然分からなかったんだ。
でも、イマはよく分かる。

あれは、開放感だ。
ボクは身障者用のトイレが好きなのだけれど、あの魅力はやはり“広い”というコトに尽きるだろう。
だだっぴろい草むらのど真ん中で大をするのとかちょう楽しそう。
もしも無人島に流されてしまったらやるコトにする。
ひとつくらい楽しいコトがあってもいいよね。

もちろん父はイマでも開け放って新聞を読みながらやっている。
みんなもう慣れたもので、そばを通って洗面所に行ったりする。
イヤはイヤだけど、ムカシ感じたイヤよりもイマは廊下が通りづらいという実際的な見地からのイヤ。
ええい邪魔な扉やの。
ばたーん。

ちなみにボクは父に似ていると近所でも評判である。
ボク自身は似てるとは思ってないのだが、周りに逆らうのも何なので、そういうコトにしてある。
多分似てるのだろう。
こういうのはだいたい傍から見ている方が正しい。

でも、具体的に似ているのがこういう好みかと思うとうんざり。
ボクも知らず知らずに周りをうんざりとかげんなりとかさせているのだろうな。
その想像に、まずボクがげんなりだ。
広いトイレが好きなら、広いトイレを作れば良かったのに。
いやそういう問題じゃ。

それいいかも。

7/4

ボクの休日は、たいてい平日。
だからどうしても、ひとりで動くコトが多い。
全く苦にはならない。
逆に気楽でいいや。

でも、最初からひとりが好きだったわけじゃない。
コドモの頃は、ひとりがイヤでイヤでしょうがなかった。
友達と一緒にいないとイヤだった。
仲間はずれにされるのが、ものすごく恐かったのだ。
いや、イマでも恐いけど。

きっかけは忘れたけれど、ある時ボクは思った。
ヒトに依存してばかりではいけない。
誰もいなくてもやるコトに変わりはないはずだ。
ひとりでもできる。
そうだ、ひとりでできるもん。

それが多分、中学に上がるかそこらのコト。
それ以降は、誰かと一緒じゃなくてもひょいひょい動くようにした。
具体的に言うと、教室移動とか、トイレとか、帰宅とか。
ひとりであるが故に、情報が入って来なくて違う教室に行ってしまったりとかも。

かたくなに決心して実行してたわけではないけど、わりといいペースで慣れた。
もともと仲いい友達少なかったし、ヒトのペースに合わせるストレスもなくなったし。
“みんなが動く時にはジブンも動かないと困る”コトに気付くのはもう少し先だった。
置いていかれて、どこに行ったのか分からないとかね。
こう言うといじめられてたみたいだ。

高校に上がる頃にはヒトと違っててももう平気だった。
自意識の発露と、ちょうど時期が重なっていたのかもしれない。
お芝居を始めたのもこの頃。
後はひとり街道まっしぐら。

ひとりであるコトは、そんなに悪いものじゃない。
でも、楽しくても悲しくても、ひとりはひとりに過ぎない。
ヒトは所詮ひとりなのだから、と意地を張ってみても何も起こらない。
もう飽きたよ。

だんだんとコドモに戻っていくようだ。
折り返し地点は、もう過ぎたのか。
そろそろみんなに追い付かなくちゃ。
でも、みんなどこだろう。
ここは、どこなんだろう。

かくれんぼじみてきた。
隠れてないで、出ていくから。
ボクのコト、見つけて。
置いていなくならないで。

あ、古傷。

7/5

悪人になれたら楽だろうなあと思うコトがある。
つまり、ヒトを傷つけたり、だましたりするコトにためらわない・後悔しないヒト。
楽だろうと思うのだ。

泥棒も、詐欺も、強盗も、全てがジブンの才覚ひとつにかかっている。
儲けは全てジブンのもので、しかも税金なんか引かれない。
それでも消費税は払わなければいけないけれど。

何かヘマをして捕まっても、自業自得。
死なない限りやり直しはきくさ。
筋金入りの悪党、カタギなんて眼中にないね。
刑務所で掘られたって、気にしやしないさ。

会うヒトは全て、獲物でしかない。
鍵は開けられるものであり、カネは奪うものである。
嘘は吐くものであり、吐かれるものではない。
徹底的にジブン勝手に生きる、
みんなボクの、ご飯になれ。

誰も信じない、誰も頼れない、そんな生き方もいい。
ジブンだけを頼りに、無頼漢を気取って生きる。
常に気を張って、裏社会を胸を張って歩き続けるんだ。
鬼神の如く、何もかもを蹴り飛ばして。

でも、そんなんじゃキミに会わせるカオがない。
世界中を敵に回しても、ボクはキミだけには信じてもらいたいし、信じたい。
でも、そんなのは都合のいいたわごとだよね?
世界に誰もいなくなってしまってもいい。
キミだけがいてくれるなら、誰も要らない。
でも、キミはそんな世界は望まないよね。

悪党なボクには、キミをまっすぐに見られない。
きっとボクは目を逸らすだろう。
そしてキミはボクから離れていってしまう。
耐えられない。
そんなの耐えられない。

いつかキミに出逢う日の為に、ボクはまっすぐに生きていこう。
イマはまだ、ひとりだけれど。

そもそも悪人になる度胸も実力もないコトは内緒にしておく。
今日からは、こっちが理由だ。

7/6

“犬”という言葉には侮蔑の意図が込められる。
つまり誰かの“下僕”を意味するのだ。
おまわりさんが社会の犬とか言われる。
何かいけないのかなあ。

だいたいそういう言葉を使用するようなヒトはもっと誰かの犬でありそうな気がする。
そんなジブンの境遇をごまかす為に、スケープゴートが必要なのだろう。
士農工商エタ非人。

ねえ、“犬”であるコトって、そんなにいけないコトなの?
かまわない、とかじゃなくて、いいコトじゃない。
特に公僕は忠実な犬であってしかるべきで、褒められこそすれけなされる謂れはないのに。
ほとんどの不祥事は、ヒトが、“犬”でないがゆえに起こっているのだ。

そもそも本物の犬に対して失礼だろう。
みんな本物の犬には忠実であるコトを求めるだろうに。
なのに猫の自由さとかを気高いとか言うのな。
何だよそれ。
犬と猫を比べる、その理由が分からないよ。
何の意味も、そこには存在しない。

猫も好き。
犬も好き。
それでいいじゃない。
どちらも愛を以て接すればきっと応えてくれるよ。
溺れていたら、助けてくれるかな?

ボクは誰かに忠実だろうか。
忠実にあろうと努めているだろうか。
ジブンに対してすら、怪しいもんだね。
キミに対してはどうだろう?

ジブンに対して、誰も忠実じゃない気がしている。
そしてそれは多分当たっている。
それはボクのせいだ。
ボクが誰に対しても忠実でないせいだ。

“いいヒト”であるコトは、そんなに重要なコトなの?
反感を買うコトが、恐いだけじゃないの?
違うと思ったら、すぐさま吠えたてるんだ。
わんわん。
にゃーにゃー。

きゃうーん。

7/7

七夕じゃないか!

昨日のを書きながら、ちょっと考えてた。
盲導犬は、ミスしたりしないのだろうか?

ヒトは、どんなに訓練してたって、ミスするじゃない。
「ごめん、ちょっとボーッとしてた」とか言うじゃない。
犬は、しないのかな?

機械じゃないんだから、踏切とか、たまにはくぐって渡ってしまったりしないのだろうか。
なぜそこまで信用できるのだろう。
恐るべし、犬。
たまにはうっかりしたいだろうに。
綱を持っているヒトの命を預かっているだなんて知らないだろうに。

ヒトはうっかりするものだけれどね。
ボクは今日もうっかりしたよ。
湯豆腐を作ろうと思って、四日くらい前に豆腐とネギとエノキを買ったのだ。
事情があってその日には作れずに、今日作った。
まだダイジョーブかなあ、とか思いながら、様子を見つつざくざくと切る。
うん、ダイジョーブだな。

で、沸いたお湯に出汁用のパックを入れる。
引き続いてネギと豆腐を入れる。
再び沸いてくるまで待ちつつ、ちょっと出汁パックを眺める。
2002.08って、もう一年近く前に賞味期限切れてるじゃないか。
どうだろうとか考えてる場合じゃないよ。
いいけどね、明日が恐いなあ。

そんなコトを犬はしないのかな。
いや、犬はそりゃあ出汁パックは使わないだろうけどさ。
賞味期限切れのものを食べさせられるコトはありそうだね。
それが恐くて忠実なのか?
何て悲惨な人生。
いや、犬生。

犬の嗅覚を参考にしてみれば、出汁の賞味期限切れなんて簡単に感知できそうだ。
「うむ、これは三日前に賞味期限が切れておるな」などと海原並の言動を見せる。
きっと海原雄山には賞味期限切れの物なんて出されないだろう。
奥さんかわいそう。
きっと色々と指導とか叱責とかされてる。
いや、意外と甘々かも知れないなあ。

ま、ヒトは犬に対しては甘々なものだし。
一回くらい犬のせいで死んでもな。
死因:犬。

やり過ぎたSMみたい。

7/8

昨日書き損ねた、七夕っぽいコトでもひとつ。

遠距離恋愛というものをしたコトがない。
恋愛に“体温”を求めてしまいがちなボクには、多分向いてない。
織姫と彦星は、よく我慢できるよな。

でも、もう彼らのサイクルはああなのだろうな。
何千年もあの状態でやってきているわけだし、今さら一緒にいられるようになったら困るだろう。
きっとすぐに別れるだの別れないだののハナシがでる。
下界が喜んでいる手前、大っぴらに不仲になるわけにもいかずに。

だって、もういい加減、他に恋人とか愛人とか作ってる気がするよ。
で、年に一回だけ出張とか言って出てくるの。
そんなほのかな背徳感、それが長持ちの秘訣ではないだろうか。
いくら年一回っていったって、ボクがキミと一生かけて会う回数はもう越えてないか?
そういう意味ではうらやましいぞ。

確か遠距離になってしまったのは、ふたりがシゴトをしなくなってしまったからだ。
シゴトを全て放ったらかして、いちゃいちゃしてばかりいたから、分けられてしまったのだ。
飼ってた牛とかも全部餓死させちゃったんじゃなかったかな。
ご飯はどうやって食べてたんだろう。

どっちみち自業自得だが、罰である以上、いつかは解けるはずだ。
ひょっとしたらもう解けているかもしれない。
ボクらが知らないだけで、七夕は“思い出の地へのデート”に他ならないのかもしれない。
めでたくも何ともないな。
うらやましいのはうらやましい。

距離はふたりを燃え上がらせるだろうか。
それとも萎えさせるだろうか。
多分、順序正しく来るんだと思う。
萎えてしまったら、きっと終わる。
次が見つかり次第、終了のゴングだ。

ボクとキミならどうだろうか。
年に一度の逢瀬を、きっちりと楽しめるだろうか。
天の川がどんなところかなんて知らないままに、その場所でまた逢おう。
またそこで出逢う日の為に、一年間キミの夢を見よう。
キミは、ボクの夢を見てくれるかな?

いつか一緒にいられるようになるなら、イマはこれで我慢する。
ボクはキミの夢を見ている。
キミが誰かはわからないけれど。

7/9

宇宙飛行士であった頃のハナシをしよう。
当時はまだまだ宇宙にヒトが出て行くなんて一般的じゃなくて、もっともっと危険なコトだった。
一般人は、訓練で決まると思っていたようだが、実際には素質よりも能力で決まった。
宇宙人と交流する能力。

ボクのは正確に言うと、宇宙人の出す電波を受け取る能力。
宇宙人に電波を発信する能力は、また別のヒトが持っていた。
その電波をたぐり寄せて宇宙へ導かれるのだ。
カンダタが蜘蛛の糸を登って行く感じに似ていると思う。

不思議なコトに過去、何人かが成功させていたが、誰も宇宙人に会ってはいない。
ボクらを導いておきながらも、ボクらにはカオを見せない。
どうしてだろう。
なぜなんだろう。

考えても答えは出なかった。
何かが足りないのだろうと、何らかのプロセスをこなしてないのだろうと。
ロープレのように、考えられるパターンをひとつひとつ試してきたのに会えなかったんだ。
ボクらを導いてくれる宇宙人、ボクらは会うコトができるだろうか。

そして彼らの出す電波をたどり、ボクらは宇宙へ飛び出した。
成層圏を突破して一息ついた頃、ボクは違う意味での息苦しさを感じはじめていた。
誰かに見られている。
誰かがボクをどこからか見ている。
キョロキョロと見まわしても誰もボクを見ていないのに、視線を感じる。
悪意ではなさそうな、それでも正体も目的も不明な視線。
相変わらず電波をたどりながらボクは必死で考え続けた。

電波の向かう先には、ひとつの星があった。
視線がその星からのものなのかどうかは、ボクにはわからなかった。
最終的にその星に導かれるのかどうかもわからない。
ただエネルギーの残量だけが、残りの距離を教えてくれた。
あの星かどうかは別にして、もうすぐ目的地には着くだろう。

何を目的とした旅なのかも知らされないボクにはただ、電波が途絶えてしまうのが悲しかった。
これでボクは不要な人間になる。
おそらくは彼らに会うコトも叶うまい。

そして案の定、宇宙船はその星へと誘導されていった。
ボクはルートを外れるコトを電波発信係に伝えた。
このままあの星に着いても彼らには会えない。
なら、いっそのコト思いきってレールを外れてみようじゃないか。
ドアをロックして、ボクは予感に導かれるまま舵をあさっての方角にとった。

気のせいか、ずっと感じていた視線をより強く感じるようになった。
それを自信に変えて、何かがドアに叩き付けられる音を聞き流す。
ボクは間違ってない。

そのままエネルギーを使い果たし、ドアも破られて、ボクは倉庫に放り込まれた。
多少の予備電源を有効活用する為に、この倉庫は切り捨てられる。
たどる術を失ってしまった船を何とかあの星にまで持って行くつもりなのだ。
動かすだけなら誰でもできる。
ボクでなくとも。

そして倉庫は切り離された。
ボクはがらくたと共に、宇宙に落ちていった。
そこでキミに逢った。
ボクをずっと見ていたキミに逢った。

それでわかったんだ。
あの電波は、“赤い糸”だったんだって。
蜘蛛の糸のようにもろく、全てを断ち切ってもなお消えない。
多分みんなもそれぞれこの運命に引き寄せられてきたのだろう。
そしてみんな最後にはボクのように呼ばれたのだ。
そこで踏ん切りがつかなかったから。

船が無事に星にたどり着いたのを確認してから、ボクたちは出発した。
誰も知らない明日に向かって。

それでイマのボクがある。
宇宙船はもう必要ない。
キミに逢えたから。
宇宙に落ちた時、恋にも落ちたから。

7/10

昨日のは、そもそも学生時代に書いた戯曲が元になっている。
宇宙船のコックピットを舞台にした一幕物だった。
もっとも一幕物というには回想シーンが多かったけど。

だから乗組員もきちんといて、もっと伏線も張ってあって、もちろん途中までしか書いてなくて。
どうしようもない。
あれの続きを書く方がよっぽど有益な気がしてきた。
それはそれでありだよな。

ちなみに気に入っていたのは、ルートを外れてコックピットに乗組員がなだれ込んでくるあたり。
実際あれを打つコトになってたら、どうやって毎回ドアをふっ飛ばしてたんだろうか。
セット代、高そうだなあ。
ちょっと地味だけど見せ場にはなるかなあ。

「営巣に放り込むぞ!」
「やるんなら、やりゃあいいでしょう。すぐに分かりますよ、どちらが正しかったのか。」
「ドアをやぶれ。」
「このドアをですか!?」
「そうだ! 何でもいい、叩き付けてでも破壊しろ!」
「は、はいっ。」

どがしゃーん。

「その程度で破れると思ってるんですか、そのドアが。」
「他にないのか!」
「待ってて下さいよ、もうすぐ燃料がなくなりますから。そしたら開けてあげますよ。」
「それまで待てというのか、このまま手をこまねいていろと言うのか!」
「うるさいなあ。」

どーん。

こんな台詞ものをあんな風に直すと、まるで別物になる。
物語は犠牲にされた(当たり前だ)けど、ある意味ではわかりやすく、余地のあるものになった。
俳句とか短歌とかの偉大さを改めて知らされた気がする。
百語かけて伝えるものを十語くらいで伝えきるすごさ。
ボクもそうありたいものだ。

ちょっと見、わけが分からないところだけは真似できてるんだけどな。
全然逆をいってるよ。
ああ。

7/11

やっと扇風機を出した。
いい加減限界。
床が見えたので、ちょっとご機嫌。

この夏の電力不足は、実際のところどの程度まで深刻なのだろうかね。
ボクはよっぽどじゃないとエアコンはつけないけど、いざ使って落ちたらヤだよね。
期待してた分、ダメージがでかそうだ。

みんな多分、電力会社のおどしだと思ってる。
ボクも正直、そう思ってる。
足りない分はおそらく、二倍から三倍で申告されている。
みんながちょっと気を付ければそれでいいレベルだ。

でも、それを実行させるのが難しいのだろうな。
ボクも含め、みんなここまで言われても真に受けてない。
きっとホントに落ちたらみんな怒るんだろうなあ。
冷静に受け止めたいものだよな。

電気がないと何もできないもんね。
ローソクくらい買っておくべきだろうか。
赤いやつとかどうだろう。
煙草を吸わないので、ウチにマッチとかないんだよね。
ライターくらい、誰かが置いていったのが探せばきっと。
きっと探す時は真っ暗だと思うと気が重い。

ボクにとって、いったい何がホントに必要なのだろう。
とりあえずパソコンは落ちるだろうな。
一日に何時間使用しているのかとか考えるとおいって感じだけれど。
それでも優先順位としてはたいして・・・えーとホントに落ちるかなあ。

でもパソコンか冷蔵庫かって言われたら冷蔵庫を取る。
どっちが落ちたら困るかを考えたら当然の選択だ。
例えビールしか入ってなくとも。
ビールが冷えてないウチなんて!

とりあえずパソコンの電源はマメに落とすようにしよう。
スイッチ付きのタップを用意したのはだてじゃない。
暗い中で赤いローソクを灯して、キミとふたりで過ごしたい。
暑いのか熱いのか。

7/12

自然現象である雨とやらにまだまだ悩まされているわけで。
うかうか窓を開けておけないし、傘は手放せないし。
そのわりにどんどんと暑くなってきてるし。
まったく。

自然現象に逆らおうなんて思ってはいないけれど、それでも疎ましく思うくらいいいだろ。
感謝する日もあれば、ぶった切りたくなる日もある。
人間関係と一緒だね。
なんだかんだ言っても、離れられないんだ。

コドモの頃は、地面が土だなんて当たり前だったし、釣りをするなんてのも当たり前だった。
山にも登ったし、河でも泳いだ。
溺れたり、クラゲに刺されたり、イタチを追いかけたり。
色々と痛い思いもしたけど、イマとなってはいい思い出だ。
そんなコトどうでもいいか。

自然に手を入れようとして成功した例って何だろう。
最悪なのは杉花粉だろうか。
ボクは違うけれど、花粉症人口を考えるとかなりな失敗例と言っていいと思う。
植林もちゃんと考えてね。

たわいないのは四角いスイカとか。
あれでもちゃんと育つんだもん、すごいよね。
ボクらが四角い枠に入れられて育てられたら、やっぱり四角く育つかな。
てんそくとか、実例があるからそれなりには四角く育つんだろうなー。
ちょっとやってみたいな。
ヒトのコドモでいい?

自然に手を入れると言うか、運動場がアスファルトってのはどうなんだろう。
校舎の中にプールがあるとか、体育館があるとか。
考えてみるとすでに体育“館”じゃないね。
何て呼んでるんだろう。

雨は降るものだし、お日さまは照るものだ。
あるものを、あるがままに受け入れたい。
そうでもしないと、この蒸し暑さに気が狂いそうだ。
湿気取りを余分に置くのも、自然に手を入れているコトになるのだろうな。
すいませんね。

いや、すってもらってるけどね。

7/13

引っ越しの手伝いをしてきた。
もうとっくに終わってると思って電話をしてみたら、全然終わってない。
「たろちゃん、助けてよぉ・・・」とか言われてしまった。
いや、そんな碇シンジばりに言われても、ボクは惣流アスカラングレーじゃないし。

とりあえず行ってみると、まだ全然終わってない。
とりあえずゴミを袋に詰める。
いらないね? いらないね? いらないね?
はい、いらないいらない。

多分引っ越しに対しては、みんなあこがれがあると思う。
余分なものを捨てて、身軽になるチャンス。
でも、結局時間に追われて全部とりあえず持っていっちゃうんだ。
そしてそのまま開けられない段ボールが部屋にころがる。

ボクも引っ越すとしたらずいぶん処分したいものがある。
とりあえずロッキンオン、それに漫画もかなりな量、文庫もある程度処分したいなあ・・・
服もたいして着ないのがいっぱいあるんだよね。

しかしCDだけはは一枚たりとも捨てられない。
とてもじゃないけどそんなコトできない。
レコードはこの機会に処分しちゃうかな。
CDに焼いて捨てちゃうか。
イマでもできるだろ、それ。

どうしても捨てられないものってやっぱある。
大好きな本、大好きな食器、大好きな服。
取っておけばいい、全部まるごと。
そのかわり、そうでないものは景気よく捨ててしまえ。

生活を一蹴できるチャンスなんてそうはない。
活用しないともったいない。
お前はホントにボクにとって必要なのか?
小一時間問いつめる。

そんなこんなでお引っ越し。
ビリヤードがしたかっただけなのに。
でも、ギャラとしてCD4枚もらったよ。
お前は、ボクにとって必要なのか?

その時考えます。
先送りの人生。

7/14

昨日もらったCDを聴いている。
中でもKEITH RICHARDSの「TALK IS CHEAP」がよい。
高校の頃のアルバムて、テープしか持ってなかったんだよね。
でも、当時の記憶よりよいわ。
多分耳が変化してきたんだろうなあ。
形のハナシじゃないよ。

THE ROLLING STONESのハナシをしよう。
リアルタイムで聴いたのは「DIRTY WORK」だった。
1986年、ボク15才。
2003年、ボク31才。
信じられない、何だコレ。

他には聴いたコトがなかったので、コレが初ストーンズ。
イマでもいいアルバムだと思う。
でもこれ以降、ストーンズは停滞期に入るコトになる。

それでも高校生になったばかりのボクたちの為に、ストーンズのアルバムはいっぱいあった。
色々聴いて、色々感じた。
ボクの持ってる「EXILE ON MAIN ST.」には4,200円とか書いてある。
一枚もので4,200円・・・もとが二枚組だったからなのだけど、時代だなあ。
この風習が持ち越されなくて、ホントによかった。

ところがその過去への旅と平行して、メンバーのソロがリリースされたのだ。
それが「TALK IS CHEAP」だった。
決してソロには手を出さなかったギタリストが出したコトで、ストーンズの崩壊は決定的と思われた。
次のストーンズのリリースは1989年、イマならそんなに焦る年数でもない。
でも、その「STEEL WHEELS」は駄作だったなあ。

で、そのキースのソロをボクは複雑な気分で聴いたのだ。
でも、渋すぎて、ピンと来なかった。
大学の頃にリリースされたセカンドも、あまりピンとは来なかった。
でも、ファーストより好きかも、とか思ってたっけ。

で、久しぶりにセカンド「MAIN OFFENDER」も引っ張り出して聴いてみた。
何年ぶりだろうなあ、どきどき。
ファーストと一緒だよ・・・

あ、あれ?
何、このスクラッチは?
こんなワザ、キースがやってたの?

とか思ったら、針が飛んでただけだった。
びっくり。

7/15

ごめん忘れてた。
こだわってないけどこだわる」のたえさんからリンクの報告をいただいてたのでした。
いやーごめんごめん。

ターミネーター3」を観た。
色々と議論を呼ぶであろうラストシーン。
ただでさえ、「ターミネーター」だというだけで色々と言われるだろうに、あのラスト。
そりゃ駄作呼ばわりもやむを得まい。

でも、ボク的にはあり。
ありどころか、きちんとシリーズをつないだ作品だと思う。
できうんぬんは関係なく、とてもおもしろかった。
ラストが見えた時、また7〜80分じゃないの?とか思ったもの。

ターミネーターの新作っていうだけで二時間越えていそうな感じがするけれど、実際は一時間五十分。
それは今回監督を引き継いだジョナサン・モストゥの信念だそうだ。
「U−571」って、二時間以上あったような気がしたけどそうじゃなかったのね。
失敬失敬。

内容は基本的には前作と同じ。
追いかけられて、逃げまわる。
逃げながら色々とやる。
以上。

ジョン・コナーがエドワード・ファーロングじゃないのは寂しいけど、仕方ない。
アクションで観るクレア・デーンズもいいなあ。
“凛々しい”とかとはほど遠いのがいいよな。
“守ってあげたい!”ってのともちょっと違うけど、そこはそれ。

ただ、今回の敵“T-X”には正直ものたりない。
上映時間の関係だろうけど、もっと色々とやらせて欲しかった。
最後には、“何でもう少し頑張らないかなあ!?”とか考えてた。
ものたりねーよ! あと一時間くらい逃げてくれよ!
キャラ的にはちょう迷惑。

今回特筆すべきコトがもうひとつある。
前作の時にはなかった感想だ。
次が観たい。
それが“つないだ”という意味。

あの時、キミの手の温かさだけが希望だったんだ。
その希望がどういった形で育まれていくのか知りたい。
ボクは今日から「4」を待つヒトである。

 

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戻ろ?