思い上がりなのは分かっている。
だけど、過去に犯してきた罪をつぐなえない。
具体的なそれではなくて、ジブンの渦に巻き込んでしまったヒトたちのコト。
行動をともにしたヒト、お付き合いさせてもらったヒト、一緒におシゴトをさせてもらったヒト。
その全てのヒトの時間を無駄にしてしまったような気がしてしょうがない。
そんなわけないのだけれど、そんな気がしてしまう。
冷酷なまなざしでもって、そう告げられるコトにおびえてしまう。
そうじゃない。
そんなわけがない。
ボクの価値が問われるなら、それはこんな形じゃないんだ。
エンドマークはいい形で付けたいものだけれど、そうそううまくはいかないものだ。
でも、時間は戻せないから、そして決して止められないから。
エンドマークなんてありえないんだ。
どこにも終わりなんてない。
挽回可能なラストシーンたち。
うまくいくとは限らないけれど、どこにも行けないなんてありえない。
いつだってボクらのまわりには、過程しかない。
どこにも行き着かないと見せかけた道のり。
どこへ向かうのか分からない分かれ道。
どこに行きたいのか分からない。
どこでもいいんだ。
誰もいない場所ならどこでも。
ボクしかいない場所で、ひっそりと時をやり過ごすよ。
さみしいなんて、思い過ごしだ。
でも、そうじゃない。
ボクのいるべき場所はそんなさみしいところじゃない。
全ての、ボクに関わってきたヒトを楽しませたという自信はない。
それでもそれを悔やんじゃいけないんだ。
これからもやっていかなきゃいけないんだ。
自意識過剰。
そんなもの捨ててしまえ。
あたらしい自意識を形にするために、古いのは捨ててしまえ。
決して戻れない道のりを、ボクはまだ、歩き続ける。
雨にも負けず、風にも負けず。
そんなものに今まで負けてたのは内緒である。
さ、今日は軽くいきたいと思う。
じめじめするのにも飽きたし、ちょっと空気を乾かすような感じで。
長くシゴトをしているので、年一回の定期的なおシゴトがいくつかある。
もうお互いに顔見知りで、「もうこんな時期ですねえ」とか言い合う。
ボクはしょっちゅう言っている。
ひどい時には、憶えてないのに言ってたりする。
便利なことばなのだ。
明日のおシゴトも年一回。
ここ三年ほど、雨にやられている。
屋内シゴトなので、どうでもいいといえばどうでもいい。
でもそれはボクだけで、向こうはもちろん晴れた方がいいだろう。
時期的に仕方がないという考え方もできるが、こう続くと雨男か雨女がいると考えた方がいい。
明日雨が降ったらそう告げようと思う。
だって四年連続って、いくら何でもおかしいよ。
PL学園の甲子園出場じゃあるまいし、ついてないねで済まないだろ。
絶対にいるんだ、という線を押し進めてみよう。
でも、雨男と呼ばれているヒトにも普段の生活はあるわけで。
年間通しての雨日数は多分ボクとそんなに変わらないわけで。
というコトは、ジブン的なイベントの日に集中しているわけだな。
ある意味では制御しやすいじゃない。
だって普段はまず降らないし、逆に楽しみにしてるイベントは雨を前提にして計画を練ればいい。
逆の発想が重要なんだな。
考え方で良くもなり悪くもなり。
例えばデートに誘われて、雨が降らなかったらあまり楽しみにしてなかったってコトだ。
何てわかりやすい目安。
でも、途中から空がぐずついてきて雨になったりすると、すごく楽しみはじめたというコト。
ある意味サトラレと言ってもいい。
雨男とか、雨女とか、そんな大変なものだとは考えたコトもなかったな。
とりあえず、雨女をデートに誘う時は頑張ろうと思う。
もうザーザー降り目指して、雷なんかも鳴らせちゃったりして。
シンギン・イン・ザ・レイン。
一行目の目標は達されたと思う。
でも、二行目の目標は達されてない。
どうしてこう、逆へ逆へと。
残念ながら雨は降らなかった。
とりあえず「よかったですね」と言ってみた。
まるで反対な思いを抱えながら。
ちぇっ。
“顔で笑って心で泣いて”とはよく言ったものだ。
“ヒトの不幸は蜜の味”とも言うな。
甘いものきらーい。
でもその蜜は好きー。
嫌なヤツだなあ。
ところでそんな嫌なヤツは今日、とんでもない目にあっていた。
いきなり現場ふたつ掛け持ちさせられた。
いやいやあのあの、そのね、えー、という感じだった。
フォローに付けられたのがどシロートひとりと、もう目も当てられない。
そうなってるのは、当たり前だけれど追加はほとんど手がかからないから。
でも、仕込みは!? ばらしは!? ボクはいつ休むのさ!?
結局終わってみればノントラブル、さらに言うとノン休憩。
ストップウォッチ片手に汗だくで走り回る。
どうしてそんなコトになってしまっていたのか、いまだによくわからない。
終わったコトは別にどうでもいいや。
繰り返されなきゃいいんだ。
でも、こういうのは往々にしてまた起こるんだよなあ。
でも、今日のシロートさんはそれなりにちゃんとやってくれた。
言われたコトだけでいいからね、と言い含めたかいがあった。
こういうコトがうまくいった時って、ジブンで何かをやった時よりうれしい。
パートを割り振って、思いどおりにいった時のカタルシス!
例えジブンでやった方が早くて楽でもね。
以前はそうじゃなかった。
ジブンでやれるコトはジブンでやっちゃってた。
でも、いつからかヒトに振るのも楽しくなってきた。
何つーの、ヒトを思うがままに動かす楽しさつーの?
相手の得意分野とか、クセとかを把握した上でシゴトを割り振っていく。
ミスしたら対処に時間がかかるのでショックはでかい。
でも、その分、満足感もでかい。
ハイリスク・ハイリターンだ。
何かに似てると思ったら、お芝居の演出に似てた。
そうかここに帰ってきたのか。
三つ子の魂、百までとはよく言ったものだ。
でも、と言うコトは、へっぽこかあ。
やってられんなあ。
テレビでアル中のハナシをしてた。
“アルコール依存症”とか言ってたかな。
そんなとこ飾ってごまかしてどうするんだろね。
若い女性に増えているという。
社会人として認められて、男性と同じように飲み出してストレスにやられる。
で、アル中と。
言ってるコトは分かるんだけど、そんな単純なものかね。
ビール大瓶一本、酎ハイ(だったかな)一本、水割り一杯の合計量を週に三日欲しくなったら危険だという。
その言に従えば、ボクはとっくの昔にアル中である。
実際そうなのだろうなあとも思う。
でも、引っかかったのはそこじゃない。
なんとか教授が言ったヒトコトだ。
「最近の若い方は、知識や体力があっても精神的に脆弱ですから・・・」
おう、待て、そこの最近のじじい。
自慢じゃないが、番組中の仮定でいくとボクも若いヒトである。
ジブンが“精神的に脆弱”でないなどと主張するつもりはない。
でも、それに比べてあんたらの世代は、最近どうなんだ。
世間で最近目立つ不祥事のほとんどはあなた方の、
つまり最近の古い方が引き起こしているように見えるがどうか。
そこに対してのコメントは聞いたコトがないが。
“昔の”若いヒトと“最近の”若いヒトの間で精神的な脆弱さに差はあるのか。
ボクはほとんどない(全く、ではない)と思う。
最近のシゴトのきびしさって、昔とは絶対に違う。
終身雇用が崩壊し、給料が年齢に応じて上がっていくなんて夢である時代。
給料はむしろ下がっているところも多いだろう。
(実際にボクも今年度は昨年度よりも落ちる通告を出されたし。うわーん!)
学生から社会人になる、というのは就職するコトを意味すると言っていい。
でも、就職先がどんな場所なのかは別にしても、“社会人”として入社するわけではない。
シゴトを仕込むと同時に、“社会人”に育てていかなくちゃならない。
でも、ほとんどの会社にはそんな余裕はないんじゃないかな。
そこまでヒト採ってないでしょ。
ちなみにボクにも、正規ルートでの部下はひとりもいない。
つまりボクの部署はボクの直後に入った役立たず(同い年)以降、誰も採ってない。
社会集団としては、死に体だと言っていいだろう。
平均年齢だけが上がっていく。
全員一緒に死んでしまうだろう。
ネズミになって逃げ出したいくらいだ。
“社会人”として見てもらってる?
“戦力としての兵隊”でしかなかったりしないかい?
そりゃあストレスたまるよね。
割り切る術も教えてもらえないのに、割り切るコトを要求されて。
甘ったれたくないから、酒を飲むんじゃないか。
甘ったれてしまうから、引きこもるんじゃないか。
そこまで弁護するつもりはない。
確かにアル中は敗者なのかも知れないけれど、戦って破れたんだというコトは知ってる。
ボクらが“最近の古い者”になったらば、その時にはみんなで笑いあおうよ。
で、勝ち誇った顔で、「わしらの若い頃は」とか言おう。
目の前の若い者をみつめながら。
昨日の内容からあぶれた部分をまとめてみる。
“今の”という言い方には世代的な拒絶感が溢れていると思う。
彼等は俺たちとはもう違う人種なんだよ、とでも言うかのような感じだ。
そのくせ自分達は世代でまとめられるのを拒否するんだな。
それは情報操作じゃないの。
だいたい世代論で“若い方”を語ろうとするくせに、自分達は世代論を拒否するんだな。
例えば十八歳を語る前に、一個の人間としてその十八歳に接してやったらどうなんだ。
そっちから向こうが分からないのなら、向こうからだってそっちが分からないのは当たり前だろう。
オトナ扱いしてもらえないのに情報だけは溢れかえって、
そんな中で正しく導くべきオトナが尊敬すべき対象として映らない。
正直、何をすべきなのか、分からなくて当たり前のような気がするよ。
ボクはちょうど、世代のはざまに立っている年である。
オトナとも言えない(以前の、ではなく現在において)、そしてまたコドモとも言えない。
イマこそボクらが立ち上がる時なのではないか。
でも、何をしていいのか分からない。
せつない中間管理職。
世代の代表としてヒトと接するわけじゃない。
そんなコト、誰だって当たり前だと思うんだけど。
どうして目の前のヒトをきちんと見ないの?
理解できる気がしないから、最初からあきらめてるの?
面倒くさいの? 認めたくないの? 同じ人間だというのを?
情報過多に負けてしまって、ジブンをいかす術を見つけられない。
それはボクらだって同じ。
幼い頃からそうなら、よけいにそれはひどいだろう。
でも、その大量の情報の中から、鮮やかにジブンを活かす術を選び取っていく。
それができるのも、イマの二十歳前後だと思う。
ドラゴンアッシュの降谷健志が「Grateful Days」を響かせた瞬間にボクはそれを確信した。
椎名林檎の「歌舞伎町の女王」、バンプ藤原基央の「ランプ」、まだまだある。
でも、幼き天才を利用するのはいつだってオトナなんだな。
エヴァンゲリオンの中で、碇ゲンドウがシンジに言う。
「子供の駄々に付き合っている暇はない。」
そんな子供を利用しないとやっていけないくせに!
駄々をこねないコドモなんていやしないよ。
まあ芸能は、コドモの敏感さを商売にしているジャンルだけれど、他は違うだろ。
そこにあるのはきっと世代的な隔絶感じゃない。
利用するもの、されるもの、そんな弱肉強食社会の認識。
それをごまかすための世代論だ。
要するに、「お前らは俺たちに使われてりゃあいいんだよ、自我なんて出すんじゃねえよ」と。
なんか思ってた以上にひどいところに着地した。
外れてるコトを、ちょっと希望。
ひどすぎるわー。
ドラえもんの絵描き歌に曰く、「六月六日にUFOが」と。
六月六日、いい迷惑。
それとも来てたの?
ボク見てない。
UFOは来てないかもしれないが、奇跡が訪れた物語がある。
「トーク・トゥ・ハー」を観た。
監督であるペドロ・アルモドバルの前作は「オール・アバウト・マイ・マザー」だ。
世間的な評価はすごく高かった一本。
ペネロペ・クルスも出てた。
でも、ボクの評価はあまり高くなかった。
なぜだろう、あまりピンとこなかった。
だから新作のハナシを聞いた時も、たいして期待はしてなかった。
映画も変だったけど、だいたい名前が変だよ。
何だよ、ペドロって、あるもどばるって。
誰だよ、いったい。
知ってるよ、答えんなよ。
とまあ、変な監督だなあ、という程度の印象に留まってたヒトの新作。
それが期待に変わったのは一か月ほど前。
ヒロイン、レオノール・ワトリングがプロモーションで来日、笑っていいともに出てた。
ピーコだかの褒め言葉なんかどうでも良いのだが、彼女がかわいくて!
これは観なければ!となってた。
予告も良かったし、気になってたんだ。
で、実際に観てみると、今回も変な映画だった。
でも、今回はものすごく良かった。
もしかしたら、前作も今観ればすごくいいかもしれない。
レンタル屋に行ってみようかな。
要は植物人間をよみがえらせるハナシだと思えばよい。
ただ、その周辺と過程が、どうしようもなさとやりきれなさに満ちあふれている。
そして何もかもが滑稽に見えてしまう中で、ひとりフツーにヒロインしているワトリング。
ひとりだけ涼やかに、ひとりだけシンプルに、物語の中を泳いでいく。
ある意味ではうらやましいと言えなくもない。
何てせまい意味だろう。
生きている人間にすらまっすぐに語りかけられないボクには、おおよそ彼女を蘇生させられそうにない。
UFOくらいなら呼べるかもしれないな。
しまった、六月六日はもう過ぎた。
いやー、よもや生きているうちに生で「モンロー・ウォーク」を聴くコトが出来るとは。
斉藤ノブのコンサートを観てきた。
単純に斉藤ノブと言っても分からない方がほとんどだと思う。
わりと有名なパーカッショニスト。
ロック系でも結構名前を見る。
他のメンバーはほとんどスタジオミュージシャンの大御所。
もう、アホみたいにうまい。
こんだけうまいと、それだけでひとつの芸だよなあ、と思う。
あまり必要としてない芸だけれど。
基本はバンドのみ。
フュージョン系だな。
そこにヴォーカリストが何人かゲストで入る、と。
林田健司の「青いイナズマ」も、一生生で聴くコトはないだろうと思っていたのに。
聴くとしたらシゴト絡みだと思ってたのに。
川村結花の「夜空のムコウ」もそんな感じの曲だ。
林田健司に南佳孝、それに吉田美奈子。
圧倒的だったのはやっぱり吉田美奈子。
生で観たのは初めてだったけれど、すげえすげえと感動してしまった。
迫力だなあ。
正直、フュージョンって全然魅力を感じないのだけれど、バックバンドとしては全然ありだな。
カシオペアとかスクウェアとか、誰が聴くんだろうとか思ってたのだけどな。
でも、魅力の一端は分かった気がするよ。
やっぱりうまいとすごいもの。
ボクには必要ないけどさ。
そう言えばボクが高校生の頃は、夏と言えば山下達郎か高中正義だったなあ。
どっちともに当時は全然聴いてなかったっけ。
高中に限っては、いまだにほとんど聴いてないし。
ホントに人気あったのかしら。
今日のコンサートを思い返すと、カラオケに行きたくなる。
この感想は邪道だろうか。
彼等にとっては、こういうのってどうなのだろう。
もっと俺たちに酔えよ!って感じだろうか。
ごめんよう、今度CD買ってあげるから。
覚えて歌おう。
そっちは本望だと思う。
アレルギーってのを持ってるヒトがいる。
花粉症とかアトピーとか、そういうの。
よく問診なんかでも訊かれるね。
薬にもあるから。
ボクはアレルギーは持ってない。
キライなものはいっぱいあるけど、アレルギーとは違うね。
それは天敵か。
ゴキブリとか。
そういえば泡を噴射してゴキブリを閉じ込めてしまう商品が出てる。
使ったヒトによると、当てるのが大変らしい。
ひたすら何も入ってない泡の固まりがてんてんと出来ていくそうだ。
ゴルゴを雇え、ゴルゴを。
あれは練習してもきっとダメだろうなあ。
だってあれを目の前にして冷静に狙いをつけられるくらいなら、手で掴んで捨てるよね。
平静でいられないからこその、人類の天敵なのだ。
うるさい、ボクだって人類のはしくれ。
ボクの天敵は人類の天敵。
でもヤツらが人類を天敵と定めたら、ボクらはひとたまりもないだろうな。
クリープショーが現実に起きるよ、きっと。
(ゴキブリに乗っ取られた男が主役のホラー。手からゴキ、目から鼻から口から・・・!!!)
できればその前に死にたいもんだ。
むしろその手で殺してほしい。
愛する君の手で。
どうせ死ぬなら好きなヒトの腕の中で死にたい。
でも、その時の相手の気持ちを考えると、どうにもやりきれない。
同棲解消の時に、どちらが出ていくかって議論に似てる。
相手の不在を感じる場所に、どちらが置いていかれるか。
そんな思いを、たとえ過去形でも好きだったヒトには味わわせたくない。
そこは、ボクが引受けるよ。
そういえばそろそろゴキな季節だね。
ホイホイとコンバットの新しいのを配置しておこう。
殺虫剤の新しいのも買っとこうかな。
アレルギーのハナシはまた明日。
というか、何を言おうと思ってたのか。
ロックの日。
何するわけでもない。
いつも通りにロックを聴こう。
最近の当たりはまずBLURの新作「THINK TANK」
グレアムがいないと言われなければ、多分分からなかったと思う。
変わってないからではなくて、変わったから。
すごく豊かになった。
GORILLAZもMARI MUSICも、全部ここにあって、なおかつBLURでしかないという。
次は、映画も良かった「8 MILE」のサウンドトラック。
EMINEMの前作「THE EMINEM SHOW」もよかったけど、こっちはバリエーションが効いてる。
飽きずに聴きとおせるアルバム。
この主題歌はとりあえず傑作だし。
70年代のパンク・バンド、ADICTSのシングル・コレクションがいい。
中古で見かけて即購入。
やっぱりこういうの好き。
高校時代からこういうの数限りなく聴いてきたくせにまだ聴くか。
SUGAR PLANTの「dryfruit」もよい。
ダブ系とか音響系とかの一派なのかしら。
ボク的には歌ものメローダブかなあ。
ちょっとルーマニアモンテビデオを彷佛とさせたりも。
これも出たのは三年前、もちろん中古で最近の購入。
あと最近家でよく聴くのはLUCIOUS JACKSON。
ふと引っ張り出したらミョーにしっくりきてよく聴いてる。
並べると、リズムミュージックが多いなあ。
音楽は家でだけ聴くものじゃないけれど、カラダを揺らすなら外で聴きたいな。
ちなみに連れ歩いてるウォークマンの中身はウタダ。
「COLORS」等を混ぜ込んだ「DEEP RIVER」
MDを失くしてしまったので再度編集したら、ウォークマンから抜けなくなってしまった。
まだ聴くのか。
うん。
カラダとココロを揺らしながら、こうやってロックしていこう。
捕われたり解放されたりを繰り返しながら、ボクらは歩き続けるだろ。
指を鳴らせば、いつだってそばにはキミがいるさ。
幾千ものボクとキミが歩いてるこの世界で、音楽は留まるところを知らない。
そんなロックンロール・ミュージック。
ウタダが?とか言うヒトにはこう返す。
彼女は矢沢にも匹敵するロックンローラーですよと。
別れたら、今度こそボクがもらうから。
しばらくちまちまと観ていたエヴァンゲリオンがやっと終わった。
なんか思い出したので、もののけ姫も観た。
やっぱすげえなあ。
思い出したのは多分、神様の扱い方。
ヒトの味方ではない、ヒトの敵でもない。
ただそこにある、神様だ。
ヒトにはヒトの世界、神様には神様の世界。
先日よりちょっとボクの神様について考える機会があり、思い出したのはそのせいかも知れない。
でも、この共通点はあながち間違ってないと思う。
神の怒り・神の救いは、いずれも神の世界を侵犯した時に訪れる。
「もののけ姫」という作品はまさにそういう作品だと思う。
ボクは「千と千尋の神隠し」よりも「もののけ姫」の方が好き。
この作品には色々と未完成な部分があって、完成度では「千と〜」にはおよばない。
でも、ここには監督の得体の知れないエネルギーが原型のまま封じ込められている。
その圧倒的なエネルギーが、この作品を特別なものにしているのだ。
神様とヒトとの関わりを描いた作品はたくさんあるけれど、
神が神でなくなっていく過程を描いた作品はそうはない。
いつだって神様は神様、ヒトはヒトでしかない。
神になろうとしたヒトは、失敗して落ちていくものと相場が決まっているのだから。
“身の程を知る”というのは大切なコトだが、それにも限度がある。
ある程度までは迫らないと、限度なんて分からない。
イカロス親子のように許されなかった領域も、いずれはボクらのものになっていく。
最初からあきらめるわけにもいかないし、その判断のつけどころが難しいのだ。
“決してあきらめるな”なんて言い方もあるけれど、それはジブンを泥沼に引きずり込む場合もあるし。
もののけ姫のサンは、あくまでも神の立場に立とうとしていた。
神のルールで行動し、神のルールで戦っていた。
ヒトとしてアシタカに惹かれていったものの、素直にそこに向かうコトはなかった。
ボクは信じるキミの立場に立とうと思う。
キミが誰にも信じてもらえなくても、ボクだけはキミを信じる。
どんなに突拍子もないハナシでも、キミが真剣なら、ボクは信じるよ。
ボクは神様とキミを天秤にかけて、そしてキミをとるだろう。
その後、ボク自身とキミを天秤にかけて、そしてどちらをとるだろう。
イマはまだ、わからないや。
神様は、ボクとキミのどちらをとるだろうね?
ふたりを選んでくれるだろうかね?
それよりも、キミはボクを選んでくれるだろうか?
幸せになりたいだけなのに、それも身の程知らずだろうか。
未来に期待。
アレルギー体質とは、そのものの空気を感じて拒否反応をカラダが示すコトだ。
理性的な好きとか嫌いはあまり関係がない。
牛乳好きでも、絶対腹を下すとか。
恋愛にもこういうのあるよね。
条件的に、どんなに好みに近くてもダメなヒトとか。
逆に条件的にははるか遠いのに惹かれてしまったりとか。
幸せになれるのかどうかなんて、やってみなけりゃ分からない。
イマまで好きになったヒトを思い返してみると、好みとは違うヒトほどよく覚えてる。
好みに近いヒトほど(つまり理想に近いヒトほど)覚えていてよさそうなものなのに。
例えばボクのシゴト場には、ボクにとってのマドンナがいた。
マドンナとは、ライク・ア・ヴァージンなあれではなく、寅さんの方である。
全然好みとは違ってたけど、気付くと目が追いかけてた。
結局ワンツーで振られちゃったのだけど、イマでもシゴト場ではマドンナというと彼女だ。
彼女は想像もしてないだろうが。
彼女がそのおシゴトの担当から外れた後任のオンナノコの方が、むしろボクの好みに近かった。
でも、その娘にはたいしてそんな気にならなかった。
振られた直後だったコトも関係してるとは思う。
とってもいい娘だったよ。
その娘の後任は、かわいかったけれど好みからは遠かったのでむしろどうでもよい。
さらにその娘の後任はさらにどうでもよい。
カムバック、マドンナ。
しかしマドンナてなあ。
誰が言い出したのかって感じだな。
恋愛と結婚は別のものなのだという解釈がある。
結婚は条件でするものだと、本人への好意はある程度あればいいと。
そんなヒトと毎晩一緒に眠るのか。
うんざりしそうだ。
両方ドライに割り切れていればいいのかも知れないけれど、そんな寂しい家庭には産まれたくない。
ボクはボクの、マドンナと一緒に眠りたい。
きっとたろすけ母は、たろすけ父のマドンナなのだと思いたい。
その間で産まれたのだと、そう思いたいんだ。
アレルギーは、もう忘れます。
そのうちまた。
たまにこの街ではない場所で暮らしたくなる。
逃げ出したいとかではないけど、それでもこの街に以前ほどはしがみつかなくなってる。
いいコトなのか、それともまずいコトなのか。
イマなら転勤とか言われても、それほど抵抗なく受け入れてしまいそうな気がする。
以前はそうじゃなかった。
東京に憧れて田舎から出てきて、この街で生きてきた。
この街から出る時は田舎に帰る時だと、そう信じて疑わなかったのに。
どこで生きててもボクはボクでしかないと、そう思えたというコトなのか。
はたしてそんなキレイなものか。
どうでも良くなってきている。
生きているコトに対して、貪欲でなくなってきている。
ヤな想像だが、あながち違うと言い切るコトもできない。
執着が薄くなるコトと貪欲でなくなるコトは同じなのか。
ひとりのオンナノコにアタックし続けるのに疲れたのかもしれない。
なぜこの娘なのかが分からなくなってきている。
なぜ東京でなくてはいけないのかが、分からなくなってきている。
多分江戸っ子にはわからない感情だろうと思う。
というか、生まれ育った土地で暮らしているヒトには分からないかもしれない。
ボクは、ジブンでこの街を選んだのだ。
生まれ育った街を見捨てて、ボクはこの街で暮らしている。
いつかはあの田舎に帰るのだろうか。
あるべき場所に、納まるのだろうか。
この場所にいるコトが、当たり前になってしまっている。
麻痺している、弛緩している。
一度離れてみるのも、それはそれで手かもしれない。
生きるだけなら、どこだっていいさ。
失ってしまったら二度と手には入らない。
その覚悟で離れてみる。
運命の相手なら、それでもきっとまた逢えると信じる。
一度得た居場所とシゴト、一度に捨ててしまう度胸が欲しい。
どちらともに嫌いではないだけに、捨てるに捨てられない。
ジブンに理由が見つけられない。
いつだって新鮮な気持ちで生きていきたいと願っているのに。
とりあえずいつもの場所を冷静に見返してみるコトから始める。
いつものキミを冷静に見直してみる。
もう一度、恋に落ちるために。
キミのそばに、いるために。
数年前の殺人事件のまとめをテレビでやってた。
ありがたいコトなのだけれど、どうもタイトルからして二時間ドラマ風味だ。
番組進行もガチンコっぽいし。
興味はあるけど、バラエティーを見てるような気分になっちゃうな。
興味をかき立てるようなつくりって確かに必要なんだろうけどさ、そこまでしちゃうの?
報道と娯楽を取り違えてるんじゃないの?
ボクらはそんなにバカじゃないよ。
こんな風に感じるのは、ボクがめったにテレビを観ないからじゃないでしょう。
多分みんなそう思ってる。
あれを咎めないのは、その方がおもしろいからか。
それともホントに気付いてないのか。
んなこたあない。
テレビって確かに興味を引いていかなきゃいけないものだけど、
報道とバラエティーの間の線は守ってほしいんだよなあ。
引っ張り方がバラエティーと同じっていうのは、どうかと思うんだよな。
死んだヒトにも悪い気がするよ。
会ったコトないけどさ。
それとも会ったコトもないようなヒトの死に対してはそれが適切な接し方なのか。
確かにお悔やみの言葉もない。
ドラマの中の死と、ほとんどボクの中では変わりがない。
言ってしまえば娯楽の一部。
ボクが死ぬなら、誰もが興味を引く死に方をしたいな。
みんながドキドキワクワクするような。
みんなが怒ってくれるような。
そしてみんなが笑ってくれるような。
死ぬ時くらい、みんなの役に立ちたいよ。
おもしろい死に方をすれば、みんなボクのコトを忘れないでしょう?
毎年思い出してもらうには、どうすればいいの?
どこまでいっても、自己防衛と自己欺瞞の固まりだ。
エンターテインメントにはほど遠い。
せめて死ぬ時くらいエンターテイナーとして消えたいな。
でも同時に、誰にも気付かれずに消えたいなとも思う。
ひっそりと、誰にも知られずに死んでいく。
そのまま骨になっていく。
手間のかからないのはいいのだけど、キミにだけは見取ってもらいたいな。
あとは友達の坊主に連絡してくれれば、お経のひとつくらいあげてくれるだろう。
それでカッコはつくよ。
信じてないくせに、こんな時ばっかり。
だってもし役に立ってたら困るもんね。
棺桶の片棒担ぐついでにジブンであげてもいいけどさ、それこそできなきゃ困るじゃない。
そうだなあ、ジブンの死っくらいは娯楽であってほしいなあ。
みんながドキドキするような。
そんな風にお願いしたい。
誰にだ。
「普段は何をされてるのですか?」
「ええ、野球をやってます。」
「野球・・・?」
「ええ。ショートを。」
「ショート!」
「ええ。」
「というコトはロングさんもいらっしゃるのですな!」
「?」
「ショートさんがおられるならロングさんもおられるのでしょう?」
「あ、いや、そういうわけでは。」
「漫才コンビですな! 野球というのは。」
「はい?」
「人気はあるのですかな、その、野球というのは。」
「えーと。」
「ちょくちょく名前は耳にするような気も。」
「そりゃそうだろう。」
「きっとあれでしょうな、舞台に出て、“ショートでーす”“ロングでーす”
さぞかし拍手喝采なのでしょうなあ。」
「はあ、まあ確かにそれなりに拍手は、」
「やはりツッコミはロングさんの方ですかな。」
「ツッコミ・・・」
「あなたはタイプ的にボケっぽいですなあ。」
「は、はあ。」
「しかしあなたがショートさんというコトは、相方のロングさん、よっぽど背がお高いのでしょうなあ。」
「そうっすね。」
「ノッポさんくらいはないと、バランスがとれないですものなあ。」
「どこまでいくのかなあ。」
「せめて2mくらいは欲しいですな!」
「よっぽど美学があるんですね。」
「漫才コンビの美しさときたら、やはりオール阪神巨人につきますよ。」
「まあ確かに。」
「私も昔はちょっとかじったものでした。」
「まじすか。」
「笑いがおきた時のあ感動といったらありませんでしたなあ。」
「むしろそのハナシを聞きたい。」
「夢やぶれ、今や過去の話です。現役のお方にお聞かせするような話では。」
「ボクらに参考になるようなハナシではないですかね。」
「調子乗んな。」
「うわあ。」
何が言いたいのかというと、なぜショートという名前なのかが気になっただけという。
片桐彩子さんというヒトに会った。
おばさんだった。
ときめかないなあ。
サンプリングサンの初のワンマンライヴを観てきた。
初の、というだけあって気合いが入ってる。
というかテンションが上がってる。
いいもん観たなあ。
素直にそう思う。
リリースされてる音源は90分ぐらいしかないバンドなので、やってない曲の方が少ない。
それでも色々と目端を変えて楽しませてくれた。
最後に本人たちも言ってたけど、ホントに全部出し切ったんだろうと思う。
何て初々しい。
何て爺むさい。
ボクがね。
ライヴの最後、メンバーが初めて一緒に作った曲をどうしてもやりたい、と始めた。
歌から入り、ギターが入るところでギタリストがストップをかけた。
何だ?
ギタリスト「すいません、ギターが鳴りません。」
ボーカリスト「俺、むっちゃ入ってたのに、ギター鳴れへんて何やそれ。
お前、四才くらいからやりなおせ、ぼけ。」
すぐに直ってまた始めたものの、まああれできれいに終わるより、よかったと思う。
“狂騒ポップ”を標榜する彼等には、ある意味でふさわしいアクシデントだったんじゃないか。
外野はいいなあ、勝手なコト言えてな。
なのでイマ、ボクの中で“四才くらいからやりなおせ”が密かなブームを呼んでいる。
ボクの中だけなんだから、“密かに”もへちまもないものだが呼んでいる。
四才という、非常に中途半端な時期からのやりなおし。
どうせだったら腹の中からやりなおせとか言えばいい。
あるいは“無駄撃ちされてトイレにでも流されろ”とか。
すでにやり直す機会さえも奪ってる。
やりすぎたか。
機会があったら使ってみようと思っている。
“四才くらいからやりなおせ”か・・・
やりなおせるものならな。