今日の食事。
朝、ロッテリア。
昼、松屋。
夜、定食屋さんで中華丼。
どこにも秋の味覚がない。
その気になれば、ロッテリアにだって松茸バーガーがあるというのに。
イマイチだけれど。
そんなあいまいなモノに頼るのはやめよう。
もっと積極的にいこう。
でも、明日は確かお弁当が出るイベントだ。
運任せ。
お弁当が出るのはいいコトなんだけれど、そういう運任せな食事になる。
好きなモノとか嫌いなモノとかには頓着してくれない。
だいたい冷たいし。
でも、そんなコトは比較的どうでもいい。
いただけるのは大変結構である。
ただし、引き換えに昼休みを失う。
つまり、昼休みを取る時間がないから、食事を出すワケだ。
交代で、持ち時間10分とかならまだしも、作業と平行して食べるコトもある。
こないだはカラオケ大会の本番に付きながら、一時間かけて食べた。
まあ優雅。
時々二千円とか三千円とかのお弁当をもらうコトもあるけれど、別にどうでもいいんだ。
時間がない中で食べるんだから、おにぎりとかサンドイッチの方がいい時も多い。
でも、そこにも頓着はしてくれない。
余ったのをもらって帰るコトもある。
昼夜夜食に翌日の朝食なんて並べたコトもある。
なんとかなる。
結局のトコロ、食べられれば何とかなるもんだ。
みんなおシゴトで来てるんだし、事情は理解してる。
不平不満は、さして本気ではない。
本気なのは、時間がないのにお弁当をくれない時。
少ない人手を割いて、買い出し部隊が出撃する。
奥ゆかしいんだから、催促なんかできないよ。
またそんな時に限って、余ったとか言って最後に配ってたりするし。
いらないとか、言うっつーの。
ご飯の恨みを、思い知るがよいわ。
あのね、男子が洋式の便器で小用を足す時って、基本的には座らないんですよ。
女子は座るでしょ?
見たコトないけれど、きっと座ってるよね?
座ってないとすると、どうなんだろう。
で、座らないというコトは、当然立ってするワケだ。
小便器使用時と同じだね。
もちろんこれも、女子で見たコトあるヒトは少ないと思う。
まあ、想像はつくじゃない。
で、そうすると、水が溜まってるトコロに直接放り込むんだな。
あれはうるさいよね。
ジブンでやってるからいいようなモノの、ヒトがやってるのを聞かされるのはあまり。
しかも、たまに目的地からそれて着地するコトとかあるし。
女子と同じように座ってやれば全ては解決する。
飛び散らないし、音もしないし。
どうだろうか。
ここは男子としてのアイデンティティーの問題なんだと思う。
例えば女子と比較対照した時のそれとは違う。
密室の自己主張。
誰に見られるワケではないのに、ボクは立って用を足す。
多分今後もそうするだろう。
理屈は分かるんだ、理屈は。
距離をとって描く、放物線の美しさ。
明解に捕らえられる色具合。
尿検査のサンプル採取は立ってる方が便利。
これは女子には分かるまい。
意外とそうじゃなかったりする?
なんせ比較対象が密室内のコトだから、さっぱり正確な比較が出来ない。
しかし考えるコトには意義があるはずだ。
でも、意味はないかも。
久しぶりに自転車に乗って外出しようと、駐輪場へ行った。
ボクの自転車のカゴに、ビニール袋が入ってる。
あー、誰かゴミを入れたな、と近づいていく。
近づいて分かった。
中身が入ってる。
誰か、間違えて入れたか?
はた迷惑な、そこらに置いといてやろうか。
さらに近づいて中身が分かる。
ビール三本にカップ麺ひとつ。
ものすごくボクっぽい買い物だ。
多分ボクだ。
いつのだろう。
考えたのだけれど、ボクが自転車に乗って買い物に行ったりしたりのは随分前だ。
もしかして、それだけ前からカゴに入りっぱなしなのか。
覚えてない、ホントにボクなのか。
とりあえず持って帰って冷蔵庫なりにしまってみたけれど、どうも預かりモノをしているような感じ。
そんなワケはない、コレはボクの買い物だ。
死んだらコレのせいか?
いや、朝ワンダのせい。
明日にはなくなるだろう。
同時に罪悪感も消えてなくなる。
いいコトか、悪いコトかはわからない。
近所のヒトは、あのビニール袋をどう思って見ていたのだろうか。
気付いていたヒトたちは、ボクのコトをバカだと思っているだろうか。
ボクなら思うぞ。
それに対抗するには、おいしくいただくより他はないだろう。
明日は技術の粋を尽くして飲み食いするとしよう。
缶ビールとカップ麺だけれど。
で、昨日のカップ麺を食べたのだ。
ネギなど買ってきて、刻んで入れてみた。
技術の粋。
しかし、カップ麺に何かを追加して食べる、というのは余りよろしくない気がする。
健康に、とか精神衛生上、とかそんなハナシではなく、カップ麺の立場的にまずいのではないか。
袋なら何の問題もない。
あれは足してなんぼのモノだから。
でも、カップはあれで完結してるモノじゃないか。
このままの私じゃ不満なのね、キーっ、とか言われていそうじゃないか。
そうねえ、ヒトはそのままのジブンを愛してもらいたがるモノだけれどもねえ。
現実問題としてそうはいかないのは、もう周知の事実と言っていいと思う。
そこに夢を持って、ずっと待ち続けたりもする。
白馬の王子様か、癒しの女神様か。
アホらしい、とバサッと断罪しきれない辺り、ボクも多少は待っているらしい。
王子様でも女神様でもベツにかまわないのだが、無条件に受け入れるのは愛情の第一歩に過ぎない。
そこからお互い期待をかけるコトが出来て、初めて愛情は成立するのではないか。
親子に仮定すると分かりやすい。
コドモがどんなにボンクラでも、親はやっぱり愛情をもってしまう。
でも、そこでは終わらなくて、世間的に成長を望む。
“世間的に”の部分だけ変えれば、恋愛関係でもたいして変わらない。
他人な分、“無条件”が薄いだろう。
その分、期待が多岐に渡る。
そのバランスが醍醐味なのではないのかな。
変わっていくジブンと、変わっていく彼女。
新しいジブンを見つけよう。
その論で行くと、カップ麺は手を加えてもいいらしい。
技術の粋。
ここのニッキには、しょっちゅうトイレが出てくる気がする。
まあ、ほら、だって毎日行くし。
行かないヒトはいないでしょ?
おシゴトには休日があっても、おトイレには毎日行くのだ。
そんなボクは、今日ももちろんおトイレに行った。
でも、今日はボクのハナシではない。
イベント会場にいると、どこかの場所を尋ねられるコトがある。
いちばん多いのがおトイレ。
あとは電話とか飲食店。
知ってれば答えるよ。
今日もボクは尋ねられた。
もじもじしながら声をかけてきた、年の頃なら70代の品のよい女性。
見た目で呼ぶならためらいなく“おばあさん”だ。
そのヒトが、ボクに小さな声で言った。
「すいません、御不浄は・・・?」
ごふじょう!?
一瞬分からなかったさ。
アタマの中に、ひらがなで浮かんださ。
ひとつひとつ変換して、あまつさえ“御不浄”が出た瞬間にパチンコ玉がジャラジャラジャラ〜。
色々とやったが、この間は一瞬である。
場所の説明をして送りだし、となりにいたヒトとカオを見合わせた。
御不浄だよ・・・
「御不浄ですね・・・」
ああでないといけないなぁ。日本人として、ああじゃなきゃいけないよ、やっぱり。
「そうですねー、まだいたんだなあ・・・」
そこにやってきた、シゴト場の役立たず。
「どうしたの?」
いやー、イマ、御不浄の場所聞かれちゃってさー。
「何、それ?」
お前みたいなヤツがいるからニッポンは。
白ワイン(780円)を飲みながら本を読む。
つまみはおから(198円)である。
本を読みながらお箸を使うのは苦手なんだけどなー。
つい違うトコつっついちゃったりしてね。
本読んでる時ってのは、アタマだけがイってて手は空いてたりする。
だから空いてる手で何かできるんじゃないかなあなどと思い上がる。
そうじゃないんだ。
アタマの指示なしには何ひとつ出来ないんだ。
おからも掴めやしない。
まして星をや。
電車の中でもたまにやってる。
吊り革に掴まって文庫本を読みつつ、手を吊り革から離してページをめくる。
目線は続きを追いながら、手は吊り革を再度握ろうとする。
しかし再会はかなわない。
運命のいたずらがなければ、吊り革とすら出会えない。
ヒトとはなんて無力な生き物だろう。
一年に一度は出会える、織姫と彦星がうらやましく思えるようになってきたぞ。
“織姫と彦星”だよね。
“彦星と織姫”じゃないよね。
順番が入れ代わってるのは見たコトないような気がする。
どんなハナシだったっけか。
忘れちゃってるけど、多分織姫が活躍するんだろう。
名前が先に出てくるからには、絶対理由があるハズだ。
「トミーとマツ」
「ターナー&フーチ」
「ハーレイダビッドソン&マルボロマン」
・・・どうでもいいや。
アタマがイき始めているので、どっちが先でもいいやと思うコトにする。
マルボロマンが後である、というコトさえ守られればいいや。
こんなトコで誰も知らないコトにこだわるのは酔ってる証拠だな。
作品にか、酒にかはさておき。
しかも、どっちとも安いし。
寒いなあ。
お布団の中の居心地のいいコトったら。
あー、シアワセー。
最近のこの気温に耐えかねて、はんちゃ(はんてん)を出そうとしたら見当たらない。
そういえばこの春が過ぎた頃に、実家に修繕を依頼したんだった。
もう10年使ってたから。
仕方がないので、実家に「僕のあのはんちゃどこへやったでせうね。」と連絡した。
後日、休日を見計らって送ってくれるコトになった。
ボケは流された。
何か他にいるモノがあるか、と言われたので、んー、んー、んー。
冷蔵庫にカレーとかな、あ、やっぱいい。
「なぜいらないの。」
どうせあれでしょ、うんこカレーでしょ。
「うこん。身体にいいんだよ?」
でも、わざわざ送らせる程にはおいしくない。
「そうかね。」
素でうこんとうんこを間違えたコトには目をつぶり、特に何も頼まずに電話を切った。
今朝届いた荷物には、米とかが入ってた。
あとはちりめんちりめんちりめん。
さきいかとか、酒のつまみ系。
こういうのを送ってきつつ、あまり飲み過ぎないようにと注意するのはいかがなモノかと。
荷物を漁って出てきたしらすをつまみに朝からビール。
次に目覚めたのは午後三時。
おかしいな、イチニチを有効に使うために朝必着にしてもらったハズなのに。
そう考えている間もカラダはお布団に取り込まれている。
足の指でCDプレーヤーの再生ボタンを押す。
流れ出すベル・アンド・セバスチャン。
ちょうどよい曇り空、心地いい朝の空気。
起きなきゃ・・・
次に起きたのは午後五時。
気分は昼頃。
でも、外は暗め。
ここまで来ると、気分は晴れやかである。
さあ、もう一杯。
お醤油が切れそうだ。
御用聞きって、まだやってるのかな。
「ちょいと三河屋さん、あとでみりんを一本持ってきてちょうだいな。」
誰かが必ず家にいた時代の、遺物と化した現象だ。
昼下がりの団地妻とともに、妖しげなイメージを植え付けられてしまった御用聞き。
団地妻よくないよ。
“御用聞きバブル”とでも呼ぶべき時代があったのだ。
刹那の御用を聞きましょう。
ココロの闇に沈められた団地妻の欲求は、きっと出会い系に行った。
そっちはあんまり淫靡じゃないね。
密室性が薄いのがその原因だろうか。
それよくないよ、団地妻。
団地妻団地妻うるさいが、なんとなく団地妻にテンションが上がってる。
コドモの頃の、タイトルだけ見たピンク映画のイメージなんだろうな。
まだ引っ張ってる。
だいたいしたいしたい時期なんてのはとうに過ぎて、イマやするよりも大事なコトがある。
したくないワケじゃないが。
ああしたくないわけじゃないが。
それよりも望むコトがあるのだ。
望みの彼方。
そこへ行こうと思う。
ボクとキミのための場所に、ボクら背を向けて歩き出そう。
いつか見つけるよ、望みの彼方に。
団地妻とアパート妻とどっちがいい?
望みはどこにあるの?
駆けていく音は聞こえるのに、方角が確かめられないんだ。
見失う/再び出逢う/でも見失ったまま。
いかさない結末を胸に、でも、ボクは歩き出すだろう。
何を言っても始まりは団地妻。
とっととお醤油を買ってこい。
よーし、また年の分かるハナシをしちゃうぞー。
コーラカーと呼ばれているクルマがある。
もちろん呼んでないヒトもいる。
ボクらは呼んでた。
憧れを込めて。
コドモの頃、コーラカーに積まれていたのはビンだった。
まだ缶は少なかった。
ポカリスウェット缶が250mlで120円もしたのだ。
で、最近コーラカーに積まれているのはめっきり缶とペットボトル。
ファンタやスプライトはこの際どうでもいいが、コーラはイマでもビンなイメージ。
商品として、影が薄くなるのはいかがなモノかなあ。
桑田佳祐の「波乗りジョニー」はコーラのCMソングだった。
“NO REASON”とか言ってたヤツだ。
内ジャケットの桑田はコーラを飲んでいる。
ビンで。
ビールもビンの方がうまい気がする。
以前はビンをケースで配達してもらったモノだが、それはある分全て飲んでしまっていた頃のハナシ。
六階まで配達に来るのがおじいさんだということもあり、やめてしまった。
最近弱くなったから、また配達してもらってもいいかも知れない。
ていうか、昨日のハナシではないけれども、お醤油だってそうだ。
最近は(というかボクの買っているのは)ペットボトルだ。
でも、ボクのコドモの頃はビンだったよ、一升瓶。
たしかみりんやソースも。
まあそんなコトはどうでもいいのだけれど、コーラはビンだと思う。
当時、ガソリンスタンドで70円、ビンの引き取りはなかった。
あのビンの飲み口はなかなか再現できるモノではないらしい。
でも、そのイメージがコーラ以外に広まらない以上、ビンにこだわるのはノスタルジー以外の何でもない。
それに気付いてても、コーラはビンだと思ってしまうのだが。
昨日はなべの日。
イマ、部屋がむちゃくちゃなのは、そのせいだと思う。
テーブルを早く片付けないと。
酒はもうない。
なべの残りももう片付けた。
あとは部屋の片付けと、洗い物、それにタバコの臭いだけだ。
昨日の夜に、頑張って洗い物をしたのだけれど、いかんせん酔っぱらい。
こびりついた野菜とかが残っている。
やりなおし。
三歩進んで、ニ歩下がる。
ところで早速「E.T.」のDVDを買ってきた。
もちろんなべのためである。
みんなで「E.T.」を観よう!と意気込んで買ってきたのだ。
もちろんこの流れで想像はつくかと。
なぜみんな「E.T.」ヤかなあ。
ブリトニー・スピアーズなんか観てる場合じゃないのに。
しかし「少林サッカー」はやっぱりおもしろい。
友人が持ってきた香港版のビデオCD、当然日本語はない。
でも観てたからか、全然困らなかった。
観たコトなかったヒトも、あまり困ってなかった。
詳細は口頭でキャプションを付けた。
なべの残骸は、これからえいやっとやるつもり。
やるぞ。
やるのだ。
やるってば。
問題はむしろ、ヒトがいたあとはほのかに寂しいというコトだ。
静かで結構なコトなのだが、タバコの臭いが消えるまではふと思い出したりするかも。
不愉快なクセに。
どうも風邪を引いたくさい。
風邪って、いわゆる“ババ”みたいなモノか。
引くんだから。
だから今日はとっとと寝ようと思う。
とっととニッキつけて。
とっととお風呂入って。
とっととビール飲んで。
とっととネットして。
何ひとつ省略してない。
岩井俊二の新作「六月の勝利の歌を忘れない」を観た。
もとが四時間近いのを九十分に縮めてのダイジェスト。
モノ足りない。
つまりあの、ワールドカップ狂奏曲とでもいうべき六月の日本チームを追ったドキュメンタリーである。
こういうのはフツー、ちょっと違った視点とかそういうのがあっていいハズ。
でも、ここにはそんなモノはない。
日本チームファンが作った“あの時期”の日本チームドキュメンタリー。
DVDを買おうとか、そこまでは思わないけれども、レンタル屋に並んだら一度は観よう。
そしてあの狂騒にまた浸ろう。
夢のように思える、あやふやなあの時間。
ホントにあったのか。
ぼんやりしてるとイマがあやふやになりそうだ。
風邪のせいだと思いたいトコロ。
確かにボクはモノを知らないかもしれないけれど、いくらなんでもそれはないだろう。
ソフトフランスパン許すまじ。
たとえボクが許しても、きっとフランス人は許さない(と思いたい)ぞ。
堅くないなんて、フランス人をバカにしてるのか!なんて。
でも、フランス人はあまり堅くなさそうだね。
問題はパンだ。
食パンが堅いのはマズいが、堅くないフランスパンは許されないだろう。
誰にって、そりゃ、ボクに。
ボクに許しを与えるコトなんか出来やしないけれど。
中国人はみんなカンフーをやっている、と思ってたコドモの頃。
なんか似てる。
日本人は空手が柔道。
フランスパンはみんな堅い。
思い込みとは恐いモノだなあ。
都会者は恐い、とかね。
海のオトコは、とか九州男児、とか京のオンナは、とか。
そんなんばっかなワケがない。
あとはジブンの眼力で、それぞれの違いを見定めていくのだ。
カネに汚くない関西人だっているさ。
多分な。
しかしカレーパンのカレーは日本のカレーだろう。
グリーンカレーとかのカレーパンは見たコトないだろう。
知らないだけか。
ナンのカレーパンって、確かモスにあったね。
だんだん何をぐちゃぐちゃ言ってたのか分からなくなってきた。
整理してもう一度言っておこう。
ソフトフランスパン許すまじ。
でも、きっとあるよな、うん。
例えば「チェロ弾きのゴーシュ」はどうだろう。
イミは全く同じなのに、全く違うモノだ。
言ってみれば“ハマザキ”と“ハマサキ”の違い。
デカいな。
だいたいひとつの漢字にいくつも読み方があるのが間違いの元なのだ。
ひとつの漢字にひとつの読み方。
全てが公平だ。
その代わりに漢字の量がバカみたいに増える。
最初からそうなら、意外といいかもしれないぞ。
想像の範疇を出ないけれど、“ハマサキ”さんと“ハマザキ”さんの区別はつくようになる。
その代償として漢字がひとつ増えるワケだ。
イマまでの漢字はどっちが取るだろう。
「濁点のある方が偉いんだ。」
「いーや、ない方がスマートだ。」
「釣りバカのくせに生意気だ。」
「何をう、釣りバカがどれだけ稼いだと。」
ケンカが始まる。
裁判所へ行こう。
そして「この中でいちばんダメな方が偉い。」とか言ってもらえ。
しかしそうなると遊べなくなるね。
“騎士”と書いて“ないと”くんなんてのもいたっけか。
誘拐された騎士くん。
まだ覚えてる。
遊べるのはいいコトだ。
コドモができたら凝った名前を付けてやろう。
いちいち読み方を尋ねられるくらい。
シンプルで覚えられやすいのとどっちが偉いかな。
そういうコトは裁判所で聞け。
ストーカーにつけられているかもしれない。
うまいらしく、全然気付かされない。
気配を完全に絶っている。
痕跡を見つけたコトは、一度もない。
あれ?
要するに何もないってコトなのだが、それくらい考えないと退屈で。
全然ヒマじゃないのに、退屈ってのも何だかミョーな感じだな。
しかしストーカーってのはヒマなヒトだよね。
ネットで巡回とかしてても、さんざっぱらヒマなヒトはいるけどね。
オモテに出ない分、情熱的にヒマだ。
ところでボクはさっき、「うまいらしく、全然気付かされない。」とか言った。
よく考えると、ストーカー美学は気付いてもらうトコロにあるような気がする。
いかに美しく気付かれるか。
それが競われる。
競うからにはきちんとした団体がある。
その名も“全日本ストーキング連盟”。
カモフラージュ用に印刷物や看板は“ストッキング”になっている。
会員がジブンで“ー”のシールを貼る。
ぺたぺた。
当然海外とも交流がある。
外人サンを追い掛けてよその国に渡る時には、連盟を通じて紹介状をもらう。
アパートの保証人とかにもなってくれる。
海外は、例えばアメリカなら“ALL AMERICAN STALKING ASSOCIATION”だ。
カモフラージュは“AMERICAN”と“STALKING”の間に“’”を打つ。
別パターンとしては“STALKING”の“L”を消すというのもあるが、
こちらは“L”をうまく配置させるコトが難しいためにあまり好まれない。
ちなみによその国に行くと、日本人が必ずこぼす愚痴があるそうで。
「俺さあ、いや、分かってるんだ、分かってるんだけどさあ。
“ストッキング連盟”に入ってると思われるのが恥ずかしいんだよな・・・」
“全国ストッキング連盟”の出す機関誌ならちょっと読んでみたい。
それがページを開いてみたら“全国ストーキング連盟”の機関誌だったらもっと読んでみたい。
どっちにしろ購読者の常識は疑うが、ストッキングなどというモノのために恥を忍ぶのとどっちがいいのやら。
人間の尊厳の問題である。
高校時代には校則があった。
多分どんな学校にもあっただろう。
イミのありそうなもの、イミのなさそうなもの。
各種取り揃えてあったハズだ。
とか言いながら、ジブンの学校の校則はろくに覚えてない。
近所からの自転車通学は禁止されてたな。
それくらいしか記憶にない。
でも、当時は結構うるさかった。
校則に反対して校内暴力なんてハナシも聞いた。
生徒総会で校則について議論したりというのもあった。
たった三年なんだから、イヤならはなから入学しなきゃいいのに、とかも思った。
そういう短絡的なモノでもないと思うけれど。
これが国の法律なら、生まれてくる場所をジブンで選べない以上は改定していく権利もあろう。
でも、選べるのに、わざわざそこを選んでおいてから文句を言うなんて。
ちょっとおかしいんでないの。
例えばこれは恋愛にも当てはまる。
ケンカの悪口に「ちび」とか外見・スタイルが挙げられたりする。
付き合いはじめてから、例えば太ったとかなら分からなくもないけれど。
愛が足りないよ、愛が。
逆の言い方をすれば、愛があるから変えようとするんだろうけれど、それはジブンの都合でしかない。
靴下は白、もしくはワンポイント以外不可なんて、だったらそうすりゃいいじゃないか。
抜け穴をかいくぐる楽しみは、そういう中ではぐくまれるんだ。
矛盾に対抗する、想像力を鍛えよう。
イマも高校の校則ってそんなモノだろうか。
枠の中で最大限に楽しむ方法は、勉強なんかよりもよっぽど将来役に立つ。
でも、ゆるいよね、きっと。
見てればわかるよね。
髪が黒くなくても許されるなんて、ストレートでなくても許されるなんて。
一度、イマの時代で高校生をやってみたい。
できれば、六本木とかにある高校で。
ロンゲにヒゲとかで、ラップとかやってたりすんのかな。
ちょっと想像したくない、やまんば(古っ)みたいなオンナノコと付き合ってるジブン。
付き合ってるだけマシか、実際の高校時代よりは。