そういえば左利きにも憧れたりしたっけか。
小学校の、多分上級生になるくらいでもう利き腕と、そうでない腕に分かれてた。
その前は左用のバッターボックスでもふつうに振れてたのに。
利き腕のハナシはどうでもいいので、血液型にもどる。
血液型のハナシをしたいワケでもないのだが、コレを言っておかないと前に進まない。
ヒトに誘われて、「血液型別ダイエット」なるものを始めたのだ。
要するに血液型によって食べ物に得意・不得意な種類があるというのだ。
で、不得意なモノを食うなと。
参照が海外の本なので、食材が海外仕様になっている。
しかも基本的には“食材”についてOK・NGがあるだけなので、めんどくさいコトこのうえない。
外食中心のヒトには向かないかも。
中心つーか、ひさしく自炊なんかしてないし、コンビニしか行かないし。
今回は公平を期すために食べる量はあまり変化しないようにしなければいけない。
何食べていいのかわからない状態でそれはむつかしい。
二週間やって、ほほうって言い合う予定。
うまくいったら調子にのってしばらく続けてみよう。
めざせビキニパンツ。
ヤ。
「中国4000年の歴史の中で初の金メダル」という言い方はいくらなんでもなんだろう。
血液型別ダイエット、早くも挫折気味である。
ダメなモノを食べたいとか、そういうコトではなくて、“いつもの量を食べる”の方。
だって何食べていいのかわかんないし。
主食になるものでダメでないモノは米しかない。
牛肉は大丈夫なので、ではとばかりに牛丼を食べた。
でも、米も特に得意分野に入っているワケではないので並しかダメだ。
結果三回連続牛丼はベツにいいけど、最初から決まってるのはイヤ。
ワガママかしら?
今日はまだスーパーが空いてる時間だったので行ってみた。
おひたし食べたいな、とか思ったけれど、なかった。
ジャマされているような気がする。
でもベツにつらくはないね。
支障はきたしてるけどね。
そっちのがイヤかもね。
パン、ラーメン、うどん・そば、お好み焼き、豚肉、キャベツにじゃがいも。
それにコーラとコーヒー。
これだけのモノを選択肢からはずすと、ボクのご飯はずいぶんとむつかしくなる。
いちばんの心残りはロッテリの新作、ポークカルビだ。
ダメなモノだらけ。
さて、昨日シゴトで絡んだヒトがそこで財布をなくした。
一緒になってずいぶんと探したのだけれど、ぜんぜん見つからない。
関連場所にも電話しまくり、全部玉砕。
ホテルじゃないの?
「まだチェックインしてないんです。」
最後にどこで使ったの?
「えーっと・・・仙台?」
電話だーっ。
ありやんの。
そりゃあ、仙台でなくしたモノ、東京で見つけようってのに無理があるよ。
ああ、でも見つかって良かった。
「帰りの切符入ってるんだけど。」
知らんわっ。
あとはジブンでやんなさい。
肩にネコを乗せて街を行くおじさんの写真を、以前某「ノンフィクション」で見た。
イマはもうないので、名前を出すのもあれだなぁと思うけど、まあ。
当時その写真はミョーに楽しそうに見えたのを憶えている。
おじさんも、ネコも。
今日、それの実物を見た。
家の最寄り駅で見た。
不自然な姿勢の飼い主、首輪をされたネコ。
ネコ、凄いイヤそうだなぁ。
やめてやれよ、と思う。
何のためだ、ネコに首輪って。
そんなモノは似合わないよ。
まったく何の役にも立たないシロモノだ。
え? 写真?
撮ってませんよ。
うああ、役にたたねえ。
京都というのは不思議な街だと思う。
出身があっち方面なので、帰省時に立ち寄ったりするのだが、いつもそう思う。
ボクは一澤帆布のカバンを使っているのだけれど、あれも相当に不思議な店だ。
頑固一徹というか、そのくせミョーにポップだったり。
イメージとしてはすごく“伝統”というモノがど真ん中にあるのに、そればかりでもない。
がんじがらめなように見えながら、ヒトは確実に変わっていっているのだな。
過ぎ行く街のたたずまいにごまかされないように。
そして押しやられないように。
学生の頃は、もっとあっちの方に近くて、いつでも行けた。
友人もいたし、泊まるところはあった。
でも、もういない。
最後に残ってた友人は阪神大震災で会社が被害を受けたのをきっかけに会社をやめた。
そしていつのまにかボクの見知らぬ街になっていった。
大阪より京都の方が服装はハデだった、というコトを言おうと思ってた。
伝統に反発するエネルギー、明確な敵という存在。
明日に向かう若き魂の反逆児たち。
どうも今日はソコへ向かいそうにない。
ノスタルジー。
昨日のノスタルジーは、バンプ・オブ・チキンのせいかもしれない。
お花見の季節ですな。
そう言うと結構驚かれる。
ボク的にはそろそろお花見の季節は終わりなのに。
桜ではないですよ。
ウチの方ではお花見と言えば梅です。
例えばちょっと昔のハナシだが、万葉集に於いては花と言えば梅だ。
でも、古今集に於いては桜だ。
奈良と京都の違いだけだろうか。
もっと違う、対抗意識のようなモノがあったのではなかろうか。
平安貴族の意地のようなモノが。
まあそんなワケで、お花見と言えば梅なのだ。
だからお花見には寒い思い出しかない。
当たり前だ、こんな季節なんだから。
バーベキューとかを繰り出しても寒いコトには変わりない。
でも、楽しかったな。
またお花見したいな。
でももう、酒は欠かせない。
しかしオトナの暴走した姿はみっともない。
仕方ないから、職場の花でがまんする。
いません。
しまったー、しくじったー。
キャベツは食べちゃいけなかったのにー。
つい習慣でもぐもぐやってしまったYO!
ココでテンションをあげても残念ながらカロリーが消費されるコトはない。
YOYO言ってるだけでどんどん痩せてゆくYOYOダイエット。
実現したらぶっちきりで流行語大賞はいただきだ。
さて、時代劇などで「すいません、お名前だけでも」
「いや、名乗る程の者じゃござんせん」ないしは「拙者、なんとかもんどのすけと申す」
というようなやりとりを目にしたコトがあると思う。
ボクはひさしく時代劇をマジメに観てないのだが、それでも覚えはある。
「道に迷って難渋しております。どうか一夜の宿をお貸し願えませんでしょうか」
というのもあるが、ココでは触れない。
例えばあなたがちょっと道でヒトから親切を受けたとして名前を尋ねるだろうか。
ボクは尋ねられたコトはない。
逆に尋ねたコトもない。
これは悲しいコトなのか?
いつの間にかヒトは“記号”へと変化していったようだ。
たしかにちょっと親切にしたくらいで名前尋ねられたらたまったモノじゃない。
悪いイミではないけれど、そう思う。
匿名性の優位というやつだろう。
記号としてヒトを捉えてしまうというのはとても不思議な感じだ。
でも、ボクはジブンがそうであるコトに矛盾を感じていない。
そのコトがますます不思議に拍車をかける。
自分ミステリアス。
あと「もし、いかがなさいました?」「うう、持病の癪がっ」ってのもある。
街なかで会ってもできればかまいたくない。
ものまねタレントという職業がある。
その中にも、色々なヒト・モノをこなすヒトと、“誰か”を専門にこなすヒトがいる。
どっちがいいのかはさておく。
テレビでものまねバトルとかやってるヒトたちだけではなく、例えばコピーバンドなんかもそう。
うまくなればうまくなる程、そのオリジナルのファンが集まってくる。
でも、ものまねはものまね。ナマで観たコトはないけれど、同じコトだ。
ものまねタレントで松田聖子を専門にやってるヒトがいる。
そのヒトのコンサートに、おそらくはオリジナルのファンが集まった。
それもまだまだ、“聖子ちゃん”だった頃のファンが。
そこには振り付けもかけ声も、すべてが揃っている。
さすがにハッピは着てなかったし、ペンライトもふられてなかったが。
ものまねタレントならではの気安さと、プロのワザを堪能する厳しさ。
その両方が揃っている、あるイミ夢のようなコンサートなのだろうと想像する。
「『制服』うたってー」「えー、音響さん、持ってきてましたっけ?」
「ありまーす」「はーい、じゃあ、歌いまーす」
居合わせた身としてはおかしくておかしくて。
突っ込みドコロ満載のコンサート。
お約束を前提にして、お行儀よく楽しむコトさえできれば楽しいモノなのではないか。
あるイミではどんなに好きなアーティストを観るよりも夢を買うコトができる。
そして誰よりも夢を売るコトに自覚的なのではないだろうか。
ボクは夢を売りたいワケではない、夢を観させることができればな、と思う。
イマも、心の底から、そう思う。
リクエストに応じて夢パンチを繰り出すコトはできないけれど、ウソだけはつかない。
友人のひとりがここ数年ロスにいる。
同級生なので当然似たような年だ。
なぜか五年目も一緒だったっけ。
卒業と同時に渡ったワケではない。
日本で紆余曲折あった果てになりゆきで渡ったようなモノなのだ。
だが、結果はイイ方に傾いていると思う。
ああまでアメリカライクな感じをトレースできるとは、びっくりだ。
いいイミでも、悪いイミでもびっくりだ。
ところで国際電話をしたことがあるヒトは意外と少ないのではないかと思うのだが、どうだろう。
先日その友人から電話が入った。
もう一年ぐらい会ってないので、びっくりした。
最初はシゴトを首になって、日本に帰ってきたのかと思ったくらいだ。
それくらいありえない予定だった、国際電話。
何か用があったワケではないようだが、しばらく近況なんかを喋って切った。
イマ思い出しても、特に“国際電話”というモノに相応しい会話があったとは思えない。
でも、多分あれでよかったのだ。
声がきけてうれしかったよ。
でも、キミの言った、「日本へ帰ったらキャバクラへ行こう」はやっぱりどうかと思うんだな。
お願い、もう少し違うモノを日本と共に連想できるようになって帰ってきて。
製薬会社のシゴトをたまにやる。
新製品の発表会とか、医療セミナーとか。
医療関連のコトバってわからないのが多くて。
薬に使用する、たとえばいそぷろぴるあんちぴりんなどは何となくわかる。
ニュアンスでしかないけれど、成分のひとつなのだろうみたいな。
バイエル薬品から出てる医療用具に“スカイナースチーム”というのがある。
名前を聞いたのはずいぶん前なのだけれど、先日それの正体を見た。
ずっとボクはスカイ・ナース・チームだと思っていたのに、
実際はスカイナー・スチームなのだそうだ。
ボクの想像とずいぶん違うな。
ボクの中ではすっかり看護婦さんの編隊が空を舞っているイメージで固定されていたのに。
すっかりつまんなくなった。
白いジャージを粋に着こなしているつもりの、コンビニで会った男性に告ぐ。
そのトロピカルなパンツを透けさせるのをやめなさい。
帰宅時に駅構内でデブでちょびヒゲのラッパーなオンナノコにテレカを譲ってくれと声をかけられた。
ちょっとあやしい、とは思ったものの、ベツに普段使うモノじゃなし、一枚出した。
そしたら使いさしだと途中でなくなったらまずいので、もう一枚くれという。
仕方がないのでもう一枚、未使用のを出して渡した。
そこでお礼を言われて別れたのだけれど、なんだかイイコトをしたというよりは施しをした気分だ。
思い上がりもはなはだしい。
自分にとって不要なモノを投げ出したのは、それは捨てるという行為と変わらない。
彼女が説明通りに電話を掛けるのに使うかどうかなんてわからないのに。
施しは、不必要なトコロから必要とされているトコロへスライドさせる行為だと考えればよいだろうか。
不要なモノを出すだけではダメだ。
対象をキッチリ見定めて、本当に必要としているかどうかを判断しなければいけない。
それにはエネルギーが必要で、だからこそ赤十字のような団体の存在意義があるのだ。
それでもなんだかほのかにイイ気分なのは否めない。
信じる者は救われるとも言う。
たとえ「あの、せめてお名前を」と言われなかったとしても。
ちょっと想像してみてほしい。
あなたの手が空き缶を握りつぶす、その情景。
筋肉にチカラがこもり、空き缶が凹んでゆく。
たいへんに分かりやすい。
では、もうひとつ想像してみてほしい。
便秘気味なあなたはトイレに入ってチカラを込める。
そのチカラは、どこからどう作用しているの?
どうも下半身はあんなにチカラを入れる機会が多いのに、イマイチ明確じゃないね。
もっとチカラの働くルートがハッキリすればいいのに。
そうすればもっと自由自在に。
何がですか?
ヒロスエのライバルは誰だろう。
彼女のホームグラウンドはまだテレビだとボクは思うのだけれど、ホントはどうなのか。
そんなコトを今日、「WASABI」を観たというヒトと話しながら考えた。
考えてみるとイマの連ドラって、あれくらいのヒロインがいない。
視聴者層にヒロインの年代を合わせているのだろうか、20代後半がやたら多い。
これは時代の反映か。
その中でメインヒロインを張れる20才前後の女優って、ちょっと思い付かない。
そうするとやっぱりヒロスエ凄い。
田中麗奈を除外しなければならないのは痛いが、テレビやってないんだから仕方ない。
あとは池脇千鶴くらいか。
でも、あまり恋愛ドラマのヒロインって感じじゃないね。
深田恭子がもう少し年上だったら、いいライバルになれたかもしれない。
仮定でしかないけれど、タイプの違うふたりが並ぶのはちょっといいイメージだ。
ありえないかな?
ヒロスエの、役者としてのフットワークの軽さはもっときちんと評価されてしかるべきだ。
でも、奇行のイメージが先走っている。
アイドルイメージの凋落と一緒に役者としての評価まで落ちてる気がする。
テレビにとってはもったいないが、確かに映画の方がのびのびとできるだろう。
問題はテレビをほとんど観ないボクがこんなコトを書き連ねているコトかもしれない。
連ドラまともに観たのなんて、いつのコトやら。