どう思います?
―流産、その心のケア―



流産。
「妊娠すれば子は自然と育っていくもの」と思っていた私にとって、
それはまさに青天の霹靂でした。

流産はTVドラマの中だけでの不幸な出来事に過ぎず、
私には無関係なこと・・・との認識でいたからです。

医師からは全妊娠の10〜15%は流産となります・・・と説明を受けたものの
その数字の現実感の無さに
、全く実感が伴いませんでした。

妊娠することを「オメデタ」と言います
確かにそれは「おめでたいこと」です。
しかし、その喜びのなかで涙を流す人を見るたびに

この「オメデタ」という言葉に違和感を覚えずにはいられません。
その言葉のもつ絶対性のうちに、「流産」という不幸な出来事は
個人に、夫婦に、家族に与えられた試練として、ひそかに封印されています。

流産を 「自然淘汰」と考えることで、ある部分は整理がつきます。
ただ育ちつつあったひとつの命をうしなった喪失感と
子宮内除去術等で感じるやりきれなさは、
多分、経験したものにしかわからない種の感情で
時間だけでは解決がつかない深い問題です。


多くの人はその穴を次の妊娠で埋めようと思うことでしょう。
私もそうでした。
次の妊娠がうまくいけば心の整理がつくはずでした。


そして2度目の流産。

穴はますます深く大きくなり、私達にはとても抱えきれなくなりました。
そして同じような経験をされている人を、信頼できるドクターを求めました。
結果的には、無理をして抱え込まなかったことが効を奏したと思っています。
精神・身体両面でのサポートを受け、前向きな気持ちを持つことができました。

最近、「流産後の心のケア」の必要性についてよく考えます。
最終的には個々人が乗り越えていくべき問題ではありますが、
その過程においてサポートを必要とする人は少なくないでしょう。
民間レベルで行えること、病院でのケア、ステージはいろいろあると思います。
病院においても不育学級などなどさまざまな試みがなされています。


不育症の啓蒙、情報提供を考えていく上でも避けては通れない問題です。

みなさんはどうお考えですか?
患者、医師、臨床心理士、病院経営者・・・
それぞれの立場でいろいろな考え方があると思います。

私自身、いつも悶々と考えているテーマです。