主治医

 

 私が東海大学伊勢原病院の門を叩いたのは、1998年2月にさかのぼります。不育学級への参加を経て、同年11月、不育外来を訪れるまでの経緯は既に記した通りです。それまでは外来のたびに担当医が変わっていたので、主治医がはっきりしたということに、まずはほっとしました。また不育学級を聴講し、「信頼できる医師との出会い」を確信したので、他の病院を検討することもなく、スムーズに検査に移りました。

 11月から1ヶ月ほどかけて一通りの検査を受け、異常所見がある項目に関しては再現性を確認するため、再検査を受けました。一応の治療方針が確定したのは翌年の1月中旬のこと。当初は検査結果の報告にドキドキしながらの受診でしたが、そのうち、さまざまな疑問や不安について率直に尋ねることができるようになり、主治医とのコミュニケーションもうまくとれるようになってきました。インフォームド・コンセントの重要性を認識したのはちょうどこの頃です。血液凝固12因子に関しても、最初は何のことやらさっぱりわかりませんでしたが、主治医の話を聞いたり、自分なりに調べたりしているうちにだんだんと理解できるようになり、不育症への漠然とした恐怖心も次第に薄れてきました。

 定期的な通院のなかで得たもの、それは「流産の原因」だけではありません。その間「医師との信頼関係」、「治療に対する自主性」そして「次の妊娠へ踏み出す勇気」を育みました。検査を受けることは、あくまでも治療のスタートに過ぎません。はっきりした原因がみつかることも、また、これといった原因が見つからないこともあるでしょう。私の場合、12因子の低活性については当初より指摘されていましたが、活性低下を導く原因が見つかったのは、妊娠発覚後のことでした。不育症の研究も日進月歩です。突然、原因が確定することもあります。私自身、妊娠4w時の外来でその話を聞き、主治医とのインフォームドコンセントのもと、治療方針を急遽変更しました。このような咄嗟の決断も、主治医との信頼関係が確立していたからこそできたのだと思います。

 あの時のことを振り返るたびに思います。はじめての通院もしくは転院を考えられている方へ。
 以前にも「病院選び」というテーマで少しばかり書かせてもらいましたが、いろいろな視点から比較検討し、ここと決めたら、ひとつ腰を落ち着けて治療に臨まれてはどうでしょうか。所詮、我々患者は素人です。いろいろな病院を転々として、あの検査、この検査と受けても、一向に治療方針は定まりません。ドクターショッピングを繰り返すことで貴重な時間を無駄にしてほしくはありません。不育症の治療は、無事、出産するその日まで続きます。一人でも多くの人が、主治医との二人三脚により、検査、治療、妊娠管理、そして出産へと進み、笑顔でゴールテープを切られることを望んで止みません。私もがんばります。